2014年11月30日日曜日

もう12月かい・・・猫跨ぎ

  まあさ、政治問題に触れてはいけません、は身すぎ世すぎのというか、世智にたけるというか、人口に膾炙されているね。これは、職場や、公共の待合いなんかのことだね。自治会の集まりかなんかでも、その通りだ。いや、句会の後の飲み屋でも、そんな話はまずしないね。
当欄でも、なんというか政治問題をことさら持ち出しているつもりは全くない。
そうではなくて、その底にある考え方の本質、まあ存在論的なことを言っているつもりなんだが、まあもう良いだろう。
共産党は不思議な政党だね。自民党は徹頭徹尾プラグマチズムだが、そこと正反対。穀田とかいう幹部が、訪問団のなかで金親子の巨像の前でただ一人、頭を下げなかったというのは、実に好ましいこの政党の体質を表している。
褌子氏も演説で声を嗄らしているらしい。元気でやってもらいたい。

確かに・・・・・逸徳

いやいや、お師匠のいうとおりだが、若干の修正を。当方の心臓の毛、さらに七三にわけて、人の油で固めておる。全然傷つかないので、ご安心を。おととい実は24時間心電図をとったが、まあ心臓の多重構造は変化ない。ご同慶の至りといってもらいたい。いや実は、お師匠のトートロジーという指摘なぞ全然で、そのままお返ししてもいい。
 ほんとは、お師匠の提起したいことは、そういうことではなかったのではないかな。お師匠のコメントをみて、気になりここ数か月のホロホロカイをざっと読み返してみた。で気が付いたこと。お師匠のコメントに、反応がないと見える場合は、多くの場合政治的問題にかかわることが多いように見えた。で、昔からよくいうではないか。政治だけは議論するなと。深入りすると、にっちもさっちもいかなくなり、互いにひっこみがつかなくなってしまい、傷ついて何も生産的ではないと。だから、政治の話はあんまりしなくなった。これ堕落だろうなあ。しかしなんだかお師匠のことばに抜き身の刃を感じることがあるのは告白する。ゴメン。
 しかし、考えてみると、そういうテーマでも果敢に議論を挑んだのは30代くらいまでかなあ。70過ぎると、そういうことにエネルギーがわかなくなるのだ。

 二点目。言葉について考える。われわれがやり取りする言葉は数学や物理の論文みたいに没個性ではない。「AはBである」というおんなじ命題をのべても、その言葉をだれがいったかで、意味がまったく違うのだ。これは仮に、偶然にもまったくおんなじ文面の俳句を詠んでも、それをお師匠が詠んだのか、褌子氏が詠んだのかで、まったく違う作品になることとおんなじだ。だから、あるコメントを読んでも、その背景にその書き手の全人格やその人生をイメージしてしまうと、さまざまな想念というより、妄想かな、そういうものが背後霊のように立ち上がってきて、そこで何も言えなくなり、立ち往生してしまうのだ。これ年のせいだろうなあ。だからお師匠のコメントにも、それに賛成か反対かという前に、そういう生き方をしてきたお師匠を感じ、うーんと何も言えなくなる。政治問題はとくにそう。しかし、怒りっぽいのは昔と変わらんなあ。これ俳句を詠んでうーんとうなっているのとおんなじ。
 ひとつの例として、本人には悪いが褌子氏の話を使わしてもらおう。 おいらは、基本的に共産党のシンパではあるが、党員などではない。昔むかし「70年代のそう遠くない時期に、民主連合政府を」なんて、共産党がいったころからゆめをもったこともあるが、事態はちっとも進まない。だが、だからといってそこで共産党の政策を批判したりする気もおこらない。
 一方で、褌子氏が、見事にひとつの生き方を貫いていることは、友人として深くリスペクトするし、その立ち位置の一貫していることに、友人として深く誇りに思うが、そういう褌子氏に思想闘争や路線論争をぶつけることはする気がしない。(30くらいまでならやったかも知れない) しかしそれは不誠実だろうか。 おいらはにげているのかなあ。 圧倒的に感じるのは、氏のそのように貫いた生き方の歴史の重さなのであって、うーんとうなって、何もいえなくなる。でもやっぱり、共産党の今の路線には多々疑問も感じているのだ。世の中そんなに単純じゃないぞと、つぶやくのだが、あの褌子氏のノウテンキな顔をみるとだまって応援しようかという気分に陥る。うーん、こんなスペースではやっぱり表面的なことしかいえないなあ。

三点目。そういうわけでお師匠。「不愉快なら、当欄からおさらばを・・・」なんて、いってはいけない。そりゃ、なんだか「実家に帰らしてもらいます」と、夫婦ケンカの末に叫んだ奥さんを思い出し何もいえなくなり、そんなダンビラをふりまわさないでといいたい。 先は短い。楽しくいこう。


 
 
 
 

