2016年12月31日土曜日

なんだかよくわからんが・・・・・逸徳

この投稿が無事公開されることを願い、それを前提にして。どうもPCの調子がわるいので。
仁ちゃん 投稿ありがとう あの寒い函館の空と、いか納豆を思い出しながら、作品を読んでいます。実は、褌子さんがつづけて読書感想文??を投稿していたので、何か反応したいと思いつつ時間が過ぎてしまいました。この年の暮れは、身近な人間が次次になくなったので、人の生き死にに関心をもっていたのですが、しかしそういう話を書いてもどうも元気が出なというか、そもそも生き死にの話なんて、陰気くさいといわれるのかとつい遠慮していたのです。しかし、ぼけたわけではなく精神活動は今のところ認知症予備軍の兆候もありません。 老化は肉体の病気みたいなもので、これはどうしようもない、むしろ問題は能が正常かつ活発かどうかです。 そういう意味で、最近あるところに書いた短文をコピペします。 まあ、まだ元気だという証しに。

そんな馬鹿な

福島原発の収束はめどがたたない。当たり前である。チェルノブイリをみればわかる。下手をすれば東電の存続より、もっと長くなるかも知れない。これはもう現代文明と資本主義の愚かさのシンボルとして、延々と続くだろう。何しろ忘れやすいのが日本人の体質なのに、あんなに愚かな結果が白日のもとに存在し続けるのは、ある意味、愚かさの見本としていいのかも知れない、

 そこに来て、また馬鹿なことを官僚が言い出した。122日政府は原発廃炉費用の一部を、新電力にも負担させるという方針を出した。簡単に言えば一般国民にも負担させるというのである。そんな馬鹿な。役人たちの考え出した理屈は、今まで原発の電気が安いという事の利益は全国民が享受してきた。しかし、そこでは原発事故のリスクは負担されてこなかったのだから、さかのぼって今まで世話になってきた原発が困っている事への援助をお願いしてもいいだろうという全くわけのわからない話らしい。何度でも言おう。そんな馬鹿なそんな馬鹿な。困っているのはお前らの勝手だ。せめて自分の尻は自分でふけ。

 一方で、庶民の生活は苦しくなっている。東電の比ではない。もうけから賃金にまわす分、つまり労働分配率の低下は先進国の中でも劇的に低下した。2011年度で60.6%、先進国の中でも一番低い。1977年から20.4%低下した。ところがもうけは増えている。企業がためこんだ儲けを「内部留保」というが、これが2012年度、第二次安倍内閣スタート時から34%増えて、367兆円に達した。そして、安倍さんのいうところの「新しい働き方への改革」である。しかし過労死やブラック企業の横行。非正規労働者の増大という現実の前では、まるで「ぼくは菜食主義になりました」とライオンがいっているようなものである。うすら寒いジョークである。

 そこでだ、原発廃炉費用にお金がかかるなら、なぜこの「内部留保」に課税しないのか。原発の電気が安いというなら、そのおかげをもっとも受けてきたのは、ほかならぬ企業たちではないか。たとえば1割の課税をしても30兆円が出てくる。これでしっかり賠償をやって、廃炉を進めてくれ。われわれは、この内部留保にもっともっと注目していい。あるところからとれ。

ああしかし、こういう事になんでみんな怒らなくなったのだろう。こんちくしょうと絶望することはたやすい。「にもかかわらず・・・」と異議申し立てをして、そのことによって、これからもこの広い宇宙の底を吹き渡る風の中に私という旗を立てていきたい。
   黙っていても 考えているのだ。               
       俺が物言わぬからといって 壁とまちがえるな  坪井繁治

函館通信2‐67・・・12月度投句・・・仁兵衛

先ずは九州の熊さんのご冥福をお祈りいたします。
合唱団で活躍している姿も見たかったし一緒にゴルフもやりたかったな。

昭和40年、就職試験で鈴木君が富士フィルムに私が住友化学に嫌われてつぎ 何処にしようと二人で階段脇の掲示板を見ていた。彼は「俺は出来る限り北海道から遠くに離れたいから旭化成にしたい」と先に言われてしまったのが50年前の事だ。
静かに眠ってくれたまえ。

ほろほろ会も今月は投稿が全くなかった。
皆さん、そんなに草臥れてしまったのかい。そう云う自分も決して体調がいい具合ではない。やっと大晦日に12月の投句が出来た。今月は「雪」を題にして十句にした。
正月の暇な時にでもご鑑賞下さい。


平成二十八年十二月

1.けさのゆきひらがなのごとふりつもる

2.雪女郎予報違わず現れり

3.ぶくぶくと雪の中行く万歩計

4.銭湯の珈琲牛乳雪の窓

5.昨晩よりの雪にて音の消へにけり

6.添え書きのくせ字健在しずり雪

7.雪溶かす友の三線弾き語り

8.大雪に見舞われ本音聞かれずに

9.六花セントポーリアと聴くショパン

10.早過ぎた初雪はねるササラかな
 
それでは皆様良いお年をお迎え下さい。

 


2016年11月28日月曜日

七人の侍   ・・ 褌子

 『七人の侍』を久しぶりに観た。
 三、四回もみているかもしれないが今度、観ての感慨は、昭和29年公開の映画だから、黒沢監督も七人の俳優もみんな鬼籍に入ってしまったこと。
 志村喬、三船敏郎、木村功、加東大介、千秋実、稲葉義男、宮口精二。
 若侍の木村功と灼熱の恋をする津島恵子もその父親役の藤原鎌足も。わたしがいちばん忘れがたいサムライは宮口精二(写真の右端の久蔵)である。
 映画を作った人々も出演者もあの世に逝ってしまったが、不朽の名作はいつまでも残る。

2016年11月26日土曜日

吉村昭    ・・ 褌子

津村節子と吉村昭は夫婦作家である。
 吉村昭の闘病と臨終のときのことを『紅梅』に津村節子が書いている。吉村が息を引き取るときに「あなたは世界で最高の作家よ!」と叫ぶシーンがあり、妻が自分の夫の死に際にそんなことを叫ぶものかなあと内心思ったことがあった。
 ところが知人から借りた津村節子『果てなき便り』を読んだら、電話をかける十円玉もなかったくらい貧乏しながら、若いときから励まし合い助け合い身を刻むように小説を書いてきた夫婦の歩んだ道を、遺っていたふたりの手紙を紹介しながら綴っている。これほどの夫婦の仲なら、こころから敬愛していた夫の臨終で妻があのように叫んだ気持ちがよくわかった。
 吉村作品はほとんど読んだ気がする。代表作といわれる『戦艦武蔵』など戦史もの。『神々の沈黙』など医学もの。『羆嵐』などの害獣もの。『島抜け』など漂流もの。なかでも好きなのは『長英逃亡』や『桜田門外ノ変』などの幕末の逃亡ものかもしれない。綿密な調査をもとに万年筆のペン先からしぼりだすような淡々とした筆致。尾崎放哉の『海も暮れきる』、明治初期に北海道の原野開拓に酷使された囚人たちを描いた『赤い人』も忘れがたい。
 吉村には小説を書き出したころ、死体の骨などに執着する『星への旅』など意外な短篇集もある。しかし『戦艦武蔵』によってあの記録文学の作風を確立し生涯離れることがなかった。やはり私にとっても「世界で最高の作家」なのだ。

端っこが好き   ・・褌子

 端っこのほうが好きなのである。沖縄とか奄美とか北海道とか青森とか。利尻、礼文にも何度か行ったし、カムチャッカやボルネオの少数民族に会いに行ったこともある。
 端っこではないが福井県も若狭とか越前北ノ庄とか旧い古名のイメージが好きだった。小浜にいったときも時雨に煙る古刹が佳かったなあ。水上勉の小説のせいもあってか北陸のなかでもいちばん好きな県だった。
 ところが福井県というと今はまずまっさきに原発が頭に浮かぶ。福井の自民党政治家もまったく罪なことをしたものだ。

2016年11月24日木曜日

函館通信2‐66・・・すまんすまん・・・仁兵衛

すまんすまん、「表現」は「現」一字だけ。「表」を消すの忘れた。

あと「青を踏む」は麦踏みとは限らずもう少し広く春の草を踏む事と取って下さい。

逸徳さん、ご指摘の通りでした。
 

2016年11月23日水曜日

仁句観賞    ・・褌子

仁ちゃん
投句がちゃんと読めるように整形されていますよ。と思ったら逸徳さんがなおしてくれたのか。
わたしも風邪がなかなか治らず困っています。
1.寒暖に大差表現れ大根干す
      寒暖の差が激しいと干大根は美味くなるのだ
   「大差表」をなんと読むのかね。「たいさひょう」では味気ないが
2.青踏んだ同じ所の落ち葉踏む
        青踏みは麦踏みのことですか? 
3.そぞろ寒ピタリと嵌る合言葉
        嵌るは「はまる」なのですね。
     「そぞろ寒」が季語だと知りました。
    ピタリと嵌る合い言葉 と 季語がひびきあってる
4.支流から移ろふ紅葉おのがじし
      「おのがじし」が最初、小生には意味不明だったが字引をひいたら「それぞれが」とあった。
   奥山の支流から紅葉がてんでばらばらに始まる、谷をくだって本流沿いの渓谷も紅葉にそまってきたというならよくわかります。

