2016年3月24日木曜日
win.10 ・・・ 猫跨ぎ
私はWindows7だが、画面にしょっちゅうWindows10にせよとの誘いが表れる。これは当面無視がいいと聞かされた。誘いに乗って苦労している御仁があちこちに居る。と思っていたら仁ちゃんもそうか。これだけ苦情が出ているのに何か対応策が発表されたのかな。 MSに何か深謀というか意図があるのかね。
函館通信2‐46・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛
PCの容量を自分で拡張したらWINDOWS10になりますよとのお誘いに乗ってしまった。後に戻れない。困った事が次々に生じて来て悪戦苦闘している。その一つ漢字辞書が何処に隠れてしまったのか探せないでいた。例えば霾ぐもりの霾、伎藝天の藝など・・・単漢字からやっと探し出せたが先が思いやられる。
さて三月の猫跨ぎさんの句の鑑賞と行こう。先ず十句中に三句甘いお菓子が詠まれているのに気が付いた。作者は余程甘い和菓子がお好きと思われる。
・うぐひす餅の粉の零れる昼下り・・・昼にうぐいす餅
・夕東風やみたらし団子一本づつ・・・夕方にみたらし団子
・板の間の黒きひかりや蓬餅 ・・・(無理矢理に)夕食後に蓬餅
これだけ食べられるのは平和の証し、但し糖尿には気おつけて下さい。
・丸善地階耳掻を買ふ春日かな・・・耳掻きなぞどこで買っても同じだと思うのだが丸善地階に拘った作者の心情はいかなるものなのだろうか。のほほんとした何処かユーモアのある点に魅かれた。季語の選択もぴったりとしている。特選。
・修二会果て天平の闇降りてきし・・・何時も乍らの作者の歴史洞察に感心させられる。中七の天平の闇の出現で句の拡がりが俄然広くなっているのがいい。準特選。
・受験子の首一つ出て夕雑踏・・・入試がやっと終わった受験生の首に安堵感が感じられる。北国では未だ寒いからネックウォーマーでもしないと風邪を引くぞ。
・立て掛けし大根転ぶ霾ぐもり・・・黄砂が来てる時に大根が立てかけてある光景はあまりお目に掛かれない。
・春泥を来てほの暗き伎藝天・・・何か伎芸天の艶めかしさを感じる。
・鉄柵の冷たさ透る皮手套・・・鉄柵の冷たさは何を象徴しているのだろうか。
・体内に昨日の旱冬薔薇・・・二十年位前の冬、仕事で中国の田舎に出向いた時蕾のままの冬薔薇を見つけた。前夜先方が開いて呉れた歓迎会の白酒の臭いが戻って来た。懐かしさが先に立ってしまった。
追記、「春疾風唇歯の間取り持たず」は古い仲の良い友人が関西で車椅子生活をしている。症状がさらに悪くなって来ているとの情報は入ったのだが自分ではどうしてもやれずその苛立ちを疾風に入れて詠んだ。解らなくて当然だと思う。自分の日記にだけ書いておくべき句だったな。
さて三月の猫跨ぎさんの句の鑑賞と行こう。先ず十句中に三句甘いお菓子が詠まれているのに気が付いた。作者は余程甘い和菓子がお好きと思われる。
・うぐひす餅の粉の零れる昼下り・・・昼にうぐいす餅
・夕東風やみたらし団子一本づつ・・・夕方にみたらし団子
・板の間の黒きひかりや蓬餅 ・・・(無理矢理に)夕食後に蓬餅
これだけ食べられるのは平和の証し、但し糖尿には気おつけて下さい。
・丸善地階耳掻を買ふ春日かな・・・耳掻きなぞどこで買っても同じだと思うのだが丸善地階に拘った作者の心情はいかなるものなのだろうか。のほほんとした何処かユーモアのある点に魅かれた。季語の選択もぴったりとしている。特選。
・修二会果て天平の闇降りてきし・・・何時も乍らの作者の歴史洞察に感心させられる。中七の天平の闇の出現で句の拡がりが俄然広くなっているのがいい。準特選。
・受験子の首一つ出て夕雑踏・・・入試がやっと終わった受験生の首に安堵感が感じられる。北国では未だ寒いからネックウォーマーでもしないと風邪を引くぞ。
