2016年9月24日土曜日

田辺茂雄さん    褌子

 15年にわたる日本の中国への侵略戦争の発火点になった、いわゆる満州事変は日本軍によって1931年9月18日に起こされた。
 この毎年9月18日ごろに、「ちば中国帰国者支援交流の会」が中国残留孤児の体験をきく会を千葉市内で開催している。ことしは5回目で9月17日に田辺茂雄さんが、通訳を介して証言した。以下は田辺茂雄さんの諒承をえての投稿である。
 田辺さんは今、72~73才くらいらしい。自分の名前も両親も、生年月日もわからない中国残留日本人孤児である。
 両親は満蒙開拓団として国策で「満州」に送り込まれ、黒竜江省牡丹江の近くで生まれたようだ。1945年8月9日のソ連の「満州」侵入による逃避行の最中に母が撃たれて死亡し、父の生死も不明。中国人の養父に助けられたが5回も養父母が変わるたびに名前も変わった。最後の名前が崔文傑。豚1頭と交換されたこともあるという。自分が日本人だということは物心つくと教えてもらった。学校もあまり行かせてもらえず、日本人だといじめられるので、乞食として、やさしい中国人に食べ物をめぐんでもらいながら飢えのなか放浪したこともある
 1972年に日中国交回復、81年から中国残留孤児の祖国への帰国が本格化した。
 85年に祖国日本へ身元保証人さがしで帰り調査をうける。福島県の農家田辺水三郎さんが自分の親戚の子供ではないかと名乗りをあげてくれたが血縁関係を確認できなかった。しかし養子として田辺茂雄と名付けてもらい、福島で働いた。平成のはじめに千葉に来て、日本語も不自由なのに家族のために無我夢中で働いた。今は子ども4人、孫13人で幸せに千葉市内の県営住宅に暮らしている。
 ・・・わたしも何度もお会いしたが田辺さんは日本語がほとんど話せないし、こちらは中国語が話せない。それでも天性の人柄のすばらしさがびんびんと伝わってくる。どんな苦難にあっても運命をそのままひきうけて生き抜いた。中国でも日本でもどんな重労働でも愚痴一つこぼさず必死に働くので周りのひとに信用された。働きすぎたのか今はすこし足腰が痛いがいつも笑顔を絶やさず「ありがとう」と「だいじょうぶ」がいちばん得意な日本語らしい。(写真はわたしとのツーショット)
        ■■ 満蒙開拓団の略史 ■■
1931 9月18日 日本軍柳条湖事件起こし「満州事変」はじまる
1932 「満州国」建国宣言   1933 日本、国際連盟脱退
1933 満州開拓武装移民団の最初の送出
1936 関東軍二千万町歩を中国人から強制買収
   100万戸500万人の移民計画実行へ
1937 7月7日蘆溝橋事件で中国全面侵略戦争はじまる
1941 真珠湾攻撃。満蒙開拓青少年義勇隊約10万人送出はじまる
1945 7月26日ポツダム宣言  8月6日、9日原爆投下
   8月9日ソ連軍「満州」侵入、開拓民の死の逃避行はじまる
   8月15日 日本無条件降伏 「満州国」13年で滅亡
  敗戦時の開拓団員27万人ふくむ中国東北部の邦人総数155万人
  犠牲者は圧倒的に開拓団員に集中している
1949 10月1日 中華人民共和国成立
1972 9月29日 日中国交回復
1981 この年より中国残留日本人孤児の祖国日本への帰国が本格化

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