2015年2月28日土曜日

空間について・・・・・逸徳

直線についてのお師匠のコメントを読んでいて、ちとコメントしてみたくなった。 演劇に絡んで、舞台の空間処理ということについて、いくつか興味を持ってきた話がある。
① 時間の流れる方向について・・・・お気づきかもしれないが、演劇では下手(向かって右)が過去にからみ、上手(向かって左)が未来にかかわる。 つまり時間は右から左に流れているのである。
だから「ただいま」といって帰ってくるのは、下手からだし、「行ってきます」と旅立つのは上手に去るのである。上手から「ただいま」と舞台に登場すると(そこに劇的な必然性がない限り)不思議な違和感を感じる。だから舞台では時間は左から右に流れているのである。この感覚、どうも世界共通であるらしい。つまり空間に意味があるのであり、その意味づけは文化を超えたある種の共通点がある。 関心をお持ちだったら「グリュンバルトの図式」というので検索してください。空間に対する意味づけについてのこの図式はさまざまな立場から検証されているが、この図式の最初のものは、じつに12世紀に登場する。なぜかわからんが、神秘的です。
② 直線について ・・・・確かに自然には直線は少ない。だがもっとよく観察してみると、実はもっとも少ないのは水平線と垂直線である。斜めの直線も少ないのだが、どういうわけか違和感はすくない。たとえば流れ星の軌跡などは斜めの直線だが、直線であることを受け入れやすい。水平線はせいぜい海の水平線ぐらいであって、であるがゆえに安心感、安定感がある。ところが垂直線は極めて少ないのである。したがって舞台に垂直線が出てくると、変な違和感、落ち着きのなさを感じる。そこで舞台美術では、その違和感を軽減するために垂直線があったらそれを中和するように、わざわざその垂直線を横切る斜めの線をおくことを考える。ということで、実は竹林の光景の安定感は、垂直な幹に対して、それに交差している枝の線なのである。これは、もし枝のない竹林の光景があったら、すごく落ち着かないことでわかる。
③ 絵と同じなのかもしれないが、舞台にも重心というやつがある。舞台装置でも役者でも、それが舞台に存在した時、その存在感が舞台空間における「重さ」である。 そして、さまざまな登場物が舞台に出たとき、舞台をたったひとつの「舞台中央の支点」で支えられてバランスをとっている一枚の板だとするとその板は存在感、つまり舞台的質量の大きいもののほうに心理的に傾いてしまう。このことを作為的に利用することもあるが、舞台が傾かないように登場物が配置されていると、観客は深ーいところで「安定した舞台」だという印象を持つことが多い。このことも体験してみるとものすごく面白いのです。
     
       まあ俳句に関係ないけど、おそまつ。

1 件のコメント:

  1. おもしろいはなしですね。
    ところで「舞台用語の「上手」は客席から舞台を見たときの右側、「下手」が左側ではなかったかなぁ? 逸徳氏の記述を読んでいると頭が混乱しそう。単純に右と左を逆に記載してしまった、と受け取っていいですかね。  /九州の熊

    返信削除