2016年10月22日土曜日
ほろほろ会 『西土佐・西伊予の旅』 ・・・ 褌子
2016年10月18日~21日
■出発10月18日(火)
羽田から高知空港に着いたらいい天気である。暑くなし寒くなし。
高知ホテルに集まった5名で高知駅の「庄や」で鰹のたたき定食を食べた。タクシーで五台山に登って鏡川、浦戸湾など高知市街を一望する。山の頂上で記念撮影。牧野富太郎記念館へ。わたしが中村市生まれの女房と結婚したのは30歳の時で高知市で一番最初に訪ねたのがこの記念館。43年前に訪ねたときと全然おもむきが違う建物になっていた。あのときには玄関脇に富太郎直筆の精細でたて2メートルにおよぶ植物の絵が下げられていたがそれがない。竹林寺をみて長々と坂道を歩いてタクシーへ。
浦戸大橋を渡って桂浜へ。わたしは有名な龍馬像は砂浜のはずれに立っていたと記憶していたが小高い山のうえにあった。ふーん。
龍馬像を横からみるという変な階段には登らず、さっぱりとして美味しいアイスクリンを食いながらタクシーの運転手さんと雑談。のんびりしたいいおじさん。
飛行機に乗り遅れたGGさんも夕方、高知について6人でホテル紹介の「楽屋」で夕食。高知の魚はやはりうまいと思った。酒は司牡丹、土佐鶴、それに酔鯨。
■19日(水)
朝早く、高知→松山までの周遊切符を買って、電車で中村へ。窪川か須崎あたりで電車の名前が「黒潮鉄道」に変わった。四万十市と改名した中村市の中村駅へ着く。ジャンボタクシー運転手が「KK様」と書いてある紙をもって駅に立っていた。甌穴がある「竜串」をみる。足摺岬の灯台が立つ絶壁眼下の太平洋の怒濤に真っ白に泡立つ岩礁がこんかい一番美しく印象に残った。また200円のアイスクリンを食べた。43年前に高知へきて一番美味しいと思ったのは鰹のたたきではなく実は道ばたに売っているこのアイスクリンだったのだ。
ジョン万次郎の生家に立ち寄る。万次郎の頭の良さに注目した捕鯨船の船長が偉い。アメリカの捕鯨船といえばメルビル『白鯨』が有名であるがこれは私には難解で途中で読み捨てたまま。この捕鯨船の航海士にコーヒー好きのスターバックスという男がいる。
吉村昭は『アメリカ彦蔵』を書いていてジョン万については書いていないように思う。なおこのころ、アメリカの捕鯨船は鯨油をもとめて日本近海に頻繁に出没していた。この捕鯨船が日本人の漂流漁民を何ども救うのである。まだ石油が発見されるまえ、アメリカの産業革命が起きる前のことだろうか。ペリーの来航も鎖国の日本に捕鯨船の薪や水、食料を供給せよということだった。
土佐清水で昼食にたべたサバの刺身定食が旨かった。GGさんだけウツボのたたき定食。運転手さんもいっしょの食事。タクシーは四万十川沿いの僻地をさかのぼる。川は激流でなくてカヌーくだりも漕ぐばかりでつかれますとしきりに運転手さんがいう。四万十屋で川ノリと川エビの天ぷらでビール。川ノリの天ぷらは五枚のところ、三人一組でケンカにならぬように一皿六枚に店の女性が気をきかしてサービスしてくれた。高知の女性は気が強いのでハチキンと言われるがこういうやさしさがあるのである。なお豪快な酒飲みが多い男性はイゴッソウという。
沈下橋をひとつみてどんどん四万十をさかのぼる。たくさんの支流を集めて流れるので四万十川というのだということをはじめて知った。
山また山、こんな山奥にもと思うところに人家がぽつりとある。やがて豫州こと愛媛にはいり次第に人家がふえてきて宇和島に着く。宇和島グランドホテルちかくの大きな割烹料理屋『穂積屋』で食べた刺身が旨かった。日本酒もそれぞれ五種類、枡かわりのガラスのコップで飲むがうまいと思った。酒の銘柄は思い出せない。生卵をといた鯛飯の汁が美味しくてご飯を三杯たべたのでみんながびっくりした。この汁は昆布味だとKさんが解説。
■10月20日(木)
ホテルに荷物おいて宇和島散策。
宇和島は仙台伊達の系統。法学の穂積兄弟、漢字辞典の簡野通明、大津事件で司法の独立を守った大審院の児島惟謙(こじまいけん。吉村昭『ニコライ遭難』)、俳人の富沢赤黄男、松根東洋城、蘭学の二宮敬作などの人物をだし逃亡中の高野長英も立ち寄っている(ここらへんは吉村昭『長英逃亡』『ふぉん・しいふぉるとの娘』にくわしい)