☆☆☆5.鳥渡る十年日記の八年目
      シベリアから冬鳥がやってくる。「鳥渡る」の季節感はいいなあ。
   もうすぐ11月もおわり師走となる。ほんとうに一年が早い。
   年末の感じがよくでている秀句だ。
   わたしは十年日記一冊つけおえて次の冊の一年目です。
   これをつけ終えると80数才になる・・・・
☆☆6.海峡をのぞみ虫食ひ林檎食む
   これもいい句だ。海峡の青と林檎の赤。虫食ひがよい。
   てふてふが一匹韃靼海峡を飛んでいった(安西冬衛)が印象的なので
   先日、フェイスブックに書いたらたくさんコメントが寄せられた。
   このブログにも投稿したのでよろしく。
7.しぐるるや抜錨すすむ巡視船
    函館港の寒々とした晩秋の景がよくでている
 
☆8.国中に空き家増えゆく神無月
    まったく同感
9.花八つ手周りの空気読みつくす
    周りの空気読みつくす  が小生にはちと難しい

10.小春日や何処かに余白あるといふ
     小春日の雰囲気がなんとなく出ているが

2016年11月22日火曜日

僭越ながら・・・逸徳

仁ちゃん すみません 勝手に直しておきました。 作成画面のHTMLを間違ってクリックしたのではないかと思い・・・
で、お元気なようでなにより。体は老化がでてもしょうがないし、うまく折り合って日々を送るしかないと思っています。最近は運動よりも、朝風呂にはまっています。5分でいいので、温まると末端の血管が開いて、運動したのとおんなじ感じで痛みも消え、快適です。お試しあれ。
 で印象に残った仁ちゃん句を
 青踏んだ同じ所の落ち葉踏む・・・・これ、かって若草が生えていたところが今は落ち葉がいっぱいといことですかねえ。季節経過がよく感じていいですね。こういう小さい発見を作品にするのがうまいなあ
 鳥渡る十年日記の八年目 ・・・・・ あと2年あるというのがうまい。残された時間は少ない。そう思ったら、すべてがいとおしい。渡り鳥を見る目線もちがう。来年また渡りを見れるかなあ。最近ほとんど怒らなくなりました。
 しぐるるや抜錨すすむ巡視船・・・・時雨れていても巡視船は出航する。ここからどこか遠いところへ。どこへいくの。そこには何があるの。
 国中に空き家増えゆく神無月 ・・・・住む人がいない。ついでに神様までいない。ああ、史上はじめての収縮国家、収縮民族だ。
 小春日や何処かに余白あるといふ・・・・余白はなくてはいけない。何にもないという状態を感じる感性。そういうのを見つけると、なんとかして余白を埋めてしまいたくなる。こういうのは精神が病んでいると思います。

では、心はお元気で。脳さえしっかりしていれば、その余の事は付録だと思って、気楽に参りましょう。

2016年11月21日月曜日

函館通信2-65・・・11月投句・・・仁兵衛

 九月に投句して以来久々の登場です。  十月半ばから今日まで法事、叔父の葬儀、風邪ひきと全くいいとこなし。  特に風邪は咳がひどく抗生物質を四日x2種類飲みやっと先週半ば頃から一息つけるようになりました。  全く句になってないかもしれませんが宜しくご鑑賞、ご批評お願い致します。    平成二十八年十一月
1.寒暖に大差表現れ大根干す
2.青踏んだ同じ所の落ち葉踏む
3.そぞろ寒ピタリと嵌る合言葉
4.支流から移ろふ紅葉おのがじし
5.鳥渡る十年日記の八年目
6.海峡をのぞみ虫食ひ林檎食む
7.しぐるるや抜錨すすむ巡視船
8.国中に空き家増えゆく神無月
9.花八つ手周りの空気読みつくす
10.小春日や何処かに余白あるといふ
 
ここまで書いてプレビューを見たら行が変わらずに文章がみな繋がって現れてしまいました。  非常に読みにくいままです。  どうやったら直るのか何方か教えて下さい。  

2016年11月20日日曜日

韃靼    褌子

   てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった                安西冬衛  「韃靼=だったん」は、タタールともいう。シベリアやモンゴル高原から東ヨーロッパへの広大なユーラシア大陸で主に狩猟、遊牧によって暮らすモンゴル系、ツングース系、トルコ系などの実に様々な民族全体をさすことば。  中国史では北方の蛮族として匈奴、突厥、鮮卑、契丹、靺鞨(まつかつ)などの名で登場する。中世ロシアを数百年支配した「韃靼」をさして「タタールのくびき」ということばもある。   農耕民族の漢民族は北方民族の侵攻にそなえて万里の長城を築いたが元王朝としてモンゴル系の「韃靼」の支配をうけ、明のあとふたたび清王朝として満州族の女真系「韃靼」の支配をうける。   司馬遼太郎『韃靼疾風録』は清国の勃興期を舞台にした小説でなぜか日本人が登場して活躍する。清国の滅亡期をえがいた小説なら浅田次郎『蒼穹の昴』『中原の虹』『珍妃の井戸』の三部作が面白い。  266年続いて1912年の辛亥革命で滅亡した清国最後の皇帝が宣統帝の溥儀。日本軍は溥儀をひっぱりだして中国東北部に偽満州帝国をでっちあげたが13年で滅亡し満蒙開拓団など悲惨な犠牲を生み出した。 ・・  サハリン(樺太)とシベリアの間には最狭部7・3キロの海峡があることを発見したのは間宮林蔵である。日本列島側からみれば間宮海峡であるが、大陸側からみると韃靼海峡(タタール海峡)。     てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった  安西冬衛は大陸で病に倒れて、望郷の思いをこの一行詩に託した(初出昭和2年)

記憶と忘却   ・・  褌子

  個人的体験の記憶はだいたい30年で消えるのが相場だそうだ。地域全体の記憶というものは世代交代するから60年で忘れ去られるといわれる。  戦後70年を過ぎて戦争の記憶をもつ人が少なくなるころに権力者は次の戦争準備を始めるし、関東大震災から90年以上もたてば次の大震災は確実に迫っているのに東京には高層ビルが林立しヒト、ヒトであふれかえり、権力者は地震列島に立つ54もの原発再稼働に余念がない。 ・・・  千葉県の太平洋に面する九十九里浜の広大な平野の中心に茂原市がある。ここに鷲山寺(じゅせんじ)という古刹があって、山門のそばに元禄大地震(1703年)で九十九里浜が大津波で襲われ、数千名の犠牲者がでたという慰霊塔がたっていて、不意に襲ってくる大自然の天変地異をひとびとに警告しつづけている。(写真) ・・・  次は「にほん昔話」だったかの記憶だが。  ある島で魚をとって幸せに村人が暮らしていた。島の真ん中に氏神様をまつる山がある。ここの狛犬には「狛犬の目が赤くなると村を不幸が襲うので氏神様へ避難せよ」という言い伝えがある。  ところがこの平和な島を海賊が襲って住みついてしまうのである。狛犬の目もそのまま。村の悲嘆はいかばかりか。  海賊が狛犬の話を耳にして、村人をおどかしてやろうと狛犬の目をいたずらに赤くぬりつぶしてしまう。氏神様に遊びにきたこどもたちが狛犬の赤い目を発見。  「たいへんだーっ!」とこどもたちが村に急報すると人々は大騒ぎ。げらげら笑う海賊をしりめに、村人ぜんぶが長い石段をのぼって氏神様に避難するやいなや大地鳴動、大津波が襲って海賊どもは溺れてしまうのだ。

