FBより転載 ・・褌子
■海に出て木枯帰るところなし■ きょうの一句 1944年暮れの作という山口誓子(1901~94)のこの句をはじめて目にしたとき、木枯(こがらし)=特攻機 とみたてた句かもしれん・・とちらりと思ったものだ。 ところが山本健吉『定本現代俳句』では、山口誓子について13ページも割きながら、この句の解説にそんなことはひと言も書いてないし、大岡信『百人百句』の山口誓子の項ではこの句を紹介さえしてない。そうか、小生の勘違い思い過ごしであったかと、すっかり忘れていたのだが。 ・・・先日、『八法亭みややっこの憲法噺』で飯田美弥子弁護士の講演をきいていたら、木枯の句こそ学徒動員でひっぱりだした学生たちを片道燃料の特攻機にのせて死地においやる軍部への痛烈な批判の句だというのである。(特攻作戦は1944年10月21日に一号機が飛び立った) しかも東大俳句会を結成した頭脳明晰な俳人らしく、特高警察の追及を受けても「これは芭蕉と同時代の池西言水の『木枯らしの果てはありけり海の色』の本歌取の句でありまして、警察の方はご存じないのですか」とちゃんと逃げ道をこしらえてあったというのだ。
飯田美弥子弁護士のいいたいことは「戦争中は、わずか十七文字のことを言うのにさえ、これだけの覚悟と準備をしなければならない時代だった」ということ。
作者の山口誓子自身は昭和32年になって、雑誌『財界』に次のように述懐している。
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海に出て木枯帰るところなし
この句は、後に世評に上った句であるが、昭和十九年の作である。この句を作った同じ日に、
ことごとく木枯去って陸になし
といふ句がある。陸上を吹いて走ってゐた木枯はすべて海上に出尽し、陸上は静まりかへってゐるといふのである。
「海に出て」の句は、この句を経て、更に木枯を主体化したものである。吾が身が木枯になって海に出たきり、最早陸地へ帰ることはないといふのである。この句を作ったとき私は特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いてゐた。この句はあの無残な戦法の犠牲者を悼む句でもあった。
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