2014年12月26日金曜日

ではおいらも参戦を・・・・逸徳

教育の本質的目的は何か、若い教師に問われて、しばらくの間何人かで議論したことがある。文化の伝承とか、次世代の育成とかそんな公式論ではなく、まさに本音でいうと教育の目的は何なんだ。
 
結局おいらはこう思う。歴史において、あらゆる意味において現状肯定は退歩のはじまりである。
現在というものに何の問題もないという状況はまずありえない。そこで、現状に対して、アンチの対案を出すこと。そういう営みがないと歴史は基本的に前に進まない。そのような努力の結果、古いものは退場し、新たな芽が芽吹き、未来が創られるのだろう。これ基本的なパターンである。したがって、何等かの形で、現実を批判し、あらたなものを求め作り出そうと努力する人間をうみだすこと。これをやや抽象的な意味も含めて、かりに「革命家」となづけることにする。そこで、おいらから見て、教育の目的はこうなる。それは「たったひとりでいい。一人の革命家を育てることだ。」と。ただし、この言葉だいぶ手垢にまみれているのでいるので、在来のことばのイメージはすててほしい。 考えてみると、結局のところそういう教育をどっかでやろうとしてきたのがおいらの教師人生だった。あるいは、生き方のスタンスといってもいい。ちとかっこういいか。しかし、そう考えていないと苛烈な現場で精神の健康を保つのに困難を感じていたのも事実なのだ。

さて、権力をにぎったある勢力があるとする。そうするとその対極に、その権力がつくりだした現実を否定して変革しようとする対極の勢力がかならず生まれる。ここでは混乱するので宗教は横におく。で、そういう勢力が生まれると、権力は自らを防衛するために必ずそういう変革勢力を攻撃し弾圧し、抹殺しようとする。それはある意味で当然の反応だ。一方で弾圧される側も当然、必死で組織を防衛しようとする。これまた当然。そして、近代においてはその典型的な例が社会主義と権力の側との戦いである。
保守権力は、社会主義者を弾圧し、抹殺しようとする。それは深く、広範であり、苛烈であり、微にいり細に渡った。 古いエピソードを思い出す。(社会主義ではないが)自由民権運動に手をやいた明治政府が「火付け、強盗、自由党」と、反政府思想を犯罪と同一視して、弾圧したのを思い出す。
そして、我々の社会においては、それは見事に成功した部分がある。日本人の精神構造の奥底までも、ある種の「空気」が浸透したのだ。おいらの故郷でのおいらがむかーし体験したエピソード。典型的農村社会である。「赤の家の前は息を止めて駆け抜ける」 コレラと同じレベルになったのだ。そこの長男が戦死した。そこで隣人から言われたことば。「これで天皇陛下に申し訳ができる」
 
・・・・・笑いごとではないのである。こういう何十年もかかってつくりだされた「空気」は、宗教のレベルに達し、そう簡単には、その空気を払い捨てられないだろう。そしてそれは一種のバイアスになって、現代人の心の奥底にも沈殿していないか。いろんなところでそういうバイアスを感じてしょうがない。
 
そうするとどうなるか。客観的にみれなくなり、まず「否定」の立場に立とうとして、その論理があとからくる。これは相当のインテリでもそういうことがある。無の状態で話が聞けない。一種の非科学的状態に陥る。それはまだおいらの中にもある。告白するが。

 
 たとえばである。共産党への批判の中に、「そういう考えでうまくいった例が今まであったか・・・」
という言い方がある。しかしこれは変だ。自然科学でまったく新しい発見があった時、そういうことは今まであったのか、と聞くのはナンセンスだろう。今までなかったから新しいのであり、いいかえれば革新というものは常に前例がないのが当然であって、もし前例があればもう革新とは言い難いと思う。
 

もっとも、社会主義が権力を持った例はないとはいいきれない。チリのアジェンデ政権は、合法的に成立し、アメリカの支援のもとで軍部クーデターに倒された。キュウバがながいあいだ、孤立した中で、どういう社会を作ったか、キチンと検証されなくてはなるまい。ちなみにキューバの医療は中南米では最もレベルが高いそうだ。
 
社会主義の例がないわけではない。ただそれは、よってたかってつぶされてきたのだという気がする。

 
共産党への批判の中に、民主集中制や反主流派の扱いについての言及がある。確かにこれは同感する部分があるが、それも歴史的過渡期における組織防衛の観点からはやむを得ない面もあったのかもしれない。 しかし、時代が変わった。もうそういうことではやっていけないだろう。共産党が脱皮を求められているのはそういう面だとおもっている。 つまりもっと開かれた組織にしないと反主流派の扱いから血も涙もない組織というバイアスがつくられたり、民主集中制はそのまま一党独裁のイメージになってしまうかもしれない。

ふるい共産主義のイメージがただよっているように見える。二段階革命論なんて、もう歴史の本にしか残っていないのではないかな。おいらは今の共産党に共鳴はするが党員なんかではない。
ただ、今の共産党のいうことをキチンと聞かないとフェアではないようにみえる。

 権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗するといったのはだれだっけ。権力側にも共産党にもそういう時期や組織的間違いはあったと思う。したがって、保守派の共産党批判を聞いていると「よくいうよ。どのつらさげていってるんだ。目くそ鼻くそを笑うなよ」とつぶやきたくなる。そのほとんどは雑事である。
本当に大切なことは、多くの雑音の中から、自分の頭で一番大切と思うことをみつけることだ。そういう点でメディアリテラシーが大事だと思う。 ホントなら新聞はふたつも三つも読めといわれたがかねがないのでできん。
 



 
 
 

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