演説は健康にいいし面白い。こんな反応もありましたよ・・・褌子

市原市で演説していたら、こんな反応ありました。
■30代青年『ぼくは原発で働いてきたので、原発ゼロにしろと言われると頭にくる。原発が役にたっていることも演説してほしい』
■50代男性『あんたの演説で知りました、政党助成金もらってないとはエライねえ。小渕優子ら自民党が世襲議員ばかりだということを批判してほしい』
■80代ご婦人『ソ連に占領されていたら日本は大変なことになりましたよ。アメリカに占領されたおかげで、こんないい国にしてもらって。アメリカさんと仲良くやっている自民党にしか入れたことありませんのよワタシ、ホホホ…でも金権腐敗は困るわねえ』
■赤旗まつりに参加し、津田沼駅での志位演説を拍手もせず目をつむってきいていた銀行支店長だったSさん『45%は志位演説に賛成。消費税20%にして一挙に国の借金返した方がいいというのが持論だったので急には切り替えできん。とりあえず投票は夫婦であんたんとこに入れます』
■うちの女房も電話したら若者から言われた『大人がつくった国の借金は消費税20%くらいにして大人の責任で返してほしい』
■近所の元農協役員で自民党員だったおじいさんが私の演説にきいて家にまでやってきて『自民党は長い目でみると平等な政治やってるよ。うちの町会だってみてごらんよ。戦前、小作で貧乏していたうちがあんな立派な家建ててさ、大地主の息子たちが小さくなっているではないか』(農地改革を自民党がやったと思い込んでる。TPPは反対だから投票は迷っているといっていた)
■宣伝カーの山本運転手『西沢さんの演説に汚いことばがある。候補者でないからいいがねえ。“汚い政治献金”とか“自民党は破廉恥にも小渕優子さんをまた公認しました”とか「汚い、破廉恥」はつかわんほうがよい。政党助成金になると怒りでおたくの話がエンドレスになるぞ』『はいッ気をつけます!』

アサからバンまで連日演説してます・・・・褌子

 みなさん、こんにちは。日本共産党です。12月2日公示、14日投票の衆議院選挙になりました。 この年末の忙しいときに突然、安倍首相がなぜ700億円も税金つかって選挙やるのでしょうか?。
 このかん自民党がごり押してきた消費税増税や年金の引き下げ、介護保険の改悪、海外で戦争する国に道を開く集団的自衛権、戦争準備をかくす秘密保護法、原発再稼働などが、7割8割もの国民の批判にさらされ解散せざるをえなくなったからです。
■日本共産党は、安倍政権の暴走にストップかけるために、千葉3区では、かばさわ洋平さんをたて、比例区では志位委員長はじめとする候補者の勝利のために全力をあげます。
■みなさん。安倍首相は、消費税10%引き上げを一年半先送りして、再来年になったらどんなに景気が悪くなっていようと必ず10%にひきあげると宣言しアベノミクスの失敗をおおいかくして選挙をやろうとしています。
■この消費税の引き上げは、2年前の民主党政権のもとで、民主、自民、公明の三党合意、自民・公明・民主の増税三兄弟がやったものです。消費税8%ひきあげの結果、景気はいっぺんに悪くなり、年金が減らされるのにアベノミクスで物価があがり就職しても派遣社員ばかりで、暮らしがこんなに苦しくなってきたのではないでしょうか。
■日本共産党は「消費税10%は、先送りでなく、きっぱり中止を」と主張しています。
 みなさんの中には、消費税引き上げは困るけれども、国の借金がどんどん増え、社会保障にもお金がかかるのだから、消費税増税は避けられないのでは、と考えている人もおられると思います。
 いま、税金をふやすなら、大金持ちと大企業に負担を求める税制改革によって財源を確保するべきというのが日本共産党の考えです。アベノミクスで年収一億円もの大金持ちが非常に増えました。税金は大金持ちや円安で大もうけしている大企業にも応分の負担をしていただくべきではないでしょうか。日本共産党は大企業から一円も企業献金をうけていないからこそ、また税金山分けの政党助成金も受け取ってない唯一の政党だからこそ、国民の立場になってこのような主張ができるのです。285兆円にもふくれあがった大企業のため込み金=内部留保の一部を活用し、国民のふところをあたためる、給料をふやすこと、中小商工業を支援することが格差社会をなくして国民が豊かになって結局税収を増やします。消費税に頼らないで、社会保障や暮らしのための財源、そして財政再建のための財源もつくることができます。
■みなさん。日本共産党は、憲法9条を生かした平和な日本への転換、原発即時ゼロを求め、安倍政権に、どの問題でも正面から対決し、国民とともにたたかう政党です。沖縄県では米軍の新しい基地建設に反対する県知事当選のために日本共産党は大奮闘して勝利しました。
■いま安倍政権は木更津にオスプレイの基地をつくろうとしています。米軍24機のオスプレイ、自衛隊は17機とあわせて41機ものオスプレイが木更津基地に来ると報道されております。すでに32名もの乗組員が死亡している危険なオスプレイが木更津にきて、市原市の上空、石油コンビナートの上をとびまわることに断固として反対しているのも日本共産党です。こんどの総選挙では千葉三区では、かばさわ洋平、かばさわ洋平、比例区は日本共産党へのみなさんのご支援をよろしくお願いします。
■みなさん、自民党公明党の政治では暮らしがよくならないことが証明されました。他の野党は、くっついたり離れたり、みんなの党が解散したり、とくに民主党政権は原発再稼働、消費税増税など公約破って国民から見放されました。いまこそ安倍暴走政治の年末の大掃除をしようでありませんか。日本の変わり目、こんどばかりは党派をこえて日本共産党にお力をお貸しください。
■政治の真実を毎週毎週お知らせする新聞は日本共産党のしんぶん赤旗だけです。この機会に、しんぶん赤旗のご購読をお願いし、訴えを終わらせていただきます。

