■■■ 経済界、自民党だけが知る共産党の一議席の力と重み ■■■
総選挙の余韻が残っている。
大義なき選挙といわれ、盛り上がりに欠けた選挙といわれたが、終わってみれば、時代の地下深くで胎動していた歴史を突き動かすマグマが地表に噴き出してきた、とわたしは感じている。
新しい時代の到来を告げる選挙だった、とわたしの文学的直観が語ってくれているのである(笑)。新しい歴史を動かす歯車がゆっくりと動き出したのが、わたしにははっきりと見えるのだ。
最終議席数と最終得票数が確定した。
先ず獲得議席数を見てみよう。
自民党 290(-3)小選挙区222 比例区68
民主党 73(+11) 小選挙区38 比例区35
維新 41(-1) 小選挙区11 比例区30
公明党 35(+4) 小選挙区9 比例区26
次世代 2(-17) 小選挙区2 比例区0
共産党 21(+13) 小選挙区1 比例区20
生活党 2(-3) 小選挙区2 比例区0
社民党 2(±0) 小選挙区1 比例区1
無所属 9(-8) 小選挙区9 比例区0
一つ前のブログで、共産党の一人勝ちと書いたが、民主党も改選前から11議席増やしている。13議席増やした共産党と2議席の違いだが、やはり共産党の一人勝ちという事実は変わらないだろう。民主党の幹部自らが惨敗を口にしているのだし、党首の海江田万里は小選挙区でも敗れ、比例でも復活当選はならなかったのが象徴的だろう。そして、勝っていたとしたら、余韻が明け切らない選挙後早々に、野党再編に向けた動きはなかったはずだ。海江田万里が落選したから党首選挙の必要性があるということよりも、再編に前向きな細野豪志が真っ先に名乗りを上げたことが、野党再編へと歩み出すことを如実に物語っている。
野党再編の動きとは、小選挙区を前提とした二大政党制を睨んだものだが、この件については後で述べたい。
次に得票数をみてみたい。
今回の総選挙(投票率52.66%)と比較するために、2012年総選挙(59.32%)と2009年総選挙(69.28%)の得票数を記すことにする。( )内が2012年、[ ]内が2009年である。
自民党 1770万票 (1660万票) [1880万票]
公明党 730万票 (710万票) [810万票]
民主党 980万票 (960万票) [2980万票]
共産党 610万票 (370万票) 「490万票]
共産党が全小選挙区に候補を立てているから単純には比較できないが、注目して頂きたいのは得票数の推移だ。69.28%の投票率があった2009年のときよりも増えているのは共産党だけなのである。それも、120万票であり、2012年と比べると、実に240万票増えているのだ。
比例選挙区で見てみよう。ほぼ同じ投票率だった昨年の参院選(投票率52.61%)と、今回(52.66%)を比較したものだ。( )内が参院選の数値である。
自民党 1766万(1846万)
公明党 731万 (757万)
民主党 978万 (713万)
共産党 606万 (515万)
民主党は有権者への裏切りと失望からどん底にまで落ちた支持を取り戻しつつあるのだろう。自民党と公明党は減らしている。自民党の比例における絶対得票率(有権者全体から見た割合)は、たった17.0%だという驚異的な数値である。前々回、政権を失ったときの18.1%よりも少ないのである。頭打ちどころか減り続けているというのが現実だろう。
こうした数値を見てくると、自民党は小選挙区のマジックと低投票率によって辛うじて政権を維持していられることが分かろうというものである。
自民党にとっては、もっと由々しきデータがある。
東京の比例投票において、無党派層の投票先が一番多かったのはなんと共産党だったのである。共産党が22.5%、自民党が20.6%、民主党が20.3%という驚くべき数値だ。
これ以上に恐ろしいデータがあるといったら、安倍晋三は青ざめることだろう。
大阪の毎日放送(MBS)のラジオ番組『2014総選挙開票特番 センセイこれからどうするの? 今夜、聞きまくります』の冒頭で、「投票に行かなかった方にお聞きします。もし投票するなら比例は何党ですか?」とリスナーに尋ねた衝撃的な結果だ。結果は次の通りである。
共産党 47%
自民党 26%
維新の党 21%
民主党 5%
公明党 0%
次世代の党 0%
社民党 0%
新党改革 0%
