2015年2月27日金曜日

直線多し・・・猫跨ぎ

  お二方から有難い御批評を戴いた。こういうやり取りは、醍醐味があるね。

先ず
・戦争は直線多しいかのぼり
「戦争」は最初、「東京」だった。余り面白くないので、作今のきな臭さから戦争とした。「山川草木悉皆神仏」ではないが、自然はみな曲線から成り立つ。人工のものは直線が多くなり、都市はそう。戦争は最たる物だ。凧(いかのぼり)を揚げている糸の弛みは、得も言われぬ曲線形状を示す。懸垂曲線の一種かな。逸徳氏の言いかけたのは、「戦争が廊下の奥に立っていた」(渡辺白泉)

・恵方巻てふ哀しきかたち冬終はる
 妙な物が流行ってきたね。コンビニの作戦だろうが。実は俳句仲間から一本貰った。家に持ち帰ってしげしげと眺めた。黒々としてずんどうな形。そのままかぶりつけ、だと?哀しいというしかないではないか。季語じゃないね、まだ。それでやれやれ冬が明けたということで冬終わる、とした。

・日脚延ぶ竹林遠くで空爆
  鎌倉の竹林で有名な寺での一句。綺麗な孟宗竹林に日が射して、光をランダムに反射してまぶしい。空爆の音が聞こえたような。昔の思い出ではない。同時刻の出来事。

 ・崩れたる成人の日の焼林檎
  お二人とも関心をもって戴いた。色々な意味をこめたつもりだが。逸徳氏の最後のコメントは重要だ。作者の立ち位置はどこだ。主体か、客体か。これは、いまの俳句に共通する問題。教育者は実に鋭敏に反応するね。感心した。作品も満更でもないかな。

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