実をいうとちっとばかりFBをやったことがある。すぐやめた。時間を取られることもあるし、こんなことにのめりこんでいるほど、おいらには残されてる時間はないぞという感じがしたのである。要するに無駄な時間という気がしたのだ。
だいたい、言葉というものはある誰かに対してはくのである。これを演劇では野球のキャッチボールにたとえる。実際にボールを投げ合いながらセリフの稽古をして、身体とセリフの関係を体で感じさせるという訓練がある。 だが一体FBの言葉は、誰に向かってはいているのだろうか。反応を期待しない単なるつぶやきだろうか。だとしたら、屁と同じではないか。(屁のほうがましだ。そこから対話がはじまる可能性がある)
実感というか、はだ感覚というか、ある具体的な身体を想定してあいてに向かって言葉を送りだす。その時、実はヒトはすでにある何かの応答を無意識に期待している。だが誰とも知れない何千人に向かってはく言葉は、それは無理というものだろう。
誰ともしれない何千人かに向かって吐く言葉。もしそこから応答があったとき、すでにそういう相手はこちらを選んでいるのであり、一種の仲間意識があるだろう。ということは、対立する人間とか、敵などは応答するはずがない。しかし、我々はそういう人間に対しても、言葉の力を信じてそのような相手を説得し、こちらの世界に向けさせようとする。そしてそこから対話がはじまる。つまりFBは真の意味での対話になる可能性は低いのではないか。
なんとなく、大量の言葉の浪費がおこっている感じがする。たとえばブログに「炎上」という現象がある。何かいうと、ワッと反論が集中して収拾がつかなくなる現象である。これ反論しているやつらは全部匿名である。仮面をかぶり自分だけは安全圏にいていいたいことをいっているのである。これ病的ではあるまいか。
なんでこんなことがおこるのか。なんだか現代人の孤独というやつを感じる。いや孤独ではない。孤立かな。 馬鹿だなあ。みんな最後は一人で死ぬのに。
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