2016年5月1日日曜日

食うということ・・・・・ 逸徳

一人だろうが、集団だろうか、食うという行為について考えることがある。食事という行為は、個人の精神にとって、外界とのひとつの関係の仕方である。一種の儀式(ritual)であると思う。決して車がガソリンを入れるようなことではない。時にめんどうくさくなると、まあいいやという気分になり、後で洗うのが面倒だとばかりに、一人だけだと鍋から直接食ったりする。これは、きわめて危険な行為で、そうなると食がただの生存の維持行為だけになる。それが落語に出てくる、「つけもの食いたい? だったら塩とぬかと菜っ葉食って、頭に重しの石のせとけ」という小話だろう。

 おいらは家で一人だけになり、一人で食う時も、特定の席に特定の形に食器を配置し、決まったさらをつかい、省略はしないことにしている。買ってきた食材も必ず皿にとる。そしてひとりでもポンポンと手をあわせる。これ明らかにひとつの個人的儀式であり、一種の文化的行為である。この場合自分がひとりであるかどうかということはあんまり関係しない。外界と自己の内面とのひとつのチャンネルが、味覚という鋭敏さを伴って開かれるという感じなのである。ひととしての生き方のアイデンティテイにかかわるのである。(おおげさな) これをやるのがめんどうになったら、精神状態がやばいと自分に言い聞かせている。こういうことの省略は、すべからく他の生活面の省略につながる。 そして生きていくのもめんどくさくなるに違いない。

もう一つ最近変わったこと。食材を買いにいって必ず熱量を見るようになった。(笑)1日2000Kcalは超えないようにと思う。それとタンパク質を必ず食う。卵だったら1日2個は食べる。血圧は低いので、成人病のほうは心配しない。 しかし、料理というのは実に面白い化学実験である。だいいち台所は基本的に科学実験室の機能を持っている。 それに料理自体、食材の熱処理、エマルジョンなどの界面化学、酵素反応、さらには浸透圧などの物理化学などが登場する。こういうことをもとにして何か話が創れないかなあと考えているのだが。

閑話休題。 レトルトの話が出てきたが、ほんとにレトルトはバカにならない。それにカレーも面白い。どういうわけか一晩作り置きしたほうがカレーはうまくなる。(だからカレーのCoco1番という店は工場で大量につくったカレーを店に配達する方式でもあじが落ちないそうである。不思議) これ、酵素がからんでいるのではないかなあ。それと「からい」と「しょっぱい」はちがう。カレーのからさは能の老化防止にはいいというが。さらに、自分でスパイスやコーヒーなんかいれてマイカレーをつくるともうやめられん。 からめにすると、焼酎のロックがあうのである。
ただし、カレーにはかならずトッピングを考える。カツとか、カキフライもいい。トマトなんかもいいが
まあなんでもいい。トッピングを工夫するとまあ「華麗なるカレー物語」が出来上がるだろう。うーむ昼はカレーにするか。

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