猫跨ぎさんと逸徳さんとのやりとり確かに長い時間が経過したね。逸徳さんのみならず色々な人が俳句に限らず色々な作品(今迄には短歌、作曲、自然・技術解説、主張と反論など)をもっと多くこのブログに載せて呉れればいいのになと常々思っています。現状は寂し過ぎるんだよ。私は月報として毎月寂しさを紛らわす為も一部に持ちながら俳句を出汁に使って書いています。是非皆さんこのブログを賑やかな東京音頭のリズムが聞えて来そうなものにしましょうや。
さて、猫跨ぎさんの句評に入りましょう。
俳句の中でも私は二物仕立ての句がどちらかと云うと他より好きです。その二物の間から生まれる想像、連想が大きければ大きいほど面白いと思うからです。その想像、連想は必ずしも作者の作成意図とは外れてしまっているかも知れません。それは一向に構わぬ事です。今回四句の二物仕立てがありました。
*花氷潤んでアフリカ仮面展・・・花氷とアフリカの仮面をどこで接点を見付けだそうと思ったが難しかった。氷の中の花の色と仮面に塗られた原色に何か共通点がありそう。いや、冷たい氷と暑いアフリカの対比も面白そう。
*虹消えて手提袋に常備薬・・・虹と常備薬との取り合わせ面白い。虹は消えてもまた出るまで待てばよし、常備薬は無くなったら慌てるか気を揉み酷けりゃ焦っておかしくなるかも知れない。身近な材料だけで面白さを醸し出している点から特選。
*ラムネ玉コロンうすうす昼の月・・・うすうすの部分が良く判らなかった。
*手遅れはいつも突然立葵・・・立葵は暑い時によく道路端で見掛ける。何の手遅れかは知らんが熱射病で心臓がやられた事を想像してぞっとしてしまう。
*栗の花匂ふ夜更けに何か割れ・・・栗の花の匂いは精液のそれというのは本当です。丹波でも茨城でも経験しました。自動車の窓を開けたまま運転はしない方がいいですよ。
*キャンプ場の思はぬ広さいなびかり・・・今はオートキャンプ場だから広く取ってあるんだろうね。昔のバンガローを借りたキャンプが懐かしい。
*父の日や父の結はえし紐解けず・・・目の付け所がいいね。私自身父親の存在感がどうも薄くこの句の様に父親と素直に向き合っているのに少し嫉妬感が湧く。
*木の股に宿木生ふる薪能・・・宿木を他人の栄養分を吸っているずるい生き物とみるか生存競争に打ち勝つ能力に長けた奴と観るかによって見方が変わってきそう。
逸徳さん云われる様に確か能の作品にあって謡の稽古でやった覚えあり。
*朴咲くや真昼の海の荒れてをり・・・朴の花は街中か山中でよく見た記憶が強く木の高い所に超然と咲いているイメージが強い。
*笑ひながら夕立の中皆帰る・・・日常の何処かに帰るありふれたシーンを切り取っただけなのだが「人が笑う」「夕立が降る」の二つの事象が上手く同時に収まっている。その単純性が読んだ人に安心感と云うか共通感を導き出している。準特選。
2015年7月25日土曜日
2015年7月24日金曜日
すぐ句作に・・・猫跨ぎ
ちと言葉が過ぎたかな。別に他意はないので聞き流して欲しい。ただね、この種の話は、同じトーンで5~6年繰り返されているという事実に留意してほしい。あれこれ言っている内に、寿命が尽きてしまう。冗談ではなく、他のこともみなそうじゃないか。
庶民文芸というが、ここで俳句の歴史を弁じても仕方がないが、芭蕉(もっと前からだが、取りあえず)から連綿と続いているもの。今という一時期を我々は遊ばせてもらっているに過ぎない。この伝統に幾許かの敬意をもっても良いのでは―またこんな話になってしまった。
句評をして戴いて感心している。もう初級は終わっているよ。すぐ句作に入りなさい。
庶民文芸というが、ここで俳句の歴史を弁じても仕方がないが、芭蕉(もっと前からだが、取りあえず)から連綿と続いているもの。今という一時期を我々は遊ばせてもらっているに過ぎない。この伝統に幾許かの敬意をもっても良いのでは―またこんな話になってしまった。
句評をして戴いて感心している。もう初級は終わっているよ。すぐ句作に入りなさい。
2015年7月23日木曜日
そう単純でもない・・・・お師匠句鑑賞 逸徳
興味のあるなしは2択選択問題でもあるまいに。興味は少しはあっても、歳時記を開くエネルギーはない(というのは一種の老化なのかもしれんが) という中間領域もある。そしてその中間領域の幅は案外広いのではないか。 わからんといって、そりゃあお前が悪いというのは教授法としては下策だ。つまり歳時記片手に作品を解読するというのが俳句読者としての有資格者というのはわからんでもないのだが、ちとたかびしゃではあるまいかね。・・・というあいも変わらぬ不平不満とまた怒られそうである。 それにさ、一般論でいえばすべての芸術分野において「不平不満」がなくなったら、もう変化はおこらんのではないか。 そりゃ保守化、固定化、動脈硬化に一歩ではないかな。
とはいえ、今回のお師匠の句そういうむつかしいところがなくて、イメージを楽しめた。心に残ったものを・・・
・花氷潤んでアフリカ仮面展
