2016年5月21日土曜日

いやまったくそうだ・・・・逸徳

ここに褌子氏が出てこないまま、こういう話をするのは何となく片手落ちの気がしないでもないが、最近のFaceBookなどのSNSについてはおいらも違和感がぬぐえなくって困っていた。

簡単にいえばこれは本当に人と人のコミュニケーションだろうか。第一に、コミュニケーションというのは、他者との情報のやりとりであるが、よく知られているように情報はただ言葉の意味だけでは伝わらないのである。相手の声の調子や、音の変化、身振りなどの身体言語をともない、実際に相手に伝わる情報量というもののうち。言葉の意味が担うものは1割以下だという話がある。目は口ほどにものをいいとか、色っぽい身振りなんてものはSNSでは不可能である。第一言葉の字面だけで恋ができるのか。SNSの反応で「いいね!」とか、読者登録なんてものはどうも気持ちが悪いのである。これは従来のコミュニケーションの範疇とは違うのだろう。

それにだ。人と知りあい、相手とむかいあってコミュニケーションをとるということはそれこそ全身的エネルギーを使うことであって、だからこそそこに誠実さとか、言葉の裏の意味(演劇でいうaside、つまり裏セリフ)などという微妙な世界が出現する。だから「あんたなんかだいっきらいよ」という愛の告白も成り立ちえる。だが活字でそれができるか。SNSで子供がつくれるか。

第一に、そういうエネルギーを使うと、脳の容量からして、コミュニケーションできる人数には限界があるという。 自然界のさまざまな生物の脳の重さと、その生物がつくる安定した集団の所属固体数には一種の比例関係があるという研究がある。さまざまな生物の脳とその集団の規模をグラフにして、そこに人間の脳の重さを挿入してみると、適切な集団規模は数百人なのである。生物が小さくなるほど集団数は大きくなる。数千人なんて数に対応するのは、大腸菌ぐらいだろう。とにかく人間社会は大きくなりすぎたのだ。中国を見ろ。・・・・・などということか゛浮かんでくる。さあ、この文
褌子さん読んでくれんかなあ。

もっともFaceBookをコミュニケーションととるからよくないのかもしれない。あれは視聴者が反応すると数が出てくるテレビショッピングみたいなものかもしれない。そう考えればいいか。しかしそうするといったい何を売っているのかね。

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