2016年8月31日水曜日

静かに去るもよし書きたいことを書くもよし    褌子


このブログは出入り自由だと思うので独り静かに去るもよし、いつでも復帰して書きたいこと書いて盛り上げるもよし。ではないか

ひとこと・・・猫跨ぎ

いきなり止めるのも失礼だから最後にひとこと。
言葉のトゲは鈍感なので気がつかなかった。それは謝る。そういうことよりも、貴兄は運動の専門家だ。何倍も修羅場を経、知見も豊富なはず。私如き素人が片言隻句でいわゆる「いいがかり」をつけても、何をいうかと一蹴すべきだったのだ。それを待っていたのだが。それがdiscussの醍醐味じゃないか。しかしあなたは何故か黙ってしまった。こんなことが何度もつづいていたことはご覧のとおり。今となっては総じて謝罪したい。
この欄全体も、総じて低調だ。私なりに問題提起をしたこともあったやに記憶するが、殆ど沈黙の時間がながれるのみ。そう、私の印象を言えば、だんまりの欄だね。
愉しんで欲しいというが、愉しみようがない。仲間褒めとか、快のだらだら垂れ流しは結構だ。
皆さんで続けてください。私もその内にひょっこりと言うことがあるかも知れない。

思いいろいろ・・・九州の熊

仁ちゃ〜ん  元気ですか〜っ!  気になっていながら 応援メッセージ遅くなってしまいました  今年の夏は 仁ちゃんが住む函館およびその周辺エリアは  超多難でしたね  まあそのうち災難は通り過ぎると思っていましたがどうしてどうして   たしか春先ころに梅雨寒のような寒い日があって それから 西日本の梅雨空まがいの鬱陶しい日々がつづき そして今回の迷走台風の襲来      疑惑のデパートならぬ 天災の大百貨店 そのたびに 仁ちゃんは無事だろうかと気がかりでした  お身体や家屋等に異常がないのでしょうか  何か手助けできそうなことはありませんか遠慮なく ご一報ください  お大事に❗️


昨日の朝日新聞の記事から

空手を通じて日本とブラジルの架け橋となる 児玉哲義さんを紹介する記事
「・・勝利を優先しがちな西洋のスポーツに比べ   武道は礼節を大事にする   五輪に採用されるのは とてもよいことだとおもいます・・」   「・・世界武士道空手連盟 魂誠會  熱い魂と誠実な心  道場に通う門下生と親たちがつけてくれた 日本人の魂を大事にしたいと “武士道”を盛り込んだ・・」

わたしの思いも同じ  大いに共感した



渾子氏と猫ジイさんのやりとりについて

投稿をやめることにしたいとおっしゃる  改めて 退会というほど 厳密な組織でもないから どうぞご自由にとしか 言いようがない  でも 渾子氏には やるべきことがのこっているのではないか  今回 日記代わりに・・という弁明らしき発言があった  猫ジイさんは これまでなんども 肉声でじぶんの考えを述べてほしいと 要求してきたが しばらくの間なしのつぶて ハラハラしてことの推移を見るしかなかった  今回の発言は やっと心の中を開示してくれた  問題は いままでなぜ沈黙を続けてきたのか その説明なしには  投稿をやめることにした というのは 帰り際の捨て台詞にきこえる もう少し穏やかな対話を経て 最後の決着にしてほしい  お互い 分別のあるオトナなんだから・・
















突然、わたしが投稿やめた理由  ・・・褌子

前回、わたしが突然、投稿するのがいやになったのは
猫跨ぎさんの一昨年12月26日の下の投稿を読んでから。

『あのなあ・・・猫跨ぎ
あのなあ、こういうビラを投げ込む感覚は、もうやめにしないか。聞きたいのは投稿者の生の肉声だ。折しも海の向こうから問いかけがある。偶然にも私の疑問と重なっているが、真っ向から立ち向かって欲しいな。マルクスのことばではなくてさ。ホントのところ、俺も判らんのだよのひと言でもいいんじゃないか。その方がはるかに胸を打つ。』

いま人生四回目くらいのマルクスの『資本論』を勉強していて、このときの私の投稿は資本論叙述の仕方についてのマルクスの言葉を紹介したもの。ひとには迷惑をかけないだろうと思って投稿したのだが「あのなあ、こういうビラを投げ込む感覚は、もうやめにしないか」といわれたので、やめにした。生の肉声を書けといわれても私の投稿は能力がないこともあり、コピペもふくめてすべて自分の思いを肉声でかいているつもりなのである。もう、こういう尖った議論はいやなので、しばらく気がかわるまで投稿は遠慮したい。
九州の熊さんの「申し合わせ」をまもるならブログの閉鎖などありえない。いつまでも、おおいに楽しんでほしい。わたしもまた書きたいことを書いて大いに楽しみたい。

最後はこんなもの・・・猫跨ぎ

短気起こさず、貴兄は続けて頂戴。気にいらんのは、何をしても気にいらんということだ。
通常の議論が、しゃくに障るらしい。しかしこんなことはあるね。

私が潮時だ。褌子氏には世話になったね。仁ちゃん、俳句の件は、もしその気なら別途考えよう。

しばらくさようなら   ・・・褌子

こういう↓、たぐいのねちねち議論が大嫌いなので、また気が変わるまで投稿やめたい。仁ちゃんごめんね。

ようやく・・・猫跨ぎ

 おやおや、ようやく姿をあらわされましたね。しかし大変な立腹のようで。
俳句に一句鑑賞というのがある。一句を採り上げ縦から横から鑑賞するというやつ。
このところ褌子氏の奔流の如き投稿があってあっけにとられていた。それもなかなかの高水準で驚いていたが、たまたま井尻正二という名前を見て、懐かしさのあまり論を向けたわけ。ちょっと立ち止まって深掘りする機会があってもいいんじゃないか。それに周囲に耳貸さずじゃなくて、ちょっと本音で議論してはどうかと。一句鑑賞的にさ。それが何か極めて悪意にとられてしまったらしい。急にヴェールを剥いで、叱責のお言葉。まあ、小生の不徳の致すところ、しかたがない。

