それは俳句の出自を考えねばならない。周知のように、俳句は連句の先頭にある発句から生まれた。そうすると連句の説明をしなければならないが、五七五と七七を繋げて展開してゆく。つまり五七五の内容を受けて七七を付ける。ついでこの七七の内容を受けて五七五を付ける・・・という具合に、交互に付けて、三十六回続けて終わる。これを歌仙を巻くという。直前の句にのみ関連させて付けてゆくから、話がどこへ飛んで行くか誰にも分からない。これは極めてスリリングなゲームといっていい。まあそれはそうとして、ここで大事なのは、この場合でも、五七五七七、または七七五七五がワンセットになっている。つまり基本的には短歌の世界なのだ。
先頭の発句の話に戻ると、あとに長々と続く平句とは厳密に区別される。連句の巻頭を飾り、重い存在感を示さねばならない。完結していなけれならないわけだ。俳句はその気位を引き継いでいると言ってもいい。つまりね、連句から独立した新しい詩型として自立する契機を有するということ。そこへ貴兄のいうように、七七を付けると、ずるずると後に戻ってしまう。
実は吉本隆明が俳句を論じている。「僕の理解では和歌が、のっぺらぼうになって、パンチの強弱がなくなった。俳句はそれから句切れたものです。」という。さすがだなと思う。和歌がどんずまりになって、一種の破壊作用が働いたというわけだ。その気分は忘れるべきではないと思う。以上は俳句の自立の契機であるが、短歌の世界の存在意義はもちろんある。まあ、どちらをとるかは、自分の胸に聞くしかない。
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