2014年10月31日金曜日

エボラ出血熱・・・猫跨ぎ

  エボラ出血熱の報道を聞いていてよく判らないのが、西アフリカ周辺国の状況。ギニア、シエラレオネ、リベリアの隣り合う三国で大流行している。ところがナイジェリア、セネガルが終息宣言をしたという。ナイジェリアはやや離れているが、セネガルはギニアの国境を接した隣国だ。これは一体何だ? いずれにせよこの三国が突出していて、回りにすごい勢いで伝播していく風でもない。
  きのうラジオの深夜放送で、西アフリカへ「国境なき医師団」の一員として一ヶ月看護師として派遣され、先ごろ帰国した女性のインタビュー を聞いた。場所はシエラレオネの奥地。最初の症状は風邪に似ている。発熱、倦怠感、節々が痛い。ついで目の粘膜充血、歯茎の出血、鼻血、そして内臓の出血で死に至る。嘔吐、下痢。患者の体液(唾液、血液)、排泄物に接触することで感染する。
    端的に言って、当地での患者の致死率は65%。残りの35%は治癒で回復した患者或いはエボラでなかった者。少ないながら結構治癒して社会復帰している。治療行為は特効薬がなく、対症療法しかないから、要するに自力の免疫力で回復するということだ。
それから、極めて弱いビールスで塩素水、石鹸水で簡単に死滅するらしい。汚染箇所を石鹸水で拭けばいいとは、驚きだ。

2014年10月30日木曜日

エボラ・・・国兼

  つい1ケ月前にはデング熱がと騒いでいたが、今はニュースにも出てこない。来年春ごろに 大騒ぎということらしい。目下のニュースはエボラ熱である。何といっても致死率が50%を越えるというと他人ごとではない(デングは1%以下なのに、あんな大騒ぎをして・・・)。人類がこの地球に覇をとなえて以来の最大の敵は、この目に見えない細菌やウイルスという、すさまじく変化するとらえどころのないこの生物というか、生物ライクの怪物である。

 かって、細菌やウイルスがパンデミックな大流行をもたらし人類を死に追い込んだベスト3は、1番は中世の黒ペスト病で5千万人を越える死者が出、2番目がエイズ(世界で3千万人を越えている)、3番目がスペイン風邪(2千万人を超えている)という。

 3週間前のサイエンスに、このエイズがパンデミックになった流行の軌跡を分析したレポートが報告された。思えば、1980年代に世界中でエイズがあれほどニュースに取り上げられ、同性愛者が、麻薬常習者がと騒がれ、トルコ風呂が悲鳴を上げ、厚生省の血液錠剤に関する隠匿事項で若かりし管直人が一躍時の人となったりした。今は、薬剤の開発も進み、忘れられたがのごとく、ニュースにもならない。が、いまもアジアを中心に衰えることなく患者は増加しているという。

 サイエンスによると、エイズは1920年前ごろにチンパンジィーをハンターしていた西アフリカのカメルーン奥地の風土病的なものとして見られていたらしい。それが、1960年代にこの地方の鉱山資源の採掘と交通網の発達によりザイール川周辺都市にエイズが広まり、ここに出稼ぎに働いていた人と共に1980年前に大西洋を渡ってハイチに拡がったらしい。そこから、アメリカ、日本へと、後は急速に人間の欲望と共に留まることなく拡散していった。いい薬剤が出たといっても、生涯それを飲み続ける必要がある。
 エイズは発症まで何年も年数がかかる。その点、エボラは1ケ月もかからずウイルスに感染したかどうかが分かるらしい。世界的な交通網の発達はエイズの時よりもはるかに進んでおるが、パンデミックな流行となるかどうかは世界的な公衆衛生いかんであろう。日本からも、かっての野口 英世博士のごとき人物をと・・・思わずにはいられない。

