2018年1月24日水曜日

近松物語   西沢昭裕

 洋画でいちばん好きなものをと言われれば『第三の男』かもしれない。
 日本映画で一本にしぼりこめば溝口健二『近松物語 おさんと茂兵衛』となる。
 この溝口映画は近松門左衛門の世話浄瑠璃を下敷きにしている。京都の大経師以春の妻おさんが手代の茂兵衛と不義密通のぬれぎぬをきせられ、丹後の国に逃げるが逃げきれず、二人は洛中引き回しの上、処刑された。近松は、「おさん茂兵衛」と呼ばれた不幸な事件の男女の三十三回忌にあわせて、この事件の顛末を「大経師昔暦」に仕立てたのである。徳川時代には、不義密通はもっとも重い犯罪であり、露見すれば死罪を免れなかった。この時代にもし自民国会議員や芸能人がタイムスリップしたら何人が天寿を全うできるだろうか。
 近松は、運命のいたずらに翻弄された不幸なカップルとして描いているが、溝口監督は近松を下敷きに、単に密告で不義密通にされてしまった男女ではなく、深く愛しあったがゆえに死罪になったというふうにつくりかえている。
 おさんを演じるのは香川京子、茂兵衛は長谷川一夫。
不幸な偶然が重なって不義密通を疑われた二人は京の町から逃げるしかない運命においつめられる。二人の関係が劇的に変化するのは、琵琶湖での心中未遂場面。おさんが死ぬ決意をし、それに茂兵衛もお供するといいはり、二人で小舟に乗って琵琶湖に身を投げようとする。身投げの直前、ずっと前からおさんを慕っていたと、茂兵衛が思わぬ告白をする。それを聞いたおさんは、「おまえの今のひとことで、死ねんようになった、死ぬのはいやや、生きていたい」・・・
この瞬間から二人は恋人同士として、生きている限りは愛しあおうと決意するのである。しかし、二人には、残された時間はなかった。丹後の山中に潜んでいたところを捕まえられ、二人は、引き回しになって、粟田口の処刑場へと向かっていくのである。
おさんが、「茂兵衛、茂兵衛」と絶叫する声が、今も私の耳によみがえってくる。
刑場へ曳かれる馬のうえで縛られたふたりがしっかりと握りあっている手と手も。

この映画をはじめて観たのはまだ独身のころ。銀座の並木座という地下の小さな映画館であったが、封建の世の不条理に涙がながれて困った。



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