・立て掛けし大根転ぶ霾ぐもり・・・黄砂が来てる時に大根が立てかけてある光景はあまりお目に掛かれない。
・春泥を来てほの暗き伎藝天・・・何か伎芸天の艶めかしさを感じる。
・鉄柵の冷たさ透る皮手套・・・鉄柵の冷たさは何を象徴しているのだろうか。
・体内に昨日の旱冬薔薇・・・二十年位前の冬、仕事で中国の田舎に出向いた時蕾のままの冬薔薇を見つけた。前夜先方が開いて呉れた歓迎会の白酒の臭いが戻って来た。懐かしさが先に立ってしまった。
追記、「春疾風唇歯の間取り持たず」は古い仲の良い友人が関西で車椅子生活をしている。症状がさらに悪くなって来ているとの情報は入ったのだが自分ではどうしてもやれずその苛立ちを疾風に入れて詠んだ。解らなくて当然だと思う。自分の日記にだけ書いておくべき句だったな。
2016年3月21日月曜日
28.3投句・・・猫跨ぎ
見るとも無しにテレビを見ていると、某週刊誌が毎週、誰かを血祭りにあげている。覚醒剤だ、不倫だ、経歴詐称だというわけ。みんなして首級を振り回してあざ笑っている。無惨というかあざといというか。末世だね。いずれ罰があたるだろう。
さて気を取り直して、今月の十句。
・うぐひす餅の粉の零れる昼下り
・受験子の首一つ出て夕雑踏
・立て掛けし大根転ぶ霾ぐもり
・春泥を来てほの暗き伎藝天
・修二会果て天平の闇降りてきし
・丸善地階耳掻を買ふ春日かな
・鉄柵の冷たさ透る皮手套
・夕東風やみたらし団子一本づつ
・体内に昨日の旱冬薔薇
・板の間の黒きひかりや蓬餅
さて気を取り直して、今月の十句。
・うぐひす餅の粉の零れる昼下り
・受験子の首一つ出て夕雑踏
・立て掛けし大根転ぶ霾ぐもり
・春泥を来てほの暗き伎藝天
・修二会果て天平の闇降りてきし
・丸善地階耳掻を買ふ春日かな
・鉄柵の冷たさ透る皮手套
・夕東風やみたらし団子一本づつ
・体内に昨日の旱冬薔薇
・板の間の黒きひかりや蓬餅
2016年3月20日日曜日
28.03 仁句鑑賞 ・・・猫跨ぎ
寒暖の振れ幅が大きかったが、ようやく落ち着いてきたかな。当地は菜の花、辛夷が満開。
仁ちゃんは身体はいまひとつとか。春の息吹とともに、体調が戻ってくることを祈念します。
1. 人馬良く折合ひついて木の芽風
人と馬の共同作業って今あるのかなと考えてしまった。我々の子供の頃は、荷馬車の馬がいて、農耕馬がいた。それぞれに交流が春の残雪のなかあって、判らないこともないが。さて。
2. キャバレーといふ文字消ゆる春の雨
余り詳しくないが最近キャバレーって聞かないね。欧米では歌やショーが主体のように思うけれど、日本は風俗の色合いが濃くて、どんどんそちらの方に特化していくような。
3. 肌触り手触りよろし朧月
批評も憚られる雰囲気。何時の話かな。突如何かが取り憑いたような?結構ですね。
4. 留守電や名前も告げず春来たか
帰宅して留守電を聴くと、相手は名前を名乗らず切ってしまっていた。でも、面倒になってこんなことやってしまうこともあるな。いずれにせよ大した相手じゃないのだろう。ぽーっとした奴じゃないか。
5. 爆買ひの売場抜けをり余寒かな
爆買いの渦をようやく抜け出してやれやれのところか。しかしいつまでの現象かな。そんな気分もあるのだろう。
6. 狂言師白足袋ポンと春に入る
狂言師が跳ねた瞬間か。この印象句、昨日、わが句会で紹介した。詳しいのがいて狂言の本番の舞台では黄色い足袋らしいね。まあ稽古場での風景ということで。
特選。
7. 黄砂降る新幹線は海底へ
黄砂の降るところから一気に青函トンネルへ突入する新幹線。黄砂は主に西日本。せいぜい本州で北海道は実質来ないのだろう。そんなことも背景にあるか。
8. 春疾風唇歯の間取り持たず
唇歯(しんし)はごく親しい間柄を言うらしい。それすら疎遠にする春疾風ということか。