2014年11月28日金曜日

傷つく考・・・猫跨ぎ

  おやおや、大変なことになったようで。元来育ちが育ちだから申し訳なかったかな。傷つく、ねえ。これ人によってレベルが違うからね。私に言わせれば噴飯ものだね。逸徳氏のように心臓の皮が多重構造になっており剛毛が生えている御仁にはかすり傷にもならないのではないか。
  敢えて言うと、皆さんの当欄への応答の仕方に些か異論がある。例えば何か私に質問、意見があったとしよう。私は直ちに即答してきたつもりだ。ところが他の方はやや趣を異にするね。多くは黙ってしまうことが多い。私はこの沈黙が実に解せない。気持が離れたのか、面倒臭いのか。逃げたいのか。沈黙は別の意味で人を傷つける(かな)。そういうことが重なると、自然に言葉が強くなるのかもしれないね。沈黙は沈殿し腐敗するとはそういうこと。乙女の如く傷つきやすいんだね。なにを後生大事に守っているのかね、70歳の爺さんが。まあ、こういう言い方がまたまた深く傷つけ、不愉快であるなら、当欄からお暇しようか。

♪ ニシン来たかとカモメに問えば~  ・・・ 褌子

♪〜維新きたかと「みんな」に問えば〜わたしゃつぶれた「民」に聴けチョイ
  あーどっこいしょドッコイショ
♪〜カネが来たかと優子に問えば〜わたしゃ知らない秘書に聴けチョイ
  あーどっこいしょドッコイショ
♪〜ウチのセンセ何党か問えば〜わたしゃ渡り鳥アベに聴けチョイ
  あーどっこいしょドッコイショ

ひと言   ・・・  褌子

 トートロジーという言葉は知らなかったが、調べたら同義反復という意味だと知った。「貴兄の発言は同義反復だから半分くらいは省略したらどうか」などという意味のことを公開で書くのは折角熊さんがつくってくれた本ブログのプロフィール「だれを相手になにを言ってもかまわない。しかし、常に他人(相手)を傷つけないような心配りだけはぶれずに守っている、それが全員の結束の原点となっている」からみて??
 私も思いつきをぺらぺらしゃべり書いてしまう人間なので他人のことはいえた義理ではない。さいきんは夜半目覚めると、あの人にあんなこと言わねばよかった・・・などと反省ばかり。いぜんのことだが仁ちゃんにも逸徳さんにも申し訳なかったと。俳句をよむひとほど言葉を大事にする人はいないと尊敬しているので、つい余計なことを書いてしまったがご容赦を。
  さて、いま寝床で読んでいる有吉佐和子『和宮様御留』はあらすじよりも、なんとも面白いのが公家ことば。NHK朝ドラ『花子とアン』の「ご機嫌よう」も公家さんの挨拶ことばが出らしい。作者は井之口有一『御所ことば』『尼門跡の言語生活の調査研究』が上梓されていてありがたかったと、あとがきで書いているから、幕末の公家衆はきっとこんな風に会話をしていたのであろう。和宮の替え玉として将軍家へ降嫁するフキという庶民出の女性の内心は町衆の言葉でつぶやき、御所といらいらしながらめんどうな折衝にたえている京都所司代の武家衆はむろん武家言葉。こういう日本人たちがほんの最近までいたのである。

2014年11月26日水曜日

ひと言・・・猫跨ぎ

・母の家の足に冷たき部屋通る

についてちょっとひと言。私の母の家とは、母の育った家ということで、もうそんなもの無いわけですよ。完全なフィクション。母の子供の頃なんて、茫漠とした霧の彼方。そこをひたひたと歩くというイメージね。何だろうね、母恋しかな。

函館通信2-10・・・猫跨ぎ句鑑賞

本物の寒さがだんだん近づいて来た感じだ。俳句鑑賞も二人だけだと元気がなくなってきそうだ。のびのびとした勝手な評価を期待したいね。

先日の我句に対する猫跨ぎ評の追加解説を。
4.ふくよかな土偶のおしり日短・・・この二週間国立博物館で国宝展開催中。4種全ての国宝土偶が展示中。函館産中空土偶も出品しています。
6.米糠に醸し出されて床もみじ・・・猫跨ぎさんご指摘の通り 京都実相院のTV番組を見ていたら米糠の入った糠袋でこする事こする事。感心させられました。

さて、今回も面白い興味を沸かせてくれる句が沢山ありました。
・石膏は徐々に固まり木の実落つ・・・石膏のゆっくり固まる速度と木の実が落ちる
瞬間速度の差が面白い。
・ボールペンかちっと収め菊花展・・・目の前の些細な事も長年の菊花展も同じようにかちっと収まった様ですね。
・骰子の目の窪みにも秋の暮・・・ギャンブル好きには応えられないね。象牙のサイコロの目の窪みまで観察して秋の暮で突き放しているのが何とも云えぬ。特選。
・月明の褥とも見え蕎麦畑・・・どんなに広い蕎麦の花が咲いているんだろう。
・月蝕の秋野や遠くで空爆・・・同じ時間に月蝕と空爆が起きそれを日本の秋野で結んでいるのが面白いと感じた。
・門灯の不意に消されて虫時雨・・・東京五輪前の都内でもこういう状況は多々あったと記憶している。更にマンション生活では全く想像しにくくなってしまった。
・秋の日の陶片室は傾ぎをり・・・どこか発掘作業でもやっている所なのかな。
・重ね着の腕に冷たき良夜かな・・・良夜なのに腕に冷たさを感じているのはどうも複雑な心境のにおいがする。北海道は北電が電気料金を値上げした。特にオール電化の契約は普通契約より倍の値上げだ。少しでも節約しようと重ね着は常識化している。しかし寒さには勝てないね。
・しらじらと抉られし山眠りをり・・・今年も多くの山が雨で抉られた。「しらじらと」の言葉は夜が明けてゆくしらじらではなく「はっきりと」の意味でいいだろうか。言葉の使い方の上手さに何時も感心させられる。準当選。
・母の家の足に冷たき部屋通る・・・あまりにも個人的な状況の様で解らなかった。