追伸: 私が開いたブログだ、止めるも続くも私の意志だという姿が仄見えた。残念だね、あなたね、それを言っちゃおしまいだよ。

日記代わりに投稿してるのであしからず    褌子

フェイスブックは自分の投稿だけがタイムラインにならぶので日記代わりに毎日書いている。ぼけ防止になり便利だ。コメントをよこす人がいるが来るものはこばまず、去るものはおわず。これでよしと思っていたが、仁ちゃんが「horohorokaiブログ」にも投稿をとメールや年賀状をくれたので、映画や本の感想など身辺雑記的なものをブログにも転載してみようかという気になった。自分の投稿への意見はもとめないし、他人の投稿への感想かくのもめんどうくさくなった。これでいいのだ。これで行こうと思うようになったのも年かな(笑
小蔵ひでをさんが作ってくれた初代ブログがブログ荒らしにあって閉鎖になり、次にわたしが作ったブログは有料だったので、無料で広告のないものをさがしてつくったのがこのブログ。開設したときに九州の熊さんが「70歳前後の、ブツブツつぶやく男性集団。だれを相手になにを言ってもかまわない。しかし常に他人(相手)を傷つけないような心配りだけはぶれずに守っている。それが全員の結束の原点になっている」という素晴らしい「申し合わせ」を書いてくれ、今もプロフィールにかかげてある。わたしもいぜんは他人の投稿をからかったりしたので今になって反省しきり。この「申し合わせ」もまもれなくなったら、このブログも3回目の閉鎖という時期がくるかもしれない。

2016年8月30日火曜日

小学の同級生に電話     褌子

 子どものころ近所どうしで仲良しだった女性に小学の同級会のお誘いで電話したら長話になった。
 『孫のお守りで忙しいがいまは幸せです。いちばんの楽しみはお金のかからない週一回のカルチャー講座。80才過ぎた元高校の国語教師が万葉集や源氏物語の講義をしてくれる。昔も今も人間は変わっていないとつくづく思う。苦労した人生をもつ先生なので話に深みがあって楽しい。人間の運命はじつは生まれたときから決まっているのだと思うようになった。いまは決まっている運命を誠実に生きて子どもに迷惑をかけずにひっそりと死にたいと思っている。自分の不幸を社会のせい、政治のせいにするひとは好きでない。宗教をすすめるひとがいるが断わっている。政治家はうさんくさいひとが多いから政治に関心もちたくない。(私の)すすめるところに選挙の投票だけはちゃんとしています。カルチャー講座にくる仲間は10人くらいで男性は定年退職したひと一人だけ。みんな私のようなタイプのひとばかりでお互い自分の悩みなどは言わないように皆、気をつかってる。暑い寒いのお天気の話と噂話しや飲んでる薬の話しは時間の無駄だからと講師の先生から禁止されている。本当に熱心な素晴らしい先生なのです・・・』というような話でした。
 彼女は、父親が戦死しており、お母さんが苦労して育ててくれ日赤の看護学校をでた。ところがご主人が早く亡くなり、子どもを育てるために看護師として夢中で働いて結果的に自分の母親と似た人生を歩んだ。一度、私たちの郷里出身の守屋ミサ『従軍看護婦がみた病院船・ヒロシマ』(農文協)を送ったことがある。「こんな日赤看護師の先輩がいたことは知りませんでした。戦争っていやですね。同期の看護師仲間に回します」という手紙がきた
・・・
人間は社会や他人と関わりあうことによって自分の運命を実現していくのであるから、彼女の「運命が最初から決まっている」というのだけは私は共感できないが、こういうふうに生きているひとは世の中には多いのだろうなあ、と思いながら電話を切った。お孫さんのお守りで同級会出席は今回は見合わせますとのこと。

『俺たちは天使じゃない』  褌子

 ふたりのじいさんの珍道中『ロング・トレイル!』を観たら、むかし大笑いしたロバート・デ・ニーロとショーン・ペンの『俺たちは天使じゃない』(1989)を思い出した。 
 ふたりの脱獄囚が珍道中を繰り広げながら逃走中に神父さんと間違えられるなどの大騒動で、あれでロバート・デ・ニーロのファンに私なりました。
 じつは1955年版の『俺たちは天使じゃない』のリメイクなんだそうだ。これはハンフリー・ボガードたち3名の脱獄囚が強盗にはいった商店のあまりの貧乏ぶりに同情して店を手伝うことからはじまる大騒動らしい。

別にそうは思わないが・・・・逸徳

ある本にその人がどんな感想を持つかということは、おいらにとって大変面白い。他の誰でもない。いわばこの時代をいっしょに生きてきた友人が、どんな精神的世界にいるのかということは、まことに興味がある。ふーんそうなんだと思う。つまり、その感想を書いている人はだれでもない、友人の彼であって、文だけが独り歩きしているわけではない。俳句だってそうではないかな。作品のひとつひとつの世界の向こうに作者の顔を見てしまう。身近な人ほどそうなるのはやむを得ない。

褌子さんの一連の読書報告は面白い。彼の体臭とはこういうものであったのか。彼もまたこういう風にして年を取っているのかと感じることがある。要するに何にどのように心を動かすかということはその人の現在の感性と精神状態の報告である。だから面白い。発見がある。ひとつだけこんちくしょうと思うのは、彼の紹介する本や、映画は実はおいらはあんまり見ていないことだ。だが、心の動きはわかる。文は人なんだな。やっぱり。それは全くお師匠や仁ちゃんの俳句を拝見する時とおなじなのである。おいらにとっては。
熊さんの川柳にはまいった。でもさあ。思わず目に浮かんだのは、暑いのに無理してゴルフコースに出ていて、汗をかいている熊さんの顔だった。無理せんように。ご自愛のほど。

閑話休題。 今年は3月に兄を送って、今度はおばあちゃんを送った。死についていろいろと考えさせられているが、でもそれをここに書く勇気がない。というよりまだ整理がついていない。だいたいそんなのみんな面白くないだろうなあと、遠慮してしまう。もう少し考えてみよう。
 

