直線についてのお師匠のコメントを読んでいて、ちとコメントしてみたくなった。 演劇に絡んで、舞台の空間処理ということについて、いくつか興味を持ってきた話がある。
① 時間の流れる方向について・・・・お気づきかもしれないが、演劇では下手(向かって右)が過去にからみ、上手(向かって左)が未来にかかわる。 つまり時間は右から左に流れているのである。
だから「ただいま」といって帰ってくるのは、下手からだし、「行ってきます」と旅立つのは上手に去るのである。上手から「ただいま」と舞台に登場すると(そこに劇的な必然性がない限り)不思議な違和感を感じる。だから舞台では時間は左から右に流れているのである。この感覚、どうも世界共通であるらしい。つまり空間に意味があるのであり、その意味づけは文化を超えたある種の共通点がある。 関心をお持ちだったら「グリュンバルトの図式」というので検索してください。空間に対する意味づけについてのこの図式はさまざまな立場から検証されているが、この図式の最初のものは、じつに12世紀に登場する。なぜかわからんが、神秘的です。
② 直線について ・・・・確かに自然には直線は少ない。だがもっとよく観察してみると、実はもっとも少ないのは水平線と垂直線である。斜めの直線も少ないのだが、どういうわけか違和感はすくない。たとえば流れ星の軌跡などは斜めの直線だが、直線であることを受け入れやすい。水平線はせいぜい海の水平線ぐらいであって、であるがゆえに安心感、安定感がある。ところが垂直線は極めて少ないのである。したがって舞台に垂直線が出てくると、変な違和感、落ち着きのなさを感じる。そこで舞台美術では、その違和感を軽減するために垂直線があったらそれを中和するように、わざわざその垂直線を横切る斜めの線をおくことを考える。ということで、実は竹林の光景の安定感は、垂直な幹に対して、それに交差している枝の線なのである。これは、もし枝のない竹林の光景があったら、すごく落ち着かないことでわかる。
③ 絵と同じなのかもしれないが、舞台にも重心というやつがある。舞台装置でも役者でも、それが舞台に存在した時、その存在感が舞台空間における「重さ」である。 そして、さまざまな登場物が舞台に出たとき、舞台をたったひとつの「舞台中央の支点」で支えられてバランスをとっている一枚の板だとするとその板は存在感、つまり舞台的質量の大きいもののほうに心理的に傾いてしまう。このことを作為的に利用することもあるが、舞台が傾かないように登場物が配置されていると、観客は深ーいところで「安定した舞台」だという印象を持つことが多い。このことも体験してみるとものすごく面白いのです。
まあ俳句に関係ないけど、おそまつ。
2015年2月28日土曜日
2015年2月27日金曜日
直線多し・・・猫跨ぎ
お二方から有難い御批評を戴いた。こういうやり取りは、醍醐味があるね。
先ず
・戦争は直線多しいかのぼり
「戦争」は最初、「東京」だった。余り面白くないので、作今のきな臭さから戦争とした。「山川草木悉皆神仏」ではないが、自然はみな曲線から成り立つ。人工のものは直線が多くなり、都市はそう。戦争は最たる物だ。凧(いかのぼり)を揚げている糸の弛みは、得も言われぬ曲線形状を示す。懸垂曲線の一種かな。逸徳氏の言いかけたのは、「戦争が廊下の奥に立っていた」(渡辺白泉)
・恵方巻てふ哀しきかたち冬終はる
妙な物が流行ってきたね。コンビニの作戦だろうが。実は俳句仲間から一本貰った。家に持ち帰ってしげしげと眺めた。黒々としてずんどうな形。そのままかぶりつけ、だと?哀しいというしかないではないか。季語じゃないね、まだ。それでやれやれ冬が明けたということで冬終わる、とした。
・日脚延ぶ竹林遠くで空爆
鎌倉の竹林で有名な寺での一句。綺麗な孟宗竹林に日が射して、光をランダムに反射してまぶしい。空爆の音が聞こえたような。昔の思い出ではない。同時刻の出来事。
・崩れたる成人の日の焼林檎
お二人とも関心をもって戴いた。色々な意味をこめたつもりだが。逸徳氏の最後のコメントは重要だ。作者の立ち位置はどこだ。主体か、客体か。これは、いまの俳句に共通する問題。教育者は実に鋭敏に反応するね。感心した。作品も満更でもないかな。
先ず
・戦争は直線多しいかのぼり
「戦争」は最初、「東京」だった。余り面白くないので、作今のきな臭さから戦争とした。「山川草木悉皆神仏」ではないが、自然はみな曲線から成り立つ。人工のものは直線が多くなり、都市はそう。戦争は最たる物だ。凧(いかのぼり)を揚げている糸の弛みは、得も言われぬ曲線形状を示す。懸垂曲線の一種かな。逸徳氏の言いかけたのは、「戦争が廊下の奥に立っていた」(渡辺白泉)
・恵方巻てふ哀しきかたち冬終はる
妙な物が流行ってきたね。コンビニの作戦だろうが。実は俳句仲間から一本貰った。家に持ち帰ってしげしげと眺めた。黒々としてずんどうな形。そのままかぶりつけ、だと?哀しいというしかないではないか。季語じゃないね、まだ。それでやれやれ冬が明けたということで冬終わる、とした。
・日脚延ぶ竹林遠くで空爆
鎌倉の竹林で有名な寺での一句。綺麗な孟宗竹林に日が射して、光をランダムに反射してまぶしい。空爆の音が聞こえたような。昔の思い出ではない。同時刻の出来事。
・崩れたる成人の日の焼林檎
お二人とも関心をもって戴いた。色々な意味をこめたつもりだが。逸徳氏の最後のコメントは重要だ。作者の立ち位置はどこだ。主体か、客体か。これは、いまの俳句に共通する問題。教育者は実に鋭敏に反応するね。感心した。作品も満更でもないかな。
ええそうなんです・・・・・逸徳
お前もつくったらどうだとよく言われるのですが、うーむ、そう簡単にはいかない。 演劇でいうと名監督はかならずしも名俳優にはならないので、名批評家もかならずしも名作家にはなれないのですよ。ムフフフフ・・・・