2014年11月25日火曜日

26.11投句・・・猫跨ぎ

噛み合っていないのが双方で明らかなら、噛み合うように努力すれば?もう寝込んでしまう頃合いでもなかろうに。妙な遠慮は沈殿して腐敗するばかりだよ。

さて、忘れぬうちに11月投句。なんだか仁ちゃんとの掛け合いになってきたな。他の方も噛み込んで欲しいね。

・石膏は徐々に固まり木の実落つ
・ボールペンかちつと収め菊花展
・骰子の目の窪みにも秋の暮
・月明の褥とも見え蕎麦畑
・月蝕の秋野や遠くで空爆
・門灯の不意に消されて虫時雨
・秋の日の陶片室は傾ぎをり
・重ね着の腕に冷たき良夜かな
・しらじらと抉られし山眠りをり
・母の家の足に冷たき部屋通る

すみませんね。かみあってないがまあ、いっかあ   ・・・褌子

熊さんが書いてくださったブログのプロフィールは下記のようになっています。 ⇒
70歳前後の、ブツブツとつぶやく男性集団。だれを相手になにを言ってもかまわない。しかし、常に他人(相手)を傷つけないような心配りだけはぶれずに守っている、それが全員の結束の原点となっている。

・・・・・?    九州の熊

なんか かみ合っていない・・? まあいっかぁ!

群青   ・・褌子

「群青」はカラオケで他人がうたっていたのをぼんやり聴いていたのだが。
あとであれは特攻機で死んだ息子を思う父親の気持ちを谷村新司が作詞作曲して歌ったんだときいたので、投稿してみたというわけ。
今晩、NHKのBSプレミアムが午後9時から上映する『ホタル』は高倉健主演で朝鮮人特攻隊員の悲劇を描いた名作です。

2014年11月24日月曜日

ちょっと気になって   九州の熊

抵抗があるなぁ、とつぶやいたのは谷川俊太郎の方ではなくて「群青」の投稿ですよ。
特攻隊を賛美する気は毛頭ないけどなんかけしかけるような雰囲気を感じたので・・。

2014年11月22日土曜日

ダークマター   ・・・ 褌子

 谷川俊太郎と原広司の対談というのをききに行った。
 原広司というひとは知らなかったが建築家とのこと。「2500年間の空間的思考をたどる写経」という原広司のWALLPAPERSという展示をまずみて、対談がはじまった。文字と言葉について色々話しがでたが小生には少し難しかった。
 谷川俊太郎はこどものときから、自分はどこにいるのか?ということをいつも考えるクセがあった。地理的に自分はどこにいるのか、歴史的に自分はどこにいるのか…。(それが20才の時の『20億光年の孤独』になったのだそうだ)
 原広司も時間と空間の問題を考えるのが好きだったが、銀河系みたいなのがこの宇宙には何億とあることがわかってきて、どこまで行っても広大無辺なのか、なーんだつまらないと思ったそうだ。ところがこの宇宙で人類がわかっていることはまだわずかで、正体がわからないダークマターとかダークエネルギーが宇宙の大部分を占めているらしいと知って、がぜん毎日生きるのが面白くなったという。最後に谷川俊太郎が『闇は光の母』というダークマターがでてくる自作を朗読してお開きになった。(熊さんへ 小生の気分転換もかねて書いているだけなのであんまり気にしないでね)

               『闇は光の母』 谷川俊太郎
闇がなければ光はなかった
闇は光の母
光がなければ眼はなかった
眼は光の子ども
眼に見えるものが隠している
眼に見えぬもの
人間は母の胎内の闇から生まれ
ふるさとの闇へと帰ってゆく
つかの間の光によって
世界の限りない美しさを知り
こころとからだにひそむ宇宙を
眼が休む夜に夢見る
いつ始まったのか私たちは
誰が始めたのかすべてを
その謎に迫ろうとして眼は
見えぬものを見るすべを探る
ダークマター
眼に見えず耳に聞こえず
しかもずっしりと伝わってくる
重々しい気配のようなもの
そこから今もなお
生まれ続けているものがある
闇は無ではない
闇は私たちを愛している
光を孕み光を育む闇の
その愛を恐れてはならない

冬日を浴びに・・・猫跨ぎ

  小林秀雄は批評とは他者の作品をタネにして自説を述べることだと言ったが、まさにそんな自説の展開だな。まあ、こんな小スペースではやむを得ないが。勿論、私も含めてだが。
    失礼だが逸徳氏の言説にトートロジーを感じてしょうがない。大所から偉そうにとは言わぬが、俯瞰したがる貴兄の癖とも言える。もっと直截的に本論を述べて欲しいね。要するに前段はほとんど要省略だ。
   私は資本論の価値を少しも否定していない。剰余価値の部分は資本論の核心のようで、これをマスターしたのなら、資本論を読んだと胸張っていいのではないか。結構ではないですかと言うしかない。
折角の良い天気だ、冬日を浴びてこようではないか。

