2016年11月28日月曜日

七人の侍   ・・ 褌子

 『七人の侍』を久しぶりに観た。
 三、四回もみているかもしれないが今度、観ての感慨は、昭和29年公開の映画だから、黒沢監督も七人の俳優もみんな鬼籍に入ってしまったこと。
 志村喬、三船敏郎、木村功、加東大介、千秋実、稲葉義男、宮口精二。
 若侍の木村功と灼熱の恋をする津島恵子もその父親役の藤原鎌足も。わたしがいちばん忘れがたいサムライは宮口精二(写真の右端の久蔵)である。
 映画を作った人々も出演者もあの世に逝ってしまったが、不朽の名作はいつまでも残る。

2016年11月26日土曜日

吉村昭    ・・ 褌子

津村節子と吉村昭は夫婦作家である。
 吉村昭の闘病と臨終のときのことを『紅梅』に津村節子が書いている。吉村が息を引き取るときに「あなたは世界で最高の作家よ!」と叫ぶシーンがあり、妻が自分の夫の死に際にそんなことを叫ぶものかなあと内心思ったことがあった。
 ところが知人から借りた津村節子『果てなき便り』を読んだら、電話をかける十円玉もなかったくらい貧乏しながら、若いときから励まし合い助け合い身を刻むように小説を書いてきた夫婦の歩んだ道を、遺っていたふたりの手紙を紹介しながら綴っている。これほどの夫婦の仲なら、こころから敬愛していた夫の臨終で妻があのように叫んだ気持ちがよくわかった。
 吉村作品はほとんど読んだ気がする。代表作といわれる『戦艦武蔵』など戦史もの。『神々の沈黙』など医学もの。『羆嵐』などの害獣もの。『島抜け』など漂流もの。なかでも好きなのは『長英逃亡』や『桜田門外ノ変』などの幕末の逃亡ものかもしれない。綿密な調査をもとに万年筆のペン先からしぼりだすような淡々とした筆致。尾崎放哉の『海も暮れきる』、明治初期に北海道の原野開拓に酷使された囚人たちを描いた『赤い人』も忘れがたい。
 吉村には小説を書き出したころ、死体の骨などに執着する『星への旅』など意外な短篇集もある。しかし『戦艦武蔵』によってあの記録文学の作風を確立し生涯離れることがなかった。やはり私にとっても「世界で最高の作家」なのだ。

端っこが好き   ・・褌子

 端っこのほうが好きなのである。沖縄とか奄美とか北海道とか青森とか。利尻、礼文にも何度か行ったし、カムチャッカやボルネオの少数民族に会いに行ったこともある。
 端っこではないが福井県も若狭とか越前北ノ庄とか旧い古名のイメージが好きだった。小浜にいったときも時雨に煙る古刹が佳かったなあ。水上勉の小説のせいもあってか北陸のなかでもいちばん好きな県だった。
 ところが福井県というと今はまずまっさきに原発が頭に浮かぶ。福井の自民党政治家もまったく罪なことをしたものだ。

2016年11月24日木曜日

函館通信2‐66・・・すまんすまん・・・仁兵衛

すまんすまん、「表現」は「現」一字だけ。「表」を消すの忘れた。

あと「青を踏む」は麦踏みとは限らずもう少し広く春の草を踏む事と取って下さい。

逸徳さん、ご指摘の通りでした。
 

2016年11月23日水曜日

仁句観賞    ・・褌子

仁ちゃん
投句がちゃんと読めるように整形されていますよ。と思ったら逸徳さんがなおしてくれたのか。
わたしも風邪がなかなか治らず困っています。
1.寒暖に大差表現れ大根干す
      寒暖の差が激しいと干大根は美味くなるのだ
   「大差表」をなんと読むのかね。「たいさひょう」では味気ないが
2.青踏んだ同じ所の落ち葉踏む
        青踏みは麦踏みのことですか? 
3.そぞろ寒ピタリと嵌る合言葉
        嵌るは「はまる」なのですね。
     「そぞろ寒」が季語だと知りました。
    ピタリと嵌る合い言葉 と 季語がひびきあってる
4.支流から移ろふ紅葉おのがじし
      「おのがじし」が最初、小生には意味不明だったが字引をひいたら「それぞれが」とあった。
   奥山の支流から紅葉がてんでばらばらに始まる、谷をくだって本流沿いの渓谷も紅葉にそまってきたというならよくわかります。

