過日の上野の例会 突然のキャンセルで失礼した。 兄がなくなったのだが、不思議な心理的現象に襲われている。 これで、わが逸徳家は親兄弟がみんな死んだ。 つまりおいらにつながる命の連鎖はここで最後なのである。一種の喪失感。どういうわけか涙は全然でない。そのくせ、近くの小学校の卒業式に呼ばれて出席したら、涙が出て困った。変な感じだ。
正直いって上の兄弟とは、性格が違い、おいらだけがまじめで(ホント) どうも波長があわなかった面があるのだ。 だが、そのような人たちがみんな死んでこの世界においら一人だけが残った。さみしいとか哀しいというのとは全然違う。突然世界の一部が消失したような感じである。 もちろん子供たちがいて、命の連鎖は続いているという人もいる。女房にもそういわれた。 だがそれは次元が違うのだ。現在は過去の終わりであり、未来の始まりといっていいかもしれない。 だが、電気のプラグをつなげるように、過去の終わりと未来のはじまりをパチンとつなげることはできないのである。 未来は確かに始まっている。だがそれは過去の終わりとは関係ない。 うーむ、これが喪の仕事というやつかなあ。まあこの喪失感と付き合うしかないなあ。こういう時、俳句は詠めるのかなあ。
兄には船乗りだったので、遺言により海洋散骨の手続きに今日行って来た。これもひとつのものがたりである。ひとはものがたりを生きる。ものがたりは最後のページをちゃんと書かないいかんな。
褌子氏から10月のプランのメールが来た。 楽しみである。
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