で、今日地元の小学校の評議員というのをやらされている関係で、「六年生を送る会」という学校行事に招待されていってきました。 演壇に六年生70人くらいをすわらせて、次々に下級生が、六年生に対して、歌や寸劇などで、感謝の気持ちを表していくというイベントです。下級生の言葉をきいていて泣いている6年の女の子がいると思えば、(6年と1年を学校の方針としてペアを組ませていろんな活動をしているので)世話になった、あこがれの6年生が卒業していくんだということで、1年生の中では何人も号泣している子がいて、とうとう過呼吸になり、先生に保健室にかつがれていきました。 要するにすごく純粋な部分があるのですね。 「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」 ロバートフルガム・・・という有名な本がありますが、実はこどもというのは、人間としてホントに大事なことはほとんどわかっているのではないか、という思いがどこかにあって、それを時間をかけて忘れていくのが「大人になる」ということなのではないか・・・・というキモチがあります。つまり成長とは堕落と裏表で、何かをすてていくんだという感じ。あこがれの上級生と別れたくないと号泣し、過呼吸になった子をみて、ほんとにかわいくってしょうがなかった。・・・・そんな気持ちでいたところで、パソコンをたあげたらお師匠の作品がまっていました。で、本日の特選はもうダントツで
「崩れたる成人の日の焼林檎 」
藤村をひくまでもなくリンゴは青春の象徴です。 それが崩れたという。 焼いちゃうのかよ。焼かなくてはだめか、リンゴがリンゴのままであって、なんでわるい。焼くってどういうことだ。 焼いたのは、焼かせたのはいったい誰だ。 焼かれなくては成人の日を迎えられないのか。この焼きリンゴからはちっとも甘い味はつたわってこない。 でも、やっぱりそれは「崩れている」んだな。 読んでいてなんだか、むかむかと怒りの思いがうかんできた。これではまさに大人になるって汚れることではないか。・・・・・いろんな感情がうずまいて、それだからこそ、傑作でしょう。 で、ひとつだけ思います。作者は弁明しない。それは鉄則のようなもので認めます。しかし、読者のおいらにとっては、それはただの作者ではない。同時代を生きてきた、友人としてのあなたです。 で、あなたはどこにたっているのか。・・・・・ うーん、重い。やめます。・・・・というくらいに次々に想像の羽根がひろがる傑作でした。ぜひ次の作品集に。激賞!
「遠い約束冬の雨降り止まず 」・・・・この世界、なんだか既視感がある。冬の雨降りやまず・・・歌の文句だったかなあ・・・・ 検索してみたがわからない。ああ初恋の彼女の顔を鮮明に思い出すのですよ。
「戦争は直線多しいかのぼり 」・・・・直線多しが生きた。戦争が廊下の奥でたっていたのはだれの作品でしたっけ。
「日脚伸ぶ竹林遠くで空爆 」・・・・・・うーんいただけない。「空爆」をつなげて現代の空気につなげるという意図を感じた。「空爆」のかわりに「日常的な何か」、たとえばスーパーの売り出しの声でもとおってしまわないか。
・・・・ということで、おそまつ。 飯だと山の神がよんでるのでこの辺で。
で、今日地元の小学校の評議員というのをやらされている関係で、「六年生を送る会」という学校行事に招待されていってきました。 演壇に六年生70人くらいをすわらせて、次々に下級生が、六年生に対して、歌や寸劇などで、感謝の気持ちを表していくというイベントです。下級生の言葉をきいていて泣いている6年の女の子がいると思えば、(6年と1年を学校の方針としてペアを組ませていろんな活動をしているので)世話になった、あこがれの6年生が卒業していくんだということで、1年生の中では何人も号泣している子がいて、とうとう過呼吸になり、先生に保健室にかつがれていきました。 要するにすごく純粋な部分があるのですね。 「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」 ロバートフルガム・・・という有名な本がありますが、実はこどもというのは、人間としてホントに大事なことはほとんどわかっているのではないか、という思いがどこかにあって、それを時間をかけて忘れていくのが「大人になる」ということなのではないか・・・・というキモチがあります。つまり成長とは堕落と裏表で、何かをすてていくんだという感じ。あこがれの上級生と別れたくないと号泣し、過呼吸になった子をみて、ほんとにかわいくってしょうがなかった。・・・・そんな気持ちでいたところで、パソコンをたあげたらお師匠の作品がまっていました。で、本日の特選はもうダントツで
「崩れたる成人の日の焼林檎 」
藤村をひくまでもなくリンゴは青春の象徴です。 それが崩れたという。 焼いちゃうのかよ。焼かなくてはだめか、リンゴがリンゴのままであって、なんでわるい。焼くってどういうことだ。 焼いたのは、焼かせたのはいったい誰だ。 焼かれなくては成人の日を迎えられないのか。この焼きリンゴからはちっとも甘い味はつたわってこない。 でも、やっぱりそれは「崩れている」んだな。 読んでいてなんだか、むかむかと怒りの思いがうかんできた。これではまさに大人になるって汚れることではないか。・・・・・いろんな感情がうずまいて、それだからこそ、傑作でしょう。 で、ひとつだけ思います。作者は弁明しない。それは鉄則のようなもので認めます。しかし、読者のおいらにとっては、それはただの作者ではない。同時代を生きてきた、友人としてのあなたです。 で、あなたはどこにたっているのか。・・・・・ うーん、重い。やめます。・・・・というくらいに次々に想像の羽根がひろがる傑作でした。ぜひ次の作品集に。激賞!
