2015年5月18日月曜日


燕子花・・・国兼

いずれがアヤメかカキツバタとよく言われる言葉である。燕の子の花をカキツバタと読む何かいわれがあるそうだが忘れた。

 友達から、根津美術館で「尾形光琳生誕300年記念特別展」が開催されており、その絵と同時に日本庭園も一見に値するということで、一昨日見学に行った。渋谷の表参道の、かつてはみゆき族という若者が闊歩していた道路沿いにある。光琳の作品を、根津美術館所蔵の作品以外にあちこちの美術館や個人所蔵品を一堂に集めて展覧したためか、土曜日にもかかわらず満員状態でムンムンとし、入りきらない人が並んで待っていた。国宝の光琳作「燕子花屏風図」と「紅梅花」の周りには人が群れていた。   説明文章にこの光琳の群青と緑で描かれた燕子花の作品は業平の「伊勢物語:9段東下り」に触発されて描いた絵であるという。黒鉄ひろしのマンガ古典文学「伊勢物語」では、カキツバタを頭にして和歌を詠めという問いに、業平が「唐衣きつつなれにしうんぬん・・・」という和歌を詠んでいたのが描かれている。この有名な、記念切符をはじめとしてよく見るこの光琳の絵が、伊勢物語に由来していたとは・・。

 広大な庭園の池にもこのカキツバタの青色の花がやや時期遅れであったが群生していた。庭のあちこちにどこから持ってきたのか古い仏像や灯篭等が置かれ、紅葉や檜、赤松、五葉松等が植えられ、この青山でよくぞこのような庭がと感心するぐらいの大きな広さと、その景観である。 根津嘉一郎という甲府出身のこの男は、東武鉄道をはじめとして各種鉄道事業で財を成したようであるが、この青山のかつては大名の屋敷を買い取って自宅とし、自分の集めた日本や中国の収集物を、また趣味の茶道具をも揃えて美術館として後世に遺した点は立派と言える。

 話代わって、昨年の今頃、救急病棟から自宅に戻り不思議な感じであった。アノママソットと、仁兵えさんの句の中の消しゴムで消されたままでと思うこともあるが、せっかくの拾った命、拾命1年と考えている。

 変わったことといえば、夜中に小便に起きるためか日中が眠たいこと(多分薬のせいだ)、そして煙草を止めたせいかご飯がおいしく、体重が増え続け、胴回りの自己新記録を更新中であり(まだ英蔵さんには及ばないが・・)、またその波及効果で背骨を支える筋肉のアンバランスのためか腰痛気味である。また、以前よく使っていた「やがてまた」とか、「そのうちにまた」とか「いずれまた」いう言葉を使わなくなったことである。身を持って明日という日はもう永久に来ないことを経験したためであろう。一昨年の流行語の「今です」、「今日です」と思う心が強くなった。褌子さんが昨年書いていた吉野の桜も4月に訪れた。上野の平成館で開催中の「鳥獣戯画展」も先週に見に行ったが、炎天下で2時間待ちということで、また脳梗塞になってもと思い諦めて帰った。いずれそのうちに?と。

          

0 件のコメント:

コメントを投稿