2014年10月22日水曜日

女性閣僚更迭・・・猫跨ぎ

    冷たい雨の一日だ。女性閣僚が二名更迭された。小渕優子経産相は、余りに古典的な違反顛末に、まだこんなことやっているのかと一驚。思うに父親の小渕恵三後援会がそのまま継承されていて、そこの大番頭、小番頭たちの仕業だろう。中選挙区時代、中曽根、福田に挟まれて小渕はビルの谷間のラーメン屋と自嘲したらしいが、そのころやっていた手口を、そのまま続ける鈍感さは目を蔽うばかり。そこに乗っていた世間知らずの御姫様だったことが暴露された。この後援組織の古い体質を一掃する力が無ければ彼女の復活は無いだろう。
   松島みどり法相はワリを食った。ウチワだけでは辞める事はなかっただろうが。あんなものヨドバシカメラの入口で大きな箱に入れてあって、ご自由にどうぞてな代物だ。蓮枋(字が違うか)から「これ有価物ですね」と法律解釈で責められては、法務大臣のポストが邪魔したな。とはいえ、小渕との一蓮托生は不運だったか。もっとも松島みどりなる人物は、大臣就任の日、法務省玄関に省の役人の出迎えが少ないと言って腹を立て帰ったらしい。朝日新聞記者あがりらしいが、こんな体質なんだろう、もともと。
   女性登用が喧しいが、こんな顛末だ。曾野綾子氏がこの風潮の薄っぺらさを批判していた。女だからの特別扱いは、本質は女性蔑視だという。本当の識見、実力で登用されるべきだろう。

2014年10月21日火曜日

鈴木牧之 『北越雪譜』    ・・・褌子

 八海山に登った翌日、越後上布の塩沢つむぎ記念館を訪ねる。
 越後上布といわれる麻の縮(ちじみ)である 羅(うすもの)を雪国越後の女たちがどんなに辛抱づよい作業の手順で営々と織りあげてきたかがわかる。奈良正倉院に宝物としてあるというから1200年もの歴史をもつ越後上布。
 羅というと、
  羅や人悲します恋をして   
の真砂女の一句をおもいだしてしまうが、越後上布の制作工程は色恋沙汰の対極にあるような世界。
 麻の一種であるカラムシ(苧麻=ちょま)の茎の皮から取り出した繊維アオソ(青苧)を一本一本撚って極く細の織り糸にするまでの長い手仕事。さらに手括り・染色・糊付・整経・製織・・・と延々とつづく。麻は乾燥に弱いが水洗で強くなるので、雪国ならではの冷たい清水が濯ぎにふんだんに使われる。
 そして織布を春先に雪に晒すのが越後魚沼の風物詩である雪晒(ゆきさらし)。晴天の日、稲田に深く積もっている雪の上に布を広げる。太陽で雪が溶け水分が布目を通して蒸発する際にオゾンが発生し上布が漂白されるのだ。 八百年もつづく雪晒をやさしく見守っているのは雪原遠くにそびえる巻機山(まきはたやま=1967M)。文字どおり糸を巻き機を織る女たちの守護神の山である。
・・・
 塩沢つむぎ記念館をでて鈴木牧之記念館へ向かう。19号台風の余波か雨も降ってきた。
 鈴木牧之(ぼくし=俳号1770~1842)は江戸後期の越後魚沼の塩沢村生まれのひと。江戸に出た牧之は人々が豪雪地帯の素朴でひたむきな暮らしをまったく知らぬことに慨嘆し、四十年の歳月を費やし図絵入りの『北越雪譜』を世に出した。十返舎一九、山東京伝など友人の宣伝もあって幕末の江戸でベストセラーになったという。
 『北越雪譜』に「雪と縮」の一節があるので紹介したい。
   雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に濯ぎ、雪上に晒す
   雪ありて縮あり 
   されば越後縮は雪と人と気力相半ばして名産の名あり
   魚沼郡の雪は縮の親といふべし

 ・・・
 まっこと、雪が水をつくり米をつくり酒をつくり上布をつくったのである。

いろいろ・・・    九州の熊

MC。何回かやらされた。合唱ステージの曲紹介、進行役。最初のころはマイクコメント、と思っていた。改めてきちんと確認してみたら、そう、master of ceremoenie だった。結婚披露宴の司会、進行役がことばのイメージとしてはぴったしだね。

