2015年2月24日火曜日

砕氷船・・・・・逸徳

仁ちゃんの作、じっくりあじわっているうちにお師匠の解釈が出て、なるほどと思っていたら作者のコメントが出た。 あれよあれよという感じで・・・・ コメントを書いていたが、なんだかまぬけだなあと思い、ちと角度を変えて書く。題して逸徳流俳句味わい術。
 
 
砕氷船の句・・・・ 季語なんてあんまり関係なく面白い。なぜ面白いかということについて考えてみた。 まず作品がある。言葉通り、階段を二段づつかけあがる光景である。その時の息のはずみ方や、鼓動の高鳴りまで自分の肉体的記憶を思い出す。はーはーぜーぜーである。その次に砕氷船の光景、階段のイメージから続いているので、どういうわけか宗谷やしらせはイメージしなかった。そうか、これゃ網走のほうのガリンコ号だな・・・・(と思っていたら、作者のコメントで的中。うれしかった) あの砕氷船は、しらせのように巨大なエネルギーが氷と戦って勝つという男性的な感じではなく、つつましくしかしせいいっぱい氷をガリガリとやっていて、すみません、ちょっとそこ通してください・・・という感じである。このつつましやかさが階段のぼりのぜーぜーはーはーにイメージ的においらの頭の中でぴったりつながった。そして、この作品全体の世界が、実は仁ちゃんの心象世界なのであり、こちらはただそのそばで、なんだか楽しくなるのだ。ストーブにいっしょに当たっている安心感のような・・・・ ああ、この人生きているなあと。 そう、ちゃんと生きているんだとしか言いようがない。
黒犬の句・・・・ 盲導犬のように賢い犬の話はよく聞く。だからこれは、おそらく仁ちゃんの体験ではないかと思ったらそうだったな。だって、ポストに郵便物をとりにいくというイメージは突然ではなかなかわいてこないのではないか。 なにもいわずに、雪の中をポストに郵便物をとりにいってくれた黒犬。その主人を見上げる瞳は、絶対的信頼と愛だろう。 かって、レトリーバーだと思ったが愛犬をひとりぼっちで留守番させて、留守中どういう行動をとるかというのを隠しカメラでとった記録を見たことがある。悲しそうな泣き声をあげて犬は8割以上、玄関でドアのほうを向いて座っていたそうである。絶対的な、純粋な愛というべきだろう。 この光景は涙が出てきた。 これは主人の側からみたら、暖かな春のイメージにぴったりとつながる。 そして、それを見分しているのが作者つまり仁ちゃんなのだ。 どんな思いが作者の心象風景の中に展開したか。想像するだけでも面白い。

つまりは、知っている人の作品を味わうということは、なんのことはない、そのよく知っている人の心象風景をのぞきこんで、いっしょに泣いたり笑ったり感じたりすることなのだろう。それが面白い。時空をこえて、その人の生を感じる幸せである。   おそまつ

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