ご尊顔であるのだから排するのはやめてくれ~っ!ぜひ拝顔にしてほしい!あまり自慢できる顔ではないけれど・・。
俳句論が深まっていますねぇ。逸徳さんの素直な思い(悩み)と猫跨ぎさんの高尚な解説・・。
逸徳さんの「追加」の投稿(9.11付)を読んだとき、「きみならさもありなん」と感じた。逸徳さんは昔から(学生のときから)説教調の長話が得意だった。(失礼!) “で、要するに(君のいいたいことは)・・ということなんだよね”とだれかがフォローして会話が一段落する。そのパターンを当てはめれば“五七五では何か言いきれないのである”はそのあとに追加解説することをしないと気が済まない思考パターンが顔をのぞかせている。だから俳句がうまくつくれん、・・和歌の方がぴったりくる、と結んでいる。先週だったか、俳句は主観でなりたっている、という私の疑問(愚問)も、五七五の字数はいかにも短い、が根底にあった。そんな短文で自分(作者)のいいたいことが表現できるのだろうか、と。
猫跨ぎ氏の俳句の生い立ちから説き起こした解説を読んで納得である。連句、発句、平句、短歌、歌仙・・、そして近代俳句。なるほどねぇ。近代俳句の源流をたどれば五七五のなかになんもかも洗いざらい詰め込む必要はない、といあり方がよく理解できる。足りないと思えば読む者が勝手に推量すればいいのだ。
それにしても猫跨ぎ氏は博識だね。恐れ入りました。
すまぬ。 誤字もみず尊顔を排してしまった・・・・ バカだなあ
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