山口誓子の「海に出て木枯帰るところなし」について、当欄で持論を述べたことがある。思い出しつつ書く。
この句は印象深いから、戦後、多くの鑑賞、批評の対象になった。しかし、特攻機との関連を指摘したものはなかった。平畑靜塔(京大事件で弾圧された)の鑑賞しかり、誓子の弟子だった鷹羽狩行の解説しかり。とうじ伊勢の片田舎で療養生活を余儀なくされ鬱屈していた(住友生命を事実上クビになった)。同時期の一連の作品を眺めても、時局を批判するような作品はない。この句だけだ突出している。
言水の「木枯の果てはありけり海の色」を下敷きにした、心境俳句だという解釈が一般だった。また、この句が句集に収録されたのは戦後になってからで、特高の目を恐れる必要は何もない。
誓子は昭和30年代に入って、突如、特攻機を詠ったものだと言い出した。それがいまや定説になっている。本人が言っているのだから間違いないといえばその通りだが、この10年以上の沈黙がどうもひっかかる。何か、それらしく深読みし、解釈する世間の声を聞き、アト解釈を自句に加えたのではないかというのが、意地悪な私の見解だ。そうでなければ10年の沈黙は何だったのか。まあ、そういえばそんな気がしてきたのではないか。
これは、作者は弁明せず。作品をして語らしめよ、の典型ではないかな。だからあとからグタグタいいだした誓子が悪いという気がする。だまってにやにやしていたほうがよかったのに。 作品はいったん作者の手をはなれたらもう独立した人格?をもったのもおんなじで、特攻機解釈は時代が勝手にそう読んだのだろうよ。それは悪いことではない。まったく。
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