2017年4月26日水曜日

先日ロシアに行ったので・・・  褌子

辻邦生『背教者ユリアヌス』や高橋和巳『邪宗門』が出たのはベトナム反戦運動真っ盛りの1970年前後で、社会的には連合赤軍事件があったころ。両方とも大部の小説だったが面白かった記憶がある。高橋和巳は全共闘運動に理解をしめしたが、当時、満員電車に乗って、もやもやと東京の会社に通っていた私はこの過激な学生運動に共感するものはなにも無かった。
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 ローマ帝国はキリスト教を国教にしたが帝国は東西に分裂し、コンスタンチノープル(現イスタンブール)を首都にした東ローマ帝国はビザンチン文化を発展させ、キリスト教は東方正教会となった。いわゆるギリシア正教で黒海やカスピ海を経てドン川、ヴォルガ川沿いをしだいに北上してロシア正教として専制政治が支配するロシアの農奴たちに浸透していった。
こんかい、サンクト=ペテルブルグ、モスクワの駆け足旅行をして、ソ連崩壊後にロシア正教がすっかり儀式としては復活していることを知った。いまのロシア人がどのくらい信仰しているかは知らない。(余談だが、イスタンブールがシルクロードの西のはしだとすると、東のはしが奈良ということになる)
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 あんまり読んではないが、ロシア文学というと中村白葉とか米川正夫の訳が懐かしい。さいきんは亀山郁夫さんたちの翻訳でずいぶん読みやすくなったように思う。ドストエフスキー『悪霊』3冊のうち往復20時間の飛行機のなかで1冊だけをやっと読んだ。あとは酒飲んで寝ていたり、上空から北極やシベリアを眺めたり。
 亀山さんの解説によると1872年刊行の『悪霊』は埴谷雄高、椎名麟三、高橋和巳、大江健三郎、村上春樹、さらに高村薫などに大きな影響をあたえたそうである。(黒沢明監督もドストエフスキーを若いときに熱読している。ベルばらの池田理代子さんも最近テレビで同じことをいっていた。松本清張とか井上ひさし、水上勉、吉村昭などが好きだった私には、残念ながらいずれも苦手な作家たち)
 ドス作品には、皇帝につかえる貴族たちの悩める子弟や貧乏学生など知識階級(インテリゲンチアとは帝政ロシアの西欧派自由主義者をさすロシア語)が登場しロシアの社会閉塞について実にあれやこれやしゃべりまくり、実に真実と虚偽がいりくんだ矛盾にみちみちた言動で物語が混乱し盛り上がる。これは作家ドスが生きた時代が進歩と反動が渦を巻く混沌の時代だったからである。
1861年にロマノフ王朝は「農奴解放令」を発令したがロシア社会の混乱はいっそう深まった。(同じ年にアメリカでは奴隷解放をめぐって南北戦争が起きている) 
青年ドスも全共闘運動みたいなものに走って逮捕され死刑宣告をうけたがシベリア流刑で生きのびた。レーニンの兄は青年時代に革命家として死刑になっている。
 1700年はじめピョートル大帝が建設したサンクト=ペテルブルグがロシア帝国の首都になって、バルト海から西欧文明が洪水のように入ってきた。西欧派のロシアインテリ階級と、ロシア正教と農奴制にささえられた守旧派(スラブ派というらしい)が激突し葛藤している時代背景がわかるとロシア文学も少し読みやすくなるかもしれない。
 安倍晋三みたいな見栄っ張りなウソつき男がドス作品にはいくらでも登場するので、人間はちっとも変わりはしないようにみえるが少しずつ進歩もしているのではないか。歴史は繰り返すがまったく相似形ではなく螺旋状に発展しているのではないか。
 西ローマ帝国のキリスト教がルネサンス、宗教改革、フランス革命、産業革命、二度の大戦などに翻弄されつつ世界宗教へと発展していくのはいうまでもない。
数年前、ロシア正教会の総主教とカトリックの総本山ヴァチカンの教皇が1000年ぶりに仲直りして抱擁したというニュースをきいた。ナチによるユダヤ人ホロコーストを知りながら黙殺していたヴァチカンも今の教皇が先年、反省の弁を述べたそうだから歴史は前へと流れているようだ。
 核兵器廃絶条約交渉もいよいよ国連で本格化するというから、やはり歴史は確実に前へ進んでいるのである。それにしても被爆国の日本政府がこの交渉にそっぽをむいているのが情けない。
(レーピン『ヴォルガの舟曳き』)

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