9. 木の根開く停まったままの観覧車
木の根開く(明くとも)は普通の歳時記に出ていない。宮坂静生氏の地貌季語あたりからか、とも。木の根の周りの雪がドーナツ状に溶けて土が顔を出す春の雪国の風景。観覧車ももうすぐだが、まあ春未だ来というところか。準特選。
10. 桃の花話しそびれてしまひけり
桃の花。桃源郷というとうり春爛漫に相応しい。晩年の黒沢映画のオムニバスのなかにたしか桃園の風景が出て来たな。作者の中で、もっとも春を思わせるものなのだろう。春未だ来の窓外をみて感慨にふけっている。そしてなにを言おうとしたのか。
仁ちゃんは身体はいまひとつとか。春の息吹とともに、体調が戻ってくることを祈念します。
1. 人馬良く折合ひついて木の芽風
人と馬の共同作業って今あるのかなと考えてしまった。我々の子供の頃は、荷馬車の馬がいて、農耕馬がいた。それぞれに交流が春の残雪のなかあって、判らないこともないが。さて。
2. キャバレーといふ文字消ゆる春の雨
余り詳しくないが最近キャバレーって聞かないね。欧米では歌やショーが主体のように思うけれど、日本は風俗の色合いが濃くて、どんどんそちらの方に特化していくような。
3. 肌触り手触りよろし朧月
批評も憚られる雰囲気。何時の話かな。突如何かが取り憑いたような?結構ですね。
4. 留守電や名前も告げず春来たか
帰宅して留守電を聴くと、相手は名前を名乗らず切ってしまっていた。でも、面倒になってこんなことやってしまうこともあるな。いずれにせよ大した相手じゃないのだろう。ぽーっとした奴じゃないか。
5. 爆買ひの売場抜けをり余寒かな
爆買いの渦をようやく抜け出してやれやれのところか。しかしいつまでの現象かな。そんな気分もあるのだろう。
6. 狂言師白足袋ポンと春に入る
狂言師が跳ねた瞬間か。この印象句、昨日、わが句会で紹介した。詳しいのがいて狂言の本番の舞台では黄色い足袋らしいね。まあ稽古場での風景ということで。
特選。
7. 黄砂降る新幹線は海底へ
黄砂の降るところから一気に青函トンネルへ突入する新幹線。黄砂は主に西日本。せいぜい本州で北海道は実質来ないのだろう。そんなことも背景にあるか。
8. 春疾風唇歯の間取り持たず
唇歯(しんし)はごく親しい間柄を言うらしい。それすら疎遠にする春疾風ということか。
9. 木の根開く停まったままの観覧車
木の根開く(明くとも)は普通の歳時記に出ていない。宮坂静生氏の地貌季語あたりからか、とも。木の根の周りの雪がドーナツ状に溶けて土が顔を出す春の雪国の風景。観覧車ももうすぐだが、まあ春未だ来というところか。準特選。
10. 桃の花話しそびれてしまひけり
桃の花。桃源郷というとうり春爛漫に相応しい。晩年の黒沢映画のオムニバスのなかにたしか桃園の風景が出て来たな。作者の中で、もっとも春を思わせるものなのだろう。春未だ来の窓外をみて感慨にふけっている。そしてなにを言おうとしたのか。
仁ちゃん句鑑賞・・・・逸徳
おいらの知り合いになった60近い女性で、ものすごい活動家がいる。彼女は30代で交通事故で骨髄損傷になり、首から下が動かなくなった。ところが、さまざまなボランティアの助けをかりて、その後の30年はおどろくほどの社会的活躍をした。障害者のためのNPOを立ち上げ、作業所を開き介護ステーションをはじめて、さまざまな社会運動に参加し、海外にも視察にでかける。そのバイタリティは依然として低下していない。 ベッドで口にくわえた棒でパソコンをあやつってメールを送り文章を書く。電話もできる。 要は、脳の働きというか、精神の力なのだなあ。もう茫然として彼女の跡を見上げながらファンの一人としてついていくのである。おいらも、病気になって入院するようになったらベッドの上にパソコンを持ち込むようにしようと思う。おっとスマホか。九州の熊さんを思い出した。