仮面である。その一つ一つが仮面の向こうからことばにならないメッセージを伝えてくる。それは多様なアフリカの命の鼓動ともいうべきものだ。そしてその生命力は、すぐ近くまで来ているようで、ああと思ったとたんに遠くに離れていく。そのイメージが「潤んだ花氷」とよく合った。待っていれば氷の中から花は立ち現われてくるのだろうが、仮面は待っていてもその前に立ち尽くすのみ。面白い。
・虹消えて手提袋に常備薬
手提げ袋と常備薬というと高齢者の必需品。それに対するにやっぱり虹は消えていかなくてはならない。わかりやすいが、ちとさみしくなった。
・栗の花匂ふ夜更けに何か割れ
変なことを思い出す。栗の花の匂いは精液の匂いだという。ホントかよ。いまだに信じられんが。そして夜更けだ・・・・・ うーむ文学的妄想の世界にひきずりこまれそう。
・ラムネ玉コロンうすうす昼の月
すぐイメージが楽しめた。ラムネ玉でしょ、そしてコロンだ、この音がコロコロにつながった。最後が昼の月。みんな丸い。 まるくてコロコロ。 ここでのコロンは香水で、うすうすつけるが、昼の月につながるのだろうが。 おいらは、マルクコロコロのイメージをしばらく楽しんだ。コロンが香水というのはあとで気が付いたのだが。
・キャンプ場の思はぬ広さいなびかり
見事。準特選。よるのキャンプ場。突然の雷雨。いなびかりが照らし出した光景から「あれっ、こんなに広かったかな」という発見。 うんあるあるという感じ
・父の日や父の結はひし紐解けず
しみじみとした句である。さまざまな思いが錯綜するね。紐のしばられているその下には何があるのだろうか。それをもしかして、今解いてももいいのだろうか。おいらは子供たちに何を包んで残そうか。紐がもし解けなかったら、はさみをもってきて紐を断ち切る子であつてほしいとも思うが、しかしなかなか解けない縛り方をおいらはできるのだろうか。 準特選
・手遅れはいつも突然立葵
突然来るから手遅れなのだろう。そんな人の雑事は関係なく、タチアオイが咲いている。花言葉は確か「威厳」ではなかったか
・木の股に宿木生ふる薪能
薪能か、しばらく見ていないなあ。お能と宿り木というイメージはあうような気もするが、そんなお能の作品なかったかなあ。
・朴咲くや真昼の海の荒れてをり
ふと気が付いた。この下の部分「真昼の海の荒れており」 このイメージなんとなく何にでもあいそうな気がしたのだが
・笑ひながら夕立の中皆帰る
夕立である。人間の都合なんか関係なく、突然おこる自然の暴力。 しかしそんなのは関係ない。というより、そういうこともあるさという生きる強さを感じた。笑っているのである。そして予定を変えずそれぞれの生活の中に帰っていくのだ。雨が降ろうが、雷が鳴ろうがそんなのどうってことないよ。明日はきっと晴れる。 いいなあ。強さと若さを感じた。特選。
とはいえ、今回のお師匠の句そういうむつかしいところがなくて、イメージを楽しめた。心に残ったものを・・・
・花氷潤んでアフリカ仮面展
仮面である。その一つ一つが仮面の向こうからことばにならないメッセージを伝えてくる。それは多様なアフリカの命の鼓動ともいうべきものだ。そしてその生命力は、すぐ近くまで来ているようで、ああと思ったとたんに遠くに離れていく。そのイメージが「潤んだ花氷」とよく合った。待っていれば氷の中から花は立ち現われてくるのだろうが、仮面は待っていてもその前に立ち尽くすのみ。面白い。
・虹消えて手提袋に常備薬
手提げ袋と常備薬というと高齢者の必需品。それに対するにやっぱり虹は消えていかなくてはならない。わかりやすいが、ちとさみしくなった。
・栗の花匂ふ夜更けに何か割れ
変なことを思い出す。栗の花の匂いは精液の匂いだという。ホントかよ。いまだに信じられんが。そして夜更けだ・・・・・ うーむ文学的妄想の世界にひきずりこまれそう。
・ラムネ玉コロンうすうす昼の月
すぐイメージが楽しめた。ラムネ玉でしょ、そしてコロンだ、この音がコロコロにつながった。最後が昼の月。みんな丸い。 まるくてコロコロ。 ここでのコロンは香水で、うすうすつけるが、昼の月につながるのだろうが。 おいらは、マルクコロコロのイメージをしばらく楽しんだ。コロンが香水というのはあとで気が付いたのだが。
・キャンプ場の思はぬ広さいなびかり
見事。準特選。よるのキャンプ場。突然の雷雨。いなびかりが照らし出した光景から「あれっ、こんなに広かったかな」という発見。 うんあるあるという感じ
・父の日や父の結はひし紐解けず
しみじみとした句である。さまざまな思いが錯綜するね。紐のしばられているその下には何があるのだろうか。それをもしかして、今解いてももいいのだろうか。おいらは子供たちに何を包んで残そうか。紐がもし解けなかったら、はさみをもってきて紐を断ち切る子であつてほしいとも思うが、しかしなかなか解けない縛り方をおいらはできるのだろうか。 準特選
・手遅れはいつも突然立葵
突然来るから手遅れなのだろう。そんな人の雑事は関係なく、タチアオイが咲いている。花言葉は確か「威厳」ではなかったか
・木の股に宿木生ふる薪能