「調査は『テレゴング』という名の携帯電話を使ったラジオ独特のもので、番組がリスナーに呼びかけた。呼びかけから集計まで早いものでは、数分間しか時間をかけず、たっぷり時間をかけて無作為のサンプルを調査する『世論調査』とはまったくの別物だ。早い話が、MBSラジオの開票特番のリスナーに対象が特定されているので、偏りがないとは言えない」と断りを入れた後で、「しかし、そうした前提を差し引いても、この調査の結果は驚きに満ちていた」と衝撃の凄さを隠さない。
このデータに接したのは、一つ前のブログに寄せられたmoさんのコメントなのであるが、それに対してわたしが感想を述べている。
コメント有り難うございます。
興味深い内容の記事です。
この47%の数値をどう読むかですね。
私は安倍政権と自民党に対する有権者の憤りという「感情」の数値だと思います。自民vs共産という構図だから「感情」が共産党に向かったのではないでしょうか。
但し、この「感情」が共産党に入れるという「意志」にまで昇華しなかった。だから投票しなかったのではないのか、と思います。
この「感情」は政治不信と背中合わせです。政治不信と憤りの「感情」とは方向性がありません。何処に行くか分からない。巧みに煽り、誘導すれば排外的なナショナリズムにもなり得る。政治不信と閉塞感と行き場のない憤怒という「感情」は、ファシズムの温床です。
共産党が更に躍進し政権を狙うとしたら、この47%の「感情」を共産党しかないという「意志」に変えるものが必要でしょう。私のブログの内容とも関わりますが、現実の共産党の姿をはっきりと示すべきだと思います。保守と革新の対立軸という従来のイメージではなく、自民党が破壊しているものと、共産党が守ろうとしているもの、自民党の描く未来(あるのか?)と、共産党が描く未来をはっきりと示すべきではないでしょうか。
共産社会とはがちがちの資本主義発達史という進歩史観通りに見なくてもいいのではないかと思います。早い話が、同志社大学の浜矩子教授の提唱する里山資本主義とは、経済成長神話から開放されて、人々が自由と平等を基本として、経済成長をするためにマスメディアを使って煽られ、無理矢理に膨れ上がらせられている無意味な欲望を抑制して、環境に過剰な負荷をかけない循環型社会像であり、社会的富を皆で分かち合い、助け合う暮らしの中に生きる悦びと幸福を見つけ出そうというものだと理解しています。瑞々しい文化とはそうした社会に息づくのでしょうね。
ギスギスした経済効率と最大利潤を求める経済成長至上主義の競争と格差の社会では生まれません。市場が一元化するので感性までもが多様性を失うからです。
第一、このまま経済成長を続けていったら地球の破滅です。
私は自分の保守主義を「里山主義」と名付けているのですが、人の暮らしと関わりながら、循環的な生物の多様性を生み出す社会を里山に象徴させました。
「共産」の意味とイメージを、反共教育で作られたイメージとしての武力革命と資本主義発達史の延長の姿から開放すべきだとも思っています。が、そうするとマルクス主義ではなくなる恐れがあるから難しいのかなあ(笑)。
ともあれ、保守と革新を超えて、この無意味なイメージを払拭し、沖縄と3・11の心の原点に立って、あるべき未来を指し示す中で共産社会のイメージと展望と、そしてその内実とを国民にはっきりと見せることでしょうね。
そうすれば、もう共産党しかない、という必然的な「意志」にまで昇華します。
私は西欧近代主義の歴史的転換点だと思っているのです。だから歴史的激動期なのです。その証左の一つを、従来の保守と革新の対立軸が無意味になったことに見ています。(一部加筆しました)
わたしは47%を純粋な意味での共産党の支持票だとは考えていない。曲がり間違えれば、偏狭なナショナリズムへと変質する可能性を秘めたものとして見ている。歴史が教えてくれてもいる。
しかし、この数値は共産党が政権を奪えるという可能性をも示すものだ。誰もが考えもしなかったことが、現実になるかもしれないという厳粛な事実である。だから、権力側にとっては無視できない恐怖を伴った数値だということなのだろう(笑)。
共産党への恐怖は既に現れている。
麻生財務大臣が、大企業の内部留保を活用し内需を拡大すると発言したのだ。これは総選挙中に共産党が訴えてきた政策だ。他の野党がアベノミクスの対案を示せないばかりか、アベノミクスを全否定できずに部分否定に終始した野党をしりめに、共産党のみが示した対案なのである。
