昔ちょっと読んだだけなのに憶えている話というのがある。たとえば古生物学の井尻正二が紹介した詩人吉田一穂の「お山の杉の木」という話(ふたりは北海道出身で友人だった。以下コピペ
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『お山の杉の木』
ある山に一本の杉の苗木がはえていた。杉の木はやさしい日の光にはぐくまれ、風や小鳥と対話をしながら、だんだん大きくなっていった。そしてある日、杉の木は遠くに青い海を見ることができた。杉の木は丈夫で大きくなったおかげで、海を見ることができた、といってよろこんだ、とかなんとかいう話だが、そんなことはどうでもいい。
だから素人の芸術は困るっていうんだ。
俺が童話を書くなら、こうはしない。前段はどうでもいい。ちょっとロマンチックでさえあれば、あんなことは誰にでも書けるからな。
いいか、ある日、杉の木に渡り鳥がきてとまって、杉の木に海の話をしてきかせた、というところからはじまるんだ。
海の話を聞いた杉の木は、海ってどんなところだろう、海へ行ってみたいな、と思ったが、この希望は永遠の夢におわるよりほかはなかった。
ところがある日、山の麓から一人の木こりがやってきて、杉の木を根元からぶった切ってしまった。
どうだ、杉の木はぶった切られたんだぞ。これでは海は見られなくなるし、なんて残酷な筋だろう、と思うだろう。そうじゃないんだ。
ぶった切られた杉の木は、枝をはらわれ、皮をはがれ、やがて山から町へおろされて、船のマストにされたんだ。
どうだ、船のマストだぞ。こうして杉の木はあこがれの海へ行き、世界中の海を見てまわることができました、とするんだ。
杉の木は死ぬことによって生きるんだ。こうした否定のない芸術は、やはり素人の作品で、芸術などといえたしろものではない。芸術とはこういうもんだ。
どうだ。わかったか。

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