『麦秋』 ・・・褌子

    『麦秋』
 昔の白黒映画もたまにはいい。
 小津安二郎監督の『麦秋』(1951)
 鎌倉の中流家庭。老夫婦と息子夫婦と孫ふたり。それに娘の原節子がちっとも結婚しないので一家がやきもきしている。次男は戦争にいったまま帰ってこないので戦死したのだろうとあきらめている。
 娘はいい縁談をみんな断るのだが、近所に妻を亡くした中年の子持ちの男が母親と暮らしている。この母親の杉村春子が用事に来た原節子に「冗談だと思ってきいておくれ。あなたみたいな娘さんがうちの息子へ、もし来てくれるとうれしいのだけどねえ」とついおしゃべりしてしまう。
 「おばさん、私はちっともかまわないんだけど・・・」と原節子がいうので杉村春子がこんどはびっくり。
 実家の両親、兄夫婦は「なにもわざわざそんなところにお嫁に行って苦労することないじゃあないか」とこぼすが本人が決めてきたものはしょうがない。
 ・・・というあらすじ。
 やっと戦争がすんで五、六年たって日本人も落ち着いた生活ができるようになったんだなあ。
 由比ケ浜がひねもすのたりのたりと波打っている。子犬が一匹砂浜で遊んでいる。
 終章、遠くの白壁の旧家をバックに一面の麦畑の穂がゆれている。ゆっくり流れる白い雲。麦秋なのである。
 平和っていいなあ。
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発展しない・・・猫跨ぎ

褌子氏の投書に以前も申し上げたことあるが、読書ノートを転載している形式だよね。貴兄の肉声が聞きたい。この井尻氏の発言の何処に賛同し、何処に問題があるのかさ。社会主義リアリズムなんだろうけれど、今はいろいろ位相の違いもあるだろうし。井尻氏はこの時機嫌が悪かったのだろうが、この人は怜悧な人だ、こんな下々をしかりとばす言い方は普通はしないはずだ。
何より貴兄の体臭が感じられない。感じられないから、聞き手は対処の仕様がない。要するにDISCUSSIONしようがない。要するに弁証法的に発展しない。

『お山の杉の木』  褌子

昔ちょっと読んだだけなのに憶えている話というのがある。たとえば古生物学の井尻正二が紹介した詩人吉田一穂の「お山の杉の木」という話(ふたりは北海道出身で友人だった。以下コピペ

