まあいいや。 ちゃんとした読者がいるのだという事を信じつつ、書いていこう。
しかしまあ、静岡もひどい風がふいている。雪は降らないがしんどくも心に突き刺さる寒さである。なんてことを書いていたら北海道は-31度だという。昔、低温研究所の低温実験室を見学したとき-50度くらいの空気を体験した記憶がある。寒くはなかった。ただひたすらにいたかった。
確か中川さんの熱力学のフェルミの購読で、スキーはなぜすべるかという話が出てきて、議論になり、理学部横にあった低温研究所の分室みたいなところで、低温研究所の先生に質問にいったことがある。もう先生の名前もいっしょにだれがいったかも忘れた。その時にスケートは摩擦熱による融解だという話を聞いた記憶がある。なつかしい。
今は、ただひたすらにあたたかいやさしい言葉がほしい。冷たい言葉はもういい。オクターブの高いキンキン声など聴いていてつかれ果てる。荒れた言葉、争う言葉、そしる言葉のように心につきささる言葉はあきらかに冬の言葉である。若い時は、そういう言葉を武器にしてよく戦ったなあと思う。でももういい。そんな言葉にふりまわされて残り少ない時間を冬景色にはしたくない。だからそういう場にいあわせると、つかれるたけだから黙って微笑み、そこから遠ざかるのである。言葉だって春がいいのだ。
人間には3種類あるという。男と女と、女房である。女房と女は発生源は同じかもれないが、断じて同じいきものには見えない。 そして、女房というものはその生態についての一般的な議論が可能らしい。誰の女房論を聞いてもみんなどっか心当たりがある。ふしぎだ。
そしてなんでニョウボウというのはあんなにこまかいことにうるさいのであろう。トイレの電気の消し忘れから、茶わんの洗い方、何を着るかということまで森羅万象について、詳細な言葉の機銃掃射をやる。 これは逆らってはいけない。逆らうと疲れ果てる。 そこでじっとだまって頭をたれ、弾が当たらないようにする。そうすると玉は頭上を通過していく。まちがってもへたに頭をあげるとひたいに弾があたるではないか。匍匐前進は白兵戦の常識である。 うーむ、何の話だ。 春がこないかなあ。
面白く読んだ。人間の性格というのは変わらないものだ。山内さんはむかしのあの頃のままだ。ちっとも年取ってないようだ。
返信削除