タイトルをわすれてた・・・逸徳

人生かくあるべしか。・・・・実をいうとそういうことはあんまり考えたことはない。もちろん、自分の中では考えてきたと思うが、それを人様にいうつもりもない。だいたいそんなことのために勉強するという気はない。かたがこるではないか。勉強というのは、好奇心のなせる行為だろうよ。何かのための勉強はおもしろくないよ。好奇心がおとろえた時、人はおしまいになる。そういう気がする。
ある人が真摯に人生いかにあるべきかと考えて、ひとつの結論に至ったとしよう。そのプロセスは自分自身の生を豊かにしていくためにとても大切なことだ。だが、それが物理法則のように客観的事実かどうかはわからない。ただその人にとっては、主観的な真実だろう。そして、そのようなものは、「わたくし」と「あなた」ではあきらかにちがう。このような主観的真実を客観的事実と混同することで、うんざりするほどのことばの戦争がくりひろげられ、人は疲弊する。あんまり生産的とは思えない。 これが昔、中川先生がいった「人類の通弊事」というやつだろう。 演劇「ラマンチャの男」の中に「事実は真実の敵だ」というセリフがでてくる。まさに同感。 そして、ひとはこのようにして、その主観的真実を生きる。それがその人の「ものがたり」であり、それはどんなものがたりであっても、ものすごく面白いし好奇心をかきたてられる。それはおそらく芸術の起源にもかかわる。

 
 
だから、おいらの今の心持としては、自分の主観的真実にしたがって、他人の主観的真実を批判や攻撃はしない。 それは愚かしい。 必要なことは謙虚であることだ。「あなたの主観的真実をきかせてください」と、その人の語りに耳を傾けることだ。そして、自分自身の主観的真実が、真実であるかどうかは、まともな思考力のある人なら、つねに若干の疑いを持つのはふつうであるだろうから、そのような他者の主観的真実から、自分の現在の生き方に肥料になりそうなものがあったらそれをだまってぬすみとればいい。全然あわなかったら、そういう人は敬してとおざかる。

ただしこのような考えは、共同作業としての討論を無視しているわけではない。おのおのの主観的真実の最大公約数をもとめようとするのが、社会の成り立ちのスタートだろう。そして、弱者の物語にしっかりと耳を傾けるのが、政治の役割だろう。

安倍さんに品がないことは同感である。というより今の保守層に品がない。いつも思うのだが、日本の資本主義の歴史における渋沢栄一や、めざしの朝食で有名になった土光さん、あるいは歴代宰相の中で指折りの読書家だった大平さん、そしてマックスウエーバーとまではいかなくていいから、今のハゲタカのような独占資本に対して、きちんと批判する思想家はいないか。とにかく、がっくりするほど品がない。こういうやつらが国を動かしているのかと思うと、若い人たちがかわいそうである。
 

で、そんなことを考えていたら面白い論文にであった。プレシデント9月号の野田数氏のコメントである。彼いわく「あと10年で自民党員の9割が他界する」というのだ。ムラ社会に支えられた、超高齢化現象。つまりじいさんばっかりがいばっている世界だということである。しようがない。死ぬのを待つか。

閑話休題 お師匠 キャンバスの上に自画像は書けん。そんなおっかないこととてもできん。自画像と自覚して自画像を描くというのは、気持ちの悪い自己愛ではないか。精神分析では、分析家はその資格をとる前提として、必ず自己分析というのをやる。ながいとそれに2年以上かける。そんなおっかないことはいやなので、そういう世界に首をつっこむのはやめて逃げ出したんだよ、おいらは。







 

人生勉強   ・・・ 褌子

   小生のように、思いつきをすぐぺらぺらしゃべり、緻密な思考が苦手な頭の持ち主には、『資本論』の商品からはじまる精緻な論理の積み重ねの課程をたどることは頭脳の覚醒からも本当に役立ちます。いくつになっても生きるうえで役立つと思っている。若いときから三回くらい資本論講座に通ったが結局挫折ばかりでとうとう三巻全部を読み通せなかった。不破哲三『資本論解説』の七冊だけを通読しただけで終わった。
   しかし『資本論』の剰余価値学説の中心である第一巻だけはなんとか読んだような気持ちになっている。これが中小商工業の人たちと30年つきあううえでどれだけ役に立ったかわからない。
   『資本論』を理解する上でいちばん求められるのは抽象力だ。この捨象ともいわれる能力が小生はとりわけ弱いので30才で理系にみきりをつけて本当によかった….
物理、とりわけ量子力学、熱力学、統計力学などが好きな人には資本論ほど面白い本はないかもしれない。
   というわけで来年い1月からはじまる東京での『資本論』講座に月二回だが参加しようと思っている。こんどは読み通せるかどうか、わからないが。

2014年11月21日金曜日

人生勉強・・・猫跨ぎ


不肖、いろいろ勉強はしているつもりだが。要は「人生の」の冠は、もう止めようと言ったのだ。人生を語るのに、資本論を読まねば思考を辿れないのかい。まあいいや、その成果を期待したい。

私は安倍はそれ程嫌いではない。特にこすっからいとも思わない。彼なりの国家観はあるし、その立場からは主張は一貫している。珍しいタイプだと思っている。
 
ならば、群雄の野党の国家観を聞きたいものだと常日頃思っている。個々の問題で「権力」に異議を申し立てるのは野党だから当然だ。そうではなく聞きたいのは、要するに、この国をどうしたいのだ。総合的に、有機的に、要するに整合性をもって説明して欲しい。政権にあった時の民主党の迷走振りは笑うしかない。社会党の変質振りしかり。ご立派な政見がみるも無惨に散る。共産党はどうだ。ここだけは永遠に無謬なのかな。信じるものは救われる。キリスト者のこの言葉は、キリスト復活という奇跡を信じるということだと最近知った。信仰とはそういうことだ。