「遠い約束冬の雨降り止まず 」・・・・この世界、なんだか既視感がある。冬の雨降りやまず・・・歌の文句だったかなあ・・・・ 検索してみたがわからない。ああ初恋の彼女の顔を鮮明に思い出すのですよ。
「戦争は直線多しいかのぼり 」・・・・直線多しが生きた。戦争が廊下の奥でたっていたのはだれの作品でしたっけ。
「日脚伸ぶ竹林遠くで空爆 」・・・・・・うーんいただけない。「空爆」をつなげて現代の空気につなげるという意図を感じた。「空爆」のかわりに「日常的な何か」、たとえばスーパーの売り出しの声でもとおってしまわないか。
・・・・ということで、おそまつ。 飯だと山の神がよんでるのでこの辺で。
函館通信2-18・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛
道内また数多くの低気圧の来襲で東部を中心に暴風雪になりつつある。函館は雲は厚いが雪も降らず積らずで安泰です。
逸徳さんご評価・感想有難う御座いました。俳句は自分の考えている事、感じた事をいかに17文字の中にはめ込んでしかも読んで呉れる人に同じ様に感じて貰えるかと思っていたがさにあらず作者の手を離れたら勝手に解釈されて良くも悪くもなってゆくものですよ。そこに一つの面白さを感じてつくるのを楽しんでいるのです。その意味では人の作品を評価する力も作るのと同じ位大変だと最近つくづく感じている所です。
逸徳さんも褌子さんも是非俳句を作って下さいな。また、鑑賞した感想いや俺だったらこう作ると作り直してみるのも結構だと思います。お待ち致して居ります。
さて、今月の猫跨ぎ句の鑑賞結果に進みます。兎に角味のある句にどこからケチを点ければうまい汁が吸えるんじゃないかと狙っていますからね。
・冬銀河フォッサマグナの軋みたる・・・銀河と地質構造体とを持って来た所が私には解るようで解らなかった。どっちもどこか軋んでいる様だと怖いね。
・崩れたる成人の日の焼林檎・・・誰が作っているのかは想像にまかされている。そこから又新たな想像が生まれてくる。成人の日と焼林檎との取り合わせが面白かった。準特選。
・松籟に遅れマントの翻る・・・マントとは何だか昔の学生を思い出すね。熱海の海岸の貫一お宮に思いが行きそう。
・恵方巻てふ哀しきかたち冬終はる・・・これは良く判らなかった。特に中七の読み方から解説をお願いしたい。
・探梅や防災公園鎮魂碑・・・昨秋いわきを訪問したが鎮魂碑を建てる予定があると聞いた。
・遠い約束冬の雨降り止まず・・・何方との御約束かは分からぬが「遠い」と「冬の雨」で寂しさが倍加されている様に感じた。
・戦争は直線多しいかのぼり・・・中七の「直線多し」の単純で言い切った表現がすばらしい。戦争といかのぼりとの間に挟まって光を放っている様だ。特選。
・日脚延ぶ竹林遠くで空爆・・・日脚が延びれば竹林の中まで日が差して来るだろう。それまでには空爆も終わらせた方がよい。
・裏返す夜のレコード雪催・・・雪が今にも降ってきそうな空模様にはJ・コルトレーンかM・デビスの曲が似合いそう。
・体内にいつも風吹く冬鷗・・・函館の海岸でもこれは実景として見ている。上五の表現が面白い。
2015年2月25日水曜日
27.2 投句 ・・・猫跨ぎ
逸徳氏の語りを聞かされたなあ。俳句は(俳句に限らないが)一旦作者から離れてしまえば、読み手のものでもあるから、如何様にも味わえばいい。心象まで深く入り込むとは作者冥利につきるだろうね。
作り手は平均的な読者を想定しているから、判らせる仕掛けは工夫する。作りながら読者の目でしょっちゅう見直す。
砕氷船の句は、ガリンコ号なる存在は全く知らなかった。だから、私は想定外の読者というしかない。黒い犬の句は、私は手も足も出なかった。これについては作者解題にあるように作者も承知の上だろう。
まあ逸徳氏も、自句を披露してはどう?構えず自然体でやってはどうか。とにかく歳時記は買った方がいい。
遅くなったけれど、今月の作品。
・冬銀河フォッサマグナの軋みたる
・崩れたる成人の日の焼林檎
・松籟に遅れマントの翻る
・恵方巻てふ哀しきかたち冬終はる
・探梅や防災公園鎮魂碑
・遠い約束冬の雨降り止まず
・戦争は直線多しいかのぼり
・日脚伸ぶ竹林遠くで空爆
・裏返す夜のレコード雪催
・体内にいつも風吹く冬鷗
作り手は平均的な読者を想定しているから、判らせる仕掛けは工夫する。作りながら読者の目でしょっちゅう見直す。
砕氷船の句は、ガリンコ号なる存在は全く知らなかった。だから、私は想定外の読者というしかない。黒い犬の句は、私は手も足も出なかった。これについては作者解題にあるように作者も承知の上だろう。
まあ逸徳氏も、自句を披露してはどう?構えず自然体でやってはどうか。とにかく歳時記は買った方がいい。
遅くなったけれど、今月の作品。
・冬銀河フォッサマグナの軋みたる
・崩れたる成人の日の焼林檎
・松籟に遅れマントの翻る
・恵方巻てふ哀しきかたち冬終はる
・探梅や防災公園鎮魂碑
・遠い約束冬の雨降り止まず
・戦争は直線多しいかのぼり
・日脚伸ぶ竹林遠くで空爆
・裏返す夜のレコード雪催
・体内にいつも風吹く冬鷗
2015年2月24日火曜日
砕氷船・・・・・逸徳
仁ちゃんの作、じっくりあじわっているうちにお師匠の解釈が出て、なるほどと思っていたら作者のコメントが出た。 あれよあれよという感じで・・・・ コメントを書いていたが、なんだかまぬけだなあと思い、ちと角度を変えて書く。題して逸徳流俳句味わい術。