   ~~~~~~~
 『お山の杉の木』
 ある山に一本の杉の苗木がはえていた。杉の木はやさしい日の光にはぐくまれ、風や小鳥と対話をしながら、だんだん大きくなっていった。そしてある日、杉の木は遠くに青い海を見ることができた。杉の木は丈夫で大きくなったおかげで、海を見ることができた、といってよろこんだ、とかなんとかいう話だが、そんなことはどうでもいい。
 だから素人の芸術は困るっていうんだ。
 俺が童話を書くなら、こうはしない。前段はどうでもいい。ちょっとロマンチックでさえあれば、あんなことは誰にでも書けるからな。
 いいか、ある日、杉の木に渡り鳥がきてとまって、杉の木に海の話をしてきかせた、というところからはじまるんだ。
 海の話を聞いた杉の木は、海ってどんなところだろう、海へ行ってみたいな、と思ったが、この希望は永遠の夢におわるよりほかはなかった。
 ところがある日、山の麓から一人の木こりがやってきて、杉の木を根元からぶった切ってしまった。
 どうだ、杉の木はぶった切られたんだぞ。これでは海は見られなくなるし、なんて残酷な筋だろう、と思うだろう。そうじゃないんだ。
 ぶった切られた杉の木は、枝をはらわれ、皮をはがれ、やがて山から町へおろされて、船のマストにされたんだ。
 どうだ、船のマストだぞ。こうして杉の木はあこがれの海へ行き、世界中の海を見てまわることができました、とするんだ。
 杉の木は死ぬことによって生きるんだ。こうした否定のない芸術は、やはり素人の作品で、芸術などといえたしろものではない。芸術とはこういうもんだ。
 どうだ。わかったか。

2016年8月29日月曜日

どうもどうも・・・九州の熊

投稿をしたときにあまり間をおかずに応答があるのはありがたいものです また何か発信しようという動機づけになる  猫ジイさん ありがとうございました

でもこの辺の間合いはひとによって一様ではないかもですね

2016年8月28日日曜日

28.8 投句 ・・・ 猫跨ぎ

熊さんの思わぬ一芸の披露があったので、やや気後れするが、もう月末であり、
恒例のほろほろ投句をば。
変な台風が舞い戻ってきて、東北を横断する構えだね。こんな事ってあったかな。

・半地下の古書肆を降りる暑さかな
・鴎外の不機嫌な髭青山椒
・映す山なき下総の田水沸く
・問題は睡眠の質茗荷の子
・括られしサルトル選集罌粟坊主
・かなかなのかで終はりたるひと日かな
・はんざきや活断層に耳澄ます
・不揃ひの乱歩全集黒葡萄
・ちよつとだけ手を振り合ひて遊山船
・ドイツ製の鉛筆削り夜の秋

感心です ・・・猫跨ぎ

熊さんの川柳には感心した。起承転結がはっきりして、めり張りが効いている。
俳句の親戚だから何となく良し悪しは分かるつもり。相当のレベルじゃないか。 いやはや。

ゴルフ川柳はいかが・・・九州の熊

最近体力が衰えて外出する機会が減った もちろんゴルフの回数もへった ここ2ヶ月くらいはゼロだ これではますます衰えるだけと意識はしているが 体が言うことを聞いてくれない 情けないなり
で せめて頭の中でゴルフを楽しめるようにと考え 川柳くらいなら とまねごとをはじめた テーマは もちろんゴルフ

とりあえず作品の一部を お恥ずかしながら5句ほど

   ブービーの   付箋はぎとり  「はい賞品」

   芝目よむ   それよりマナーの   本を読め

   帰宅の弁   結果は聞くなと   決め台詞

   快心打   一流ぶって   不満顔

   あすコンペ   ウェアーの試し着   深夜まで

いかがですか 自分では結構 ひとひねり ふたひねり したつもりです
ご笑納ください  ご批評もあると嬉しいです  批評の対象にもならずかな?

いま全部で33作品まで到達  当面まず50作クリアーが目標です

年内には 100作品 とし  ゆくゆくは自費出版も視野にいれてるのですが・・・

ちと甘いかな?


肩の力を抜いて・・・九州の熊

何かをアピールしようとすると その気持ちが何かを発散するのかな?
あまり力みのない  気楽な楽しい話題提供を意識していきましょうや 年寄りは なんとなく唐突な感じがするネタは 避けて通る傾向がある❗️  自戒の念を込めて・・・

猫ジイさんの(消えてしまった)投稿の気持ちもわからなくはない

2016年8月27日土曜日

28.8仁句鑑賞 ほか ・・・猫跨ぎ

その投稿を削除したのは小生。なにか虚しくなってね。
ネット社会にふわふわと漂流する無人格のモノ。不潔で関わりを持ちたくない。
皆どう考えているのかな。無署名の投稿のこと。アカウントを知った赤の他人かもしれない。当欄の帰趨がかかっている。止めるか。
北海道は台風が三つも行ったらしい。しかも高温の夏とか。こちらでは十号も迷走中。こいつも北海道に行くかもね。異常気象極まれりだね。

さて仁句鑑賞。
1.夏休み星座の中に人が居て
星座の中には人もいるが、ほかにさそりや蟹もいるし白鳥も。ルーツはどこなんだろう。
大空に描くこの想像力には脱帽だね。星座なんか見るんだね。感心。準特選。
2.跣足の虫除け痕や夏果てぬ
虫除け痕とは。私は小庭の雑草を一網打尽にすべく黒フィルムをはって小石を敷いた。蚊が極端に減り、虫さされは激減。あまり実感がない。
3.来し方の貨車の出し入れ残暑かな
貨車は何かの暗喩であろうが、過去のもろもろの整理だね。思いつつも今年も出来そうもない。
4.旧桟橋軋みにあはせちちろ虫
函館の旧桟橋か。貨車の軋みにちちろ虫の声が合唱というか。面白い景色。特選
5.奉行所は拙者があないす銀やんま
箱館奉行所。銀やんまが偉そうに遊弋している。江戸末期の幕府の施設。江戸幕府が倒れ明治になって新時代が始まったと簡単に整理するが、そうではないね。咸臨丸、横須賀の造船所、韮山の製鉄など、多くの胎動があって、幕府も頑張って仕事はしていた。小栗上野介という優秀な幕臣がいたが、薩長軍が捕らえ首を切っている。象徴的。
6.蝉しぐれ十六日もつづけ聞く
十六日になにか意味があるのかな。不明。
7.海の色気だるさ抜けて涼新た
結構暑い夏だったんだね。ようやく秋色を帯びてきた。
8.白萩やほろほろほろと零れゆく
なにかを隠喩しているのかもしてないが、まあ自然のしからしむところ。
9.ミンミンともカナカナともなかずジー
油蝉かな。西日本の熊蝉が箱根を越えたと騒いだのが、二、三年前かな。とにかくうるさいらしい。
10.防空壕埋めし跡や曼珠沙華
戦跡。当地の戦跡と言えば、野戦重砲兵連隊のあとの正門。いま女学校の正門として使われている。もって瞑すべきか。

2016年8月25日木曜日

函館通信2-58・・・八月末になった・・・仁兵衛

 
