基本的な方向は理解できる
だがその前に重要な前提がある
①このままでいくとして、現在の地球の生産力ははたして、高齢者も含めた全人類を養えないのか。 それを冷静に計測する必要がある。もちろん、贅沢はしないでだ。
②富の偏在による、格差をそのままでいくのか。 分配の平等を前提としたら、果たして全人類を養えないのか。 所有権は申請不可侵なのか。
③分配の平等なんていうと、また古いサヨクと怒られそうだが、そもそも所有権はそんなに申請不可侵のものか。 つまり所有権と高齢者の生存権を天秤にかけたらどうなる? あるテレビで。一市民がアベノミクスなんていっても、自分の給料は全然増えないと嘆いたら、それが資本主義た゛からしょうがないといった評論家がいた。 こいつぶっころしたい。 経済が活性化して、金持ちが増えるといことは、富の偏在化が進んでいるということだろ。先進国で子供の貧困率は1番になり、社会の二極分化は進んでいる。トリクルダウンなんていうだけおこがましいごまかしである。
④たとえをかえる。ある豪華客船が沈没し、何人かの船客が救命ボートで漂流したとする。食糧と水はつきかけている。みんなのどがかわき、ふらふらで死にそうである。この時1人の金持ちの船客がふところから財布や貴金属を取り出して、ここにある水をみんな売ってくれといいだしたとする。このボートは地球のモデルだ。一方で水はすくなくなっているので、弱って死にそうな高齢の船客は海に飛び込んでもらうという意見が出た。 この話、何かおかしくないか。
⑤したがって、まったく個人的事情(たとえば末期がん)安楽死を選ぶ人がいてもいいかもしれない。だが、別の高齢者の生活が金で解決できるようなケースの場合、そばにいって「金がないのはあんたの個人的問題。あきらめてくれ」といえるか。現代のような巨大な富の偏在があるなかで。
⑦だから、どう考えても必要以上の金持ちは、実は変なのだ。いくら金があってもしあわせは変えない。つまり現在の社会構造をたなあげにして高齢者の問題を個別の問題に押し込めて、安楽死の問題を論じるのは、危険だし、片手落ちである。
0 件のコメント:
コメントを投稿