谷川俊太郎と金子兜太    ・・褌子

『ぼくはこうやって詩を書いてきた。谷川俊太郎、詩と人生を語る』(ナナロク社)が面白かった。 谷川俊太郎ことし85才。半世紀以上にわたる詩の数々を紹介しながら創作の変遷、名詩誕生の裏側、両親の素顔、三度の離婚の楽屋裏など人生のあれこれが正直に語りつくされ楽しい。  もう一冊。これは先日のほろほろ会の旅行で松山の子規記念館で買ったばかりの本。
『語る兜太 わが俳句人生 金子兜太』(岩波書店)はことし95才の俳人が縦横無尽に語って憲法九条への熱い思いもでてくる。  とくに氏が実践中の立禅が面白い。 自分の人生でお世話になったひと、戦死した学友、尊敬するひとなど順番を間違えないように百人くらいの名前を毎日一度は心中ぶつぶつ唱えるのである。熊谷の自宅から電車で東京の選句会に通うときなどこの立禅は特効があるそうだ。「電車に乗るときはバカものがたくさん乗ってるわいとつい思っても、東京駅で降りるときに、みんないい人ばかりだった(笑)」と雑念が消えると言う話しに笑ってしまった。  わたしも、いまの瞬間も世界のどこかで戦火で親を亡くしたこどもたちがいると思うと辛い。そしてアベ首相のウソにストレスがたまる今日このごろ。もうすこし、まいにち安心立命の境地で世の中よくしようと微力をつくせないものか・・・。そうだ、立禅やってみようかなと思った。 兜太自選百句から おおかみに蛍が一つ付いていた 原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む

コウキジテン    褌子

  10年くらい前。北海道の網走のペンションで朝ご飯を食べていたら食堂にみたことのない辞典があった。   『標註訂正 康熙字典 』渡部温博士編   (講談社創立80周年記念出版・復刻版・定価18000円) とある。  コウキジテンとは妙な辞典だなあとコウキ心でパラパラめくってみていたら、ママさんがコーヒーもってきて  「姉が司馬遼太郎の『韃靼疾風録』読んで中国にはまりまして中国に年中行ってる。この本も神田かどこかの古本屋で姉が買ってきたものですが、いったい何の本ですか?」と逆にきかれてしまった。   私もあわててネットで検索して次のように知ったかぶりして回答した。   清朝第4代皇帝の康煕帝(コウキテイ)は満州族ながら、漢民族が数千年かけて象形文字から発展させ何百万とあった、いわゆる「漢字」を張玉書など30名の学者に命じて整理して約五万字、214部首にまとめさせた。康煕帝は満州族の何十倍もの人口の漢民族の文化的統治の基礎をつくった名君であったと。   要するに1716年完成の『康熙字典』は近代以前の中国の最も権威ある字典で現代中国の国語字典の元祖みたいなものなのである。  大陸的なおおらかさというのかこの勅撰字典にもけっこうミスがあって、中国でも何度も補正本がでているようだ。日本では渡部温博士が徹底的に精査して1万カ所も補正して明治20年に出版した。わたしが網走でみたのはこの渡部博士の本の復刻版だったのである。  「中英」「中露」とか各国の漢字辞典が『康熙字典』の親字を使っていることはいうまでもない。現代日本の「漢和字典」記載の旧字体というのも『康熙字典』の字だとおもえばよいらしい。   私も先年、北京に行った時に書店奥に積んであったので、たった80元(1300円くらい)で買ってきた。(写真)   なお今の中国は簡体字で康煕帝が見たら目をむくような略字を使っている。台湾のほうはタイワンを「臺灣」なんて繁体字のままでがんばっているので康煕帝もあの世でよしよしと目を細めているかもしれない

2016年11月17日木曜日

ホロホロ2016年四国の旅:よさこい節・・・国兼

  四国の旅に出かけてから早1ヶ月、旅の記憶が薄れそうだが何とか思い起こしつつ記載。 「南国土佐を後にして」ペギー葉山が歌い全国的ヒット曲になったのは私の高校時代である。その時には・・・土佐の高知のはりまや橋で坊さん簪 買うをみーた・・・、何とトサノ坊主はエロいんだろうかというような印象をずっと持っていた。今回高知で5人乗りのタクシーで高知市内を観光したが、タクシーの運転手がかなりの観光案内者でいろいろ説明をしてもらった。ここに書くのはそのその運転手の受け売りである。   この播磨屋橋というのは土佐の豪商播磨屋ともう一方豪商との家の間の川にかかっていた橋の名前とか、既にその川は埋立てられ今は観光用の橋があるらしい。 簪を買った坊さんというのが、我々が牧野富太郎記念館を訪れた帰りに寄った四国31番目の札所、竹林寺の坊さんという。竹林寺という名前は中国の7賢人が俗世間を離れて竹林で風鈴談義を楽しんだという故事に由来するそうだが、生臭坊主どころか簪を買った美しい女性の相手と駆け落ちまでした悲恋の物語の坊さんという(江戸時代末のお話とか)。この「よさこい節」にはこんな深い内容があることを初めて知った次第。 ・・月の名所は桂浜・・と唄の文句にはあるがあいにくの曇りで月が見えなかったのは残念であった。   話代わって、今週のサイエンスに霊長類だけでなくネズミもくすぐると子ども同様に笑いこけ飛び回るという面白い論文が出ていた。この論文著者が別サイトに特別寄稿した内容を下記に、 http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1029670.html

2016年11月12日土曜日

鯛飯問題についての一考察  ・・   褌子

たしか宇和島の穂積屋の鯛飯はうまかった。だれだ! 三ハイもお代わりしたのは。じつはうちの女房も四万十市の出身でたまに鯛飯を炊くのだが、ようするに栗ご飯みたいに鯛の切り身が飯の中に挟まっているだけでどうってことない。宇和島のは、あの卵でといただし汁に意味があるのだ。 ところで山内さんの男根崇拝がこれほどとは。千葉県に森田健一という馬鹿な知事がいて「団塊の世代」を「ダンコンの世代」と議会で答弁してしまった。 古今亭志ん生の『鈴振り』はインターネットで聴くことができますよ。かならずイヤホンできいてください。

2016年11月11日金曜日

鯛めし問題について・・・・逸徳

鯛めしはうまかった。異議なし。で、かえってから再現しようとしたが、まず生卵。あれ黄身だけだな。白身までいれてなんだか味がぼけた。だし汁とともにいれた、国兼レポートによる「海藻」。これ明確な記憶がない。ただのキザミのりだろうか。それと、刺身。これ鯛でないとだめかなあ。カツオでやったら何か違うのだ。 鯛は高い。きどってる。くさっても鯛なんぞとほざく。くさったらだめだろうが。気取るな。 で、それよりも新発見はあの時、カツオのたたきを塩で食ったこと。これはいい。ショウユよりもカツオのうまみがよくわかる。あの時は、塩に青のり??がはいったのを使ったが、市販のクレージーソルトを利用。これでいい。お試しあれ。癖になりそう。  うまいものを食おう。美味礼賛。

2016年11月8日火曜日

ホロホロ2016「四国の旅」:鯛めし編・・・国兼

四国の旅から戻って早2週間近く経つ。記憶が薄らぐ前に楽しかった旅の思い出を残しておきたいと、特に宇和島で食べた「鯛めし」の味は忘れがたい味であった・・・。 2日目(19日)の夜、四万十川を遡って宇和島の国際ホテルに到着。ホテルの人の紹介で「穂積亭」なる海鮮料理屋に行く。地元の酒とつまみを堪能し、お腹も膨れて、さて最後はいつものように茶漬けをと頼むと、宇和島では最後の締めは鯛めしを食べるのだという。後から知ったことだが宇和島は鯛めしの本場というか、発祥の地ともいうべきか、戦国時代をはるかに遡る村上海賊由来であるらしい。 初めて食べたが、だし汁に生卵を一個かき混ぜ、その中に鯛の切り身少々と海藻類を少々入れて熱いご飯にかけて食うだけだが、だし汁の味もさることながら一気に食べ終えてしまった。店員の方が気を利かしておひつにご飯を持ってきてくれたが、お代わり、またお代わりしているうちに空になってしまった。店員もあきれたことだろう。  カミさんにもこの味をと思い松山空港で探し回ったところ、矢張り売っていたね。さっそくその冷凍の「鯛めしの素」を購入。今回の旅でのカミさんへの唯一のささやかなお土産である。帰ってきて夕食に一緒に食べようとしたら、「私は生卵が嫌いなのと、知っていて買ってきたの?」と。 アレレ・・・??? ともあれ、宇和島に行く機会があったら凸凹神社と鯛めしだけは必見と必食である。  投稿しようと思ったら逸徳さんの巨木と巨根に関するフィロソフィー的投稿が、思うにこれは志ん生の「鈴ふり」に登場する時宗、遊行寺の大僧正なら「振り切った男と鈴を鳴らしただけで垂れ下がった男の差である」と・・・?。

いくつかの質問・・・・・逸徳

いい写真だねえ。もう一つの写真はアフリカのように見えるが、褌子さんがいったのかね。しかし、なんだかおおいなる母の懐にいだかれて、安心しきったような顔をしているのがおもしろい。 で、ひとつ前から疑問に思っていることがあるのだが、巨木ではなく、巨根というとやや別の意味になってしまうのだが、逆にいうと例のあれをなぜ「巨木」といわないで「巨根」というたとえをするのだろうか。 あれが根っこにつながるという発想がよくわからん。むしろ堂々とそそりたてば、巨木というべきではないかと・・・・いったい何の話をしているのかねえ。 で、人間心理に関心のあるおいらとしては、褌子さんが、あのような巨木と向いあったとき、心の中にどんなイメージ、想いが浮かび上がっているのか興味がある。 およそ万物は、鏡としての側面があり、そのものと向かい合うことは、そこに映る何者かを見ているのではないかという気がするのだが。