2人の女性大臣が辞職。法務大臣は”うちわは使用後すてられるもの。配っても法に触れる行為とは思っていない”と捨て台詞。散り際が醜いねぇ。 それにしても過去の類似事例もそうだけどこの種のスキャンダルで辞任して幕引きは妥当な結末といえるのだろうかといつも思う。不手際の後始末に対して誠実に対応してもらう方がより大切なことと思えるのだけど・・。今回の2件はこれで一件落着。瑕疵の追究はもうこれで闇の中ということになるのだろうなぁ。

はなしはとぶけど、カジノ法案の件。議論の焦点がギャンブル依存症がどうこうということに転じているけどそもそもカジノがなぜいま必要かということが論じられていなのはなぜ?経済成長に是非必要という論法はもうやめてほしい。カジノまでやって経済成長をしてほしいとは思わない、という論法がなぜ正面切って語られないのだろうか不思議でならない。カジノで得られる付加価値って一体何なんでしょうかねぇ。なぜいまカジノなのかが全く理解できない。・・という犬の遠吠えが安倍さんには届かない。なんとももどかしい! アベノミクスではなくあれは「アベノミス」だ!

26.10仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

  褌子氏の奥方は、山上で野点をおやりになるのか。風流だね。芒をみながら蛇笏句を連想するのもまた一興。飯田蛇笏と言えば、前にも言ったが、生前、自句の句碑を絶対建てさせなかった。まことに麗しい見識だ。今は、インチキ俳人があちこちに建てて風景を汚している。一掃したいね。

さて10月度仁句鑑賞。
1.十月のアベベの跣折り返す
東京オリンピックから50年か。前のローマ大会と東京大会と、跣のアべべは2連勝でオリンピックを象徴するアスリートとなった。東京五輪と言えば、札幌の下宿先のテレビで女子バレーの決勝を見たなあ。高度成長、その終わり、下降、停滞とそれに平仄を合わせた世の中の変化、何でもありの50年だった。折り返して何処へ行くのやら。準特選。
2.朝顔や頂き見せぬ御嶽山
木曽の御嶽山の悲劇だ。死者の殆どは噴石直撃だったらしい。誰が予測できるものか。紅葉なんかを楽しみに行っただろうに。そういえば、北大の岡田名誉教授(恵迪で一緒だった)が辛口のコメントを述べていた。
3.ボロボロの秋蝶長き汀かな
秋蝶で軽く切れるのかな。汀をひらひら飛んでいったか。
4.秋の蚊の払ひ払ひて墓の前
蚊を払いつつ墓参り。デング熱騒動もようやく覚めたが、来年も繰り返すね、きっと。
5.櫨紅葉遺跡の海に果てにけり
 3.11の名残とも思うが、具体的には判らない。いまも多数の行方不明者を呑み込んだまま。櫨紅葉は悲しき鎮魂の象徴か。雰囲気で特選。
6.鳥渡る終の勝者は武器持たず
一般的な教訓かな。訓辞を垂れると、俳句は輝きを失う(笑)。
7.拓郎の四畳半フォークそぞろ寒
吉田拓郎の、芒のかんざし ~とかいうやつね。彼もいまや大御所。井上陽水、南こうせつ、伊勢正三、みな老人になってしまった。この辺は判るが、サザンとなると煩いだけだ。
8.電柱に海抜二メートル湾の秋
そうね、気が付くと、街中のあちこちに、海抜何mの表示を見るようになった。たまに鎌倉に行くが、一朝ことあらば、市内は鶴岡八幡宮以外はみな水没じゃないか。大仏はもともと大仏殿に鎮座していたのが、室町時代だったか津波でみな外構が流されてしまったとか。
9.海見せぬ嵩上げ工事秋深し
三陸海岸で堤防の嵩上げが行われていて、海が見えないと不平が出ているらしい。そんな我が儘も出てくる。
10.初霜や解読出来ぬ短縮語
和語、英語など例は数知れず。特に英語は多いね。最近、テレビ、ラジオでMCと言う言葉をよく聞くが、判る人いる? 音楽の演奏と演奏の繋ぎに話す言葉、ないし人物のことらしいが、元は Master of ceremonies、要するにイベントの司会者という事だ。本来の意味とは随分ずれているが、皆、訳知り顔で使っている一例だろう。