KIさんは松野町松丸の芝不器男記念館へと向かう。「永き日のにはとり柵を越えにけり」がKIさんは好きだといつか言っていた。不器男という印象深い名前が本名という夭折の俳人。
宇和島城、大赦園をみて凸凹神社こと多賀神社へ。収蔵品がめちゃくちゃに増えて三階建てのビルになっていて、食傷気味だなあとHHさんがしきりにつぶやいたが同感。なんでも控えめ、ほどほどがいいのだ。昼食は魚はもうあきた。ラーメンを食いたいと私が騒いだがどこにもない。宇和島駅の構内でYYさんとオムライスを食べて紅茶を飲んだが案外うまかった。ほかのひとはハンバーグライス。
松山へ向かう電車を途中下車して内子でなく大洲へ。タクシーの運転手にKOさんが30分、40分くらいのチョー短い観光をと頼んだら、お城しかどこもみるところありませんねえと困っていたのが可笑しかった。結局、2時間くらいに延長した。大洲城は建て替えているが簡素で美しいと思った。肱川べりにあるくすんだ月やや皮付きの松の長押など臥龍荘も良かった。50メートルの「おはなはん通り」を歩く。朝ドラ『おはなはん』のふる里はここであったか。紫のノボタンがきれい。大学を卒業して就職した頃だから昭和41年だが、郷里に帰ったら母親が樫山文枝の『おはなはん』をしきりに面白いと喜んでいた。
電車のなかで松山ちかくでわらび座の芝居をみようとYYさんがしきりにすすめるので、何となくその気になったのだが話が立ち消えになった。
はじめて来た松山は名実ともに俳句のまち。高知市でもみたが、ちんちん電車も走る。
これに乗って160円で道後温泉駅へ。エスエルの「ぼっちゃん鉄道」を横目に一時間ごとに動き出す三階建てのからくり人形の時計台をみて、坂道を歩いて立派なホテルへ。このホテルの名前が思い出せない・・。
親切な仲居さんの丁寧な挨拶。フロント脇に全国盲学校の退職校長先生の会合みたいなものがあってエレベータでもご一緒したがみな地方の名士然として謹厳実直な風貌である。長年の職業がこういう顔付き、物腰をつくるのかなあ。お客扱いの上手な仲居さんもわれわれのいっけん外見だけは真面目そうな6人組をみて、どう思ったろうか。
■10月21日(金)心配したTTさんMMさんの鼾も案ずることなく早く目がさめて朝風呂へ。道後温泉の風呂の水は無色透明無臭であまり温泉にはいっているような気がしなかった。朝のテレビみていたらKKさんの茅ヶ崎ちかくの遊行寺の若い僧侶がでてきた。この藤沢山遊行寺にまつわる古今亭志ん生の抱腹絶倒の『鈴ふり』の話を思い出した。 遠くにホテルからみえた松山城は面倒くさくなって割愛することにした。KHさんが飛行機が満員で乗れないかもと言っていたのをこの仲居さんはおぼえていて、朝の朝食会場でも出会ったらどうなったと心配してくれた。われわれの食事中の会話をちゃんときいていて心配していたのである。翌朝、朝一番に空港に向かったKHさんから乗れたと電話がきて安堵した。明治27年建造の道後温泉本館は重厚な建物で、『道後温泉』の看板が年輪を感じさせる。朝、遊行寺の時宗の開祖、一遍上人が生まれた宝厳寺を訪ねたが本堂も建て替えで風格がない。坂道に子規などの句の看板が何本も立っている。民家の崩れた塀にふとみた濃い紫の大輪のアサガオがきれいだった。
子規記念館で金子兜太『わが俳句人生』と宇田喜代子『ひとたばの手紙から――女性俳人の見た戦争と俳句』を買った。道後温泉駅からリムジンバスで松山空港へ。空港内食堂で旅行四日目の待望のラーメンではなく盛りそばを食べて、握手をして解散。
空港内で『わが俳句人生』よんでいたら鳥取の地震をテレビが報じて松山もけっこう揺れた。伊方原発、高浜原発もゆれたのではないか。あらためて原発再稼働などという無責任なことはやめたほうがよいと思った。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