薪能か、しばらく見ていないなあ。お能と宿り木というイメージはあうような気もするが、そんなお能の作品なかったかなあ。
・朴咲くや真昼の海の荒れてをり
ふと気が付いた。この下の部分「真昼の海の荒れており」 このイメージなんとなく何にでもあいそうな気がしたのだが
・笑ひながら夕立の中皆帰る
夕立である。人間の都合なんか関係なく、突然おこる自然の暴力。 しかしそんなのは関係ない。というより、そういうこともあるさという生きる強さを感じた。笑っているのである。そして予定を変えずそれぞれの生活の中に帰っていくのだ。雨が降ろうが、雷が鳴ろうがそんなのどうってことないよ。明日はきっと晴れる。 いいなあ。強さと若さを感じた。特選。
2015年7月21日火曜日
7月度投句 ・・・ 猫跨ぎ
それでは、7月度投句
・花氷潤んでアフリカ仮面展
・虹消えて手提袋に常備薬
・栗の花匂ふ夜更けに何か割れ
・ラムネ玉コロンうすうす昼の月
・キャンプ場の思はぬ広さいなびかり
・父の日や父の結はひし紐解けず
・手遅れはいつも突然立葵
・木の股に宿木生ふる薪能
・朴咲くや真昼の海の荒れてをり
・笑ひながら夕立の中皆帰る
・花氷潤んでアフリカ仮面展
・虹消えて手提袋に常備薬
・栗の花匂ふ夜更けに何か割れ
・ラムネ玉コロンうすうす昼の月
・キャンプ場の思はぬ広さいなびかり
・父の日や父の結はひし紐解けず
・手遅れはいつも突然立葵
・木の股に宿木生ふる薪能
・朴咲くや真昼の海の荒れてをり
・笑ひながら夕立の中皆帰る
今日も暑い・・・猫跨ぎ
いやあ今日も暑いねえ。
俳句の業界用語が判らぬという、相も変わらぬ不平不満だなあ。
何事もそうだが、興味が湧く対象は、黙っていても積極的に調べる。湧かねば、そばに歳時記があっても気分が乗らぬ。そういう事だね。庶民の文芸なのに、と責任を転嫁しないで、自分は興味がないといえばいいの。
この前、危篤と伝えられた寂聴尼が、集会で安倍を倒せと声を張り上げていた。いやあ底知れぬ体力だね。昨日は「学者」が何十人かあつまってシュプレヒコール。違憲だ、平和の危機だ。私は全然そう思わぬが。学者もこれだけ集まると胡散臭いね。自分たちは何か偉いと勘違いしているんじゃないか。たかが学者風情が。庶民のつぶやき。
まてよ・・・・??? 逸徳
昭和までの句・・・これ、鉄棒をやっている光景ではないか?
7月のオウンゴールの句・・・・これ女子サッカー対イングランド戦の句??
なんとなくそう感じたがいかが。
しかしだ、三伏、炎帝、はたた神・・・これみんなわからなかった。それなりに本は読んできたつもりでもわが記憶にない。 前にお師匠に「歳時記」を持てと怒られて、買ってはみたものの本を開くエネルギーもなかなかわかない。 それでさあ、こういうなじみの低いことば、つまりは業界用語にたよるというのは俳句の庶民性からみてどんなものかねえ。。。と心でつぶやく。 そのことばが描く光景はよくわかるのだが。
7月のオウンゴールの句・・・・これ女子サッカー対イングランド戦の句??
なんとなくそう感じたがいかが。
しかしだ、三伏、炎帝、はたた神・・・これみんなわからなかった。それなりに本は読んできたつもりでもわが記憶にない。 前にお師匠に「歳時記」を持てと怒られて、買ってはみたものの本を開くエネルギーもなかなかわかない。 それでさあ、こういうなじみの低いことば、つまりは業界用語にたよるというのは俳句の庶民性からみてどんなものかねえ。。。と心でつぶやく。 そのことばが描く光景はよくわかるのだが。
2015年7月20日月曜日
27.7 仁句鑑賞・・・猫跨ぎ
台風一過、急に暑くなった。昨日からエアコンを入れている。しかしこの深閑とした夏のたたずまいは嫌いではない。
さて七月度仁句鑑賞。
1.合歓の花予約の取れぬ指定席
長距離列車の切符なのか、ホテルの予約なのか、はたまた芝居のチケットか。合歓の花は夕暮れに咲いて、儚げな印象がある。ちょっとやるせない気分だね。
2.御喋りがふわりと消へて夏座敷
会話が何となく途切れる瞬間ってあるね。これを機に奥方はお茶の入れ替えに立ったりする。ここに逸徳氏あたりがいれば、決してそう言うことはないのだろうが。準特選。
3.三伏の間の取り方や父に似て
三伏―まあ、簡単に言えば極暑の候か。間の取り方とはいろいろ考えさせるが、暑気へのむかい方のようなことかな。慣習、癖のようなこと。ふと父親の癖を思い出したりする。私はあまりそういう感覚はないのでよく分からない。
4.はたた神変身をする三歳児
雷。いなびかり、落雷。三歳児にとっては驚天動地。すっかり取り乱してしまった。
5.老鶯や伝言板の消した跡
春過ぎて、すっかり鳴き方に慣れた鶯。ちょっと夏の気だるさを描いている。特選。
6.星月夜人はいびつに減りはじむ
年齢人口分布の変則的な形を言っているのだろう。正規分布形は大きく変形して、釣鐘形から根もとが先細りみたいになったいく。この先成人一人が三人の老人を支えねばならないとか。そのうちに働かない老人はさっさと退場してもらわねばならなくなるか。冗談ではなく。
7.昭和まで逆上がりして雲の峰
