何年か前に河野さんの追悼文を本ブログに書いたが、この21日に下血で入院していた病院へ西沢さんから「鈴木さんが亡くなった」という電話をもらった。驚いたが、そういえば彼のホロホロ会ブログへの川柳の投稿以来、投稿が途絶えていたことを思い出した。
今日(元旦)、テレビで実業団駅伝大会を見ていた所、旭化成が優勝した。思い出すのは、2年前の2014年のホロホロ秋の旅行先は九州を計画した。勿論、その計画の大きな目的の一つは鈴木さんに会うことと、延岡周辺の見どころを計画してもらうことであった。彼の計画の中には旭化成の陸上部の成果見学コースが含まれていた(おそらくこの実業団駅伝大会での赫々たる実績を始めマラソンの宗兄弟や靴が脱げてずっこけたという谷口選手らの)。台風のために旅の直前で飛行機が飛ばず断念してしまった。彼の逝去を知り今更ながらあの台風が・・・と思う。
思えば彼は私のいた滝川の隣の砂川の南高出身で、高分子の学生時代に時折名前を呼ばずに「おい砂川南の・・」というと彼はオウム返しに「何だ滝川がと・・」。懐かしい会話を思い出す。しかし、学生時代さほどの付き合いもなく彼は九州に、砂川の人間が何で遠い九州へ行くのかとその当時思った程度である。
彼の実の姿を垣間見たのは、「五本さんを偲ぶ会」を南房総の白浜「民宿最南端」で開催したときに彼が参加した時である。その時に彼が歌った「千の風になって」の心のこもった奥行きのあるて美声に圧倒された。今でも思い出すぐらいで、秋山雅史に匹敵するのではと…。また、延岡合唱団員で毎年暮れに第9を合唱するのだという。2014年その合唱団が東京で音楽会を開催するというので西沢さんと聴きに行く約束をしていたが、その前日からの大雪でまたしても・・・。でも、私には遠い存在の、そのような音の世界の趣味を持っていたとは、学生時代にはまったく知らなかった砂川の男の姿である。
70を過ぎたら後は野となれ山となれの心境でといつか書いた記憶があるが、それでも河野さんに続く訃報の連絡、かっての仲間が一人、また一人と寂しい限りである。1月13日に「鈴木さんを偲ぶ会」が上野の例の「かよひ路」で開かれるという。是非参加して、彼の思い出を語り合いたいものと思っている。 合掌
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