2014年12月1日月曜日

日本人は変わったのでしょうか・・・・ 褌子

 日々、演説し大勢のひとたちと対話していると、つい伊丹万作『戦争責任の問題』などをおもいだしてしまう。
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 万歳万歳と日の丸ふって送り出した息子が戦死、家も空襲で焼かれ「おれはだまされた」と泣く日本人。ただ泣くだけで、災難だとあきらめて、だまされた原因を考えない日本人なら、また何度でもだまされるに決まっている。いやもう今もだまされているんだ。
 集団的自衛権にも秘密保護法にも消費税にも公明党が賛成しても、ただ黙々と生きて黙々と地をはいずりまわって選挙運動やっている学会員が近所にいます。ニコニコと親切でじつに質素に生きている。
 デモにも行かず新聞も読まず、サービス残業にも早朝出勤にも負けぬ丈夫な体を持ち、一日に学会芸能人の歌番組一時間と少しの学会提供CMをみて、武器輸出に公明党が賛成したことも気にはせず、原発事故はずっと東のことだと安心し、西に消費税反対と声を上げる人あればどこかの党だとレッテルを貼る。そういうものに私はなりたい・・・。
 米軍の捕虜になった日本兵を尋問した報告。
 『日本兵は戦闘機械の優秀な歯車であり、決められた計画を細部まで実行することはできるが、急速に変化する状況に対処する才覚も準備もない。どんな訓練もこの日本人の欠陥を修正することはできない・・・』
  ナチ体制下のドイツ兵も日本兵と似ていたが、戦後のドイツ人の多くは内なるナチ思想とたたかうつらい体験を経て、その子供たちは自ら思索するドイツ人へと変貌しつつあるように私にはみえる。ユダヤ人はじめとする犠牲者への限りない贖罪をへて。
  近代のフランス軍はよく敗北する軍であったが、フランス兵は司令部が崩壊しても自分で判断して戦い続けるという。何度も革命を経験し自我を確立してきた国民性の反映でもあろうか。
  さて、わたしたち日本人は変わったのでしょうか? 来年は戦後70年です。
 自由と民主主義の日本へのみちのりは果てしなく遠いが
  劫初より造り営む殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ

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