砕氷船の句・・・・ 季語なんてあんまり関係なく面白い。なぜ面白いかということについて考えてみた。 まず作品がある。言葉通り、階段を二段づつかけあがる光景である。その時の息のはずみ方や、鼓動の高鳴りまで自分の肉体的記憶を思い出す。はーはーぜーぜーである。その次に砕氷船の光景、階段のイメージから続いているので、どういうわけか宗谷やしらせはイメージしなかった。そうか、これゃ網走のほうのガリンコ号だな・・・・(と思っていたら、作者のコメントで的中。うれしかった) あの砕氷船は、しらせのように巨大なエネルギーが氷と戦って勝つという男性的な感じではなく、つつましくしかしせいいっぱい氷をガリガリとやっていて、すみません、ちょっとそこ通してください・・・という感じである。このつつましやかさが階段のぼりのぜーぜーはーはーにイメージ的においらの頭の中でぴったりつながった。そして、この作品全体の世界が、実は仁ちゃんの心象世界なのであり、こちらはただそのそばで、なんだか楽しくなるのだ。ストーブにいっしょに当たっている安心感のような・・・・ ああ、この人生きているなあと。 そう、ちゃんと生きているんだとしか言いようがない。
黒犬の句・・・・ 盲導犬のように賢い犬の話はよく聞く。だからこれは、おそらく仁ちゃんの体験ではないかと思ったらそうだったな。だって、ポストに郵便物をとりにいくというイメージは突然ではなかなかわいてこないのではないか。 なにもいわずに、雪の中をポストに郵便物をとりにいってくれた黒犬。その主人を見上げる瞳は、絶対的信頼と愛だろう。 かって、レトリーバーだと思ったが愛犬をひとりぼっちで留守番させて、留守中どういう行動をとるかというのを隠しカメラでとった記録を見たことがある。悲しそうな泣き声をあげて犬は8割以上、玄関でドアのほうを向いて座っていたそうである。絶対的な、純粋な愛というべきだろう。 この光景は涙が出てきた。 これは主人の側からみたら、暖かな春のイメージにぴったりとつながる。 そして、それを見分しているのが作者つまり仁ちゃんなのだ。 どんな思いが作者の心象風景の中に展開したか。想像するだけでも面白い。
つまりは、知っている人の作品を味わうということは、なんのことはない、そのよく知っている人の心象風景をのぞきこんで、いっしょに泣いたり笑ったり感じたりすることなのだろう。それが面白い。時空をこえて、その人の生を感じる幸せである。 おそまつ
砕氷船の句・・・・ 季語なんてあんまり関係なく面白い。なぜ面白いかということについて考えてみた。 まず作品がある。言葉通り、階段を二段づつかけあがる光景である。その時の息のはずみ方や、鼓動の高鳴りまで自分の肉体的記憶を思い出す。はーはーぜーぜーである。その次に砕氷船の光景、階段のイメージから続いているので、どういうわけか宗谷やしらせはイメージしなかった。そうか、これゃ網走のほうのガリンコ号だな・・・・(と思っていたら、作者のコメントで的中。うれしかった) あの砕氷船は、しらせのように巨大なエネルギーが氷と戦って勝つという男性的な感じではなく、つつましくしかしせいいっぱい氷をガリガリとやっていて、すみません、ちょっとそこ通してください・・・という感じである。このつつましやかさが階段のぼりのぜーぜーはーはーにイメージ的においらの頭の中でぴったりつながった。そして、この作品全体の世界が、実は仁ちゃんの心象世界なのであり、こちらはただそのそばで、なんだか楽しくなるのだ。ストーブにいっしょに当たっている安心感のような・・・・ ああ、この人生きているなあと。 そう、ちゃんと生きているんだとしか言いようがない。
黒犬の句・・・・ 盲導犬のように賢い犬の話はよく聞く。だからこれは、おそらく仁ちゃんの体験ではないかと思ったらそうだったな。だって、ポストに郵便物をとりにいくというイメージは突然ではなかなかわいてこないのではないか。 なにもいわずに、雪の中をポストに郵便物をとりにいってくれた黒犬。その主人を見上げる瞳は、絶対的信頼と愛だろう。 かって、レトリーバーだと思ったが愛犬をひとりぼっちで留守番させて、留守中どういう行動をとるかというのを隠しカメラでとった記録を見たことがある。悲しそうな泣き声をあげて犬は8割以上、玄関でドアのほうを向いて座っていたそうである。絶対的な、純粋な愛というべきだろう。 この光景は涙が出てきた。 これは主人の側からみたら、暖かな春のイメージにぴったりとつながる。 そして、それを見分しているのが作者つまり仁ちゃんなのだ。 どんな思いが作者の心象風景の中に展開したか。想像するだけでも面白い。
つまりは、知っている人の作品を味わうということは、なんのことはない、そのよく知っている人の心象風景をのぞきこんで、いっしょに泣いたり笑ったり感じたりすることなのだろう。それが面白い。時空をこえて、その人の生を感じる幸せである。 おそまつ
2015年2月20日金曜日
函館通信2-17・・・砕氷船・・・仁兵衛
猫跨ぎさん、早速のご評価有難う御座います。少し説明を入れときましょう。
「砕氷船」・・・一般冬の季語としてはやはり無理がありましたね。ここでは南極観測船に兼ね備えた砕氷ではなく10年ぐらい前から網走や北見で運航が始まった観光砕氷船ーガリンコ号ーの事です。適度に流氷が来た時にその中をガリガリやりながら進み流氷の上の生き物の生態を見せるのを売りにしています。特にここ2,3年は中国(台湾)の観光客が半分以上占めるそうです。その意味で道内では砕氷船というとこの船の事が占めてしまいます。まあ地方季語としてこれから定着するかもしれません。
