熊さんが大きい病気やっんだなあ。でも、メールによるとそのあとも元気でいろいろやっているらしい。前向きに生きているのは結構。坂本竜馬だったか「死ぬ時はどぶの中でも前向きに倒れて死にたい」といったという話がある。 何となくこの話を思い出した。 もう年だから無理するなとひとはいうかもしれん。しかし、無理して余命をちぢめてもせいぜい数年だよ。そんなことまでして、ただ生きていくのもどうかなあ。このへんになると、もうおそらく人それぞれで、思うようにやるのが一番いいのだろうなあ。ともかく、生きることもそうだが、死ぬのもその人の作品だろうと思う。これはもう好き嫌いの世界ではない。
さて、お師匠句拝見。 一瞬をとらえるのがうまいなあと思った。順不同で、印象に残ったのから。
・きんつばの冷たき闇を割りにけり きんつばの暖かいのは確かにあんまりない。あの白い表面の砂糖の層がピチンと割れるとしたから黒い餡が出てくる。 この光景を「冷たき闇」から連想したんだけれど。しすぎか。
・シテの足浮いて始まる淑気かな いいなあ、こういう瞬間はすきだ。新年の能か。出し物はやっぱり三番叟かな。いや翁もいいぞ。
・カセットボンベかちんと嵌めて冬めける この人、きんつば割ったり、カセットボンベはめたり忙しい人だ。新年の宴の用意かな。しかし、人生には確かにそういう瞬間がある。私ごとだが、カウンセリングの訓練を受けていたときに、対話というのは剣道の立ち会いにそっくりだと思った瞬間があった。全力で相手に向かいあい、相手の言葉を受けて、こちらの言葉を返す。それがどこまで相手の心の底にとどいたか。それはまるで剣道の必殺の打ち込みである。一瞬の勝負。はずれるとまるで間抜け。その一瞬というのは非常にながくて全世界が見えるのである。「かちんとはめて」から感じた。
・砂の上を砂の流るる寒暮かな
・掌紋に新らしき筋冬旱
・新酒や表面張力といふ愉悦
この三句、共感できる世界だ。 世界は砂漠である。変化はない。ただ静かに砂のながれる年の暮れ。しかしさあ、砂漠は井戸の予感を含んでいる。そのどことも知れぬ井戸に向けて、人は1歩を歩み出すとサンテグジュペリはいってるぞ。砂の中にそのまま沈むなといおうと思ったら、2句目。しみじみとみる手のひらに新しい筋があったではないか。変化はある。外は冬旱であっても。で。そらみろと3句目。 これわかるなあ。新酒が盛り上がっているんだ、噺家ならここで「おっとっと・・・と口からお出迎え」とかなんとかいって、にんまりと口を近づける。愉悦だ。生の肯定。文句あっか。これ特選。
・寒柝やイルミネーションの一軒家
変な習慣だよな。あのピカピカ光っているのは、どうもいただけない。おいらの家だけは幸せだよってつぶやいているようで・・・
・書き癖は直らずじまひ良寛忌 中川先生の字を思い出した。丸に縦棒の中という字をまねてみたがやっぱりだめだね。
・辛味大根の慇懃無礼かな 慇懃無礼がちとわからん
・夕暮れて孫の残り香冬座敷 わかるわかる。うちもやっと帰ってくたびれた。
・・・・・というわけで。くまさん。このブログ誰も見ていないわけではないんだ。ただ。忙しいだけということと、まもなく幸喜高齢者(←これ転換ミスだが気にいった。以後はこれでいこう。)になろうという時期で、興味が散逸(あるいはぼけて忘れっぽくなった)だけだ。 あの褌先生、今はいそがしいらしいよ。 元気だからご安心を。
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