きょう衆院解散    褌子

 現代日本人でも安倍首相は珍しいタイプではないか。含羞とか配慮、遠慮みたいなものがない。そういう家庭に育ち、そういう人たちに囲まれてきたのだろう。しかし巷間でいわれるような血の巡りがわるいひとでは決してない。論点すり替えの名人、都合のいい話をとっさに頭に浮かべて相手を指さしまくしたてる類いまれな才能がある。
 汚染水は完全にブロックされてます等と空気を吐くように嘘をつくいっぽう、正直なところもある。城臺美弥子さんたち被爆者の集団的自衛権閣議決定への抗議に対して「お気持ちはわかります」などとごまかさずに、「見解の相違です」と本音を言って切り捨てた。極右小児病とか子供っぽいというひとがいるが、そんなレッテル貼りは子供たちに失礼である。
 とにかく宰相の器ではないようだ。一刻も早く退陣に追い込みたい。きょう衆議院解散

資本論    ・・・ 褌子

もう人生かくあるべきの勉強の時間は終わったのだ。と、猫跨ぎさんが書いているが、私は人生かくあるべきとまったく達観できなくて困っている。いくつになっても迷い逡巡がつきないどころか増える傾向がある。夜半に目が覚めると来し方行く末に想いが錯綜することしきり。
そこで最近、小説を読み散らすことをやめて、『資本論』一巻を何十年ぶりかで再読はじめた。すぐ眠たくなるほど難しくもあり、目が覚めるような緻密な論理展開が面白くもある。ニッセさんこと西原さんが紹介していたピケティ『20世紀の資本論』も欧米でベストセラーらしい。

2014年11月20日木曜日

どこかないか・・・猫跨ぎ


逸徳氏の推薦本はいかがなものか。ぞっとしないね。いまさら他人の自死への行程を覗いて何になる。何の参考にしようと思っているのかね。もう人生かくあるべきの勉強の時間は終わったのだ。キャンバスには自画像を描きなさい。
熊さんの、もう成長前提の国家像はいいや、は同感だね。まさに衆院解散らしい。経済政策の議論がかまびすしいが、みな従来の高度成長の残影を引きずっている。リニア、原発に象徴される国造りはやめよう。ゴルフ、自動車、グルメ、はもういい。生活レベルは二段階ほど下がるかもしれないが、こじんまりしたクニで慎ましく過ごしていこうや。
こんな政策を打ち出したら断固支持だ。どこかないか。

26.11仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

1.魔女の来て一撃食らふ神無月
暴風雨来襲を魔女に喩えているのかな。こちらでは神無月だが、出雲では神在月という。神々がみな集合しているからだが。いま東京新聞で出雲、石見地方の神話の珍しい話を連載中。大和に一元化される前の神話の世界に刮目する。

2.自衛官募集のチラシ時雨けり
自衛隊は隠然たる存在感を強めている。もう時雨の陰という感じでもなくなったなあ。9条の会は、自衛隊の存在を認めているのか、否か。明々白々たる憲法違反の自衛隊をどうするのか、見て見ぬ振りせず、総掛かりの議論を一度聞かせて貰いたいものだ。

3.小六月友の便りに樹木葬
散骨のひとつ。ひそかなブームと聞くが、直接の知己がそうしたとはまだ聞かない。そういえば逸徳氏がそうしたいと言っていたが、遺族を納得させられるかの問題もある。作者の友人自身の希望でかく葬られたか。さて自分はといえば、先般故郷へ行き、我が身の処置は決めてきたが。死出の旅の話は小春日よりにのんびりとしたいものだ。

4.ふくよかな土偶のおしり日短
土偶はみな女性だ。豊かな胸、腰は多産、豊穣の願いか。壊されて出土する場合が殆どとも聞く。共通の或る信仰があったのだろう。もちろん性の話と混然と意識されていたのだろうが。特選。

5.八回裏三者凡退銀杏照る
何だか人生になぞらえたたとえ話か。北大の銀杏並木を思い出す。そういえば、道庁の前の木立でおばさんが一人ぎんなんを拾っていた。

6.米糠に醸し出されて床もみじ
床もみじ、とは部屋の黒い床に紅葉が反射する光景とあれば、米糠に醸し出されたとは、米糠で磨きあげられた黒い床のことか。京都の古刹あたりか。もちろんそれに限るまいが。準特選。

7.木枯しや粋な小噺はじまりて
寄席で落語のまくらがはじまった頃合い。外は木枯らしが吹きすさんでいる。帰りに熱燗が待っている。

8.立冬や崩れゆきたるテーピング
関節、筋肉、靱帯に巻いているアレのこと。ゆるゆるでは役に立たぬと思われるがさて。

9.相手より先に腰割り冬の空
相撲の仕切か。このところ待ったが多い。仕掛けた方が審判長にぺこりと謝っているのをよく見る。協会も要注意の通達を出しているのだろう。

10.忘れたる味に出会へて冬の湾
何かな。浜辺にある料亭での一コマか。

おひさしぶりで・・・逸徳

なにか変なのだ。確かにこういう感覚(といっても時々蜃気楼のように身のまわりに立ち上るのであって、しじゅうこうではないが。)は20年くらい前まではなかった。
 
 
自分が、ぶよぶよとした薄い膜のようなものにつつまれている。その外側の世界でおこっていることは、同時並立的で、ガザで少年がイスラエル兵の銃に撃たれて死んでいくのも、札幌のホテルでお師匠がスタバでぼうっとして、来し方行く末の感慨にひたっているのも、隣の主人が認知症になり、施設に送られていったのも、アベノミクスをさけぶ首相の顔がどうも品がなく見えるのも、九州で熊さんが、褌子氏の詩の投稿に感動をおしつけるなとむくれてみたりするのも(かわいい) みーんな、膜の外で起こっているのだ。そしてそれはおいらと主観的に、同距離で進行している。この膜の内側はひとりである。だーれもはいってこないし、原理的にはいってこられない。ああ、この膜がどんどん厚くなっていったらいわゆる離人症というやつになるのかなあ。