2014年10月20日月曜日

函館通信2-8 10月 投句

台風18号と19号の合間に昔の居住地いわきまで所要があり女房と出掛けた。杖をついて行ったら皆に驚かれたがやむをえない。数軒の友人宅に御邪魔したが震災から3年半たっているが家が傾いたままとか壁に亀裂が入ったままとかの状態で暮らしている人ばかりだった。近くの堤防では嵩上げ工事が3割程度まで進んでいた。

函館に戻って疲労感が極めて高く先週はぐったりとした状態が続いて俳句を作る気持ちも少し萎えたがこれではいかんと気を取り直し駄句十句作りましたので宜しく。

 
1.十月のアベベの跣折り返す

2.朝顔や頂き見せぬ御嶽山

3.ボロボロの秋蝶長き汀かな

4.秋の蚊の払ひ払ひて墓の前

5.櫨紅葉遺跡の海に果てにけり

6.鳥渡る終の勝者は武器持たず

7.拓郎の四畳半フォークそぞろ寒

8.電柱に海抜二メートル湾の秋

9.海見せぬ嵩上げ工事秋深し

10.初霜や解読出来ぬ短縮語

2014年10月18日土曜日

八海山女人堂初登頂? ・・・・ 褌子

  八海山といっても酒の話ではない。越後の霊山、八海山にはじめて登ったのである。
  郷里の佐渡に久しぶりに帰ろうとしたら台風19号で欠航になるから来るなと長兄がいう。そこで八海山に登ることにした。
   (小生ご幼少のころ父が農閑期に八海山によく佐渡島から出かけていたものだ)
 千葉を朝早く車で出発。台風の前兆かどんより曇っている関東平野であったが谷川岳のしたの関越トンネルを越えると青空だった。六日町インターで降りて八海山ロープウエイに乗って、ブナ林の紅葉のなかを歩くと体全体が黄色に染まりそう。六合目の女人堂にまでやっと登って八海山の前山の薬師岳の紅葉をみながら昼食。女房が小さい緋毛氈をしいてポットのお湯で野点。御嶽山噴火犠牲者の冥福祈ってまず献げ、合掌した。
   越後三山のひとつ中岳が手に取るようにみえ、谷川岳、巻機山もちかい。西はるかに妙高、北に米山もみえるが日本海にはモヤがあって佐渡島はみえない。山道の途中に小さな池があってモリアオガエルのオタマジャクシが盛んにしっぽをふって泳いでいる。あと一ヶ月ちょっとで何メートルもの雪に埋もれるというのに。
西日に赤く燃える山嶺をみながらロープウエイで麓に下ると一面のススキが夕風にゆれていた。
 おりとりて はらりとおもき すすきかな
 と飯田蛇笏の名句がハラリと浮かんだのは殊勝。      
 魚沼高原ホテルに向かう途中「戦争する国許しません魚沼九条の会」というポスターのある店で酒を買った。一番うまい酒くださいと言ったら、おかみさんが迷うことなく『鶴齢=かくれい』をすすめる。わが家の隣のおじさんへの土産に『八海山』も買ったが「いちばん安いのが本当はいちばん美味しいですよ」と耳打ちしてくれた。ホテルの若いフロントマンは「ぼくは『緑川』がいちばん好きです。つぎが『高千代』。『久保田』と飲み比べても負けません」などという。
 まことに越後魚沼は米どころ酒どころなのである。                          

