2016年8月7日日曜日

『万葉翡翠』 西沢昭裕

   姫川の源流を信州白馬村に訪ねる。
   姫川は古事記に「沼名河=ぬなかわ」の名で登場すると源流そばに白馬村の説明板が立っている。
    万葉集には『 沼名河の底なる玉求めて得し玉かも 拾ひて得まし玉かも 惜しき君の 老ゆらく惜しも 』と卷十三に出てくる。
    この万葉歌の解釈めぐって「万葉考古学」の八木助教授が三人の学生に問題提起するところから松本清張の傑作『万葉翡翠』がはじまるのである。
    奈良時代以降、玉石=翡翠に関する歴史的な記述はぱったり途絶えて日本の古代遺跡から出土する翡翠は大陸由来だと考古学会ではすっかり思い込んでいた。1938年に姫川上流で翡翠が「発見」されても万葉歌の卷十三-3243作者不詳の「玉」に気づく考古学者は誰もいなかった。万葉集研究者も「沼名川の深い川底にある玉。探し求めてやっと得た玉なのだ。拾い求めてやっと得た玉なのだ。この大切な玉のようにかけがえもなく尊い君。そのわが君が老いてゆかれるのは、なんとも切ない」(伊藤博訳)と現代訳するのみであった。
   ところが定説に納得せず日本の翡翠発見史に興味をもつ松本清張は古事記の「沼名河」こそ実は姫川ではないか、万葉の「沼名河の底なる玉」こそ翡翠のことではないかと推理するのだ。
今でこそ青森の三内丸山遺跡の翡翠も姫川のものだと実証されているが、清張が1961年に『万葉翡翠』を発表したとき、日本考古学会は黙殺したと言われている。
    近年の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じ組成であることが判明している。かつて新羅の都だった韓国慶州の国立博物館でみた王冠には翡翠が緑の光をはなっていた。


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