「ポスト迄春取りに行く黒い犬」・・・これは全く私の思い入れがいじり過ぎにまでになってしまった句です。解らなくて当然で原句は「新聞を咥へ黒犬春隣」だったと思います。
その思い入れとは、市の郊外で銃砲店を営んでいる友人宅に行って珈琲を飲んでいたら郵便屋が雪の中にあるポストに郵便物を置いていった。一方その家には難病で20年以上寝たきりになっている長男がおり夫婦でその世話をしているので郵便物を取りに行くのは黒のラブラドル犬の仕事になっている。たまたまその実景を見たので感じ入ってしまった次第。後は推敲しようとすればするほど泥沼に入って行ってしまったようです。ちなみにこの男は68歳でバイアスロンの現役の選手です。
「砕氷船」・・・一般冬の季語としてはやはり無理がありましたね。ここでは南極観測船に兼ね備えた砕氷ではなく10年ぐらい前から網走や北見で運航が始まった観光砕氷船ーガリンコ号ーの事です。適度に流氷が来た時にその中をガリガリやりながら進み流氷の上の生き物の生態を見せるのを売りにしています。特にここ2,3年は中国(台湾)の観光客が半分以上占めるそうです。その意味で道内では砕氷船というとこの船の事が占めてしまいます。まあ地方季語としてこれから定着するかもしれません。
「ポスト迄春取りに行く黒い犬」・・・これは全く私の思い入れがいじり過ぎにまでになってしまった句です。解らなくて当然で原句は「新聞を咥へ黒犬春隣」だったと思います。
その思い入れとは、市の郊外で銃砲店を営んでいる友人宅に行って珈琲を飲んでいたら郵便屋が雪の中にあるポストに郵便物を置いていった。一方その家には難病で20年以上寝たきりになっている長男がおり夫婦でその世話をしているので郵便物を取りに行くのは黒のラブラドル犬の仕事になっている。たまたまその実景を見たので感じ入ってしまった次第。後は推敲しようとすればするほど泥沼に入って行ってしまったようです。ちなみにこの男は68歳でバイアスロンの現役の選手です。
2015年2月18日水曜日
27.2 仁句鑑賞・・・猫跨ぎ
熊さんのメールが国兼サイトで、迷惑メールと判定されたのは面白い―とは不謹慎かな。プロバイダーがそれぞれにセキュリティを上げているせいか、理由不詳で届かないケースを私も偶に経験する。こういう場合、困るね。
当地は二日続けて終日、冷たい雨。北海道は、とくに道東はこのところ酷いね。
当地は二日続けて終日、冷たい雨。北海道は、とくに道東はこのところ酷いね。
さて仁句鑑賞。
・ ラジオから六時の時報ヒヤシンス
作者も深夜放送聴取者だろうか。或いは早起きか。夜明けの遅いこの季節、六時の時報でようやく日が明けたという感じ。ヒヤシンスは水栽培だろう。窓際にあって、剣状の葉が印象的。
・ 内孫も外孫もなし鬼遣ひ
内孫、外孫ともにいる身分となったが、どちらがどうと殆ど意識しないね。訳の分からない動物から次第に人間になっていくさまが面白い。直ぐに、いっぱしの口をきくんだなあ。「鬼は外」ではしゃぎまわる。
・ 階段を二段跳びして砕氷船
「しらせ」は昔の「宗谷」に比べ格段の砕氷能力をもつ。氷に乗り上げて割って行くのだろう。そのさまを詠ったか。砕氷船は季語かなあ。
・ 立春やすぐに口閉ず貝の数
砂出しで容器にいれた浅蜊か蜆のさまか。あんぐりと口を開いていたのが、コンと壁をたたくと多くが口を閉ざす。立春とよく響いている。準特選。
・ オカリナの音は何色水温し
宗次郎のCDをよく聞く。彼はオカリナを自作するが、百個焼いて、演奏会に使えるのは2~3個らしい。透明感のある音色はいいね。さて、なにいろと言うのか、なんしょくと呼ぶのか、どちらかな。まあ、なにいろだろうね。
・ 猫の恋テレビ音声上げにけり
夜半、外から聞こえる哀しげな大声。結構続くんだよね。思わずボリュームを上げたさまか。
・ ポストまで春取りに行く黒い犬
これ判らないね。ポストは街角のもの、それとも私設のものか。黒い犬も実在か象徴的なものか。春取りとは。そう、全部判らない。
・ 春きざす跡継ぎのない和菓子食む
跡継ぎのいない老舗の和菓子屋の大福なんかを食べている。うぐいす餅かなんだろう。「街の雨鶯餅はもうでたか 青邨」なんて風情だね。
・ 濾紙の珈琲教室しずり雪
ドリップ式コーヒーを淹れている景。フィルターからぽたぽた落ちる様を、しずり雪に見立てている。新鮮で面白い。特選。
・ アイロンのスチーム停まり梅だより
アイロンなんか掛けなくなってどれくらいになるかな。スチーム音が急に止まったのだろう。テレビから梅の開花が聞こえてきた。こういう取り合わせも意表をついている。ホロホロ会春の例会
国兼さん、連絡ありがとうございました。
タイミングよく4月に上京する計画があり4日から12日まで在京です。
散策と懇親会、両方参加させてください。よろしくお願い致します。
なぜか国兼さんへの返信メールが”送信できませんでした”とのコメント。いろいろやりかけたけど面倒なので本ブログでとりあえず返事だけしておきます。
タイミングよく4月に上京する計画があり4日から12日まで在京です。
散策と懇親会、両方参加させてください。よろしくお願い致します。