さて仁ちゃんの作品 こういう作品を見ると、この世界にはどんなところにもテーマは転がっているんだなあと思った。一茶の「やれうつな ハエが手をする あしをする」を思い出したよ。さて
1. 人馬良く折合ひついて木の芽風・・・ユーモアを感じた。まず雪景色だな。この馬、道産子ではないか。人のいうことを良く聞かないのかなあ。「まっすぐいけ」「やだよ、曲がりたいんだ」とかなんとか・・・。もめて、それでも何とか折り合いがつく。何か夫婦みたいな気もする。そこに木の芽風、ああもうすぐ雪解けだぜ。
さて仁ちゃんの作品 こういう作品を見ると、この世界にはどんなところにもテーマは転がっているんだなあと思った。一茶の「やれうつな ハエが手をする あしをする」を思い出したよ。さて
1. 人馬良く折合ひついて木の芽風・・・ユーモアを感じた。まず雪景色だな。この馬、道産子ではないか。人のいうことを良く聞かないのかなあ。「まっすぐいけ」「やだよ、曲がりたいんだ」とかなんとか・・・。もめて、それでも何とか折り合いがつく。何か夫婦みたいな気もする。そこに木の芽風、ああもうすぐ雪解けだぜ。
2. キャバレーといふ文字消ゆる春の雨・・・キャバレーも死語になり、遠い昔になった。消えかかったキャバレーの看板に春の雨。でもさあ。これが春だからまだいい。やさしいじゃないか。冬の雨だったらさみしすぎる。
3. 肌触り手触りよろし朧月・・・・うむ、なーんとなくエロチズムを感じる。この先は妄想の世界。
4. 留守電や名前も告げず春来たか・・・・名を告げぬ留守電はだれからだ。誰かが来たんだ。うーん春からか。 童話のようなほっこりした話。春を待つ強い心も感じるな。特選
5. 爆買ひの売場抜けをり余寒かな・・・・函館にも爆買いの波は押し寄せているんかい? こちらは田舎で、実感がないんだが。
6. 狂言師白足袋ポンと春に入る・・・お能なら冬かもしれんが、狂言師は春だな。あの生命力は春につながる。こういう一瞬をつかまえるのは作者の感性。
7. 黄砂降る新幹線は海底へ・・・黄砂を逃げて新幹線は海底へ沈んだのか。やや奥行がない。それだけ?という感じだ。
8. 春疾風唇歯の間取り持たず・・・すまんよくわからん。作者解説希望
9. 木の根開く停まったままの観覧車・・・・木の根開くがわからなくて検索したら春が近くなると木の根っこの周囲が雪がとけて、地面が見えてくる様とあった。北国ではの光景だ。春が近い。観覧車ももうじき出番だ。作者の何となく春を待つ期待感を感じる。準特選
10. 桃の花話しそびれてしまひけり・・・何を話しそびれたのだろう。何だか電話の会話を連想した。電話のそばに1輪の桃の花。「おーいこっちは咲いたぞ。そっちはどうだ・・・」・・・中国の漢詩の一説を思い出した。北国に旅立つ友人に送る作品だという。・・・・「聞くならく 彼の地いまだ雪深しと せめて君に送る江南一枝の春」
春は近い がんばろう
2016年3月17日木曜日
函館通信2-45・・・三寒四温・・・仁兵衛
二月の後半から気候変化と共に体調が極めて悪く往生していました。気力が湧いてこないのと寒さで運動不足が重なって前に進もうとする自分が居なくなっていました。猫跨ぎさんにそろそろ投句の時期じゃないと促されても身体も頭もなかなか動かず今になってしまいました。
1. 人馬良く折合ひついて木の芽風
2. キャバレーといふ文字消ゆる春の雨
3. 肌触り手触りよろし朧月
4. 留守電や名前も告げず春来たか
5. 爆買ひの売場抜けをり余寒かな
6. 狂言師白足袋ポンと春に入る
7. 黄砂降る新幹線は海底へ
8. 春疾風唇歯の間取り持たず
9. 木の根開く停まったままの観覧車
10. 桃の花話しそびれてしまひけり