2014年10月13日月曜日

一時の黙・・・猫跨ぎ

いつもながらの名解説でどうも。今いきなり突風が吹いた。今夜から明日の明け方にかけて台風19号が通過するらしい。東北以北では温帯性低気圧になるとか。

育児中の部屋の凄まじさは今思うと夢のようだ。壁は落書き、襖はぼろぼろで穴があき、外して揺するとちゃらちゃら音がする。硬貨とかスプーンなどが入っていたり。彼等がいま孫を叱っている。

「一時の黙」は「いっときのもだ」ですね。

名大はこのとこノーベル賞に沸いているが、北大はイスラム国兵士志願か。自分探しか何か知らんが阿呆の三乗みたいな奴だ。しかし、世界中で千人以上の若者が押し寄せているということは、何か共通の惹きつけるものがあるのかと思ったりする。

「猫まんま」は「赤まんま」の書き間違い。一匹のノラ猫に毎日餌を与えているので、ちょいと手が滑った。

函館通信2-7  猫跨ぎ句鑑賞

何時もながら楽しく鑑賞させて戴きました。

・ゆく夏や世の中詰まるおもちゃ箱・・・中七が面白い。男孫3人の娘の所ではおもちゃ箱どころかおもちゃ部屋になってしまっている。
 
・川向かうにクレーンの上がり夏終る ・・・江戸の川向うと云えば向島の花街に想像が行ってしまう。どんなクレーンだろう。

・畳屋のへちま今年も下がりをり ・・・へちまを棚作りしてその日陰で畳を作っている職人の汗が見えて来る様だ。広重の絵になりそうだね。準特選。

・息継ぎの一時の黙法師蝉 ・・・「一時の黙」の読み方教えて下さい。候補「いっときのもだ」「ひとときのもだ」「いちじのだまり」。つくつくほうしの声もとんと聞いていない。
 
・放浪の俳人絶えて秋時雨 ・・・放浪はまだしも「イスラム国」に入りたい輩はどうしようもないかな。

・青瓢下がり遠忌の話など ・・・青瓢箪と遠忌の話との組み合わせが面白い。

・同じ話してせりせりとかき氷  ・・・どうもかき氷がもう冷た過ぎていかん。

・軽々と母を抱きたり猫まんま ・・・猫まんまが解らない。猫飯ではないよな。

・東洲斎写楽の首絵葡萄剥く・・・首絵と葡萄一粒との大きさの違いを想像して見て
その面白さに気がつかされた。余裕の有る俳句と云うのかな。特選。
  
・軽石の湯舟に浮く夜鳥渡る・・・軽石は御湯に浮くのが当たり前と奴がいるだろうが渡り鳥は毎年渡りを繰り返している。こんな気持ちは無くせない。準特選。

2014年10月11日土曜日

26.10 月度投句・・・猫跨ぎ

また未曾有の大型台風が来るとか。十月の気候はこれからもこんなものじゃないか。この時期の航空機の九州旅行計画は無理じゃないかね。
先月、わさわさと取り紛れて投句出来なかった。その分、今月はちょっと早いが出そう。
  
・ゆく夏や世の中詰まるおもちゃ箱  
・川向かうにクレーンの上がり夏終る  
・畳屋のへちま今年も下がりをり  
・息継ぎの一時の黙法師蝉  
・放浪の俳人絶えて秋時雨  
・青瓢下がり遠忌の話など  
・同じ話してせりせりとかき氷  
・軽々と母を抱きたり猫まんま  
・東洲斎写楽の首絵葡萄剥く  
・軽石の湯舟に浮く夜鳥渡る  

2014年10月9日木曜日

面白いよ・・・猫跨ぎ

 いやいや国兼さん、褌子氏のレポートは絶品。良いじゃないの。外野席からは手に取るように判って実に面白い。得難い才筆だと思う。この形でこれからも続けて欲しい。別段、誰に迷惑もないのでは。俺が、俺がもよく判るなあ。その場の登場人物も面目躍如だな。己の欲するところに従うと軽々と則を越す、というか。まあ、これは死ぬまで変わらない。これもまた、いいんじゃないか。