 だからかもしれないが、最近まったく怒らなくなった。大きいことでばかばかしいことが進行していても、もうおいらにはどうしようもないから、勝手にやってくれという気分になってしまうし、身近なことで、ばかばかしいことがおきても、それが直接おいらに被害がおよばない限り、関わるエネルギーがわいてこない。どうかむこうにいってやってくれという気分になる。そんなことにかまっているほどこちらには残されている時間はないのだ。そして、そういうのを見ていると、ああ生きるということは哀しいことだなあ、と同情したくなる。ひとの愚かさはやはり哀しいのである。
 何だか生物的なエネルギーレベルが低下しているようなのだ。 だからアフリカのジャングルで百獣の王のライオンが、うおーっととどろくようなほえ声をあげても、そのあとでじゃんグルがしーんとなったら、きっとライオンはさびしさにおそわれるのではないか。ああ、これがおいらにとっての老いの形なのだろうか。

あらゆる外部情報は、いったんこの膜を濾過してはいってくる。ところが、予想もしないような形でこの膜がほころびることもある。たとえば、孫のような若い世代が必死で頑張っているテレビ番組をみたり、あかるい碧空の下で、幼稚園のこどもたちが、生のエネルギーをいっぱいにあふれせてはしりまわっているのを見たりすると、突然涙が出てきて、思わず狼狽するのだ。膜の向こうから、感情の津波が突然ほころびを通して侵入してくるのである。 そこで、ちと安心もする。ああ、心の感動のチャンネルはちゃんと稼働していると。

で、残された時間をどうしようかと思う。それを時々考える。ひとりで散歩していた時とか、真夜中にふろにはいっている時など、とんでもないときにこの問が頭のなかに反響する。なんだかしんどいなあ。 双葉社で出した「自死という生き方  須原一秀」という本がある。これ問題のある本で、哲学者が考えに考えて、自らの哲学的事業として、65歳に自死するまでを書いた本である。ちと危険な本だが、日常性の中で眠くなったら、めざめのコーヒーにいいぞ。

2014年11月18日火曜日

母の十三回忌・・・猫跨ぎ


母の十三回忌で北海道へ行ってきた。帰りに札幌へ出て、恵迪時代の友人夫婦と会食。元医学部教授だが、六年前に脳卒中で言語機能を失った―正確にいうとこちらの言うことは理解するし、読書もするが、話せない。言葉の選択に苦闘する様が痛々しい。発作から今日に至る奥さんの懸命のサポートのあれこれには頭が下がるばかりだ。私の句集を三度読んでくれて、この句がいいという指摘は実に嬉しかった。
今朝、一時間ほど道庁から駅前通りの一帯を散策。グランドホテル内の〝スタバ〟で、街路を眺めながらぼんやりと時を過ごした。
人間の一生は、本当に、短い一章にしかず、が実感だ。子供の頃、両親と兄姉妹がいて、この団欒はずっと続くと思っていた。親がいなくなるなんて想像だに出来なかった。その両親はとっくに去り、こちとらは70才のじじいだ。この世を動かしているのは子供達の世代で、彼等が人生のピークにさしかかりつつある。老兵は死なず、去りゆくのみ、か。

おれひとり ひまにまかせて ツイッター       九州の熊

「群青・・」かなんかしらないがこの種の投稿は、ほらみんな!読めよ!どうだ、感動だろう!というような押し売りの担架のようなひびきがあって少し抵抗があるなぁ。

仁ちゃん、あいかわらずなやみがつきないねぇ。人口減、高齢化、まちの活気後退・・。いいではないか。それでみんな死んでしまうわけでもない。いまさら都会的なにぎわいがなくてもちんまりしずかに物思いに耽ってぼーっとおちゃをすする人生もいいものだと思うよ。先日おながれになった旅行のとき案内しようと思っていた若山牧水の生家や記念館は山間の超ど田舎。墨絵でかいたような山並みと川のせせらぎ、そらには小鳥が舞い、たまにこしの曲がったおじいちゃんかお婆ちゃんがとぼとぼあるいているのがみえる、最近わたしはこういう景色をみると本当にこころ安らぐのだ。じぶんも歳とったものだと改めてかみしめるのだが、かといってあまり焦燥感のようなものもない、本当にこころ休まるのだ。こういうところに谷川俊太郎をつれてくるとどんな詩をつくるのだろうなあ。 まあともかくうえを向いて明るく楽しいことを考えてくらそうぜ。

経済成長の歩みを止めずにデフレ脱却だって?! もうそろそろけばけばしい街のにぎわいを求めるのはやめようぜ。縮小均衡、おんぼろ衣装を着て、いもやこんにゃく、大根、ニンジンのにもの、そしてたくあんとお茶。こんな生活が復活しないかなぁ。リニア新幹線に大金をかけるなんてなんてばかげたことをしたがるのか。