さて函館は新幹線が来ると云うので何処となく沸き立っています。青函連絡船、青函トンネルそして新幹線、関係者の方々にはそれぞれの思いが湧きあがっている事でしょう。しかし本州から北海道へはやはり飛行機が便利過ぎます。一時の盛り上がりが終われば余程の物好きが利用するだけになるのではないでしょうか。それでなくともJR北海道は赤字なうえ事故が多過ぎる点が目立ってしょうがありません。
とはいえ函館に新幹線で来られる方には喜んでご案内いたしますよ。どうぞ起こしやす。
2016年3月5日土曜日
判らんこともないが・・・猫跨ぎ
まあ判らんこともないが、example 1の簡単な説明でもいいのだよ。おもしろい映画の説明は難しいが、あの俳優のあのシーンが泣かせる、だけでそうかそうかということになる。
歳時記を教え子に譲る、ねえ―教師としてまあありだろうが、一般的にはそれは俳句を嗜んだ人間がいう科白、行為であって、あなた、10年早いよ。すぐ買い直しなさいな。
そういえば、そろそろ仁ちゃんは今月の投句の構えじゃないか。
明日は亡妻の7回忌。身内だけだが、一通りの形で行う。これで年忌はおしまい。この後の十三回忌とかは子供達にまかせる。というかこっちがあっちに行ってしまう。
歳時記を教え子に譲る、ねえ―教師としてまあありだろうが、一般的にはそれは俳句を嗜んだ人間がいう科白、行為であって、あなた、10年早いよ。すぐ買い直しなさいな。
そういえば、そろそろ仁ちゃんは今月の投句の構えじゃないか。
明日は亡妻の7回忌。身内だけだが、一通りの形で行う。これで年忌はおしまい。この後の十三回忌とかは子供達にまかせる。というかこっちがあっちに行ってしまう。
うーん そういわれると困る・・・・逸徳
なんだか二人だけのやりとりになってきたなあ。 そりゃあそうだ、こんな短いスペースで説明なんかできっこない。そうではなくて、「これ美味しかったから食べてみなよ」というかるい体験報告のつもりだったんだが。実際、われわれの身のまわりでもそういうことはあるだろう。この場合、前提として書き手と読み手がよく知っている一種の信頼関係があることが必要かもしれない。 どこかの馬の骨じゃあなくて、「あいつが言うんだから、ちと食べてみるか」という気になる。 全然知らんやつがいくら言葉をつくして「食ってみろ」といってもおっかなくてたべられない。本もそうでないかな。たとえば歳時記。一冊買ったけどこれはお師匠の推薦。で、国文科にいった教え子が遊びに来てほしいというのでプレゼントしちまったけれど。
しかしこれも、読み手のポテンシャルとその方向によるかもしれんなあ。たとえば、俳句がそうで、度々お師匠に勧められたが踏み込めない。た゛が言語表現についての関心レベルはあがった。これはお師匠のおかげ。
要するに、よく知った友人が何に関心を持ち続けているのかということは、自分といっときの時空間を共有して生きたものとして、関心があるのであり、そこからの体験報告は、その時空間からの報告として、関心を持たざるを得ないのだ。他の誰でもない、よく知った友人からの報告なのだからね。
わかるということについては、また全然別の問題がある。これは話すと長くなるので、また別の機会に。
しかしこれも、読み手のポテンシャルとその方向によるかもしれんなあ。たとえば、俳句がそうで、度々お師匠に勧められたが踏み込めない。た゛が言語表現についての関心レベルはあがった。これはお師匠のおかげ。
要するに、よく知った友人が何に関心を持ち続けているのかということは、自分といっときの時空間を共有して生きたものとして、関心があるのであり、そこからの体験報告は、その時空間からの報告として、関心を持たざるを得ないのだ。他の誰でもない、よく知った友人からの報告なのだからね。
わかるということについては、また全然別の問題がある。これは話すと長くなるので、また別の機会に。
2016年3月4日金曜日