いささか跳んでいるね。昭和の時代を懐かしんでいるのかな。昭和は激動であったが、それなりに理解できる。平成の御代はどうなるのか。溶解していくような不気味さがある。
8.炎帝に面従腹背ダンゴ虫
だんご虫。枯葉の下で、天下泰平であるが一旦剥ぎ取られると、真ん丸に身を丸めて、さあ何とでもしてくれという風情。この虫の天敵はなにかな。
9.青鷺のト音記号の揺らぎかな
アオサギは雰囲気のある鳥。水辺でじっと水面を睨んでいるかと思うと、ビルの屋上などにとまって、世情はいかがかと辺りを睥睨している。ト音記号の形に似ているかな。
10.七月のオウンゴールの涙かな
七月の自殺点とは何か。判らない。安保法制の衆院通過。まさかね。
さて七月度仁句鑑賞。
1.合歓の花予約の取れぬ指定席
長距離列車の切符なのか、ホテルの予約なのか、はたまた芝居のチケットか。合歓の花は夕暮れに咲いて、儚げな印象がある。ちょっとやるせない気分だね。
2.御喋りがふわりと消へて夏座敷
会話が何となく途切れる瞬間ってあるね。これを機に奥方はお茶の入れ替えに立ったりする。ここに逸徳氏あたりがいれば、決してそう言うことはないのだろうが。準特選。
3.三伏の間の取り方や父に似て
三伏―まあ、簡単に言えば極暑の候か。間の取り方とはいろいろ考えさせるが、暑気へのむかい方のようなことかな。慣習、癖のようなこと。ふと父親の癖を思い出したりする。私はあまりそういう感覚はないのでよく分からない。
4.はたた神変身をする三歳児
雷。いなびかり、落雷。三歳児にとっては驚天動地。すっかり取り乱してしまった。
5.老鶯や伝言板の消した跡
春過ぎて、すっかり鳴き方に慣れた鶯。ちょっと夏の気だるさを描いている。特選。
6.星月夜人はいびつに減りはじむ
年齢人口分布の変則的な形を言っているのだろう。正規分布形は大きく変形して、釣鐘形から根もとが先細りみたいになったいく。この先成人一人が三人の老人を支えねばならないとか。そのうちに働かない老人はさっさと退場してもらわねばならなくなるか。冗談ではなく。
7.昭和まで逆上がりして雲の峰
いささか跳んでいるね。昭和の時代を懐かしんでいるのかな。昭和は激動であったが、それなりに理解できる。平成の御代はどうなるのか。溶解していくような不気味さがある。
8.炎帝に面従腹背ダンゴ虫
だんご虫。枯葉の下で、天下泰平であるが一旦剥ぎ取られると、真ん丸に身を丸めて、さあ何とでもしてくれという風情。この虫の天敵はなにかな。
9.青鷺のト音記号の揺らぎかな
アオサギは雰囲気のある鳥。水辺でじっと水面を睨んでいるかと思うと、ビルの屋上などにとまって、世情はいかがかと辺りを睥睨している。ト音記号の形に似ているかな。
10.七月のオウンゴールの涙かな
七月の自殺点とは何か。判らない。安保法制の衆院通過。まさかね。
2015年7月18日土曜日
函館通信2-30・・・台風一過・・・仁兵衛
台風11号がやっと治まりつつありますが皆様被害は特にありませんでしたか。
前回青函連絡船の事を若干書きましたが、先日小学校時代の友人が旅行で札幌から東京に戻る時ブルトレ(寝台特急カシオペア)に乗って来た。夜九時過ぎ函館には機関車の入れ替えの為6分しか停まらないがホームで無事会えて旧交を温める事が出来た。今時と思うかもしれないがそこで懐かしい青函連絡への乗り換えの状景を思い出さざるを得なかった。一方現実のホームでは「撮り鉄」が10人位機関車の入れ替え作業を写すために車輌の端から端まで6分間の間行ったり来たり走り回っていたのには驚かされてしまった。
七月度投句
前回青函連絡船の事を若干書きましたが、先日小学校時代の友人が旅行で札幌から東京に戻る時ブルトレ(寝台特急カシオペア)に乗って来た。夜九時過ぎ函館には機関車の入れ替えの為6分しか停まらないがホームで無事会えて旧交を温める事が出来た。今時と思うかもしれないがそこで懐かしい青函連絡への乗り換えの状景を思い出さざるを得なかった。一方現実のホームでは「撮り鉄」が10人位機関車の入れ替え作業を写すために車輌の端から端まで6分間の間行ったり来たり走り回っていたのには驚かされてしまった。
七月度投句
1.合歓の花予約の取れぬ指定席
2.御喋りがふわりと消へて夏座敷
3.三伏の間の取り方や父に似て
4.はたた神変身をする三歳児
5.老鶯や伝言板の消した跡
6.星月夜人はいびつに減りはじむ
7.昭和まで逆上がりして雲の峰
8.炎帝に面従腹背ダンゴ虫
9.青鷺のト音記号の揺らぎかな
10.七月のオウンゴールの涙かな
2015年7月12日日曜日
函館通信2-29・・・下北半島・・・仁兵衛
下北半島か函館に住んでて近くて遠いと云った存在だね。
半島の中の方は恐山を中心とした温泉地巡りなんだと思うけどね。
兎に角函館から大間に渡ってからバスがどうなっているのか判らない。
大間迄のフェリーはグーグルで「フェリー函館」程度のラフで入力しても詳しく出てくるよ。大間迄一時間半掛る。
大間から半島の中の方に向かうのと海岸線を船を乗り継いで行くのもあるらしい。
「仏が浦」とかいう風光明媚な海岸線が売り物らしい。