総選挙の余韻がまだ残っているこのときに、何故に電撃で共産党の政策を横取り(笑)したのか。恐怖が仕向けたからだ、としか思えないではないか。それほどまでに、今回の総選挙における共産党の躍進の持つ本質的な意味にたじろいだのである。
この発言は当然に自民党単独のものではない。自民党のバックにいる蔭の支配者である大資本の意志であり、恐怖なのである(笑)。
共産党の1議席が持つ重みと力を誰よりも身に沁みて知っているのは、自民党と経済界(大資本)なのである。
たかだか21議席で何ができる、と嘯いている野党には、永久に分かるはずのない深層に隠れた本質的な意味なのである。その証拠に、相も変わらず野党再編という野合に走ろうとしているのだ。小選挙区制を温存したままの二大政党制を妄信しているのである。これまでのデータをみれば、小選挙区制が自民党にとって命綱であることが分かる。そして、可能な限り投票率を低く抑えることが必須になる。その端的な現れが、大手マスメディアを使っての政治不信と政治的諦念の捻出に他ならないのだろう。小選挙区制を温存したまま、小選挙区制の前提に立って、これから野党が繰り広げる野合劇は、凋落が必死の自民を利する行為でしかないだろう。
こうした野党の動きなど、自民党と大資本にとっては痛くも痒くもないのではないだろうか。これまでの小沢一郎がしてきたことの延長の政治的喜劇であり、政治的悲劇であり、政治的堕落なのである。こうした離合集散が生み出したのは政治不信と政治侮蔑と政治的諦念と、そしてやり場のない憤怒と絶望の感情を社会の中に膨れ上がらせ、時代の閉塞感を充満させただけなのである。
こうした社会的な空気は、危険なファシズムの温床でもある。実際に安倍晋三のような軽薄なネオナチの心情を生きる政治家によって、社会的雰囲気を極右へと導いているではないか。
二大政党制とは国民にとっては不幸である。
小沢一郎は、安心して任せられる責任ある野党の育成による政権の移譲可能な二大政党制を説いたが、「安心して任せられる責任ある」という言葉は誰に向けて言われたものなのだろうか。わたしは国民ではなく、経済界(大資本)だと思っている。自民党と自民党亜種の政党だけが存在を許され、その二つの政党でたらい回しができればそれこそ願ったり叶ったりであろう。
アメリカ社会がどうしてこれほど極端な格差社会になったのか、どうして巨大金融資本と超多国籍企業を野放しにしていられるのか、諸悪の根源は二大政党制にあると思っている。ほとんど同じ二つの政党の選択肢しか与えられていない牢獄に、国民が幽閉されているからだ。あたかも変わったような錯覚に陥るが、違いはバックで操る巨大資本の顔ぶれの違いだけである。巨大資本の姿によって性格は多少変わる。戦争を生業とする巨大資本と、国民生活に関連する巨大資本とは当然に性格が違うものである。が、本質は一緒だ。
だから、民主党と共和党で政権をたらい回した結果が、超格差社会の出現なのである。
アメリカの場合はレッドパージがあったことを忘れてはならないだろう。
そして、二大政党制とはマスメディアによって世論操作を行えば、容易に独裁的な政治状況を作り出せるという危うさがある。安倍政権が見せてくれている。
護憲、反原発、反TPPを明確に党是とした政党が野党にあるだろうか。社民党と共産党だが、社民党はあろうことか、橋下徹代表が自ら自民党の補完勢力だと明言した維新の党と選挙協力したのである。維新の党は護憲派ではなく、竹中平蔵をブレーンとしていることからも分かるように、新自由主義を党是に掲げている。自民党よりもドラスティックな規制緩和と市場開放を求めているのである。何を血迷ったか、と言わざるを得ない(笑)。
わたしはどんどん野党再編をやればいいと思う。どうでもいいことだからだ(笑)。
自民党と、そして特に経済界にとってもどうでもいいはずだ。敵をはっきりと共産党に絞り、日増しに大きくなる敵の姿に恐怖を覚えているからだ。
わたしは既存の保守と革新は意味をなさなくなった。そして、自民党が日本の文化と伝統と、日本人の心の故郷である原風景を破壊している元凶だと言った。共産党こそが日本の文化と伝統と、日本人の心の故郷である原風景を守っている唯一の政党だとも言った。それが現在の政治状況としての真実であり、その真実の前に躊躇することなく、新しい対立軸と価値基準を共産党の主導の下に作るべきだと言った。