☆☆☆5.鳥渡る十年日記の八年目
      シベリアから冬鳥がやってくる。「鳥渡る」の季節感はいいなあ。
   もうすぐ11月もおわり師走となる。ほんとうに一年が早い。
   年末の感じがよくでている秀句だ。
   わたしは十年日記一冊つけおえて次の冊の一年目です。
   これをつけ終えると80数才になる・・・・
☆☆6.海峡をのぞみ虫食ひ林檎食む
   これもいい句だ。海峡の青と林檎の赤。虫食ひがよい。
   てふてふが一匹韃靼海峡を飛んでいった(安西冬衛)が印象的なので
   先日、フェイスブックに書いたらたくさんコメントが寄せられた。
   このブログにも投稿したのでよろしく。
7.しぐるるや抜錨すすむ巡視船
    函館港の寒々とした晩秋の景がよくでている
 
☆8.国中に空き家増えゆく神無月
    まったく同感
9.花八つ手周りの空気読みつくす
    周りの空気読みつくす  が小生にはちと難しい

10.小春日や何処かに余白あるといふ
     小春日の雰囲気がなんとなく出ているが

2016年11月22日火曜日

僭越ながら・・・逸徳

仁ちゃん すみません 勝手に直しておきました。 作成画面のHTMLを間違ってクリックしたのではないかと思い・・・
で、お元気なようでなにより。体は老化がでてもしょうがないし、うまく折り合って日々を送るしかないと思っています。最近は運動よりも、朝風呂にはまっています。5分でいいので、温まると末端の血管が開いて、運動したのとおんなじ感じで痛みも消え、快適です。お試しあれ。
 で印象に残った仁ちゃん句を
 青踏んだ同じ所の落ち葉踏む・・・・これ、かって若草が生えていたところが今は落ち葉がいっぱいといことですかねえ。季節経過がよく感じていいですね。こういう小さい発見を作品にするのがうまいなあ
 鳥渡る十年日記の八年目 ・・・・・ あと2年あるというのがうまい。残された時間は少ない。そう思ったら、すべてがいとおしい。渡り鳥を見る目線もちがう。来年また渡りを見れるかなあ。最近ほとんど怒らなくなりました。
 しぐるるや抜錨すすむ巡視船・・・・時雨れていても巡視船は出航する。ここからどこか遠いところへ。どこへいくの。そこには何があるの。
 国中に空き家増えゆく神無月 ・・・・住む人がいない。ついでに神様までいない。ああ、史上はじめての収縮国家、収縮民族だ。
 小春日や何処かに余白あるといふ・・・・余白はなくてはいけない。何にもないという状態を感じる感性。そういうのを見つけると、なんとかして余白を埋めてしまいたくなる。こういうのは精神が病んでいると思います。

では、心はお元気で。脳さえしっかりしていれば、その余の事は付録だと思って、気楽に参りましょう。

2016年11月21日月曜日

函館通信2-65・・・11月投句・・・仁兵衛

 九月に投句して以来久々の登場です。  十月半ばから今日まで法事、叔父の葬儀、風邪ひきと全くいいとこなし。  特に風邪は咳がひどく抗生物質を四日x2種類飲みやっと先週半ば頃から一息つけるようになりました。  全く句になってないかもしれませんが宜しくご鑑賞、ご批評お願い致します。    平成二十八年十一月
1.寒暖に大差表現れ大根干す
2.青踏んだ同じ所の落ち葉踏む
3.そぞろ寒ピタリと嵌る合言葉
4.支流から移ろふ紅葉おのがじし
5.鳥渡る十年日記の八年目
6.海峡をのぞみ虫食ひ林檎食む
7.しぐるるや抜錨すすむ巡視船
8.国中に空き家増えゆく神無月
9.花八つ手周りの空気読みつくす
10.小春日や何処かに余白あるといふ
 