この投稿の前に猫跨ぎさんが投稿してた文章は何処に行ったのかな。
投稿順序もランダムになっているのかな。解らん。

 八月末になった颱風には無防備に近い北海道に続けて二つもやって来た。まだまだ今年は数回はやって来そうだ。収穫期の農産物に被害を与えていると同時に運搬する手段にも大きな影響をもたらしている。JR北海道は大きな負債を抱えているがまたまた増えて行くばかりだ。今年だけの特別な気候変動なら我慢しても良いのだけれど・・。

 五輪と高校野球は終わった。加えてイチロー追っ掛けなので本当に忙しかった。それに主宰が脳梗塞で一月と六月に倒れ句会は解散してしまった。途端に作句をさぼりだしている。そんな状態での今月の十句宜しく。
 
平成二十八年八月
1.夏休み星座の中にが居て
2.跣足の虫除け痕や夏果てぬ
3.来し方の貨車の出し入れ残暑かな
4.旧桟橋軋みにあはせちちろ虫
5.奉行所は拙者があないす銀やんま
6.蝉しぐれ十六日もつづけ聞く
7.海の色気だるさ抜けて涼新た
8.白萩やほろほろほろと零れゆく
9.ミンミンともカナカナともなかずジー
⒑.防空壕埋めし跡や曼珠沙華

 

2016年8月18日木曜日

そうか・・・猫跨ぎ

「フェイスブック*検閲」で検索してみたら、出てくるね。やはり熊さんの言うような 怪しげな現象があるらしい。ある人には見えて、ある人には見えなくする操作などもあるとか。こんな恣意的なことも「誰か」がやっている。考えてみれば誰かが発案して面白いと言って、次から次へと無辜の大衆を集め、新しい通信手段だと称している。そこに如何なる公的な規制もないんだな。無料で使っている利用者が文句をいう筋合いはないわけだ。FBを運営して巨額の利益を得つつ、同時に裏で怪しげな操作はまったく闇の中。一体何を画策しているのか。不気味だね。そしてこの検索もGoogleだ。なんだかGoogleの手の平の上でああだこうだ言っている。
アメリカの大統領候補のヒラリーが国務長官時代に、私的メールを使って公式文書を送受していたとして、今でもしつこく大統領の資質を問われている。その筋から見たら、電子メールなどスッポンポンの丸裸、みな筒抜けなんだろう。

2016年8月17日水曜日

検閲の件・・・九州の熊

公序良俗の記述は全くありません

FBの投稿で 自分の記事が消えてしまったという指摘は結構な件数目にしています 一件一件の内容を精査したわけではないので 消えてしまった記事の特徴や傾向も よくわかりません 強いて言えばやっぱり政治的な内容に行き着くように 感じますが 先入観かなぁ


北海の熊?・・・九州の熊

北海が勝ちましたねぇ  精鋭が集まった日南学園が圧勝と思ったけど 高校野球はよく予想違いの結果になる 分からんものです
今後 九州の熊改め 北海の熊 と名乗ろうかな
ここまできたら 最盛期の苫駒の再現となってほしいね

2016年8月16日火曜日

検閲・・・猫跨ぎ

にわかには信じがたいが。Googleがやっているというわけ?
Googleが中国でやられていることを、自主規制というかたちで日本のFBに適応したということ?つまり「靖国」はなんでも一律に削除すると読めるが、本当かな。
しかしそんな事が可能な事態になっているのかい。????まさか。ひょっとして公序良俗に著しく反する文言があったのでは?

タイムラインの件・・・九州の熊

タイムラインは FBの投稿記事を時系列に並べて表示した画面のこと   個人のものと 投稿者全員のものと 二通りあります  通常(大抵の人)は FBを開いたときに 全員のタイムラインが表示されるように設定しているはずです

検閲はあるのか
FBのソフトそのものには 検閲の機能は取り込んでいないと思います  しかし実態としては グーグルが投稿記事を一件一件確認し 政治的な配慮が必要と分類したものは削除しているようです

わたしの投稿記事では  今回の外遊は 靖国参拝をしない口実づくりであるのは見え見え という表現があるので 削除対象になったのだと思います
投稿直後に 個人のタイムラインで ちゃんと掲載されているのを確認しました その後(数分後) 全員の投稿記事のタイムラインで 記事が 見当たらないことがわかり さらに数分後 個人のタイムラインを開いてみたら わたしの記事は 完全削除となっていた という経緯です
見事な早業  なんか恐ろしくなります

この投稿記事も ウオッチングされていて みなさんには公開されないかも です

サム・クエスチョン・・・猫跨ぎ


①タイムラインとはLINEの機能らしいが、要するに何ですか。検閲があるの?
②稲田大臣についてどんな投稿をしたのですか。差し支えなければ参考までに。

2016年8月15日月曜日

無題・・・九州の熊

稲田朋美防衛大臣が 外遊を理由に靖国参拝をしなかった という趣旨の投稿をしたら タイムラインに掲載されなかった  ムムム(≧∇≦)

お辞儀のはなし〜つづき〜・・・九州の熊

日本式のお辞儀をプレーヤー全員に求めてるわけではありません ただ柔道を「道」の部分まで含めて極めようとするならば それにふさわしい所作はきちんと身につけて闘いに臨むべし というのがわたしの願いです でもそれは 勝敗には関係ない部分だから無理だよなぁ とも・・

このように考えていくと そもそも柔道はオリンピック種目にはそぐわないもの というのも わたしの持論のひとつでもあります


日本の柔道・・・猫跨ぎ

熊さんは、世界の柔道選手が必ずしもお辞儀をすべしと言っているわけでもないようだ。ところで日本の男子が全階級メダル獲得で、山下団長(?)の、これで完全復活だと感無量の顔が印象的だった。この四年間、大改造をしたらしい。嫌っていた筋肉トレーニングを取り入れ、力負けしなくなったとか、レスリングやロシアのサンボなど異種格闘競技に積極的に学んだとか、etc.、  いわゆる講道館柔道の純正路線からの大幅な転換に本腰を入れたということだろう。
ちょこまか手足を動かし、意表をつく裏技など、ちょっと素人目にも変わったなとは思うが、ここ一発の大技はやはり日本柔道ならではの切れ味を見る。まあ国際化の流れだろう。「道」も自ずと変わっていくのではないか。日本柔道の変化が印象的だった。
  錦織圭選手の銅メダルは見事だった。ジョコビッチ、ナダル、フェデラー、などは雲の上の存在で、その一角を破ることなどひと昔は夢物語だったが。いまや彼がその一員になった。彼の試合後のインタビューにいつも感心する。沈着冷静。勝って驕らず負けて落ち込まない。よくある精神論に無縁なのがいい。凡百の単細胞のスポーツ選手は見習わねば。

お辞儀については熊さんのいうように文化の問題だね。外国でペコペコ頭を下げているのは必ず日本人で、なんか異様な感じがすることもあった。昔の話。