いずれにしろこの程度しか知識はない。乗り継ぎのバスや船がどの程度の頻度であるのか等は旅行業者に行った方が良いと思うよ。
以上参考までに。
半島の中の方は恐山を中心とした温泉地巡りなんだと思うけどね。
兎に角函館から大間に渡ってからバスがどうなっているのか判らない。
大間迄のフェリーはグーグルで「フェリー函館」程度のラフで入力しても詳しく出てくるよ。大間迄一時間半掛る。
大間から半島の中の方に向かうのと海岸線を船を乗り継いで行くのもあるらしい。
「仏が浦」とかいう風光明媚な海岸線が売り物らしい。
いずれにしろこの程度しか知識はない。乗り継ぎのバスや船がどの程度の頻度であるのか等は旅行業者に行った方が良いと思うよ。
以上参考までに。
2015年7月11日土曜日
ではひとつ・・・・・逸徳
前々回の仁ちゃんの投稿みて。津軽海峡を船で超えるのもいいなあとむしょうに懐旧の思いにかられたが、ただ青森函館ではつまらないと、下北半島の先端から1時間半でいける航路があると聞いて調べてみた。 魅力的であるが、問題は下北半島をよく知らないということなのである。下北でどっか1泊して、船で函館にわたり夕方の飛行機で東京にもどるか。みどころはどこかなあ。
大間のマグロが有名で、東京じゃあきちがいみたいに高いらしいが、あれ変な話で、もともと大間にマグロが定着しているわけではないし、たまたまとおりかかった運のわるいマグロがひっかかっただけではないか。
ぜひこういうコースがいいというアドバイスがあったら聞かせてくれえ。
大間のマグロが有名で、東京じゃあきちがいみたいに高いらしいが、あれ変な話で、もともと大間にマグロが定着しているわけではないし、たまたまとおりかかった運のわるいマグロがひっかかっただけではないか。
ぜひこういうコースがいいというアドバイスがあったら聞かせてくれえ。
2015年7月9日木曜日
函館通信2-28・・・青函懐旧談・・・仁兵衛
逸徳さん私の句に対して色々と面白く感じて戴き有難う御座います。
猫跨ぎさんの様にきちっと自分の句に対して読者とのやり取りが出来ずいい加減でしかないが逸徳さんの気持ちの広さにおんぶさせて貰いますよ。
カタツムリの句、内の句会ではこれは川柳ではないかと評価された。私が思うにはどうも北海道ではカタツムリを見る機会が少ないんじゃなかろうかとの判断だ。函館に移ってから公園などでも注意しているが少なくとも大型の蝸牛にはお眼に掛った事がない。小さな蝸牛では匍匐前進のイメージも湧かないかもしれないな。
昆布刈りの句、根室港から一斉に歯舞群島貝殻島向けて出航して行く小さなこんぶ漁船。一刻も早く良い漁場を確保するのに必死さが波飛沫に現れていた映像であった。ロシアから僅かに許された時間と場所だ。我々には解らない生活が掛っている。
コンブを刈るとは船の上から海底を覗き長いかぎ棒で引っ掛けて引き上げる潮の流れによって船の舳先は北方領土の方を向いている時もあろう。
こんな風に映像から勝手に想像を加えながら無責任に句を作っている時が多い。
そうだ猫跨ぎさんからご指摘をされていた青函連絡船懐旧談でもやりましょう。其の切っ掛けになればと「懐かしの青函八句」を作ってみました。
・ 海峡を四時間すべり遅き春
・ 船底の二等船室春近し
・ しばらくはイルカと船と競ふ夏
・ 夏甲板サブちゃんの曲途切れがち
・ 人よりも大きな荷物秋航路
・ 秋離岸銅鑼の音足に響きをり
・ 桟橋をだまって走る小雪かな
・ 紙テープ最後に残る冬の色
こうやって楽しむのも俳句の楽しみ方の一つと思います。
猫跨ぎさんの様にきちっと自分の句に対して読者とのやり取りが出来ずいい加減でしかないが逸徳さんの気持ちの広さにおんぶさせて貰いますよ。
カタツムリの句、内の句会ではこれは川柳ではないかと評価された。私が思うにはどうも北海道ではカタツムリを見る機会が少ないんじゃなかろうかとの判断だ。函館に移ってから公園などでも注意しているが少なくとも大型の蝸牛にはお眼に掛った事がない。小さな蝸牛では匍匐前進のイメージも湧かないかもしれないな。
昆布刈りの句、根室港から一斉に歯舞群島貝殻島向けて出航して行く小さなこんぶ漁船。一刻も早く良い漁場を確保するのに必死さが波飛沫に現れていた映像であった。ロシアから僅かに許された時間と場所だ。我々には解らない生活が掛っている。
コンブを刈るとは船の上から海底を覗き長いかぎ棒で引っ掛けて引き上げる潮の流れによって船の舳先は北方領土の方を向いている時もあろう。
こんな風に映像から勝手に想像を加えながら無責任に句を作っている時が多い。
そうだ猫跨ぎさんからご指摘をされていた青函連絡船懐旧談でもやりましょう。其の切っ掛けになればと「懐かしの青函八句」を作ってみました。
・ 海峡を四時間すべり遅き春
・ 船底の二等船室春近し
・ しばらくはイルカと船と競ふ夏
・ 夏甲板サブちゃんの曲途切れがち
・ 人よりも大きな荷物秋航路
・ 秋離岸銅鑼の音足に響きをり
・ 桟橋をだまって走る小雪かな
・ 紙テープ最後に残る冬の色
