そう、亡くなられたですか。次第に容体が悪化していくことは幾度となく聞いてはいたけれど。大変でしたね。ご愁傷様でした。それまでの人生はひとそれぞれだけれど、死はなぜかくも皆同じ顔をしているのかな。しかし遺された者は逝った人の人生を考えてあげる義務も発生する。
亡妻の七回忌をやったばかりだが、この六年、私の心境にとくに変化はない。ひたすら老いを重ねていく日常。
妻を見送った頃、あれと思うことがあった。と言って大したことではないが、まず住所入りのゴム印を注文したのだが、出来上がって使い始めて、電話番号が違っているのに気付いた。注文書に四十年前の結婚当時の社宅の電話番号を書いていたというお粗末。それともう一つ、自転車でたまに出掛ける川村美術館に、ロスコという現代絵画作家の作品の部屋がある。行くとしばらく坐っているのが習慣だったが、妻の死後はじめて行ったとき、経験のない胸騒ぎがして、不安になり出てしまった。何だろうとしばらく不思議だった。
今なら両方とも理由がわかる。疲れて判断力が翳っていたということだ。ゴム印は言わずもがな、ロスコの方は、この抽象画がくせもの。行く度に絵の意味を考える癖があって、それなりに説明をつけていたのだが、判断力が衰えると気持があてどなくなり不安感が頭をもたげるらしい。格好良く哲学的な説明も考えたが、それは違うということに気付いたのはつい最近だった。お笑い草だ。
それから、かかる時に俳句は自分にとって何であったか、曰く言い難いね。ただ時間かまわず没入できるものがあったのは、幸いだったのかもしれない。所詮、閑居して不善をなすのは凡人の常であろうし。
勝手な思い出話をしてしまった。改めてお悔やみ申し上げます。
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