巨木です  ・・・ 褌子

2016年10月22日土曜日

ほろほろ会 『西土佐・西伊予の旅』    ・・・ 褌子

    2016年10月18日~21日 ■出発10月18日(火) 羽田から高知空港に着いたらいい天気である。暑くなし寒くなし。 高知ホテルに集まった5名で高知駅の「庄や」で鰹のたたき定食を食べた。タクシーで五台山に登って鏡川、浦戸湾など高知市街を一望する。山の頂上で記念撮影。牧野富太郎記念館へ。わたしが中村市生まれの女房と結婚したのは30歳の時で高知市で一番最初に訪ねたのがこの記念館。43年前に訪ねたときと全然おもむきが違う建物になっていた。あのときには玄関脇に富太郎直筆の精細でたて2メートルにおよぶ植物の絵が下げられていたがそれがない。竹林寺をみて長々と坂道を歩いてタクシーへ。 浦戸大橋を渡って桂浜へ。わたしは有名な龍馬像は砂浜のはずれに立っていたと記憶していたが小高い山のうえにあった。ふーん。 龍馬像を横からみるという変な階段には登らず、さっぱりとして美味しいアイスクリンを食いながらタクシーの運転手さんと雑談。のんびりしたいいおじさん。 飛行機に乗り遅れたGGさんも夕方、高知について6人でホテル紹介の「楽屋」で夕食。高知の魚はやはりうまいと思った。酒は司牡丹、土佐鶴、それに酔鯨。 ■19日(水)  朝早く、高知→松山までの周遊切符を買って、電車で中村へ。窪川か須崎あたりで電車の名前が「黒潮鉄道」に変わった。四万十市と改名した中村市の中村駅へ着く。ジャンボタクシー運転手が「KK様」と書いてある紙をもって駅に立っていた。甌穴がある「竜串」をみる。足摺岬の灯台が立つ絶壁眼下の太平洋の怒濤に真っ白に泡立つ岩礁がこんかい一番美しく印象に残った。また200円のアイスクリンを食べた。43年前に高知へきて一番美味しいと思ったのは鰹のたたきではなく実は道ばたに売っているこのアイスクリンだったのだ。 ジョン万次郎の生家に立ち寄る。万次郎の頭の良さに注目した捕鯨船の船長が偉い。アメリカの捕鯨船といえばメルビル『白鯨』が有名であるがこれは私には難解で途中で読み捨てたまま。この捕鯨船の航海士にコーヒー好きのスターバックスという男がいる。 吉村昭は『アメリカ彦蔵』を書いていてジョン万については書いていないように思う。なおこのころ、アメリカの捕鯨船は鯨油をもとめて日本近海に頻繁に出没していた。この捕鯨船が日本人の漂流漁民を何ども救うのである。まだ石油が発見されるまえ、アメリカの産業革命が起きる前のことだろうか。ペリーの来航も鎖国の日本に捕鯨船の薪や水、食料を供給せよということだった。 土佐清水で昼食にたべたサバの刺身定食が旨かった。GGさんだけウツボのたたき定食。運転手さんもいっしょの食事。タクシーは四万十川沿いの僻地をさかのぼる。川は激流でなくてカヌーくだりも漕ぐばかりでつかれますとしきりに運転手さんがいう。四万十屋で川ノリと川エビの天ぷらでビール。川ノリの天ぷらは五枚のところ、三人一組でケンカにならぬように一皿六枚に店の女性が気をきかしてサービスしてくれた。高知の女性は気が強いのでハチキンと言われるがこういうやさしさがあるのである。なお豪快な酒飲みが多い男性はイゴッソウという。 沈下橋をひとつみてどんどん四万十をさかのぼる。たくさんの支流を集めて流れるので四万十川というのだということをはじめて知った。 山また山、こんな山奥にもと思うところに人家がぽつりとある。やがて豫州こと愛媛にはいり次第に人家がふえてきて宇和島に着く。宇和島グランドホテルちかくの大きな割烹料理屋『穂積屋』で食べた刺身が旨かった。日本酒もそれぞれ五種類、枡かわりのガラスのコップで飲むがうまいと思った。酒の銘柄は思い出せない。生卵をといた鯛飯の汁が美味しくてご飯を三杯たべたのでみんながびっくりした。この汁は昆布味だとKさんが解説。 ■10月20日(木)  ホテルに荷物おいて宇和島散策。  宇和島は仙台伊達の系統。法学の穂積兄弟、漢字辞典の簡野通明、大津事件で司法の独立を守った大審院の児島惟謙(こじまいけん。吉村昭『ニコライ遭難』)、俳人の富沢赤黄男、松根東洋城、蘭学の二宮敬作などの人物をだし逃亡中の高野長英も立ち寄っている(ここらへんは吉村昭『長英逃亡』『ふぉん・しいふぉるとの娘』にくわしい) KIさんは松野町松丸の芝不器男記念館へと向かう。「永き日のにはとり柵を越えにけり」がKIさんは好きだといつか言っていた。不器男という印象深い名前が本名という夭折の俳人。 宇和島城、大赦園をみて凸凹神社こと多賀神社へ。収蔵品がめちゃくちゃに増えて三階建てのビルになっていて、食傷気味だなあとHHさんがしきりにつぶやいたが同感。なんでも控えめ、ほどほどがいいのだ。昼食は魚はもうあきた。ラーメンを食いたいと私が騒いだがどこにもない。宇和島駅の構内でYYさんとオムライスを食べて紅茶を飲んだが案外うまかった。ほかのひとはハンバーグライス。 松山へ向かう電車を途中下車して内子でなく大洲へ。タクシーの運転手にKOさんが30分、40分くらいのチョー短い観光をと頼んだら、お城しかどこもみるところありませんねえと困っていたのが可笑しかった。結局、2時間くらいに延長した。大洲城は建て替えているが簡素で美しいと思った。肱川べりにあるくすんだ月やや皮付きの松の長押など臥龍荘も良かった。50メートルの「おはなはん通り」を歩く。朝ドラ『おはなはん』のふる里はここであったか。紫のノボタンがきれい。大学を卒業して就職した頃だから昭和41年だが、郷里に帰ったら母親が樫山文枝の『おはなはん』をしきりに面白いと喜んでいた。   電車のなかで松山ちかくでわらび座の芝居をみようとYYさんがしきりにすすめるので、何となくその気になったのだが話が立ち消えになった。  はじめて来た松山は名実ともに俳句のまち。高知市でもみたが、ちんちん電車も走る。 これに乗って160円で道後温泉駅へ。エスエルの「ぼっちゃん鉄道」を横目に一時間ごとに動き出す三階建てのからくり人形の時計台をみて、坂道を歩いて立派なホテルへ。このホテルの名前が思い出せない・・。  親切な仲居さんの丁寧な挨拶。フロント脇に全国盲学校の退職校長先生の会合みたいなものがあってエレベータでもご一緒したがみな地方の名士然として謹厳実直な風貌である。長年の職業がこういう顔付き、物腰をつくるのかなあ。お客扱いの上手な仲居さんもわれわれのいっけん外見だけは真面目そうな6人組をみて、どう思ったろうか。 ■10月21日(金)心配したTTさんMMさんの鼾も案ずることなく早く目がさめて朝風呂へ。道後温泉の風呂の水は無色透明無臭であまり温泉にはいっているような気がしなかった。朝のテレビみていたらKKさんの茅ヶ崎ちかくの遊行寺の若い僧侶がでてきた。この藤沢山遊行寺にまつわる古今亭志ん生の抱腹絶倒の『鈴ふり』の話を思い出した。 遠くにホテルからみえた松山城は面倒くさくなって割愛することにした。KHさんが飛行機が満員で乗れないかもと言っていたのをこの仲居さんはおぼえていて、朝の朝食会場でも出会ったらどうなったと心配してくれた。われわれの食事中の会話をちゃんときいていて心配していたのである。翌朝、朝一番に空港に向かったKHさんから乗れたと電話がきて安堵した。明治27年建造の道後温泉本館は重厚な建物で、『道後温泉』の看板が年輪を感じさせる。朝、遊行寺の時宗の開祖、一遍上人が生まれた宝厳寺を訪ねたが本堂も建て替えで風格がない。坂道に子規などの句の看板が何本も立っている。民家の崩れた塀にふとみた濃い紫の大輪のアサガオがきれいだった。 子規記念館で金子兜太『わが俳句人生』と宇田喜代子『ひとたばの手紙から――女性俳人の見た戦争と俳句』を買った。道後温泉駅からリムジンバスで松山空港へ。空港内食堂で旅行四日目の待望のラーメンではなく盛りそばを食べて、握手をして解散。 空港内で『わが俳句人生』よんでいたら鳥取の地震をテレビが報じて松山もけっこう揺れた。伊方原発、高浜原発もゆれたのではないか。あらためて原発再稼働などという無責任なことはやめたほうがよいと思った。