判るとは・・・猫跨ぎ
ちょっとさ、貴兄のこれは癖と言わせてもらうが、権威筋がいて面白い授業をして、実に面白いとひとり悦に入っているが、読者のこっちはなにが面白いのかついていけないんだよね。具体例を出してかいつまんででもいいが説明してくれないとね。
一般論として申し上げるが、
子供が判らないと不平をいえば、「そうだろう、大きくなってから考えてご覧」これが真っ当な対処だろうね。そういう問題は厳としてある。子供はまだ「人間」ではない。人間でなければ理解できないことがあるからね。
抽象代数学の権威があるとき、アナウンサーから「ちょっと我々に判りやすく説明して下さいませんか」といわれ、言下に「できません」と言ったという。これは極めて誠実な答だと思うね。
一般論として申し上げるが、
子供が判らないと不平をいえば、「そうだろう、大きくなってから考えてご覧」これが真っ当な対処だろうね。そういう問題は厳としてある。子供はまだ「人間」ではない。人間でなければ理解できないことがあるからね。
抽象代数学の権威があるとき、アナウンサーから「ちょっと我々に判りやすく説明して下さいませんか」といわれ、言下に「できません」と言ったという。これは極めて誠実な答だと思うね。
続・・・・逸徳
実は、前回は書きかけで、急の来客がありまったく中途半端で、下書きにしておいたつもりがそのまま投稿になっていたのでおどろいた。で、続きを・・・・
「小学生に授業」(小学館文庫)という本がある。これは京都の国際日本文化研究センターの教授たちが、隣の京都市立桂坂小学校の子供たちにやった特別授業の記録である。この企画は今も続いていて今年あたりで20回目くらいになるのではないかなあ。 この本はその第一回目の記録で9人の教授が授業を行っている。、本の編著者は河合隼雄と梅原猛というものすごい顔ぶれ。日文センターといえば、それなりに一流の知性の集まりであるといっていいだろう。
ところが、これがなかなか面白いのである。小学生にもわかるようにということで、日本の最高の知性の持ち主たちが悪戦苦闘している。しかも決して妥協していない。それがよくわかる。どこかでこの本に出会ったらご一読をすすめる。とにかく、その後日文センターの中では「小学生の授業ができないようでは、日文センターの教授はつとまらない」というジョークがささやかれるようになったそうである。
むつかしいことをむつかしいことばをつかってむつかしいままいう。これは馬でもできる。(ついでに鹿でもできるかもしれない。) むつかしいことをやさしく、やさしいことをより深くというのはほんとうにむつかしいのである。本質的なことが根底からわかっていないとできないことであろう。そのプロセスをどう組み立てたらいいか。そもそも「わかる」ということはどういうことなのか。この辺のことについて「理学部的センス」で考えてみるとどうなるのか。このあたりは、科学哲学の世界なのだろうが、すごく面白い。今のところ重力波やポアンカレ予想よりも面白いのである。
「小学生に授業」(小学館文庫)という本がある。これは京都の国際日本文化研究センターの教授たちが、隣の京都市立桂坂小学校の子供たちにやった特別授業の記録である。この企画は今も続いていて今年あたりで20回目くらいになるのではないかなあ。 この本はその第一回目の記録で9人の教授が授業を行っている。、本の編著者は河合隼雄と梅原猛というものすごい顔ぶれ。日文センターといえば、それなりに一流の知性の集まりであるといっていいだろう。
ところが、これがなかなか面白いのである。小学生にもわかるようにということで、日本の最高の知性の持ち主たちが悪戦苦闘している。しかも決して妥協していない。それがよくわかる。どこかでこの本に出会ったらご一読をすすめる。とにかく、その後日文センターの中では「小学生の授業ができないようでは、日文センターの教授はつとまらない」というジョークがささやかれるようになったそうである。