ホロホロ後始末・・・国兼

 昨日は上野の「かよひ路」で、本来ならば延岡市で5日の日に行っていたはずの飲み会を遅ればせながら楽しく語り合った。ちょうど7時過ぎごろ皆既月食の途中過程をほろ酔い加減で見入った。カミさんにさっそく電話を入れたが茅ケ崎では曇りでよく見えなかったようである。詳細は先日の褌子さんの実に詳しい、詳しすぎる「百年の孤独」編を読んで欲しい。
 で、お願いが一つ。酒の席での与太話をこのブログに書かないで欲しいと思う。酒の席でのたわいのない話でも、特に他人を中傷するような会話の中味をこのブログに書かれると、云った本人もこれを読むとあまりい気持ちがしない。やはり、マナーとして慎んでほしいものである。そうでないと、褌子さんと酒の席では会話ができなくなる。

 ともかく、以前にもこのホロホロのブログにも書いたが、他人が話をしている時にはその話を静かに聞こうと、話の途中に唐突に関係のない話題を横から口出さないようにと、これも大事なマナーであると思う。お互い70を過ぎて、俺が俺がという生臭い年代ではない。静かな、枯淡の境地で会話を楽しみたいものである。

美酒『百年の孤独』を飲みながら    ・・・褌子

九州の熊さんが麦焼酎の名品『百年の孤独』を宮崎からはるばると持参してくださり、“ジャンボタクシー手配など小林さんの労、ホテルなどの手配に奔走した九州の熊さんに感謝し台風18号を恨む会”が上野かよひ路で盛大に挙行された。お酒もちこみ代は1600円だと誰かが交渉し秋田のきりたんぽ、ハタハタを食べながら小蔵ひでをさん作詞作曲の『少年ケニアと鉄腕アトム―二つの物語』を持参のプレイヤーできいた。合唱団で活躍する九州の熊さんと小蔵ひでをさんの音楽談義にしんみりと耳をかたむけ、こちとらは山川惣治と事故死した息子のトビオそっくりのロボットを作った天馬博士、アトムを養子にして心優しく育てたお茶の水博士なつかしいなあと毎月マンガ雑誌『少年』を待望していたあの頃をしばし目をつむって。俺たちは戦争すんでまもなくあの時代に小学時代を過ごしたのだ。そのあと九州の熊さんが、おれはご幼少のころから勉強熱心で『少年ケニア』は知らなかったと告白し、さらに猫跨ぎさんの『緩和時間』上梓に感激、氏の自宅にお花を贈ったことを披露。辣韮とか蛞蝓とか海鼠とかには読み仮名がほしいとか、しかし理科系のひとでないと作れん名句だとしばらく猫跨ぎ句の激賞話がつづき、クラーク像のそばに句碑をとか、いまのうちに氏に色紙に一句したためてもらっておくと、何でも鑑定団で将来とかちょっと話が下賤になり、それにしても原発や武器輸出など最近の経団連会長は金儲けしか考えてない、キャノンの御手洗も住金の米倉もいまの東レの榊原とかいう経団連会長も、風貌も下品だ、ったくと國兼さんの悪評がつづき、人間の顔つきというものは男女を問わず、生きてきた人生がでてくるものだと九州の熊さんが力説し一同頭をたれて聞き入る。とつぜん褌子さんがもの作り日本の復活こそと、ノーベル物理学賞の発光ダイオードについて三氏の受賞にいたる研究過程を今朝読んだ新聞なのに知ったかぶりで解説。それにしても安倍首相が三氏受賞をテレビでえらそうに褒めていたが下品な顔だと誰かがいえば、日亜工業と中村修二氏の特許権争いの話に飛んで200億円で争って8億円で決着したねえ、社員の研究業績の特許が企業のものになるなら仕事の意欲がわかんなあ、それにしてもソニーは銀行とか生命保険とかばっかり熱心だからあんな会社に転落したんだ。がそのあいだも逸徳さんが小保方さんはかわゆいなあとしきりにつぶやくが、國兼さんは『Nature』誌になぜ小保方論文がのってしまったのかその顛末を語るが逸徳さんの声にかきけされそう。そのうち、今晩は皆既月食だと國兼さんが店のそとにとびだし、つぎつぎと交代で月食を観察。そのあとは小倉鉄工所の冷間鍛造の隆盛をたたえあう。小蔵ひでをさんはブログに投稿するにはどうするのかと質問。わからんことは西原さんにきくのがはやいとか、話が錯綜気味。とにかく来年3月には堀口君がニューヨークからやってくるから歓迎会をやろうと決まった。九州の熊さんが仁ちゃんに会いたいとしきりにいう。同じ四講座だから、五本さんも四講座だったなあ四講座はいいなあチキショウメという声も。しかし一講座はつきあいが悪いぞなどとどうでもいい話が続いて、台風でつぶれた九州旅行のことは来年どうするのか結局決まらなかった。そのあと近くの喫茶店で美味しいコーヒーを國兼さんがおごってくださり、お互いの健康をたたえあい、『マッサン』みたいなハグではなく握手だけをして解散。逸徳さんは静岡に帰るのをやめて褌子さんのところに泊まり今いびきを盛大にかいている今晩の良夜である。結局なんの話をしたのか酔っていたので、とりとめのない文章になってしまった・・・・とにかく合掌。


