2016年3月4日金曜日

続・・・・逸徳

実は、前回は書きかけで、急の来客がありまったく中途半端で、下書きにしておいたつもりがそのまま投稿になっていたのでおどろいた。で、続きを・・・・

「小学生に授業」(小学館文庫)という本がある。これは京都の国際日本文化研究センターの教授たちが、隣の京都市立桂坂小学校の子供たちにやった特別授業の記録である。この企画は今も続いていて今年あたりで20回目くらいになるのではないかなあ。 この本はその第一回目の記録で9人の教授が授業を行っている。、本の編著者は河合隼雄と梅原猛というものすごい顔ぶれ。日文センターといえば、それなりに一流の知性の集まりであるといっていいだろう。

ところが、これがなかなか面白いのである。小学生にもわかるようにということで、日本の最高の知性の持ち主たちが悪戦苦闘している。しかも決して妥協していない。それがよくわかる。どこかでこの本に出会ったらご一読をすすめる。とにかく、その後日文センターの中では「小学生の授業ができないようでは、日文センターの教授はつとまらない」というジョークがささやかれるようになったそうである。

むつかしいことをむつかしいことばをつかってむつかしいままいう。これは馬でもできる。(ついでに鹿でもできるかもしれない。)  むつかしいことをやさしく、やさしいことをより深くというのはほんとうにむつかしいのである。本質的なことが根底からわかっていないとできないことであろう。そのプロセスをどう組み立てたらいいか。そもそも「わかる」ということはどういうことなのか。この辺のことについて「理学部的センス」で考えてみるとどうなるのか。このあたりは、科学哲学の世界なのだろうが、すごく面白い。今のところ重力波やポアンカレ予想よりも面白いのである。

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