と、まあ最近は呑気なことを考えてくらしていますです。 おわり。

函館通信2-8 函館昨今

首都圏に住む人にはピンと来ないだろうが地方都市に居ると「人口減」「雇用の乏しさ」「若者の流出」等が現実のニュースとして日々御目に掛る。

函館はある試算で20~30代女性人口の減少率(2010~40年)が全国の中核都市で最も高い60.6%とされるデータがある一方全国1千の市区町村を対象に行った今年の地域ブランド調査では、5年ぶりに魅力度全国一に選ばれてもいる。「現実」と「イメージ」のギャップがこんなに大きい都市であり、そんな中1年4カ月後に新幹線がやって来る。(飛行機の時代に未だ新幹線が話題になる事が北海道の後進性か)

女性人口の高い減少率は裏を返せば「男性が労働力として定着出来る環境が無い」とも分析されてはいるがなかなか打つ手はなさそうだ。移住者を増やそうと手は打つのだが既に全道的に人の取り合いである。函館がもつ優れた「都市イメージ」が新幹線が来てからどこまで大事にされ伸びる事が出来るのか毎日函館山を見ながら期待している昨今である。

それにしても俳句作りが四苦八苦であった。宜しく。

平成二十六年十一月
 
1.魔女の来て一撃食らふ神無月
 
 
2.自衛官募集のチラシ時雨けり
 
3.小六月友の便りに樹木葬

4.ふくよかな土偶のおしり日短

5.八回裏三者凡退銀杏照る

6.米糠に醸し出されて床もみじ

7.木枯しや粋な小噺はじまりて

8.立冬や崩れゆきたるテーピング

9.相手より先に腰割り冬の空

10.忘れたる味に出会へて冬の湾

 




2014年11月13日木曜日

わたしの書き込みです。特攻機で逝った息子をおもう『群青』にも泣けました・・・・  褌子

 『群青』
    作詞・作曲・うた  谷村新司
♪~
空を染めて行く この雪が静かに
海に積もりて 波を凍らせる
空を染めて行く この雪が静かに
海を眠らせ あなたを眠らせる
手折れば散る薄紫の
野辺に咲きたる一輪の
花に似てはかなきは人の命か
せめて海に散れ 思いが届かば
せめて海に咲け 心の冬薔薇
老いた足どりで 思いをめぐらせ
海に向かいて 一人佇めば
我より先に行く 不幸は許せど
残りて悲しみを 抱く身のつらさよ
君を背負い歩いた日の
温もり背中に消えかけて
泣けとごとく群青の海に降る雪
砂に腹這いて 海の声を聞く
待っていておくれ もうすぐ帰るよ
空を染めて行く この雪が静かに
海に積もりて 波を凍らせる
空を染めて行く この雪が静かに
海を眠らせ あなたを眠らせる
 

誰の書き込み?・・・猫跨ぎ

2014年11月12日水曜日

谷川俊太郎は20才のとき『二十億光年の孤独』で詩人としてデビューした。1952年のこと。

 『二十億光年の孤独』
                                 谷川俊太郎

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

2014年11月6日木曜日

いま世界は・・・猫跨ぎ

  生命の尊厳なる言葉が何というか枯葉のように吹き飛ぶニュースが聞こえてくる。
中国で汚職の嫌疑をかけられた高官の自殺者が40人を越えたとか。殆どは江沢民とか胡錦涛など旧政権に繋がる人脈の人達で、習近平現主席の属する太子党はいないとか。かねてから官僚の腐敗、汚職に対し厳罰で臨むという事らしいが、では腐敗は一掃かというと、どうもそうではないようだ。これは権力闘争の一環だということらしい。言うなれば旧政権側の利権を剥奪し、その場を今の権力側が占めるということだ。何と言うことはない、汚職を産む構造は少しも変わらない。

    北朝鮮では、またしても血腥い大規模な粛清の嵐が吹き荒れているらしい。独裁者の機嫌一つでどうにでもなるという恐怖が蔽っている社会で、思いきった改革、進言を言うものなど一人もいない。拉致問題の解決はまあ無理だろう。「今慎重に、調べている」という言葉でいくらでも先に延ばせる。馬鹿にした話だ。「我が国民を返せ」だけでは屁の突っ張りにもならず、「さもなくは武力で奪還する」という独裁者を震撼させる言葉しかない。そういう構造の問題だ。

    「イスラム国」はカリフを戴く独自の国家体制の実現を目指している。ここも恐怖を見せつけて支配を広げているようだ。反対派を100人規模で殺害していると報じられる。制圧した少数派に対しては、男を殺害し、婦女子は戦利品として扱うという。明らかにイスラム世界では、世俗派が退潮し、原理主義者が伸張している時代に入ったと思われる。

      ドローン(drone)という言葉を初めて聞いた。アメリカの無人攻撃機。いまアメリカの空軍はすっかり変わってしまった。アラブの戦場で敵に照準をあわせ引き金を引くのは、ネバダの奥の地下基地でモニターを眺めている人物だ。ドローンのカメラの解像度は極めて高く、衛星経由でモニターに鮮明な敵を写し、特定し、タイミングを見てドローン搭載のミサイルを発射する。当番の軍人はいつものように出勤し、何人かを殺して、帰宅する。誤爆も多いと聞くが米軍は意に介さないようだ。誤爆を恐れて、村人が過激派を匿うことを止める事を期待しているのかも知れない。この技術をイスラエルと共有しているのは間違いなかろう。そんな時代だ。