なぜか国兼さんへの返信メールが”送信できませんでした”とのコメント。いろいろやりかけたけど面倒なので本ブログでとりあえず返事だけしておきます。
2015年2月17日火曜日
函館通信2-16・・・雪風巻く・・・仁兵衛
相変わらず足腰の弱さに悩まされて寒さに耐えている。
寒さと云えば今の函館の情景を素直に 「A面の春の声B面の冬の色」 と詠んで句仲間に見せたのだが季重なりの上に字余りなためもあってか見向きもされなかった。しかし今の街の状態を上手く表現していると思うんだがなー。
北国の冬は除雪という余分な経費が掛るが幸いに函館は1月の平均気温は平年より高く2月に入っても吹雪いたというのはまだ1回だけだ。低気圧の中心位置の僅かな差によって暴風雪になる地方が決まりそれに襲われた所はどこも大変だ。今年は知床付近が酷かった様だ。
そんな中から2月度10句よれよれになりながら提出します皆さん宜しく。
・ ラジオから六時の時報ヒヤシンス
・ 内孫も外孫もなし鬼遣ひ
・ 階段を二段跳びして砕氷船
・ 立春やすぐに口閉ず貝の数
・ オカリナの音は何色水温し
・ 猫の恋テレビ音声上げにけり
・ ポストまで春取りに行く黒い犬
・ 春きざす跡継ぎのない和菓子食む
・ 濾紙の珈琲教室しずり雪
・ アイロンのスチーム停まり梅だより
寒さと云えば今の函館の情景を素直に 「A面の春の声B面の冬の色」 と詠んで句仲間に見せたのだが季重なりの上に字余りなためもあってか見向きもされなかった。しかし今の街の状態を上手く表現していると思うんだがなー。
北国の冬は除雪という余分な経費が掛るが幸いに函館は1月の平均気温は平年より高く2月に入っても吹雪いたというのはまだ1回だけだ。低気圧の中心位置の僅かな差によって暴風雪になる地方が決まりそれに襲われた所はどこも大変だ。今年は知床付近が酷かった様だ。
そんな中から2月度10句よれよれになりながら提出します皆さん宜しく。
・ ラジオから六時の時報ヒヤシンス
・ 内孫も外孫もなし鬼遣ひ
・ 階段を二段跳びして砕氷船
・ 立春やすぐに口閉ず貝の数
・ オカリナの音は何色水温し
・ 猫の恋テレビ音声上げにけり
・ ポストまで春取りに行く黒い犬
・ 春きざす跡継ぎのない和菓子食む
・ 濾紙の珈琲教室しずり雪
・ アイロンのスチーム停まり梅だより
2015年2月12日木曜日
形の素・・・猫跨ぎ
話は前後するが、逸徳氏の「形の素」なる本。東京へ出た折、三省堂で現物を見て面白いので買ってきた。赤木さんの塗椀中心の漆塗りのあれこれを見て思うには、椀はその形状からやむを得ないが写真は横からの視野ものが多い。内側とか底面なんかを見たいし、まあ出来れば触ってみたい。道具は人間に使われてなんぼのもの。その歴史が染み込んでいるものは矢張り文句なしにいい。本物の塗椀で毎日、飯と味噌汁をと思っているが機会がないので、中国製の漆塗(と称している)の椀二つ買ってきて使っている。木の風合いはよろしい。
内田氏の焼き物、長谷川氏の工芸品も面白い。昔の、芸術的意図のカケラもない職人の手仕事のあれこれ。みな、掌に収まる小物類なのだろうが、みな温もりがあり、力がある。貧相でなく、おもねらない。骨董の世界に入ってしまうとその世界の値札を背負ってしまうが、それに分類されないものも世の中に沢山ある。どこかへ行ったおりに見つけたりする。
この本で一番印象深かったのは、出土した六本の磨製石器。硬い石なのにふっくらと柔らかい。その表現がよく判る。もちろんこれは道具なのだ。
内田氏の焼き物、長谷川氏の工芸品も面白い。昔の、芸術的意図のカケラもない職人の手仕事のあれこれ。みな、掌に収まる小物類なのだろうが、みな温もりがあり、力がある。貧相でなく、おもねらない。骨董の世界に入ってしまうとその世界の値札を背負ってしまうが、それに分類されないものも世の中に沢山ある。どこかへ行ったおりに見つけたりする。
この本で一番印象深かったのは、出土した六本の磨製石器。硬い石なのにふっくらと柔らかい。その表現がよく判る。もちろんこれは道具なのだ。
お目々を汚すようですが・・・FBから転載 褌子
大学生たち青年4名に消費税の話しをとつぜん頼まれた。
夕べ遅くに頼まれて休日の今朝10時からの2時間の講義であるからレジメは間に合わない。
読んではいないが、ききかじりの『21世紀の資本』のピケティの主張をまず紹介する。子は親を選べないこと。富裕層の富は子孫へと相続され格差はいっそう開いていくこと。資本主義国が国際的に協力してユニクロの柳井社長のような多国籍化しつつある超富裕層の所得に累進総合直接課税することが、格差社会をつくらないために絶対不可欠であること。
なぜ所得税、住民税、法人税などの直接税でないとダメなのか。なぜ累進課税でないとダメなのか。なぜ利子所得も不動産所得も配当所得も総合しないとダメなのか。ここまで大体なんとなくわかったような納得顔してもらうのに約30分。
労働者階級の税への関心を眠り込ませる源泉徴収制度はナチスドイツが発明したといったら、一人がスマホですぐ確認して、「間違いありません」と講義を応援してくれた。税と軍備、税と治安から教育と兵隊、志願兵と経済的徴兵制(新自由主義的徴兵制がすでに日本でも実施)などに話しが脱線気味。
