諸葛孔明を三顧の礼でむかえた蜀の劉備が関羽、張飛らとともに、魏、呉と知謀のかぎりをつくしてたたかう三国志はあまりに有名。ここにでてくる魏の曹操は権謀好きな悪役として描かれていて、判官びいきの日本人には人気がないが、これはあくまで明代に書かれた「三国志演義」という歴史講談なのである。
この曹操がたてた魏の国は華北の地を占め、朝鮮半島に近く、半島の中心部、帯方郡に太守を派遣、治めていた。対馬海峡のかなた古代日本、倭との交流は帯方郡を通じて行われた。
『魏志倭人伝』は、魏の史書「魏志」の東夷伝倭人の条に収められている。この倭人伝には2世紀後半から3世紀前半頃の倭にあった最も強大な国、女王卑弥呼が支配した邪馬台国の位置、政治、風俗などの見聞報告が短い文章にまとめられていて、古代日本に関する最古の書。
この邪馬台国が九州にあったのか近畿地方にあったのか古代史の最大の謎になっている。
・・・こんな周知のことを書いたのも松本清張『陸行水行』を再読して伊都国があったとされる北九州の糸島半島の邪馬台国博物館を訪ねた日のことがよみがえってきたからである。清張はすでに『万葉翡翠』『たづたづし』などで古代の和歌を題材にした推理短篇を書いていたが、古代史そのものをテーマにしたのは昭和六三年発表の『陸行水行』がはじめて。
この作品で古代史ブームをまきおこした清張は『古代史疑』に着手して日本の古代史学会に挑戦状をたたきつける。清張古代史推理小説の集大成ともいえる長編『火の路』へとたどり着くには『陸行水行』から一〇年がたっていた。
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