2016年8月14日日曜日

お辞儀のはなし・・・・九州の熊

オリンピックもそろそろ終盤  男子柔道の健闘が 見事だった 最終的に 全階級でメダル獲得 終戦後の井上監督の涙のインタビューが感動的だった

柔道は「道」がつく日本古来の格闘技 勝ち負けを競うだけでなく「道」にふさわしい 心のこもった清廉な振る舞いが必要 というのがわたしの持論  剣道 空手道 弓道・・・  もっと言えば 相撲も 相撲道であるべきと感じている

オリンピックの柔道のテレビ画面を見て 日本人と外国人の振る舞いがなんとなく異質に見える  それは お辞儀の仕方にあるのではないかと気づいた
日本人のお辞儀の時は そ時の目線が 下に  外国人は 頭は下げるけど目線は相手の顔を見ている  全部が全部ではないが・・
コミュニケーションの時は 相手の目を見て話すそして聴く が世界の主流  日本人は 目線をそらすことにあまり拘らない  改めて考えてみると あるべき姿としては 世界標準が望ましいと思える  しかし日本人の お辞儀の時の下目線は これからもかわらないのではないか

この辺が 民族の文化というものなんだろう

東京オリンピックでは 空手が新種目となる  空手のなかに 型 というのがある ここで外国人が 「道」を身につけて どんなお辞儀をするだろうか  興味津々

2016年8月13日土曜日

投稿欄がふたつできてる。まぎらわしい。投稿が面倒くさいね。いちいちメルアドとパスワード打ち込んで。誰だこんな面倒くさいブログを作ったのは。広告がなくて無料というのはこれしかなかった・・

2016年8月12日金曜日

テスト・・・逸徳

褌子復活を祝い投稿したが消えている。わけがわからん

じいさんふたりが・・・・    褌子

ロング・トレイルは登山道やハイキング道、林道などをつなぎ合わせた距離の長い自然歩道を宿泊しながら、自然や地域の人とのふれあいを楽しむ。欧米では盛んで、アメリカでは全長約3500キロのアパラチアン・トレイルが知られる。
公開中の映画『ロング・トレイル!』は、じいさん二人が柄にもなく重いリュックを背負って3500キロに挑戦する話し。食うに困らず優雅な毎日がつまらなくなったシニアのインテリ男が突然、家族が止めるのもかまわず悪友をさそって出発する。この悪友が酒と女に目がない人生を送って刑務所生活も長かった不良老人。
対照的な人生を歩んだジイサンとジイサンのかけあいと珍道中が面白い。ロバート・レッドフォードとニック・ノルティ。

2016年8月11日木曜日

『記憶』

        『 記 憶 』          
                                                 西沢昭裕
          Ⅰ

 父親が朝から
「困った困った」といっている。
 母が朝の味噌汁をつくる手をとめて
「あんちゃん(長男)が出て行くしかない」ときっぱりという。
 父が
 「あんちゃんが気の毒だ。困った困った」とまたいう。
 戦争がすんで数年たったころ、農家の長男が戦地からちっとも帰らないので戦死したものとあきらめた親が、次男を長男の嫁と結婚させて子どもができたころに、ぼろぼろになった長男が戦地から帰ってきたのである。
 仰天した両家の親たちが、うちの父に朝早く相談にきたものらしい。
 「戦争で左手なくして帰ってきたのに、あんちゃん、かわいそう…」と幼な心に涙ぐんだ記憶がわたしにもかすかにある。
 いちばん幼いころの記憶。
 やがて、わたしの両親も亡くなり新潟の山村のその農家の悲劇もとっくに忘却のかなたに去って、わたしは当時の父母の年齢をはるかにこえる年になった。

         Ⅱ

 もう五年前のはなしになる。
 わたしの知り合いの下請け業者が
「従業員の山本義男が無籍者で困っている。千葉の臨海部の企業の仕事に住民票がない山本だけが入れない」と相談にきた。
 家庭裁判所で就籍手続きしてもらえばいいではないかと簡単に考えて、わたしは山本に会ってみた。
 彼は年のころ六〇才くらいにみえた。
 山本は寡黙な男であるが、会話も字を書くこともきちんと出来るひとなのに生年月日も覚えていない。自分の名前と父親の作治という名前、それと横浜の保土ヶ谷の小学校に通っていたことだけをかすかに記憶に残しているだけなのだ。
 ふたりで千葉の家裁の就籍係に相談に行くと、確実な記憶や身分を証明するものがないと戸籍をとるのはむつかしいという。
 わたしの友人が山本は健忘症ではないかとアドバイスしてくれた。精神科医を訪れたところ
「たぶん小さい時に両親と離されるなどよほど辛いことがあったのでしょう。解離性健忘症です」と診断書を書いてくれた。
 その診断書をもって地裁を訪ねてみた。年配の判事さんが別室で本人にいろいろ質問していたが、司法の職権で横浜市の保土ヶ谷区の全ての小学と中学に「山本義男という生徒が在籍したことがあるか」という照会をしてみると約束してくれた。
 待つこと一ヶ月以上。
 山本義男という名前の児童が在籍していたという小学校が出てきたと連絡が地裁から入ったのである。
 ふたりで地裁にかけつけると、古ぼけた学籍簿のコピーをみせられた。
 「父兄欄」に「作治」となっているではないか! さらに住所と生年月日が薄っすらではあるが読みとれる。
  山本は初めて知る自分の生年月日に
「想像していたより年食ってるなあ」と苦笑いしている。
 しかし、世の中には同姓同名も多いし父親の名前が記憶通りだとしても万一の山本義男ちがいの可能性を完全には排除できないと家裁はあくまで慎重なのである。
 カーナビではその住所が出てこない。市販の地図でもグーグルマップでもダメ。わたしは山本と保土ヶ谷区××町×丁目××番というその住所を朝早く千葉を出発して訪ねてみることにした。
 八月はじめの暑い日だった。
 ××町×丁目をぐるぐる歩き回ってもどうも地番表記がちがうのである。
 町会長宅を訪ねると、八〇才過ぎにみえる町会長は
「ここら辺は昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲で焼け野原になりまして、大勢のひとが死にました。
戦後はなんども区画整理があったので、すっかり地番は変わっています。区役所に相談してみなさい」という。
 保土ヶ谷区役所へ行くと女性の係が課長とも相談して、古い資料を引っ張り出して××町一帯の地番が戦後どのように変遷してきたか書き出してくれた。おかげで古ぼけた学籍簿記載の住所地番が現在では何という住所地番なのかが正確にわかってきた。職員が親切に動態地図もコピーしてくれた。喜び勇んで住所地へ向かう。