ここまで書いてプレビューを見たら行が変わらずに文章がみな繋がって現れてしまいました。  非常に読みにくいままです。  どうやったら直るのか何方か教えて下さい。  

2016年11月20日日曜日

韃靼    褌子

   てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった                安西冬衛  「韃靼=だったん」は、タタールともいう。シベリアやモンゴル高原から東ヨーロッパへの広大なユーラシア大陸で主に狩猟、遊牧によって暮らすモンゴル系、ツングース系、トルコ系などの実に様々な民族全体をさすことば。  中国史では北方の蛮族として匈奴、突厥、鮮卑、契丹、靺鞨(まつかつ)などの名で登場する。中世ロシアを数百年支配した「韃靼」をさして「タタールのくびき」ということばもある。   農耕民族の漢民族は北方民族の侵攻にそなえて万里の長城を築いたが元王朝としてモンゴル系の「韃靼」の支配をうけ、明のあとふたたび清王朝として満州族の女真系「韃靼」の支配をうける。   司馬遼太郎『韃靼疾風録』は清国の勃興期を舞台にした小説でなぜか日本人が登場して活躍する。清国の滅亡期をえがいた小説なら浅田次郎『蒼穹の昴』『中原の虹』『珍妃の井戸』の三部作が面白い。  266年続いて1912年の辛亥革命で滅亡した清国最後の皇帝が宣統帝の溥儀。日本軍は溥儀をひっぱりだして中国東北部に偽満州帝国をでっちあげたが13年で滅亡し満蒙開拓団など悲惨な犠牲を生み出した。 ・・  サハリン(樺太)とシベリアの間には最狭部7・3キロの海峡があることを発見したのは間宮林蔵である。日本列島側からみれば間宮海峡であるが、大陸側からみると韃靼海峡(タタール海峡)。     てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった  安西冬衛は大陸で病に倒れて、望郷の思いをこの一行詩に託した(初出昭和2年)

記憶と忘却   ・・  褌子

  個人的体験の記憶はだいたい30年で消えるのが相場だそうだ。地域全体の記憶というものは世代交代するから60年で忘れ去られるといわれる。  戦後70年を過ぎて戦争の記憶をもつ人が少なくなるころに権力者は次の戦争準備を始めるし、関東大震災から90年以上もたてば次の大震災は確実に迫っているのに東京には高層ビルが林立しヒト、ヒトであふれかえり、権力者は地震列島に立つ54もの原発再稼働に余念がない。 ・・・  千葉県の太平洋に面する九十九里浜の広大な平野の中心に茂原市がある。ここに鷲山寺(じゅせんじ)という古刹があって、山門のそばに元禄大地震(1703年)で九十九里浜が大津波で襲われ、数千名の犠牲者がでたという慰霊塔がたっていて、不意に襲ってくる大自然の天変地異をひとびとに警告しつづけている。(写真) ・・・  次は「にほん昔話」だったかの記憶だが。  ある島で魚をとって幸せに村人が暮らしていた。島の真ん中に氏神様をまつる山がある。ここの狛犬には「狛犬の目が赤くなると村を不幸が襲うので氏神様へ避難せよ」という言い伝えがある。  ところがこの平和な島を海賊が襲って住みついてしまうのである。狛犬の目もそのまま。村の悲嘆はいかばかりか。  海賊が狛犬の話を耳にして、村人をおどかしてやろうと狛犬の目をいたずらに赤くぬりつぶしてしまう。氏神様に遊びにきたこどもたちが狛犬の赤い目を発見。  「たいへんだーっ!」とこどもたちが村に急報すると人々は大騒ぎ。げらげら笑う海賊をしりめに、村人ぜんぶが長い石段をのぼって氏神様に避難するやいなや大地鳴動、大津波が襲って海賊どもは溺れてしまうのだ。

谷川俊太郎と金子兜太    ・・褌子

『ぼくはこうやって詩を書いてきた。谷川俊太郎、詩と人生を語る』(ナナロク社)が面白かった。 谷川俊太郎ことし85才。半世紀以上にわたる詩の数々を紹介しながら創作の変遷、名詩誕生の裏側、両親の素顔、三度の離婚の楽屋裏など人生のあれこれが正直に語りつくされ楽しい。  もう一冊。これは先日のほろほろ会の旅行で松山の子規記念館で買ったばかりの本。
『語る兜太 わが俳句人生 金子兜太』(岩波書店)はことし95才の俳人が縦横無尽に語って憲法九条への熱い思いもでてくる。  とくに氏が実践中の立禅が面白い。 自分の人生でお世話になったひと、戦死した学友、尊敬するひとなど順番を間違えないように百人くらいの名前を毎日一度は心中ぶつぶつ唱えるのである。熊谷の自宅から電車で東京の選句会に通うときなどこの立禅は特効があるそうだ。「電車に乗るときはバカものがたくさん乗ってるわいとつい思っても、東京駅で降りるときに、みんないい人ばかりだった(笑)」と雑念が消えると言う話しに笑ってしまった。  わたしも、いまの瞬間も世界のどこかで戦火で親を亡くしたこどもたちがいると思うと辛い。そしてアベ首相のウソにストレスがたまる今日このごろ。もうすこし、まいにち安心立命の境地で世の中よくしようと微力をつくせないものか・・・。そうだ、立禅やってみようかなと思った。 兜太自選百句から おおかみに蛍が一つ付いていた 原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む

