2015年7月2日木曜日

函館通信2-27・・・津軽海峡と連絡船・・・仁兵衛

 逸徳さん、よくぞ津軽海峡を渡ったあの気持ちを思い出させて呉れて有難う。昭和37年3月上野発夜行列車たしか急行八甲田?で青森に朝早く到着。何かみんな急いでかけっている。乗船名簿に名前を書くのも知らなかったので連絡船内に入ったら立錐の余地もなく船底に近い二等船室は人で埋まっていた。何で俺はこんな所に居るのだろうなんて考える暇もなく荷物がなくならない様にウトウトしながらも周りをキョロキョロ眺めていた自分を思い出す。

 「津軽海峡冬景色」がこの頃あれば上野駅まで見送りに来てくれた女友達の事でも頭に思い浮かべてたかも知れないな。替わりに寮生活が始まって「津軽の滄海の」を覚えてしまい今度は連絡船に乗る毎に甲板に出て一人がなっていた。しかし、この寮歌は4番までは北海道の自然を謳歌しているのだがそれ以降8番までは戦争賛歌になっているのを後から知った。何しろ昭和13年の作品なのだ。

 その連絡船が無くなって20年が過ぎた。函館にも青森にもあの荷物を担いで桟橋を走る人達はいない。銅鑼の音も聞えてこないし紙テープも遠い昔話になってしまった。来春津軽海峡海底を新幹線が通るが今度の東海道新幹線での事件から嫌な事を連想する奴がいるかもしれない。そう感じたらフェリーに乗ってみる事をお勧めする。時間は昔と同じ位(約4時間)掛るが畳敷きでゆっくりと手足が伸ばせるのが何ともいえない。夏にはイルカが船と競争するのが見れるし豪華客船に乗ったつもりもおつなものだ。

 函館は観光地化して中国語が飛び交っているけど青森は市内にいい美術館、棟方志功記念館、縄文遺跡などあり結構穴場だと思うよ。
 逸徳さんの文に触発されぐだぐだ書いてしまった。

 
 

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