こうやって楽しむのも俳句の楽しみ方の一つと思います。
2015年7月8日水曜日
どうもどうも・・・猫跨ぎ
拙句についての逸徳評は作者としてはどれも肯けるものばかり。これからもどんどんお願いしたい。
前三句が判ったようでよく判らん、しかし消えてゆくものと確固としたものの対比というのも面白い。作句するとき、詠う景の背後に何ものかを表現したいと常に思っている。むしろそれが言いたくてというのが本意。
しかしながら、目の前の景は、あくまで写実であり空想を紡いでいるわけではないことがポイント。虹の環の句は、実景。場所は忘れたが山の中腹から谷間を見下ろしていた。虹は環を描き、鳶は孤を描いていた。鋭く、黒く、潔く、鉄片の飛翔に見えた。
蒼空の極みは、真夏、晴れ上がった空、紺色の極みは黒に限りなく近くなるという実感を詠んでいる。
百度石は或る大寺の百度石。百度石の三文字が鑿跡深く彫られている事が印象的だった。夏潮の音と百度石の関係は特にない。独立した事象を並立させることはよく行われる。何等かの関係は深いところであるのかも知れないが、それは鑑賞に任せる、という感じ。作者の立場を敷衍すれば、写実を心象に落とすんだね。そこで別な物に変容していくというか・・・・。別に難しいことを言おうとしているのではないのだが。
俳句よみは吟行によく出かける。作品は机の上で完成させるが、発端はあくまで外へ出て、対象と向き合ったときのこと。そのとき自分は無になっているのが好ましい。実際には出来上がりを予想して網を張っているのが実体だが、心掛けは違う―ということで、結構複雑な心境なんだ。要は事前に何等かの作意をもって作句しようという姿勢は、あまりよろしくないということ。まあ、これからもひとつよろしくお願いします。
前三句が判ったようでよく判らん、しかし消えてゆくものと確固としたものの対比というのも面白い。作句するとき、詠う景の背後に何ものかを表現したいと常に思っている。むしろそれが言いたくてというのが本意。
しかしながら、目の前の景は、あくまで写実であり空想を紡いでいるわけではないことがポイント。虹の環の句は、実景。場所は忘れたが山の中腹から谷間を見下ろしていた。虹は環を描き、鳶は孤を描いていた。鋭く、黒く、潔く、鉄片の飛翔に見えた。
蒼空の極みは、真夏、晴れ上がった空、紺色の極みは黒に限りなく近くなるという実感を詠んでいる。
百度石は或る大寺の百度石。百度石の三文字が鑿跡深く彫られている事が印象的だった。夏潮の音と百度石の関係は特にない。独立した事象を並立させることはよく行われる。何等かの関係は深いところであるのかも知れないが、それは鑑賞に任せる、という感じ。作者の立場を敷衍すれば、写実を心象に落とすんだね。そこで別な物に変容していくというか・・・・。別に難しいことを言おうとしているのではないのだが。
俳句よみは吟行によく出かける。作品は机の上で完成させるが、発端はあくまで外へ出て、対象と向き合ったときのこと。そのとき自分は無になっているのが好ましい。実際には出来上がりを予想して網を張っているのが実体だが、心掛けは違う―ということで、結構複雑な心境なんだ。要は事前に何等かの作意をもって作句しようという姿勢は、あまりよろしくないということ。まあ、これからもひとつよろしくお願いします。
2015年7月6日月曜日
ではおくればせながら・・・・逸徳
おふた方への批評など畏れ多く・・・・で、印象に残った野良犬の遠吠えみたいなコメントを。
お師匠句 6月作品の中から
・虹の環へ鳶鉄片のごとく舞ふ
・蒼空(あをぞら)の極みは黒しかき氷
・夏潮や彫り跡深き百度石
・眠られぬ夜明を飛んで時鳥
・散水の虹を潜りて帰りけり
最初の3句がなんで心に残ったか、しばらく考えていたが、よくわからん。ただ、はかないものや
一瞬のきらめきをみせて消えていくものと、確固とした手ごたえのある存在、永遠、動かないものとの対照が面白いという印象がつよい。虹に対して鳶は鉄片なんだな。消えていく虹に対して、そこに存在し続ける手ごたえ。しかもこの鉄片決して落ちてこないんだ。命を感じる。碧空の極みの黒はどう考えても宇宙だろう。光太郎が空を宇宙の底と表現したのを思い出す。夏潮は繰り返し繰り返し、この世の始まりからどどろき打ち寄せてきた。それにくらべりゃ百度石のへこみも相対化される。一瞬なのである。
眠れぬ夜もあるんだなあ、おいらも時々そうなる。単なる加齢だろうが、まあ疲れがとれないので、医者に導眠剤を処方してもらう。レンドルミンというやつ。でも目がさめる。そこに時鳥か。なんとなく、残り時間を感じて、寝てなんかいれんと思ったりする。うーん、ジタバタしているなあ。
最後の句、いいなあ。夏空の広がりの中の一瞬の美しさ、なんていっている間もない一瞬だ。で作者はそれをくぐって帰っていくのだなあ。 帰るという言葉の、懐かしさやあまずっぱさと虹の対比がいい。ほっとする。特選
仁ちゃん句で心に残ったのから
山背風昭和の似合う立飲み屋
角欠いた狛犬のあり新樹光
採決を待つ二の腕や鰻食う
武器持たぬ匍匐前進かたつむり.