むつかしいことをむつかしいことばをつかってむつかしいままいう。これは馬でもできる。(ついでに鹿でもできるかもしれない。) むつかしいことをやさしく、やさしいことをより深くというのはほんとうにむつかしいのである。本質的なことが根底からわかっていないとできないことであろう。そのプロセスをどう組み立てたらいいか。そもそも「わかる」ということはどういうことなのか。この辺のことについて「理学部的センス」で考えてみるとどうなるのか。このあたりは、科学哲学の世界なのだろうが、すごく面白い。今のところ重力波やポアンカレ予想よりも面白いのである。
2016年3月3日木曜日
当欄の件・・・・・・・・・・・逸徳
ここにみんな出てこなくなったのは、年とったのかなあ。 とにかく身近なことに関心を割くと、もうそれでエネルギーを使い果たしそうになる。そういう点からいうと、褌子氏などは驚異的で、あれは突然変異というか、絶滅危惧種というべきかもしれない。
理学部的なセンスでいうと、原理原則にもどって考えるといことと、ものごとをわかりやすく説明するということに関心がある。
理学部的なセンスでいうと、原理原則にもどって考えるといことと、ものごとをわかりやすく説明するということに関心がある。
2016年3月2日水曜日
ペリレマンについて ・・・ 猫跨ぎ
ペリレマンについては数年前に当欄に書いたことを思いだした。一部変えて再掲させて貰う。
この前、NHKで再放送されて面白かったのは、「ポアンカレ予想」を解いたロシア天才数学者G.ペリレマンのこと。ポアンカレ予想とは、「基本群が単位元のみからなる三次元閉多様体は三次元球面と同相か」というらしいが、何のことか判らん。砕くと「3次元物体にかけた輪ゴムを一点に縮めることができるのは(トポロジカルな意味の)球面だけだ」ということらしい。これでも腑に落ちないむきは、まあ諦めるしかないが。
過去百年間、多くの数学者が挑戦し敗退を重ねた難問中の難問。
これをロシアのペリレマンが数年の思索の激闘の末、証明してしまった。多くの数学者は落胆した。理由は①先を越されてしまったこと ②手法が、当然と思われたリーマン幾何学ではなく、微分幾何学だったこと ③証明が直ぐに理解できなかったこと。その後、証明の正しさが「証明」された。
さて、話はこれからだ。彼は当然フィールズ賞の対象になったが、にべもなく断った。クレイ社の栄誉賞(100万ドル)にも見向きもしない。望めば栄光のポストも手にはいっただろうに、何の関心も示さない。
すっかり人が変わってしまったらしい。快活な青年だったが、心を閉ざし恩師や友人に会おうともせず、生まれ故郷で少々の蓄えと母親の年金で暮らしているとか。「数学は理性と情緒で、特に情緒だ」と言ったのは、岡潔だが、思索の極限はこの情緒を壊してしまたようだ。徹底した思索が人の人格も変えてしまう。そんな境地があるのだろうか。
本当だろうか。極限の思考が情緒を壊す。如何なる事にも価値を見出すことが出来なくなったかのように。その後、ペリレマンの消息は聞かない。
この前、NHKで再放送されて面白かったのは、「ポアンカレ予想」を解いたロシア天才数学者G.ペリレマンのこと。ポアンカレ予想とは、「基本群が単位元のみからなる三次元閉多様体は三次元球面と同相か」というらしいが、何のことか判らん。砕くと「3次元物体にかけた輪ゴムを一点に縮めることができるのは(トポロジカルな意味の)球面だけだ」ということらしい。これでも腑に落ちないむきは、まあ諦めるしかないが。
過去百年間、多くの数学者が挑戦し敗退を重ねた難問中の難問。