  ところがやっと探し当てた地番は二百坪もある貸し駐車場だった。駐車場管理人の不動産屋の看板があったので電話してみたが
「昔のことはわからない。地主の名前も教えられない」とそっけない。
 がっかりした山本とわたしは汗だくとなって駐車場の日陰にペッタリ座りこんでしまった。自販機の冷たいジュースがこんなに美味しいと思った事はない。
 ふたりで元気をとりもどし駐車場周辺の聞き込みをはじめた。
 留守宅も多く在宅の年配者も、けげんな顔で
「さあ~五〇年以上も昔のことは・・」、と首をひねる。
 だんだん陽もかげってきた。
 「いったん千葉に帰り、この地番の登記簿謄本とって出直そうか」とわたしが弱音をはきだす。しかし山本は
「ここまで来た以上もうすこしがんばる」といいはる。
 そして、ついに僥倖が降ってきたのだ。
 三〇軒目くらいで年配の夫婦が玄関に出て来て、ご主人が
 「あの駐車場の土地は戦争後は孤児院でしたよ。米軍の慰問のバンドがよく来たので子供だったわたしも覚えています」というではないか。
 「孤児たちが火遊びして火事で閉院になりました。地主さんは近くの浄明院さんです。住職のお母さんがくわしいはずだから電話をしてあげましょう」
 少し坂道を下った浄明院に行くと住職の母親が玄関で待っていてくれた。
 「土地を貸していた孤児院の経営者の息子さんが福岡に健在ですよ」と、昔の地代入金を墨で書いてある大福帳を引っ張り出してきて、そこに書いてある電話番号に電話をしてくれた。
 電話の向こうでは、
「孤児院を経営していた両親も亡くなり、孤児たちの名簿は火事もあってもうありませんが、横浜空襲で親をなくした大ぜいの孤児を預かっていた。
 山本さんの年令だと戦災孤児ではないようだが何か事情があってうちに来たのでしょう。裁判所に証言してあげますよ。孤児たちがわたしらと一緒に遊んでいたXX小学の校庭は浄明院の隣りです」とまで言ってくださるではないか。 
 もう間違いないと山本とわたしは握手した。
 「きっと山本さんの籍がとれますように仏様にお祈りしてあげましょう」と住職の母親が励ましてくださり、帰ってきた息子の住職さんにお茶をごちそうになって、お寺の隣りの校庭に行ってみた。 小学の校舎は統合でもうないが校庭だけが残っている。
 「ここで遊んだこと思い出した?」ときくと、山本はしきりに首をかしげて何もいわない。
 やっと涼しい風がでてきて夕闇せまる校庭に二人で立ち尽くした。
  ―――――
 以上の顛末を書いて家裁に提出したら山本の戸籍が決まった。
 おめでとうございます、本籍はどこにしますか? と判事が聞くので、わたしの自宅の住所にしてもらった。
 あれから、もう五年もたってしまった。

          Ⅲ

 今年の夏。
 山本から久し振りに電話がきた。
 電話の向こうで「思い出しました」としきりに言っている。
 根が口下手な男だが話の内容を要約するとこうだ。
 数日前、千葉港に七夕の花火を見に行った。
  花火をみていると、子どもの時にさんざん聞かされた母親のはなしを記憶の底の底からふと思い出したというのである。
 山本の母はやっぱり終戦の年の五月二九日の横浜大空襲の戦災孤児だったのだ。
  毛髪が燃えるほどの大やけどだったが家族のなかでひとり生き残った。孤児といっても十五か十六才だったという。当時「傷痍軍人」といわれた身体の不自由な元日本兵に拾われて掘っ建て小屋でいっしょに住んだ。
 ふたりは戦後の闇市時代にオンボロなリヤカーでクズ拾いをやって食いつないだ。空襲の跡地から金属類を掘り出し、農家の壊れた農機具などをもらってきて金にかえた。朝鮮戦争のはじまるころ、くず拾いも景気がよくなり義男が生まれた。
 しかし、この両親はけっきょく婚姻届も義男の出生届もださなかったのだ。
 「爆弾のせいで大やけどしたんだよ」と母は義男に同じ話をきかせたという。空全体から降りそそぐ焼夷弾の恐怖が母親から幼い義男にも伝わったのかどうか、ドーンと頭上で炸裂する花火をみて、突如、山本の幼時の記憶がよみがえったのだ。
 そして義男が小学に上がる前に、その母親が突然いなくなった。いや死んだのかもしれないが、山本は思い出せないという。
 身体の不自由な父は幼い息子を育てられず浄明院近くの孤児院に預けたのである。
 ―――――
 幼時の記憶をついにとりもどした電話の向こうの山本に、わたしは
「よかったなあ」と言おうとしたがなぜか言葉が出てこなかった。
  戦地で生きのびて妻のもとにやっと帰ってきたというのに、妻が弟の嫁になっていたという、あんちゃんのことが突然わたしの脳裏によみがえってきたからである。

2016年8月10日水曜日

鈴虫・・・褌子

鈴虫が盛んに鳴き出した。わたしの耳には、リンリンリーンではなく、澄んだ音色でシュンシュン  シュンシュンと聴こえる。可愛いい稚児さんが束になった鈴を振るような音。ふと古今亭志ん生の「鈴振り」を思いだしてしまった。鈴虫のほかにメダカとゴキブリも少し飼ってるがこれは鳴かない。

2016年8月8日月曜日

わたしの好きな短篇小説   西沢昭裕   

投稿しました。
2016年1月29日 16:29
短篇といえば松本清張『火の記憶』が好きだ。辻井喬も『私の松本清張論』で『火の記憶』がいちばん好きだと書いている。
太宰治ではむろん『走れメロス』。司馬遼太郎の歴史講談小説には飽きてしまったが沈壽官一族を描いた『故郷忘じがたく候』だけは忘れがたい(司馬作品では『木曜島の夜会』がいいと言う人がいるが私は読んでない)
魯迅ではなんといっても『故郷』、いや『孔乙己 コンイーチー』か。谷口善太郎『綿』もポー『大渦に呑まれて』もいつまでも記憶に残る傑作短篇。
手塚治虫の短篇漫画では『ZEPHYRUS ゼフィルス』が特にいい。映画では今井正監督の樋口一葉オムニバス三部作『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』のうち『十三夜』がとりわけ名品だと私は思った。アニメ『火垂るの墓』にはなみだがでて困った。
 短いものではこのくらいしか私にはあげられないのは残念。詩では茨木のり子『自分の感受性くらい』に衝撃をうけた。
 さいきん一週間もかけて長過ぎる小説を読んでしまった。作者の亀山郁夫さんには悪いが『新カラマーゾフの兄弟』がなぜネット上で話題をよぶ“大作”なのか鈍感な私にはわからない。もっともドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読んだときにもよくわからなかった。

『斜陽』   西沢昭裕