ニッセさん    褌子

久しぶりにブログ開いて見たら、文字が大きく読みやすくなっていました。 ニッセさん ありがとうございます。

あれは勘違いでは・・・・逸徳

ニッセさま おひさしぶりです。お元気なようで何より。 ご質問の件、あれは褌子さんの勘違いではないかと思います。デデポッポ とダイダラボッチを混乱しているかも。  彼、最近、特に老化が進行しているようで、許してやってください。 英会話の件  ぼくも老化防止にいいかと思い、時々Eテレなんかみるのですが、聞き取りが全然できない。脳の回路がかたまっちまったかもしれません。   では

2016年10月20日木曜日

らじる★らじる  ・・・・ニッセ

ノルウェイにいる娘から、友人が日本の大学で勉強するとのこと。
我が家にも訪問するでしょうとのことで、英会話の勉強を、又始めることにしました。

昔は、ラジオにMP3プレイヤーを繋ぎ、タイマーで、英会話講座を録音していましたが、雑音が入る、操作が面倒でした。しかし、意欲が有ったので続けることができました。

現在は意欲が低下していますので、億劫になります。
しかし、らじる★らじるをダウンロードするソフトを知り、状況は一変しました。
らじるはラジオ第1・ラジオ第2・FMの番組を、インターネットを通して放送と同時に提供するサービスです。
ストリーミング形式で配信しているためそのままではダウンロードできませんが、Radikoolというソフトが無料公開されていました。

快適です。予約が出来て、PCをスリーブから起こして録音し、又スリーブ状態に戻ります。
電力チエッカーで測定すると、私のPCは60-80Wですが、スリーブの時はゼロWです。ですから、朝録音、夕方録音の時、PCの電源を入れっぱなしでも
必要な時しか電力は発生しません。

著作権もMP3プレイヤーのメモリに入れて使う分には問題ないようです。
朝のウォーキングで、ソフト・ハードロックを聴く時間を減らして、実践しています。
でもなぜか、頭がそれに集中しないですね。何か別の事を考えていたりして。

質問です。 ・・・・・ニッセ

久々の投稿といっても質問ですが、

仁兵衛さんの投稿(9月27日火曜日のタイトル”函館通信2‐64・・・暑いね・・・”)の俳句

デデッポッポ耳底までに秋夕焼

で、褌子氏が、巨人伝説だねと記述していますが、キジバトの鳴き声と巨人伝説の関係がわかりません。  教えてください。

本ブログの文字サイズについて  ・・・ニッセ

本文の文字サイズが小さく、しかも皆さん、長文作成がお得意なので、一層目がチカチカしだしてきました。

本ブログの管理者の了解を得ずして、勝手ながら、大きくしました。
 (html文内のCSSで変更していますので、個別記事で特別のフォント設定していない大部分の記事が対象になります。)

変更点は
       フォントサイズ  110% → 120%
ついでに  フォント      第一優先をメイリオに変更。

ということで、1行に収まっていた記事が2行に渡っているケースがあります。
 ご了解ください。

2016年10月10日月曜日

思い出深い裏話    褌子

記憶の糸をたぐりよせておもいだしたみた・・・・
■■ほろほろ会の歴史■■
初回はたぶん
奥多摩・御嶽・河合玉堂記念館
西浦温泉
武田尾温泉・K君のマツダ高級車で六甲山へいき、震災前の神戸の町と神戸港をみおろす
札幌全日空ホテル
深川の芭蕉庵・亀戸天神
西日暮里集合で花見・子規庵・谷中墓地・五重塔跡・東京芸大・上野東照宮・根津神社・千
駄木谷中根岸
漱石旧宅・団子坂・上野花見・『樽正』
恐れ入谷の鬼子母神・蕣(あさがお)寺・白髭橋・吾妻橋・関東大震災記念堂・横網公園
房州白浜の『民宿最南端』で偲ぶ会
上野老舗のウナギ屋・観潮楼・鴎外・芥川龍之介
上野パンダ口『かよい路』

■2004年
    天浜線・真砂館の彼岸花で俳句・『磯自慢』・雨の秋野不矩美術館
■2005年
    佐渡金山・鬼太鼓・大野亀・雨の薪能「俊寬」・清水寺・根本寺・
   長谷寺・阿仏坊妙宣寺五重塔・大膳神社の能舞台
■2006年
    東大寺の鐘の下で写真・飛鳥の民宿脇本で牛乳の水炊き・高松塚・キトラ・
    岡寺・橘寺・亀石・川原寺・石舞台・板葺宮・飛鳥寺・亀形石・酒舟
    石・飛鳥資料館・甘樫の丘・薬師寺・二上山と大津の皇子
■2007年   5月17日リラ忌
      比叡山・日吉神社・石山寺・永源寺・百済寺・金剛輪寺・西明寺・長浜豊公
     荘・渡岸寺の十一面観音・雨森芳洲・余呉湖・木之本町でサバ寿司・
     白髭神社・中江藤樹・竹生島・長浜城・鉄砲鍛冶・北国街道・ニシン蕎麦
■2008年 
    摩周丸でラジオ体操・函館のナナカマド紅葉の並木道・英国領事館・五稜郭・函館山・北方民族資料館と蝦夷錦・定山渓ホテル・里塚霊園で墓参り・復刻酒 
■2009年 
      高野山持明院の般若酒・紀州熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝・
      補陀落寺・サン勝浦・名古屋でトヨタテクノミュウジアム
■2010年
      石見銀山・石洲瓦の美術館・三瓶山の縄文巨木・出雲古代歴史博・出雲大社・松江しじみ
■2011年 
     山寺→湯殿山・注蓮寺の即身仏とカメムシ事件・羽黒山五重塔・味噌おでん
     鶴岡の藤沢周平記念館 →北前船・本間邸・土門拳記念館
■2012年
     遠野・五百羅漢・宮古・田老・大槌・山田・釜石・大船渡・陸前高田・
     らまっころ山猫・睨鼻渓・宮沢賢治の東北採石工場
■2013年
     能登漆芸美術館・赤木工房・白米千枚田・窓石・垂水の滝・怪し
    げな南惣美術館・時国・上時国・塩・禄風岬・ランプの宿・逆杉・軍艦島・総持寺祖院・黒島             北前船の集落・輪島グランドホテル→白山比め神社・獅子吼荘・鶴木・金沢・北陸新幹線
■2014年
         10月8日 「かよい路」で台風18号で九州旅行中止を恨む会 月食 宮崎の高級ウイスキー
■2015年  中止

2016年10月6日木曜日

思い出深いうら話・・・・・逸徳

フローリーやポーリング、ムーアなど懐かしい名前がならんだなあ。あれから50年以上過ぎた。実は退職間際に、教え子がふたり続けて北大と東北大に受かったことがある。その時に、もう使うことはないなあと思い、こういった専門書を二人にプレゼントした。捨ててしまうよりは、二人とも理系だし、もう古典的名著とはいえ、生かしてもらうのがいいと思ったのである。北大にいった男は、たまたま入った学生寮(北20条ぐらいにあったらしい)がキリスト教系で、そのままキリスト教のシンパになった。まじめな男で先年山口県で結婚式を挙げた時は何か北大のOB会みたいになり、新幹線の切符を送るからと招待してくれた。いい男子だ。今は若い奥さんとともにアメリカに派遣されている。で、面白いのが東北大の工学部にいった男子だ。それが、入学してから半年ぐらいでメールが来た。なんだとおもったら、「先生からいただいた量子力学の本に3万円挟まっていた」というのである。これ、量子力学ならまずうちの奥さんはあけることはないだろうと、おいらがへそくりを挟んでいたのをすっかり忘れていたからである。「現金書留で返す」というので「とんでもない。ふつうの封筒で返してくれ。そんなのが来たらへそくりだったのが奥さんにばれる」とあわてて返信したのを覚えている。まだ、何か所か本の間に、へそくりがあるのだが、老化現象でどの本か忘れかけている。
死に際に息子に言うとするか。おいらが死んでから、本を全部ひっくり返してさがさせるのもおもしろい。ぶーぶーいうだろうなあ。ざまーみろ。