日本国憲法の国民主権の大原則と申告納税制度の関係は十数分とってきちんと話す。応能負担の原則は人類の階級社会発生以来の人民の闘争の成果であることを百姓一揆などから説明したかったが時間的に無理だった。最初の社会主義国(だったはずの・・)ソ連が創設した社会保障制度が資本主義国に与えた巨大な影響。年金納付と社会保険料という税金の性格。軍人恩給と強兵つくるために日本の国民健康保険制度誕生の二面性などでまた脱線。ここまででだいたい1時間20分くらい経過。
いよいよ消費税(大型間接税・売上税・付加価値税)のはなし。
直間比率とは。消費税は最悪の大衆課税であり、負担率は収入のすべてを衣食住につかう低所得者ほど重い最悪の不公平税制、不正義の税制であること。ここいらへんは日々学生達も実感しているだけにわかりが早い。
政府のいう「薄く広く」のインチキ。消費税は社会保障に使うのインチキ。「小さく産んで大きく育てる」悪税の税率アップ戦術。
派遣大手パソナの竹中平蔵会長が「正社員はいらない。ぜんぶ派遣社員にしろ」という背景には「消費税納税額=8%×(課税売り上げ-課税仕入れ)」で労働者への賃金でなく派遣会社への支払いだと課税仕入れに計上できて納税額を減らせるのだという話しをしたら、いっせいに、ヘーそうなんだあ!とブラックバイト問題に関心がある青年たちだけに理解がじつに早い。
さらにトヨタ自動車などが外国に車を売った場合は課税売り上げがゼロになり、下請け会社に親会社のトヨタが払った消費税額がごっそり国庫からトヨタに戻される「戻し税」の仕組みを説明する。大学生たちはそんな馬鹿な~という顔をしている。増税3兄弟の公明党が主張している軽減税率は「貧乏人宅に押し入った強盗が、あまりの貧乏ぶりに同情して盗む金を軽減してあげます」といっているようなものだとこきおろしたが、説明不足でキョトン。この軽減税率というのは三枚複写のインボイスこと送り状が必要で零細業者は事務負担に耐えられないことも、北欧諸国の消費税問題や日本の消費税廃止の展望などについては話さないうちに2時間の講義時間切れとなった。
労働者には渋チンのトヨタなどがなぜ自民党に莫大な政治献金をするのか、なぜ政党助成金が憲法違反なのかも話せなかった。
いっせい地方選挙がおわったら、またの機会に、マルクスの「資本論」のさわりと消費税の話をしてみたいと思った。
つまり、次のような話し。→消費税は労働者の生活費にまるまる課税している。労働者の生活費はすべて賃金でまかなわれている。賃金=生活費とは「労働力の再生産費(衣食住だけでなく子どもの出産、教育費まで含む)」である。消費税は「労働力の再生産費」にまるごと課税しており、すでに資本家の手で賃金部分から所得税・住民税などが国家のために源泉徴収されているのに残った賃金に消費税が課税されることは直間の二重課税になる。税率アップなどは誠にとんでもない。さらに労働者はすでに剰余労働によって資本家に剰余価値を提供、搾取されており資本主義社会の社会全体の富はすべて労働者の過去の剰余労働がうみだした富の集積であり、それは自己増殖している。そこに国際的な連帯による民主的規制として累進総合直接課税をやることなく、労働者階級の生活費にだけ消費税をかけることは資本主義国家による二重の搾取になるのではないか・・など等―――――ここいらへんは不勉強なのできちんと勉強しないと青年たちにウソをしゃべってしまうことになるので自戒したい。
(追記=日本型消費税のからくりがじつは間接税ではなく直接税ではないか。輸出戻し税というのは実質は輸出大企業への補助金である。公明党の主張する軽減税率というのは食品大手産業への補助金の性格をもつ・・・など、藤原甚吉さんが詳しくフェイスブック上で考察しておられることをご紹介します。民商運動をかつて経験した私も納税者と担税者が別という間接税の原則があっても、日本型消費税は転嫁が不可能な弱小の中小商工業者にとって過酷きわまる第二事業税であり死に至る病だといわざるをえないこと。将来の民主連合政府の大きな仕事のひとつに消費税廃止問題があるのではないかと私は思っていることを付記します)(余談= 子どもは親を選べない。芥川龍之介『河童』では河童の胎児に「おーい生まれてきたいかー?どうする」と意思確認することになっていますね。合理的だワイと思ったものだが、河童型資本主義社会は、ひとにぎりの資本家の子どもばかりになって肝心の社会の富をつくる労働者階級の子どもがさっぱり生まれてくる気がない。そうすると河童型資本主義生産様式はたちまち崩壊する。そうすると・・・(笑い)
夕べ遅くに頼まれて休日の今朝10時からの2時間の講義であるからレジメは間に合わない。
読んではいないが、ききかじりの『21世紀の資本』のピケティの主張をまず紹介する。子は親を選べないこと。富裕層の富は子孫へと相続され格差はいっそう開いていくこと。資本主義国が国際的に協力してユニクロの柳井社長のような多国籍化しつつある超富裕層の所得に累進総合直接課税することが、格差社会をつくらないために絶対不可欠であること。
なぜ所得税、住民税、法人税などの直接税でないとダメなのか。なぜ累進課税でないとダメなのか。なぜ利子所得も不動産所得も配当所得も総合しないとダメなのか。ここまで大体なんとなくわかったような納得顔してもらうのに約30分。
労働者階級の税への関心を眠り込ませる源泉徴収制度はナチスドイツが発明したといったら、一人がスマホですぐ確認して、「間違いありません」と講義を応援してくれた。税と軍備、税と治安から教育と兵隊、志願兵と経済的徴兵制(新自由主義的徴兵制がすでに日本でも実施)などに話しが脱線気味。