舳先みな外つ国に向きコンブ刈る
立ち飲み屋である。いわれてみれば、平成にはどっか似合わない。山瀬風というのは、今頃ふくちと寒い山から下りてくる風かな。ちと寒いのはふところもおんなじで、したがって立ち飲み屋はぴったりなのだ。おいらの暮らしをのぞかれた気分である。
角の欠けた狛犬には、逆に考えると新樹光しかぴったりしない。試みにいろんな言葉をおいてみたがどうもしっくりしない。やっぱいい句なんだな。 新樹光か。6月の新緑の木々の間を通してふり注いでくる。こういう光は、顔をあげて顔全体てうけとめるのが一番いい。風の音、命のきらめきと共鳴。だがその視線の先にぽつんとおわします狛犬は角がかけているのである。ちゃんと、感じるものをしっかり感じて、生きなくてはならない。今は永遠ではないのだから。
採決の句、二の腕までまくりあげて、ウナギを食って強行採決に備える、下品な政治家を連想した。 こいつらカップラーメンでええ。 批評眼を感じた。
カタツムリの句。特選。 やさしい句だ。かたつむりさん、いいかいまちがっても立ち上がって走ったりするなよ、すぐ弾が当たって戦死するぞ。ゆっくりいけ。敵より先に死ななければあんたの勝ちだ。昆布の句ね。現地を知っている人ならすぐわかる。写真のような感じを受けた。いい句だが、しかしなんであの昆布あんなに高いんだろうねえ。
角欠いた狛犬のあり新樹光
採決を待つ二の腕や鰻食う
武器持たぬ匍匐前進かたつむり.
舳先みな外つ国に向きコンブ刈る
立ち飲み屋である。いわれてみれば、平成にはどっか似合わない。山瀬風というのは、今頃ふくちと寒い山から下りてくる風かな。ちと寒いのはふところもおんなじで、したがって立ち飲み屋はぴったりなのだ。おいらの暮らしをのぞかれた気分である。
角の欠けた狛犬には、逆に考えると新樹光しかぴったりしない。試みにいろんな言葉をおいてみたがどうもしっくりしない。やっぱいい句なんだな。 新樹光か。6月の新緑の木々の間を通してふり注いでくる。こういう光は、顔をあげて顔全体てうけとめるのが一番いい。風の音、命のきらめきと共鳴。だがその視線の先にぽつんとおわします狛犬は角がかけているのである。ちゃんと、感じるものをしっかり感じて、生きなくてはならない。今は永遠ではないのだから。
採決の句、二の腕までまくりあげて、ウナギを食って強行採決に備える、下品な政治家を連想した。 こいつらカップラーメンでええ。 批評眼を感じた。
カタツムリの句。特選。 やさしい句だ。かたつむりさん、いいかいまちがっても立ち上がって走ったりするなよ、すぐ弾が当たって戦死するぞ。ゆっくりいけ。敵より先に死ななければあんたの勝ちだ。昆布の句ね。現地を知っている人ならすぐわかる。写真のような感じを受けた。いい句だが、しかしなんであの昆布あんなに高いんだろうねえ。
2015年7月3日金曜日
津軽海峡とは・・・猫跨ぎ
そうか、本州から渡っていく人にとって、津軽海峡は特別な意味があるんだね。なるほど「津軽海峡冬景色」とか「津軽の海の渦潮わけて・・・」というように、もうシンボル化しているね。
北海道育ちにはそういう感傷はほとんどない。極端に言えば、渡るべき一つの行程にすぎない。子供の頃、機雷がこの海峡でしばしば発見され、巡視艇により処理されるというニュースを結構聞いた。大戦時の旧日本軍もしくは米軍の名残だったのか。その程度。
まあこれをよすがに、懐旧談をみなさんどう?
それから、俳句談議だけれど、仁、猫の掛け合い漫談では片手落ち。順序はどうでも、例えば、先月の俳句でもいいから、こりゃ何だと参加してほしいね。
北海道育ちにはそういう感傷はほとんどない。極端に言えば、渡るべき一つの行程にすぎない。子供の頃、機雷がこの海峡でしばしば発見され、巡視艇により処理されるというニュースを結構聞いた。大戦時の旧日本軍もしくは米軍の名残だったのか。その程度。
まあこれをよすがに、懐旧談をみなさんどう?