2016年10月4日火曜日

思い出深いお話・・・国兼

  高分子を卒業して半世紀たつが、その当時に買った参考書等は今も大事に書棚に残っている。なかなか思い出深く捨てられれないというか・・・。褌子さんはポーリングの「化学結合論」を始めムーアやフローリ、スレータ等の本を捨てたとか、多分これで完全に高分子学科を卒業したということなのだろう。
  その後の人生で、学生時代に勉強したこれらの参考書がどのくらい役立ったかと言われるとハタと困る。何か後付けの説明みたいで。たまたま電子材料の研究・開発に従事してきた立場から言えることは、材料の選択、組み合わせ、反応予測、データーの解析、解釈等々を繰り返す中で、フィザーの有機化学を始めとして、ポーリングやムーア、フローり等の参考書のここら辺に書いてあったという脳の中の記憶こそが役立ったとしか言えない。いまなら GoogleやYahooの検索でより速く得られるかもしれないが、もっと詳しく知りたいということになると、やはりあの当時読んだ参考書が頼りになると思う。
  ただ思い出深いというだけでなく、今も捨てられないもう一つの理由はボランティアでやっているScienceの抄訳に時に必要になるからである。その意味では半世紀を過ぎた今も役立っており、まだ完全なる高分子学科卒業は先である。

 話代わって今年のノーベル医学生理学賞賞に大隅良典・東工大栄誉教授が受賞したとの嬉しいニュース。autophagyという自食作用での研究とか、Scienceでも時にこの言葉が出てきていたが日本の研究者がその先端をやっていたとは知らなかった。今日の新聞で東大の化学科卒業で故今堀和友教授の影響云々と。中川先生を思い出してしまった。

2016年10月1日土曜日

金子さんでなく三宅さんだね    褌子

熊さん
金子先生ではなく三宅先生の「高分子統計力学」の試験のあとで、解答を熊さんが黒板に披露したので私の記憶には自信があります。熱力も統計力学も量子力学の法則もみな忘れたが、こういう妙なことはよく覚えている。
なお、褌子(こんし)のペンネームはさんずいではありません。褌はフンドシという意味で猫跨ぎさんがつけてくれたもので、私はいいペンネームだと喜んでいます。国兼さんのフンドシですごく投稿がもりあがったことがあったときに命名してもらったもの。

渾子さんの投稿読みました 九州の熊

なんかお褒めの言葉がいっぱい書いてあって面映いです
わたしのこのブログの中での自己評価は あまり出来がいいとは言えない 小言こうべい
時々面白そうな発言はあるが あまり賢い人物とは言えない  です
金子先生の試験のあとに 見事に回答を黒板に書いて・・  の部分は 渾子さんの記憶違いだとおもいます  そんなことができそうなのは ドクターを目指していた国兼さんくらいのものでしょう
でもこんな話題を提供してもらってありがとうございました

渾子さんの投稿読みました 九州の熊

なんかお褒めの言葉がいっぱい書いてあって面映いです
わたしのこのブログの中での自己評価は あまり出来がいいとは言えない 小言こうべい
時々面白そうな発言はあるが あまり賢い人物とは言えない  です
金子先生の試験のあとに 見事に回答を黒板に書いて・・  の部分は 渾子さんの記憶違いだとおもいます  そんなことができそうなのは ドクターを目指していた国兼さんくらいのものでしょう
でもこんな話題を提供してもらってありがとうございました

禅問答みたい。わたしのオツムが破壊してしまいそう    褌子

熊さんの「禅問答みたい。わたしのオツムが破壊してしまいそう」に思わず50数年前のある日のことをおもいだした。
今を去る半世紀前。高分子学科の放課後のこと。黒板をまえに熊さんと私を含む4人くらいがいた。たぶん青木君か西原君か橋本君だったとおもうが思い出せない。三宅先生の高分子統計力学のテストのすぐあとだった。三宅先生の問題は2問で、熊さんが模範回答を黒板にチョークですらすらと書いたのだ。わたしは、当時すっかり高分子学の勉強に関心を失って野口先生の有機化学の試験も落ちてばかりいたので、熊さんの名答ぶりに驚嘆し、まさに「禅問答みたい。わたしのオツムが破壊してしまいそう」と思ったものだ。いらい熊さんの頭脳明晰ぶりにはずっとコンプレックスをもっているのだよ。この三宅先生の問題のうち2問目は、たまたま私の持参した参考書に幸運にも全く同じ問題と解答がのっていて、その僥倖に大喜びしたことを昨日のことのように覚えている。試験の合否は、一階の学生のロッカーがあったところに張りだされたが、当時、優秀なので有名だった国兼さんとならんで学業トップクラスのA君が「猪坂がなんで合格したのか不思議だ」としきりに言っていた。わたしは昨日食ったものを思い出せないが、昔のことは案外よく記憶に残るタイプ。ごくごく断片的などうでもいいことばっかり覚えている。
2講座に入ってまもなくのころに橋本君がムーア『物理化学』を上下二冊とも非常に面白く精読したといっていたので頭のいいひとはうらやましいなあと思ったものだ。
 ついでにいうと中川先生が、有機化学の追試追試でみんなが苦労していることに同情してくれたが、「中川先生は東大の学生のときに野口先生のような教師の試験で苦労しなかったのですか?」と愚問をわたしが発したら、本の名前は忘れたがドイツ語の有名な有機化学の教科書を「ボクは学生の時にぜんぶ翻訳してノートに浄書しました」とさりげなく言うので、頭のいいひとはちがうなあと感嘆したものだ。
  先日、女房が本が邪魔だ、まったく読まない古い本はもう捨てろというので、緑色の白水社のラッシブルク『統計力学』、ポーリング『化学結合論』、スレーターフランク『理論物理学入門』、フローリ『高分子化学』、鮫島実三郎『物理化学実験法』、あとは岡小天と山本三三三の高分子学の本など十冊くらい捨てたがなんとなく淋しかった。本を開いて読んでもないくせに。(東京都立大学の山本先生が出張講義にきたこともあった。)
いすず書房の中川鶴太郎・神戸博太郎『レオロジー』はぜんぜん勉強してないくせに捨てられなかった。2講座で輪講した青っぽい小冊子だが英語のフェルミ『熱力学』はまだとってある。
野口先生もわたしや◎◎君がちっとも合格しないので業を煮やしたのか、出題の範囲が狭まってきた。わたしはビタミンCかセルロースの構造決定法を丸暗記していって、どっちがでたか忘れたが、山があたって見事に8回目くらいで合格した。

わるいわるい・・・・・逸徳

すまんすまん。熊さん。 自分の興味のある問題しか書かなかった。面白くはないなあ。年寄の話というのはこんなものかもしれん。 要するに自己中心的になってしまうのだ。気をつけるよ。
 しかし、50年もたつとみん向いている方向がすこしづつずれて、それぞれ興味身関心のある問題は全然違ってくるんだろうなあ。おいらとしては、むしろそのことに感動している。

で、ちと違った話題を。 ある人に聞かれた。 こどもにやらせるのはどっちがいいか。①合唱か、ピアノか ② 模型づくりか、熱帯魚の飼育か。・・・・どう思う??

実は、これ①も②も、個人的作業か、相手のある作業かということだと思うのだが。ピアノはひとりでやる。だが合唱は他人の声を聴いて、合わせないと、成り立たない  模型作りは一人でもできる。熱帯魚は、魚という意のままにならない、自分とは違う命が相手。 要するに相手があるかどうかだと考えた。 そこで、この世の中生きていくには、砂漠のまんなか見たいにひとりぼっちで生きていくわけではないので、他人の心を思って協調しながら生きていかねばならんから、おいらは合唱と熱帯魚と考えんだがいかが。

2016年9月30日金曜日

大目にみてやろう 褌子

まあ、こういう議論をしているときが一番楽しく気楽だというひともいるのだからお互い大目にみてやりましょう

もっと気楽に行きたいね・・・九州の熊

なんか難しそうな話題を並べて禅問答みたい  もっと日常的な楽しい話題がいいなあ
わたしのオツムが破壊してしまいそう⁉️

なぜ自分が自分になってしまうのですか? 褌子

生命とは情報の統一体。ソフトにバグが、なるほど。なんとなく納得。バグがどんどん増えて来てエントロピーが極限まで増えて制御不能となって御臨終ということか。そして分子に分解されて又よそ様の生命に取り込まれてお役に立って・・。
さて心理学専攻の逸徳さんに質問。なぜ「自分が自分になるのか」ということ。なぜ自分が佐渡に生まれ、あの親から生まれ気がついたら自分になっていたのかということ。なぜ自分は中国残留孤児にならずに、こうして生きてきて、ここにいるのかということ。両親の精子と卵子が結合して、どうして自分が自分になったのか。逸徳さんのご回答お願いします。これは昔から不思議に思っていたんだが、人間がなぜ親を選べず気がついたら自分が自分になってしまうのか、このカラクリを解明していただきたい。