日本国憲法の国民主権の大原則と申告納税制度の関係は十数分とってきちんと話す。応能負担の原則は人類の階級社会発生以来の人民の闘争の成果であることを百姓一揆などから説明したかったが時間的に無理だった。最初の社会主義国(だったはずの・・)ソ連が創設した社会保障制度が資本主義国に与えた巨大な影響。年金納付と社会保険料という税金の性格。軍人恩給と強兵つくるために日本の国民健康保険制度誕生の二面性などでまた脱線。ここまででだいたい1時間20分くらい経過。
いよいよ消費税(大型間接税・売上税・付加価値税)のはなし。
直間比率とは。消費税は最悪の大衆課税であり、負担率は収入のすべてを衣食住につかう低所得者ほど重い最悪の不公平税制、不正義の税制であること。ここいらへんは日々学生達も実感しているだけにわかりが早い。
政府のいう「薄く広く」のインチキ。消費税は社会保障に使うのインチキ。「小さく産んで大きく育てる」悪税の税率アップ戦術。
派遣大手パソナの竹中平蔵会長が「正社員はいらない。ぜんぶ派遣社員にしろ」という背景には「消費税納税額=8%×(課税売り上げ-課税仕入れ)」で労働者への賃金でなく派遣会社への支払いだと課税仕入れに計上できて納税額を減らせるのだという話しをしたら、いっせいに、ヘーそうなんだあ!とブラックバイト問題に関心がある青年たちだけに理解がじつに早い。
さらにトヨタ自動車などが外国に車を売った場合は課税売り上げがゼロになり、下請け会社に親会社のトヨタが払った消費税額がごっそり国庫からトヨタに戻される「戻し税」の仕組みを説明する。大学生たちはそんな馬鹿な~という顔をしている。増税3兄弟の公明党が主張している軽減税率は「貧乏人宅に押し入った強盗が、あまりの貧乏ぶりに同情して盗む金を軽減してあげます」といっているようなものだとこきおろしたが、説明不足でキョトン。この軽減税率というのは三枚複写のインボイスこと送り状が必要で零細業者は事務負担に耐えられないことも、北欧諸国の消費税問題や日本の消費税廃止の展望などについては話さないうちに2時間の講義時間切れとなった。
労働者には渋チンのトヨタなどがなぜ自民党に莫大な政治献金をするのか、なぜ政党助成金が憲法違反なのかも話せなかった。
いっせい地方選挙がおわったら、またの機会に、マルクスの「資本論」のさわりと消費税の話をしてみたいと思った。
つまり、次のような話し。→消費税は労働者の生活費にまるまる課税している。労働者の生活費はすべて賃金でまかなわれている。賃金=生活費とは「労働力の再生産費(衣食住だけでなく子どもの出産、教育費まで含む)」である。消費税は「労働力の再生産費」にまるごと課税しており、すでに資本家の手で賃金部分から所得税・住民税などが国家のために源泉徴収されているのに残った賃金に消費税が課税されることは直間の二重課税になる。税率アップなどは誠にとんでもない。さらに労働者はすでに剰余労働によって資本家に剰余価値を提供、搾取されており資本主義社会の社会全体の富はすべて労働者の過去の剰余労働がうみだした富の集積であり、それは自己増殖している。そこに国際的な連帯による民主的規制として累進総合直接課税をやることなく、労働者階級の生活費にだけ消費税をかけることは資本主義国家による二重の搾取になるのではないか・・など等―――――ここいらへんは不勉強なのできちんと勉強しないと青年たちにウソをしゃべってしまうことになるので自戒したい。
(追記=日本型消費税のからくりがじつは間接税ではなく直接税ではないか。輸出戻し税というのは実質は輸出大企業への補助金である。公明党の主張する軽減税率というのは食品大手産業への補助金の性格をもつ・・・など、藤原甚吉さんが詳しくフェイスブック上で考察しておられることをご紹介します。民商運動をかつて経験した私も納税者と担税者が別という間接税の原則があっても、日本型消費税は転嫁が不可能な弱小の中小商工業者にとって過酷きわまる第二事業税であり死に至る病だといわざるをえないこと。将来の民主連合政府の大きな仕事のひとつに消費税廃止問題があるのではないかと私は思っていることを付記します)(余談= 子どもは親を選べない。芥川龍之介『河童』では河童の胎児に「おーい生まれてきたいかー?どうする」と意思確認することになっていますね。合理的だワイと思ったものだが、河童型資本主義社会は、ひとにぎりの資本家の子どもばかりになって肝心の社会の富をつくる労働者階級の子どもがさっぱり生まれてくる気がない。そうすると河童型資本主義生産様式はたちまち崩壊する。そうすると・・・(笑い)
2015年2月8日日曜日
ニュースをひとつ・・・・逸徳
能登の赤木さんが本を出した。仲間と一緒で「形の素」という。著者は赤木明登、内田鋼一、長谷川竹次郎。美術出版社 2700円。 三人の骨董のコレクションの紹介です。本屋で見つけて面白いと思っていたら、今日の朝日の読書欄に紹介されていた。 なかなかおもしろい。3人とも工芸作家だが、書評では「鑑賞者としての作者たちとであえる貴重な機会」とあった。言い得て妙である。理屈はいらない。ただ感じることのむつかしさ。ご一覧をおすすめ。・・・・・弟子の孕石さんもがんばっているようで、すっかり職人になり、かぶれなくなったと賀状に書いてあったよ。・・・・また、ゆっくりとたずねたい旅だったなあ。
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