これをロシアのペリレマンが数年の思索の激闘の末、証明してしまった。多くの数学者は落胆した。理由は①先を越されてしまったこと ②手法が、当然と思われたリーマン幾何学ではなく、微分幾何学だったこと ③証明が直ぐに理解できなかったこと。その後、証明の正しさが「証明」された。
さて、話はこれからだ。彼は当然フィールズ賞の対象になったが、にべもなく断った。クレイ社の栄誉賞(100万ドル)にも見向きもしない。望めば栄光のポストも手にはいっただろうに、何の関心も示さない。
すっかり人が変わってしまったらしい。快活な青年だったが、心を閉ざし恩師や友人に会おうともせず、生まれ故郷で少々の蓄えと母親の年金で暮らしているとか。「数学は理性と情緒で、特に情緒だ」と言ったのは、岡潔だが、思索の極限はこの情緒を壊してしまたようだ。徹底した思索が人の人格も変えてしまう。そんな境地があるのだろうか。
本当だろうか。極限の思考が情緒を壊す。如何なる事にも価値を見出すことが出来なくなったかのように。その後、ペリレマンの消息は聞かない。
2016年3月1日火曜日
益川ー南部 ・・・猫跨ぎ
3月ですね。言っても詮無いが、時の流れはいや増すばかり。ところで当欄も閑古鳥で、ときたま俳句発表、鑑賞欄となり、また老人問題とか格差でわいわいやり取りはあるが、理学部OBブログとしてはいささか片手落ちか。理学的pureな気分も欲しい。
東京新聞の夕刊に素粒子ノーベル賞の益川敏英氏が半生記を連載しているが、面白い。 率直なものいいでケレン味なく、人柄がよく出ている。筆はまだノーベル賞の段階まで行っていないが、そういえば受賞当時のことを思い出した。
受賞が決まって、早速記者会見があってその席上。共同受賞の南部陽一郎氏のことに話が及ぶと、ユーモアたっぷりに回りを笑わせていた益川氏はふと黙り込み、顔を歪ませ、あれあれと思っていると、涙をハラハラとこぼしハンカチで目を押さえた。「うれしい」との一言。
受賞の小林-益川理論は「CP対称性の破れ 」理論だが、淵源は1960年の南部氏の予言にあったという。その他多くの業績を残したのに南部氏はついぞノーベル賞に縁がなかった。益川氏にいわせるととにかく早すぎた。しかしその素粒子論の枠組みは明解で示唆に富み、南部氏の論文をしゃぶり尽くすように読んだというのである。そのいわば大恩ある南部氏と共同受賞となったことで感動が込み上げてきたのだろう。実にいい話で、忘れがたい光景だった。
あと、ポアンカレ予想を解決したロシアのペレルマンの話も、感動というか、人間の知の極限を思わせるが、またいずれ。
東京新聞の夕刊に素粒子ノーベル賞の益川敏英氏が半生記を連載しているが、面白い。 率直なものいいでケレン味なく、人柄がよく出ている。筆はまだノーベル賞の段階まで行っていないが、そういえば受賞当時のことを思い出した。
受賞が決まって、早速記者会見があってその席上。共同受賞の南部陽一郎氏のことに話が及ぶと、ユーモアたっぷりに回りを笑わせていた益川氏はふと黙り込み、顔を歪ませ、あれあれと思っていると、涙をハラハラとこぼしハンカチで目を押さえた。「うれしい」との一言。
受賞の小林-益川理論は「CP対称性の破れ 」理論だが、淵源は1960年の南部氏の予言にあったという。その他多くの業績を残したのに南部氏はついぞノーベル賞に縁がなかった。益川氏にいわせるととにかく早すぎた。しかしその素粒子論の枠組みは明解で示唆に富み、南部氏の論文をしゃぶり尽くすように読んだというのである。そのいわば大恩ある南部氏と共同受賞となったことで感動が込み上げてきたのだろう。実にいい話で、忘れがたい光景だった。
あと、ポアンカレ予想を解決したロシアのペレルマンの話も、感動というか、人間の知の極限を思わせるが、またいずれ。
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