生体高分子論・・・・逸徳

老化は直近の記憶を劣化させるが、長期記憶はますますはっきりしてくるらしい。で、褌子さんのウイルスの話を聞いて思い出した。ウイルスは生物か否かというのは講義でやったなあ。生体高分子論だ。須貝さんだったかなあ。月面着陸船みたいなタバコモザイクウイルスの写真を覚えているかい。あれは確かに生物という感じはしなかった。
 で、生物とは何かということに関して、つい最近ある医者と話した。話題は、人間の臨終の瞬間はどうして決めるかということがメインだったが、生物学的には死はフェードアウトで、ある瞬間を死と決めるのはむつかしいが、その医者の話によると、何度も臨終に立ち会っての経験だそうだが、何となく、その瞬間はわかるんだというのである。簡単にいえば「ああっ 今死んだな」というのを感じるというのである。どうもそれは、人間がひとつの統一体として存在しているのが、その統一が終わる瞬間なのである。そこにその人の肉体があって、その9割以上は生存しているのに、もう全体としての統一がバラバラになる瞬間なのだろう。なんとなく戦争で負けた瞬間を連想した。司令部は負けたといっているのに、最前線は納得していないのに似ている。
 つまり生命というのは、情報の集合体であり、それが一定のソフトで動いている。このソフトが命の本質ではないか。なので、ぼけるというのは、そのソフトにバグが生まれてきたんだな。

2016年9月29日木曜日

微妙なはなし    褌子

逸徳さんの微妙な老化現象の微妙なはなしに関心をもった。
ラジオの原理だが、こどものころ、鉱石ラジオというのがあったなあ。細胞を顕微鏡でこどもに見せる話だが、仁ちゃんも高校時代、生物クラブだったそうだから大いに関心があるのではないか。
さいきんウイルスは生物ではないという医者の話をきいて、へーそうなんだとおもった。増殖するから生物ではないかといまも内心思っているが。
逸徳さんにはコンピュータウイルスの写真をぜひ顕微鏡で撮影してイグノーベル賞を受賞してもらいたい。
さて老化のはなし。すり足でよろけるようになったのはいっしょ。ストック2本もって川の土手を夕日を浴びながら颯爽と散歩する逸徳翁の勇姿をいつも思い描いて、わたしもたまに朝の散歩をするのだが中止したと聞いて衝撃をうけている。逸徳さんの速歩の勇姿は菊川町の中高年女性の憧憬の的だったのではないか。逸徳さんが特製の高級な靴をはいていることも知っているので。
いま一番困っているのは「とつぜん会話中に言葉が思い出せない現象」「熟知しているひとの名前などが突然度忘れして出てこない」。
あとひとつは捜し物が極端に下手になった。目の前にある携帯電話や目の前にあるハサミなどが目に入ってなくて探すというのは不思議である。
夜9時には眠くなる。昼間テレビをみるとすぐ寝てしまう。電車の乗り過ごしなどはしょっちゅう。

2016年9月28日水曜日

仁句観賞   褌子

1.一抱え入院荷物白露かな
    そうか、もう白露なのか
2.掻き出した泥干乾びて鳥渡る
    台風、大雨被害。テレビで泥土は重たい、重たいと汗をぬぐっていた。
    応援ボランティアに行けないので申し訳ない
3.鱗粉の剥げおちた翅野分あと
    夏を終わりを象徴する一句。
    しみじみとした寂しさがある。
    この句がこんかいちばん身にしみるいい句だと思った。
4.寅さんの振られ初めの九月かな
    さいきん、BSなどで寅さんシリーズをよくやってる。
    まいかい、同じパターンで恋をして同じパターンで振られる。
    これがよい、安心してみていられる。陰湿ないじめ、すぐ暴力もない。
    こういう日本の庶民の生活があったのだ。
5.積み上げし土嚢の紐に秋茜
    北海道ではアキアカネがもう出ているか。
    台風災害のあとに小さなやさしい赤とんぼをみる作者の視線が
6.ひと風で色深めけりななかまど
    函館の最大の思い出はナナカマド。街路樹にナナカマドを植えた先人に敬意。
    いつだったか、函館でhorohoro会で集まった。はじめて函館山の夜景をみた。
    たしか仁ちゃんと摩周丸のまえでラジオ体操。五稜郭タワーの上から下北半島を指呼にみたときのあの驚き。土方歳三だったかの銅像があったな。山内さんと明治期の建物をみて若い女性の写真をとってやった。鹿鳴館式のドレスに身をつつんだ女性との握手。ひとりは旭川、ひとりは室蘭からきましたと言っていた。そして翌朝、仁ちゃんの奥さんが駅まで送りにきてくれた。あれはきっと札幌の定山渓にあつまり五本さんの墓参りにいった、あの旅行の前夜祭であったか・・・。あのときの朝みたナナカマドの紅葉が忘れられない。
7.秋の蝉何処へ揺蕩ふ命かな
    わびしい
8.垂直に空に吸われて秋の蝶
    不思議な光景
9.祭日の二輌編成秋惜しむ
    わたしの市原にも小湊鐵道があって、ふだんは一輛だけ。祭日に二輛になる
10.デデッポッポ耳底までに秋夕焼
    巨人伝説だね

2016年9月27日火曜日

函館通信2‐64・・・暑いね・・・仁兵衛

逸徳さん、齢だという言葉は使わなくても充分我々は齢ですよ。
この一月体調が優れぬまま来てしまった。足の大腿部、脹脛の裏側の筋肉が張ったままで歩くのに往生している。くそ!このままではいかんとリハビリに精を出しているが思う様にはいかん。
それにしても暑い。今、道新の夕刊が来た。開いて見たら札幌は27度まで上がり桜が狂い咲きしている写真が目に入る。昨日はハワイ島で風が吹かない日が増えて湿度が高くなり、デング熱が増加のニュースを聞いている最中震度4の地震で建物が良く揺れた。しかしもう麻痺してしまったのか揺れても暑くても無感覚である。

俳句を出すのも忘れかけていた。参加していた句会が消滅し作る意欲も体調同様全くの不調である。

1.一抱え入院荷物白露かな
2.掻き出した泥干乾びて鳥渡る
3.鱗粉の剥げおちた翅野分あと
4.寅さんの振られ初めの九月かな
5.積み上げし土嚢の紐に秋茜
6.ひと風で色深めけりななかまど
7.秋の蝉何処へ揺蕩ふ命かな
8.垂直に空に吸われて秋の蝶
9.祭日の二輌編成秋惜しむ
10.デデッポッポ耳底までに秋夕焼

2016年9月26日月曜日

年だ・・・・逸徳

最近どうも調子が出ない。微妙なところで老化を感じる。たとえば、二階の階段をあがりきったときの下半身のかすかな疲労感。 テレビの音量をすこしあげないと、語尾がよく聞こえなくなったこと。文章を書く力の低下。なかなか構想がまとまらない。胃腸の不調。便秘がくせになってきた。
まあ、至極当然の老化現象か。 散歩もやらなくなった。足の力が弱っているので、十分足をあげず、すり足が増えたのか、靴のへりが早く、数日前に靴を変えた。2年持たなくなった。足裏は大事なので、靴だけはいいものを履くことにしているのだが。

そういうわけで、褌子さんのように、さまざまな社会現象に関心を持つことができない。というよりそういう感度が低下している。ひとの関心は宇宙全体から世界、そして自分の国、故郷、住んでいる町とだんだん範囲が狭くなっていき、最後に自分の棺の中まで縮小するのが定めだろう。褌子さんには申し訳ないが、この人の世にはなんでもあるという気がするのだ。どんな悲劇を聞いても昔のようにあまりこころが動かない。「見るべきほどのものは見つ」というところか。そこで田辺さんの話だが、どうもいけない。わずかの違いで、実はおいらが田辺さんだった可能性があるからだ。おいらの上の兄弟みんな満州生まれ。まあ家族史を話してもしょうがないので、タッチの差でおいらだけ日本で生まれたわけ。 ことほどさように一皮むくとどこの家族にも、風呂敷に包んて、タンスの奥にしまっておき、できるだけ忘れたいような話が眠っているのだろう。

だから、最近はちと、別の世界にエネルギーを注いでいる。 ひとつは生きている細胞の分裂を子供たちに見せられないかということで、いい顕微鏡を買いたいということ。もうひとつは、AMラジオの原理を小学生に説明するにはどうしたらいいかということ。大体の構想はできたのだが、同調回路がうまく説明できない。なんで特定の周波数だけ受信できるのか。だれか馬にもわかるようなスマートな説明を考えてくれ。

閑話休題  今年の台風 ひどかったなあ  北海道に三つということで仁ちゃんのことを心配していたら、この欄に元気と投稿があり、やれやれと思ったら延岡だ。熊さんを心配したらすぐ、これまた無事のニュースが当欄に。 ほんとにべんりだなあ。 この調子で無事を確かめあっていこう。