『斜陽』だったか、高校生のころ数ページ読んで逃げ出したことがある。そのご、中年になって『人間失格』を読んで、太宰作品がまったくの食わずぎらいであったことに気がついた。最近になって人生なんどめかの太宰治をぽちぽち読んでいる。『お伽草紙』『新釈諸国噺』などもなんとも楽しい作品。太宰治を論じたものは世の中に山のようにあるのであろうが、壇一雄『太宰治 人と文学』が玉川上水での入水自殺(桜桃忌は6月19日)の翌年の昭和24年に書いたもので二人が酒飲み友だちだっただけに特に面白いと思った。
なお太宰の「本妻」は甲府のひと石原美知子で昭和14年に井伏鱒二夫妻の媒酌で結婚している。二人の間に生まれた津島佑子の『火の山 山猿記』も石原家と太宰の実家津島家の関係などがでてきて興味深い。この作品はNHKの朝ドラ『純情きらり』になった。太宰が軽蔑していた大地主の実家の巨大な建物は「斜陽館」となって津軽平野に今もそびえ立ち、太宰フアンでにぎわっている。私が逸徳さんと金木町の「斜陽館」を五所川原から津軽鉄道で訪ねたとき、車掌さんの女性がダルマストーブのうえで軍手でスルメを焼いてくれ、たしか「岩木山」とかいう酒を2合ビンで買って車窓から雪の津軽平野を眺めながら飲んだ。あれはもう五六年まえのことだったか。

珍しい・・・猫跨ぎ

  これは珍しいね。二年ぶりですか。どういう風の吹き回しか。五十年ぶりのTさんの話ももいいが、二年ぶりの御本人の心境の変化も聞かせてもらいたいもの。
  今日は台風のもたらした風が心地いい。明日は一段と酷暑の報。
きのう東京で下のお祭り騒ぎがうるさいと火炎瓶を投げた男がいた。その後自宅に放火、自殺したとか。犯人は68歳の我々と同じ世代。こんな事件が多いね。なにか不満が世代を問わず鬱積している。しかしオリンピックがうるさい。機嫌良く見ている人達には済まないが、もっと静かにしてくれないか。火炎瓶は投げないが。

2016年8月7日日曜日

五十年ぶりの帰郷

『帰郷』 西沢昭裕

    十数年つきあった高橋さんが九州の故郷に帰ることになった。長年、おんぼろ貸家でひとりぐらしだったが、故郷の町営住宅にやっと入れることになったのである。きょう、軽トラでテレビ、冷蔵庫、洗濯機の処分をしてあげた。いまの貸家に引っ越してきて一度も掃除をしたことがないという。綺麗好きなひとがみたら気絶しそうなゴミの山。夏だというのにコタツで寝ていて缶ビールの空き缶、タバコの吸い殻がコタツの上に山になっている。それでも毎日風呂に入ってヒゲだけはちゃんと剃ると自慢している。私も手伝って市の大きなゴミ袋で毎朝ゴミステーションに根気よく捨てて、全部捨てきる見込みがついたのでお盆前に故郷に出発するとのこと。
 高橋さんというのはむろん仮名だが九州のある工業高校をでて大手電機メーカーに入社、ラグビー部で活躍したこともあった。写真をみせてもらったが美人の奥さんと職場結婚した頃が瞬間的に一番幸せだったという。ところが奥さんがカルト宗教のエホバの証人の熱心な信者だと知らずに夫婦になってしまったのである。職場での布教に行き詰まり夫にも入信を拒否された奥さんが自殺。高橋さんも会社に居づらくなり退職し、いろんな職業を転々。
 高橋さんは人を疑うことを知らない性格で退職金や生命保険金も悪いやつらにだましとられてしまい、わずかの年金で質素に暮らすうち天涯孤独の七〇代なかばになってしまったのである。
 ーーー
 五〇年ぶりに故郷の親戚や同級生に会っても俺のこと覚えてるかなあとしきりに心配していた。
もう会うことはなさそうだがお互い元気で・・・と高橋さんと握手して別れた。

『駅馬車』 西沢昭裕

一日一善。
親しくしていた書道家の上杉さんがお亡くなりになって、遠くの子どもの所へ引っ越した奥さんに頼まれていた仕事場の大掃除に武田さんから借りた軽トラで伊達さんと出かけた。たくさんの墨、硯や和紙、書道の本が軽トラいっぱいもあって故人の遺志で近所の書道塾の織田さんに届けたら大喜びされた。チャップリン全集などの映画のDVDもたくさん出てきて小生がいただいた。
帰ってもらったばかりのDVDでジョン・フォード監督『駅馬車』(1939)を女房と鑑賞。若いころに観た映画で、6頭だての疾走する馬に襲撃してきたアパッチ族が飛び移ってジョン・ウェインに撃たれる場面しか全く覚えていなかったのに、今回観たら乗客の男女や馭者、保安官8人(途中で赤ちゃんが生まれて9人)の人間模様が色濃く描かれていて面白かった。しかし南北戦争後の白人たちが原住民のインディアン居住地をいかに乱暴に奪い抵抗するインディアンを騎兵隊が虐殺したかなどは出てこない。
  『駅馬車』で大成功したフォード監督は1940年にスタインベックの『怒りの葡萄』を映画化。これも若いころに観たが開拓地を追い出されたトム一家がオンボロトラックで農業労働の仕事を求めて彷徨う光景が今も目に焼き付いている。トムを演ずるヘンリー・フォンダと息子トムを励ます不屈の母親ジェーン・ダーウェルの涙目がいつまでも忘れられない。
記憶というものは不思議なものだ。

『万葉翡翠』 西沢昭裕

   姫川の源流を信州白馬村に訪ねる。
   姫川は古事記に「沼名河=ぬなかわ」の名で登場すると源流そばに白馬村の説明板が立っている。
    万葉集には『 沼名河の底なる玉求めて得し玉かも 拾ひて得まし玉かも 惜しき君の 老ゆらく惜しも 』と卷十三に出てくる。
    この万葉歌の解釈めぐって「万葉考古学」の八木助教授が三人の学生に問題提起するところから松本清張の傑作『万葉翡翠』がはじまるのである。
    奈良時代以降、玉石=翡翠に関する歴史的な記述はぱったり途絶えて日本の古代遺跡から出土する翡翠は大陸由来だと考古学会ではすっかり思い込んでいた。1938年に姫川上流で翡翠が「発見」されても万葉歌の卷十三-3243作者不詳の「玉」に気づく考古学者は誰もいなかった。万葉集研究者も「沼名川の深い川底にある玉。探し求めてやっと得た玉なのだ。拾い求めてやっと得た玉なのだ。この大切な玉のようにかけがえもなく尊い君。そのわが君が老いてゆかれるのは、なんとも切ない」(伊藤博訳)と現代訳するのみであった。
   ところが定説に納得せず日本の翡翠発見史に興味をもつ松本清張は古事記の「沼名河」こそ実は姫川ではないか、万葉の「沼名河の底なる玉」こそ翡翠のことではないかと推理するのだ。
今でこそ青森の三内丸山遺跡の翡翠も姫川のものだと実証されているが、清張が1961年に『万葉翡翠』を発表したとき、日本考古学会は黙殺したと言われている。
    近年の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じ組成であることが判明している。かつて新羅の都だった韓国慶州の国立博物館でみた王冠には翡翠が緑の光をはなっていた。