2014年10月7日火曜日

ホロホロ秋の旅:顛末記

  イヤー、参ったね、今年の秋の旅は。大型の18号台風が九州南部に接近中という10月4日の夕方に、宮崎空港への5日の日の午前中のフライトが欠航になってしまった。ひょっとすると遭遇するかなとは思っていたが、何とかなるだろうとたかをくくってしまった。せっかく、3泊4日分のお菓子や酒のつまみや常備薬等々旅の準備に万全を期していただけに残念というしかない。
 今頃は大分の国東半島の青の洞門や富貴寺や羅漢寺を堪能し、別府温泉で旅の疲れを取って、大分の関サバをほおばりつつ暇人グループが大分の焼酎を愛でて明日の計画を話していたはずである。アァ―、ソレナノニ、ソレナノニ、こんな旅の顛末記を書く羽目になろうとは。

 不思議なことに、今回の宮崎で旅のセットをし、5日の日には延岡のホテルで大いに語り合い。翌日は旭化成のベンベルグ工場等を案内してくれるはずの、九州の熊さんと明日(8日)の午後5時から、上野の「かよひ路」で一杯飲むことになった(出席予定は他に英蔵(新曲発表予定)、逸徳、褌子、国兼という新暇人グループ)。時間の余裕のあるお方は上野の「かよひ路」に直行を。

2014年10月5日日曜日

残念ながら・・   九州の熊

旅行中止、残念至極なり!
雨が降るかも、という予報のときにゴルフに行くときは万全の雨対策をしていくと降らないケースが多い。今回は結果が正反対だけどなんだか似た体験だったなぁ。自分がなにか問題行動をしたわけでもないけどみなさんに申し訳ないことをしたという感覚が残ってしまいます。まあ機会があればまた再挑戦しようとも・・。
ホテルキャンセル、ジャンボタクシーキャンセル、会社の工場見学等のキャンセル、ボランティアガイドの方へのご挨拶等、事後処理はすべて完了。キャンセル料請求はありませんでした。ご安心を。 かくしてホロホロ会研修旅行初の「中止」の不名誉な歴史が記録されることになりましたねぇ。ドジおとこの顛末としてはふさわしい”快挙”かな?