コウキジテン    褌子

  10年くらい前。北海道の網走のペンションで朝ご飯を食べていたら食堂にみたことのない辞典があった。   『標註訂正 康熙字典 』渡部温博士編   (講談社創立80周年記念出版・復刻版・定価18000円) とある。  コウキジテンとは妙な辞典だなあとコウキ心でパラパラめくってみていたら、ママさんがコーヒーもってきて  「姉が司馬遼太郎の『韃靼疾風録』読んで中国にはまりまして中国に年中行ってる。この本も神田かどこかの古本屋で姉が買ってきたものですが、いったい何の本ですか?」と逆にきかれてしまった。   私もあわててネットで検索して次のように知ったかぶりして回答した。   清朝第4代皇帝の康煕帝(コウキテイ)は満州族ながら、漢民族が数千年かけて象形文字から発展させ何百万とあった、いわゆる「漢字」を張玉書など30名の学者に命じて整理して約五万字、214部首にまとめさせた。康煕帝は満州族の何十倍もの人口の漢民族の文化的統治の基礎をつくった名君であったと。   要するに1716年完成の『康熙字典』は近代以前の中国の最も権威ある字典で現代中国の国語字典の元祖みたいなものなのである。  大陸的なおおらかさというのかこの勅撰字典にもけっこうミスがあって、中国でも何度も補正本がでているようだ。日本では渡部温博士が徹底的に精査して1万カ所も補正して明治20年に出版した。わたしが網走でみたのはこの渡部博士の本の復刻版だったのである。  「中英」「中露」とか各国の漢字辞典が『康熙字典』の親字を使っていることはいうまでもない。現代日本の「漢和字典」記載の旧字体というのも『康熙字典』の字だとおもえばよいらしい。   私も先年、北京に行った時に書店奥に積んであったので、たった80元(1300円くらい)で買ってきた。(写真)   なお今の中国は簡体字で康煕帝が見たら目をむくような略字を使っている。台湾のほうはタイワンを「臺灣」なんて繁体字のままでがんばっているので康煕帝もあの世でよしよしと目を細めているかもしれない

2016年11月17日木曜日

ホロホロ2016年四国の旅:よさこい節・・・国兼

  四国の旅に出かけてから早1ヶ月、旅の記憶が薄れそうだが何とか思い起こしつつ記載。 「南国土佐を後にして」ペギー葉山が歌い全国的ヒット曲になったのは私の高校時代である。その時には・・・土佐の高知のはりまや橋で坊さん簪 買うをみーた・・・、何とトサノ坊主はエロいんだろうかというような印象をずっと持っていた。今回高知で5人乗りのタクシーで高知市内を観光したが、タクシーの運転手がかなりの観光案内者でいろいろ説明をしてもらった。ここに書くのはそのその運転手の受け売りである。   この播磨屋橋というのは土佐の豪商播磨屋ともう一方豪商との家の間の川にかかっていた橋の名前とか、既にその川は埋立てられ今は観光用の橋があるらしい。 簪を買った坊さんというのが、我々が牧野富太郎記念館を訪れた帰りに寄った四国31番目の札所、竹林寺の坊さんという。竹林寺という名前は中国の7賢人が俗世間を離れて竹林で風鈴談義を楽しんだという故事に由来するそうだが、生臭坊主どころか簪を買った美しい女性の相手と駆け落ちまでした悲恋の物語の坊さんという(江戸時代末のお話とか)。この「よさこい節」にはこんな深い内容があることを初めて知った次第。 ・・月の名所は桂浜・・と唄の文句にはあるがあいにくの曇りで月が見えなかったのは残念であった。   話代わって、今週のサイエンスに霊長類だけでなくネズミもくすぐると子ども同様に笑いこけ飛び回るという面白い論文が出ていた。この論文著者が別サイトに特別寄稿した内容を下記に、 http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1029670.html