沖縄の心と3・11の心の原点に立つことで、日本人のあるべき生きる姿を見据えて、未来の社会を描いて欲しいとも言った。その社会が共産社会なのだろうが、マルクスは共産社会を語ってはいないのである。マルクスが語っているのは社会主義社会に至る必然性であり、その先に共産社会があると言っているにすぎない。
日本のあるべき未来として具体的に語るべきは、共産党だろう。そのあるべき未来の前には、既存の保守と革新の価値観は無意味なものになっているはずだ。既存の保守と革新の境界線と意味が無意味になったとは、中道という概念も無意味になることである。従って、「社会民主主義」も無意味になることだと、わたしは断言できる。酷であるが、もう社民党の役割は終わったのかもしれない。既存の土台としての価値観が激しく揺れ動いている時代の転換期ならば尚更である。
自民党と経済界(大資本)の恐怖はこれだけではない。
わたしが上述した動きが既に起こっているからだ。
わたしも認識が甘かった(笑)。既に共産党は実践しているのである。
Twitterで共産党の重鎮、小池晃共産党副委員長がこんなことを呟いている。
筑西市・樋口雷神社前で茨城県議選出陣式。氏子総代として神社を守った鈴木さとし県議、新中核病院建設のためにもなくてはならない議席、党派こえて守り抜こうと訴えました。神社前での選挙第一声は初体験。保守の皆さんとの共同の広がりを実感します。
その写真を見て正直びっくりした。想像もしなかったからだ。共産党の北陸信越ブロック事務所の手になった農業バナーのコピー「農業は国の礎」とともに、沖縄の心と3・11の心を生きる保守の人たちの心を、共産党が引き寄せているのは間違いない事実である。それをどこまで加速させるかが課題なのだろうか。
北陸信越ブロック事務所の方のツイートでも、盤石なはずの保守地盤である石川でも共産党に賛同する保守の人たちが大勢現れ始めたようである。
自民党が地方の地場産業と農業を破壊すればするほど、保守の心は共産党へと吸い寄せられていくのだろう。が、今の自民党にはそれを食い止める力はない。ネオナチ極右政党でしかないからだ。そして、経済政策は新自由主義そのものになってしまっている。TPPへと暴走するだろう。できるとすれば、金を地方にばらまくことだろうが、過去のようにそれで地方全体の経済が潤うという構造は崩れてしまっている。部分的な一次しのぎであるばかりか、地方の歪みをより大きくするだろうし、財政赤字がねずみ算式に増えていくことだろう。性懲りもなく、また大増税をするとしたら、永遠のイタチごっこである。いや、イタチごっこを通り越して破滅であろう。
超国家主義は国家を絶対化し、新自由主義は国境を無くして市場の一元化を目差す。共存できそうにないように思えるが、国家を隠れ蓑にして強大な軍事力で市場の一元化を図るのである。経済は新自由主義、政治は超国家主義という分裂症をネオナチ安倍自民党は生きている。ネオナチの色彩を強くすればするほど、軍需産業への傾斜は強くなるだろう。ベトナム戦争で使われた非倫理的な枯れ葉剤を作ったモンサント社が、農薬などを作る化学会社であることを見れば分かるように、戦争とは様々な産業が関わっている。化学肥料は行程を少し変えるだけで爆薬にもなる。
良質な保守の心が反自民へと変わり、共産党へと雪崩れていくことを、最早止めることは不可能なのではないだろうか。
こうなると、共産党への風当たりは強くなるだろう。
自民党だけではないはずだ(笑)。露骨な反共キャンペーンが繰り広げられるのだろうか。アベノミクスの破滅的な破綻は早晩やってくるはずだ。国民生活の惨状も深刻となるだろう。自民党と経済界(大資本)にとってはのっぴきならない危機的状況だ。だからこそ共産党への恐怖は増幅されるだろう。
共産党への恐怖心が、戦前のような極右独裁軍事政権の道へと加速させて、奈落へと続く坂道を転がり落ちていくという危険性も考えられる。反原発と護憲は国民の大多数を占めている。沖縄の圧勝も共産党を決して孤立させることはないはずだ。戦前とは違い明らかに状勢は明るい。
共産党へと結集した国民と、ネオナチ安倍政権との本当の戦いはこれからが正念場なのだろう。
(北林あずみさんのHP『安曇野賛歌―風よ安曇野に吹け』から引用させていただきました。西沢昭裕)
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