きょうとあす2日間、ぽっかりと自由時間ができた。たまっていた雑用を済ませることにします。

2014年10月4日土曜日

台風で二転三転     褌子

台風一過はすばらしい晴天なんだがね

鈴虫が啼かなくなった     褌子

 ことし、はじめて鈴虫を飼い始めた。
 わたしにはシュンシュンと聞こえるきれいな鳴き声で9月半ばまで楽しんだが、ぱったり啼かなくなった。もうすぐ土のなかに卵をうんで短い一生を終えるのだそうだ。
 メダカは五~六種類くらいもらってきて大きな瓶や小さな池などで飼い始めた。夏にはホテイアオイの根っこなどに盛んに一ミリくらいの卵を産み付けるので、別の瓶に数百もの卵を移して大事に孵化させた。しかしよくみると一センチくらいの子供メダカにまで育ったのは10匹くらいだけ。一匹300円もするという楊貴妃という赤いメダカを増やして近所にわけてやるという約束ははたせそうになくなった。
 彼岸花が終わり、キンモクセイも散ったと思ったらシュウメイ菊が咲き出した。
 九州にはどんな花が咲いているだろうか。
 明日の晩までみなさん、さようなら。ごきげんよう。

2014年10月3日金曜日

生憎だねえ・・・猫跨ぎ


全く生憎の状況になってきましたな。黄色信号だね。羽田へは行くが、その先どうなるかは、正直五分五分と考えていいのではないかねえ。宮崎へ行ってしまえば、翌日から台風一過ということだろうが。

大型台風が・・・国兼

  さて、明後日にとホロホロ九州の旅が迫ったきたが、何やら大型の台風18号に遭遇するようだ。いささか気のめいるような気象状況であり、無事、九州の宮崎空港までフライトできるかどうか? 
 思えば、今から11年前のホロホロ浜名湖の旅でも台風に出会ったことがある。掛川から天竜浜名湖線に乗り秋野不矩美術館で絵の鑑賞した後の、遠州鉄道にで浜松に帰る途中だったと思う。思えばこの旅行の時には、当時静岡在住のYaさんと逸徳さんにえらくお世話になったことを思いだす。旅の帰りには静岡の名酒まで頂いて恐縮した次第。また、浜松駅前で食べたウナギの茶漬けも忘れられない一品である。

 無事宮崎についたとして、宮崎では日本酒は軽くして麦焼酎等の焼酎を堪能したいネ。大分では関サバや関アジが美味しいと、私は未だ食べたことが無いので是非にと思っている。

2014年10月1日水曜日

鶴彬  ・・   褌子

 鶴彬こと喜多一二(つるあきら=きたかつじ)は石川県高松町に生まれました。大阪などで労働者として働き、金沢連隊入営後も侵略戦争に反対する川柳をつくりつづけました。26歳のとき民衆の心をゆさぶるプロレタリア川柳を飛躍的に発展させたいと上京し活動中、1937年12月に野方署の特高に治安維持法違反で逮捕されました。
   暁を抱いて闇にゐる蕾
という自分がいちばん気に入っていた句をつぶやきながら特高の拷問に屈することなく闘いましたが、不潔な留置所で赤痢にかかり伝染病専門の豊多摩病院に移送されて1938年9月14日ついに力つきて息をひきとりました。日本軍が前年に起こした蘆溝橋事件をきっかけに中国全土へと侵略戦争が拡大するさなかの享年29歳でした。
 以下は鶴彬が命をかけて発表した川柳のいくつかです。
首を縊る(くくる)さへ地主の持山である
つけこんで小作の娘買ひに来る
軍神の像の真下の失業者
銃剣で奪った美田の移民村
ざん壕で読む妹を売る手紙
出征のあとに食へない老夫婦
タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやらう
高粱(コーリャン)の実りへ戦車と靴の鋲
屍(しかばね)のゐないニュース映画で勇ましい
万歳とあげて行った手を大陸において来た
手と足をもいだ丸太にしてかへし
胎内の動き知るころ骨(こつ)がつき

 わたしがいちばん感銘する句は、北国新聞「北国柳壇」に投稿しはじめ最初に載った喜多一二、15歳のときの作品 
   燐寸の棒の燃焼にも似た生命
(吉橋通夫『小説鶴彬―暁を抱いて』新日本出版社を参考にさせてもらいました。著者は「暁を見ることなく闇に散った心やさしき反骨の魂は、今も私たちの胸をゆさぶってやまない。」とこの本の最後を結んでいます