2016年11月12日土曜日

鯛飯問題についての一考察  ・・   褌子

たしか宇和島の穂積屋の鯛飯はうまかった。だれだ! 三ハイもお代わりしたのは。じつはうちの女房も四万十市の出身でたまに鯛飯を炊くのだが、ようするに栗ご飯みたいに鯛の切り身が飯の中に挟まっているだけでどうってことない。宇和島のは、あの卵でといただし汁に意味があるのだ。 ところで山内さんの男根崇拝がこれほどとは。千葉県に森田健一という馬鹿な知事がいて「団塊の世代」を「ダンコンの世代」と議会で答弁してしまった。 古今亭志ん生の『鈴振り』はインターネットで聴くことができますよ。かならずイヤホンできいてください。

2016年11月11日金曜日

鯛めし問題について・・・・逸徳

鯛めしはうまかった。異議なし。で、かえってから再現しようとしたが、まず生卵。あれ黄身だけだな。白身までいれてなんだか味がぼけた。だし汁とともにいれた、国兼レポートによる「海藻」。これ明確な記憶がない。ただのキザミのりだろうか。それと、刺身。これ鯛でないとだめかなあ。カツオでやったら何か違うのだ。 鯛は高い。きどってる。くさっても鯛なんぞとほざく。くさったらだめだろうが。気取るな。 で、それよりも新発見はあの時、カツオのたたきを塩で食ったこと。これはいい。ショウユよりもカツオのうまみがよくわかる。あの時は、塩に青のり??がはいったのを使ったが、市販のクレージーソルトを利用。これでいい。お試しあれ。癖になりそう。  うまいものを食おう。美味礼賛。

2016年11月8日火曜日

ホロホロ2016「四国の旅」:鯛めし編・・・国兼

四国の旅から戻って早2週間近く経つ。記憶が薄らぐ前に楽しかった旅の思い出を残しておきたいと、特に宇和島で食べた「鯛めし」の味は忘れがたい味であった・・・。 2日目(19日)の夜、四万十川を遡って宇和島の国際ホテルに到着。ホテルの人の紹介で「穂積亭」なる海鮮料理屋に行く。地元の酒とつまみを堪能し、お腹も膨れて、さて最後はいつものように茶漬けをと頼むと、宇和島では最後の締めは鯛めしを食べるのだという。後から知ったことだが宇和島は鯛めしの本場というか、発祥の地ともいうべきか、戦国時代をはるかに遡る村上海賊由来であるらしい。 初めて食べたが、だし汁に生卵を一個かき混ぜ、その中に鯛の切り身少々と海藻類を少々入れて熱いご飯にかけて食うだけだが、だし汁の味もさることながら一気に食べ終えてしまった。店員の方が気を利かしておひつにご飯を持ってきてくれたが、お代わり、またお代わりしているうちに空になってしまった。店員もあきれたことだろう。  カミさんにもこの味をと思い松山空港で探し回ったところ、矢張り売っていたね。さっそくその冷凍の「鯛めしの素」を購入。今回の旅でのカミさんへの唯一のささやかなお土産である。帰ってきて夕食に一緒に食べようとしたら、「私は生卵が嫌いなのと、知っていて買ってきたの?」と。 アレレ・・・??? ともあれ、宇和島に行く機会があったら凸凹神社と鯛めしだけは必見と必食である。  投稿しようと思ったら逸徳さんの巨木と巨根に関するフィロソフィー的投稿が、思うにこれは志ん生の「鈴ふり」に登場する時宗、遊行寺の大僧正なら「振り切った男と鈴を鳴らしただけで垂れ下がった男の差である」と・・・?。

いくつかの質問・・・・・逸徳

いい写真だねえ。もう一つの写真はアフリカのように見えるが、褌子さんがいったのかね。しかし、なんだかおおいなる母の懐にいだかれて、安心しきったような顔をしているのがおもしろい。 で、ひとつ前から疑問に思っていることがあるのだが、巨木ではなく、巨根というとやや別の意味になってしまうのだが、逆にいうと例のあれをなぜ「巨木」といわないで「巨根」というたとえをするのだろうか。 あれが根っこにつながるという発想がよくわからん。むしろ堂々とそそりたてば、巨木というべきではないかと・・・・いったい何の話をしているのかねえ。 で、人間心理に関心のあるおいらとしては、褌子さんが、あのような巨木と向いあったとき、心の中にどんなイメージ、想いが浮かび上がっているのか興味がある。 およそ万物は、鏡としての側面があり、そのものと向かい合うことは、そこに映る何者かを見ているのではないかという気がするのだが。

巨木です  ・・・ 褌子