それから、俳句談議だけれど、仁、猫の掛け合い漫談では片手落ち。順序はどうでも、例えば、先月の俳句でもいいから、こりゃ何だと参加してほしいね。
2015年7月2日木曜日
函館通信2-27・・・津軽海峡と連絡船・・・仁兵衛
逸徳さん、よくぞ津軽海峡を渡ったあの気持ちを思い出させて呉れて有難う。昭和37年3月上野発夜行列車たしか急行八甲田?で青森に朝早く到着。何かみんな急いでかけっている。乗船名簿に名前を書くのも知らなかったので連絡船内に入ったら立錐の余地もなく船底に近い二等船室は人で埋まっていた。何で俺はこんな所に居るのだろうなんて考える暇もなく荷物がなくならない様にウトウトしながらも周りをキョロキョロ眺めていた自分を思い出す。
「津軽海峡冬景色」がこの頃あれば上野駅まで見送りに来てくれた女友達の事でも頭に思い浮かべてたかも知れないな。替わりに寮生活が始まって「津軽の滄海の」を覚えてしまい今度は連絡船に乗る毎に甲板に出て一人がなっていた。しかし、この寮歌は4番までは北海道の自然を謳歌しているのだがそれ以降8番までは戦争賛歌になっているのを後から知った。何しろ昭和13年の作品なのだ。
その連絡船が無くなって20年が過ぎた。函館にも青森にもあの荷物を担いで桟橋を走る人達はいない。銅鑼の音も聞えてこないし紙テープも遠い昔話になってしまった。来春津軽海峡海底を新幹線が通るが今度の東海道新幹線での事件から嫌な事を連想する奴がいるかもしれない。そう感じたらフェリーに乗ってみる事をお勧めする。時間は昔と同じ位(約4時間)掛るが畳敷きでゆっくりと手足が伸ばせるのが何ともいえない。夏にはイルカが船と競争するのが見れるし豪華客船に乗ったつもりもおつなものだ。
函館は観光地化して中国語が飛び交っているけど青森は市内にいい美術館、棟方志功記念館、縄文遺跡などあり結構穴場だと思うよ。
逸徳さんの文に触発されぐだぐだ書いてしまった。
「津軽海峡冬景色」がこの頃あれば上野駅まで見送りに来てくれた女友達の事でも頭に思い浮かべてたかも知れないな。替わりに寮生活が始まって「津軽の滄海の」を覚えてしまい今度は連絡船に乗る毎に甲板に出て一人がなっていた。しかし、この寮歌は4番までは北海道の自然を謳歌しているのだがそれ以降8番までは戦争賛歌になっているのを後から知った。何しろ昭和13年の作品なのだ。
その連絡船が無くなって20年が過ぎた。函館にも青森にもあの荷物を担いで桟橋を走る人達はいない。銅鑼の音も聞えてこないし紙テープも遠い昔話になってしまった。来春津軽海峡海底を新幹線が通るが今度の東海道新幹線での事件から嫌な事を連想する奴がいるかもしれない。そう感じたらフェリーに乗ってみる事をお勧めする。時間は昔と同じ位(約4時間)掛るが畳敷きでゆっくりと手足が伸ばせるのが何ともいえない。夏にはイルカが船と競争するのが見れるし豪華客船に乗ったつもりもおつなものだ。
函館は観光地化して中国語が飛び交っているけど青森は市内にいい美術館、棟方志功記念館、縄文遺跡などあり結構穴場だと思うよ。
逸徳さんの文に触発されぐだぐだ書いてしまった。
2015年7月1日水曜日
津軽海峡ということばから・・・・・逸徳
ごぶさた。 お師匠や仁ちゃんの俳句をみて、感想をとあれこれ考えているうちに、すぐその感想が投稿されてしまい、なにかタイミングをいつも逸してしまう。ごめんなさい。
さて、津軽海峡ということばを見て、過去の記憶が刺激された。おいらは院にもいかず、といって北海道の学生生活気分ともわかれがたく、要するに優柔不断で、北海道に残ろうとしたのだが、静岡に帰って家族にそのことを話し、再び就職のために北海道に戻った時の、青函連絡船を思い出す。どんよりとした北の雲の中を、カモメがとんでいた。甲板からの光景ははっきりと思い出せる。 したがって「津軽海峡冬景色」はおいらの中では、空前絶後の名歌なのである。
内地に就職しないということは、過去の自分の世界と縁を切って、ひとりであらたな生活をはじめることだったのだが、やっぱり何だかものすごくさみしかった記憶がある。北海道から東京にむかい、新たな暮らしをはじめるというのとは真逆の感覚だったのだろう。 孤立は怖いが、孤独はさみしくはない。。。などときざなことを考えていたが、やっぱりどっか、生まれ故郷の卵の殻を尻につけていたのだろう。 一生懸命ホームシックというものを振り切って新しい暮らしをつくるのだと、肩を怒らせていたのかもしれない。
ああ、わかかった。わかくてきざだった。本当に若くて恥多い人生だった。すこしおかしくて、ながほろい記憶である。 この年になるとそれを感じてしまう。 おそまつ。
さて、津軽海峡ということばを見て、過去の記憶が刺激された。おいらは院にもいかず、といって北海道の学生生活気分ともわかれがたく、要するに優柔不断で、北海道に残ろうとしたのだが、静岡に帰って家族にそのことを話し、再び就職のために北海道に戻った時の、青函連絡船を思い出す。どんよりとした北の雲の中を、カモメがとんでいた。甲板からの光景ははっきりと思い出せる。 したがって「津軽海峡冬景色」はおいらの中では、空前絶後の名歌なのである。
内地に就職しないということは、過去の自分の世界と縁を切って、ひとりであらたな生活をはじめることだったのだが、やっぱり何だかものすごくさみしかった記憶がある。北海道から東京にむかい、新たな暮らしをはじめるというのとは真逆の感覚だったのだろう。 孤立は怖いが、孤独はさみしくはない。。。などときざなことを考えていたが、やっぱりどっか、生まれ故郷の卵の殻を尻につけていたのだろう。 一生懸命ホームシックというものを振り切って新しい暮らしをつくるのだと、肩を怒らせていたのかもしれない。
ああ、わかかった。わかくてきざだった。本当に若くて恥多い人生だった。すこしおかしくて、ながほろい記憶である。 この年になるとそれを感じてしまう。 おそまつ。
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