なんだか二人だけのやりとりになってきたなあ。 そりゃあそうだ、こんな短いスペースで説明なんかできっこない。そうではなくて、「これ美味しかったから食べてみなよ」というかるい体験報告のつもりだったんだが。実際、われわれの身のまわりでもそういうことはあるだろう。この場合、前提として書き手と読み手がよく知っている一種の信頼関係があることが必要かもしれない。 どこかの馬の骨じゃあなくて、「あいつが言うんだから、ちと食べてみるか」という気になる。 全然知らんやつがいくら言葉をつくして「食ってみろ」といってもおっかなくてたべられない。本もそうでないかな。たとえば歳時記。一冊買ったけどこれはお師匠の推薦。で、国文科にいった教え子が遊びに来てほしいというのでプレゼントしちまったけれど。
しかしこれも、読み手のポテンシャルとその方向によるかもしれんなあ。たとえば、俳句がそうで、度々お師匠に勧められたが踏み込めない。た゛が言語表現についての関心レベルはあがった。これはお師匠のおかげ。
要するに、よく知った友人が何に関心を持ち続けているのかということは、自分といっときの時空間を共有して生きたものとして、関心があるのであり、そこからの体験報告は、その時空間からの報告として、関心を持たざるを得ないのだ。他の誰でもない、よく知った友人からの報告なのだからね。
わかるということについては、また全然別の問題がある。これは話すと長くなるので、また別の機会に。
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