2016年9月24日土曜日

田辺茂雄さん    褌子

 15年にわたる日本の中国への侵略戦争の発火点になった、いわゆる満州事変は日本軍によって1931年9月18日に起こされた。
 この毎年9月18日ごろに、「ちば中国帰国者支援交流の会」が中国残留孤児の体験をきく会を千葉市内で開催している。ことしは5回目で9月17日に田辺茂雄さんが、通訳を介して証言した。以下は田辺茂雄さんの諒承をえての投稿である。
 田辺さんは今、72~73才くらいらしい。自分の名前も両親も、生年月日もわからない中国残留日本人孤児である。
 両親は満蒙開拓団として国策で「満州」に送り込まれ、黒竜江省牡丹江の近くで生まれたようだ。1945年8月9日のソ連の「満州」侵入による逃避行の最中に母が撃たれて死亡し、父の生死も不明。中国人の養父に助けられたが5回も養父母が変わるたびに名前も変わった。最後の名前が崔文傑。豚1頭と交換されたこともあるという。自分が日本人だということは物心つくと教えてもらった。学校もあまり行かせてもらえず、日本人だといじめられるので、乞食として、やさしい中国人に食べ物をめぐんでもらいながら飢えのなか放浪したこともある
 1972年に日中国交回復、81年から中国残留孤児の祖国への帰国が本格化した。
 85年に祖国日本へ身元保証人さがしで帰り調査をうける。福島県の農家田辺水三郎さんが自分の親戚の子供ではないかと名乗りをあげてくれたが血縁関係を確認できなかった。しかし養子として田辺茂雄と名付けてもらい、福島で働いた。平成のはじめに千葉に来て、日本語も不自由なのに家族のために無我夢中で働いた。今は子ども4人、孫13人で幸せに千葉市内の県営住宅に暮らしている。
 ・・・わたしも何度もお会いしたが田辺さんは日本語がほとんど話せないし、こちらは中国語が話せない。それでも天性の人柄のすばらしさがびんびんと伝わってくる。どんな苦難にあっても運命をそのままひきうけて生き抜いた。中国でも日本でもどんな重労働でも愚痴一つこぼさず必死に働くので周りのひとに信用された。働きすぎたのか今はすこし足腰が痛いがいつも笑顔を絶やさず「ありがとう」と「だいじょうぶ」がいちばん得意な日本語らしい。(写真はわたしとのツーショット)
        ■■ 満蒙開拓団の略史 ■■
1931 9月18日 日本軍柳条湖事件起こし「満州事変」はじまる
1932 「満州国」建国宣言   1933 日本、国際連盟脱退
1933 満州開拓武装移民団の最初の送出
1936 関東軍二千万町歩を中国人から強制買収
   100万戸500万人の移民計画実行へ
1937 7月7日蘆溝橋事件で中国全面侵略戦争はじまる
1941 真珠湾攻撃。満蒙開拓青少年義勇隊約10万人送出はじまる
1945 7月26日ポツダム宣言  8月6日、9日原爆投下
   8月9日ソ連軍「満州」侵入、開拓民の死の逃避行はじまる
   8月15日 日本無条件降伏 「満州国」13年で滅亡
  敗戦時の開拓団員27万人ふくむ中国東北部の邦人総数155万人
  犠牲者は圧倒的に開拓団員に集中している
1949 10月1日 中華人民共和国成立
1972 9月29日 日中国交回復
1981 この年より中国残留日本人孤児の祖国日本への帰国が本格化

2016年9月21日水曜日

シン・ゴジラ   褌子

おととい、私もシン・ゴジラをみたばかり。じつは錦糸町のTOHOシネマズに「君の名は。」をみに行ったのだが、映画館も時間もまちがえて「シン・ゴジラ」をみてしまった。面白かった。日本国民の生命をまもるために総理大臣も官僚も自衛隊もじつにまじめに必死で放射性廃棄物を食って巨大化したゴジラとたたかうのである。日本と関係のない遠い南スーダンに自衛隊を派遣しようというアベ首相とは大違いだと思った。

『陸行水行』   褌子

 諸葛孔明を三顧の礼でむかえた蜀の劉備が関羽、張飛らとともに、魏、呉と知謀のかぎりをつくしてたたかう三国志はあまりに有名。ここにでてくる魏の曹操は権謀好きな悪役として描かれていて、判官びいきの日本人には人気がないが、これはあくまで明代に書かれた「三国志演義」という歴史講談なのである。
 この曹操がたてた魏の国は華北の地を占め、朝鮮半島に近く、半島の中心部、帯方郡に太守を派遣、治めていた。対馬海峡のかなた古代日本、倭との交流は帯方郡を通じて行われた。
 『魏志倭人伝』は、魏の史書「魏志」の東夷伝倭人の条に収められている。この倭人伝には2世紀後半から3世紀前半頃の倭にあった最も強大な国、女王卑弥呼が支配した邪馬台国の位置、政治、風俗などの見聞報告が短い文章にまとめられていて、古代日本に関する最古の書。
 この邪馬台国が九州にあったのか近畿地方にあったのか古代史の最大の謎になっている。
 ・・・こんな周知のことを書いたのも松本清張『陸行水行』を再読して伊都国があったとされる北九州の糸島半島の邪馬台国博物館を訪ねた日のことがよみがえってきたからである。清張はすでに『万葉翡翠』『たづたづし』などで古代の和歌を題材にした推理短篇を書いていたが、古代史そのものをテーマにしたのは昭和六三年発表の『陸行水行』がはじめて。
 この作品で古代史ブームをまきおこした清張は『古代史疑』に着手して日本の古代史学会に挑戦状をたたきつける。清張古代史推理小説の集大成ともいえる長編『火の路』へとたどり着くには『陸行水行』から一〇年がたっていた。

シン・ゴジラとキュウ・ゴジラ・・・国兼

  北海道といい宮崎といい、台風のもたらす農作物や家屋への被害、これが我が家だったらと思うと・・・。100年治水をというお隣の国の言葉を思い出す。

  シン・ゴジラを観に久し振りに映画館へ足を運んだ。昭和29年、戦後から少し復興し始めたころの日本が作り世界的ヒット作品となった「(キュウ・)ゴジラ」を思い出しながら観た。何といってもこの両者の見どころは特撮技術である。
キュウ・ゴジラではかの円谷英二による手作りの数十分の一のミニチュア模型と人による縫いぐるみのゴジラを用いたものであるが、シン・ゴジラは徹頭徹尾すべてCGを駆使した特撮技術である。当たり前ながら、CGを駆使した技術では監督の意のまま思いのままに映像を作成できるはずであるが、映像の示す迫力において円谷英二の特撮はそれに何ら見劣りしないと思った。
  また、キュウ・ゴジラでは生物学者、志村喬が演じる訥々とした語りの中での重厚さが作品を引き締めていたが、シン・ゴジラでは総理大臣を始めとしてドタバタした落ち着きのない印象で、この国は大丈夫かと???
今回シン・ゴジラを見て感心したのは、何故にこの生物が戦車砲にもミサイルでも死なず、国会議事堂や橋を倒ほどのエネルギーをどのようにして、またどうして口から火炎砲を噴くことができるのかという私の以前の素朴な疑問を解明してくれた点である。
「返信」
  褌子さん宅から我が家に移植された種々の野の草は、この地に適したのかどうかシランが、繁殖過ぎるくらい全て成長し、我が家の在来種が絶滅の危機に瀕している。特に、木賊は手に負えない悪で、鬼平ではないが御用として鉢の中に閉じ込めた次第。白雪芥子も名前は初々しいが曲者だネ。ともあれ、今はシュウメイギクが白い花を咲かせている。

台風見舞い ありがとう・・・九州の熊

仁ちゃん 台風見舞いの投稿ありがとうございます わざわざ地図で調べて確認してくれたんですね   おっしゃる通り 出水のあった北川及びその周辺は 市の北の端  わたしの住む南一ヶ岡 は市の南部  距離にして 15キロくらい離れた位置関係 出水や土砂災害等はありませんでした  ご安心ください
現役のころ 北川からあまり離れていないところに工場があって わたしの仕事場はその工場敷地内にありました 今回の出水と同じような騒ぎがあり わたしは 工場内に入ってきた水のために 数人の同僚とともに 工場建屋内に閉じ込められてしまうという 今考えると 恐ろしい体験をしました  あの濁流にのまれていたらどうなっただろうかと 恐ろしくなります 最終的には1〜2時間後に水位が下がり 無事脱出できました
この頃から 悪運強き鈴木 が始まったような気がします


2016年9月20日火曜日

函館通信2‐63・・・台風お見舞い・・・仁兵衛

九州の熊さん、延岡の台風被害お見舞い申し上げます。
しかし以前にもお見舞いを書いた記憶がありますね。早速地図を調べ南一ケ岡は氾濫した北川とは逆の方向にあるのでまず安心と思いますが如何でしょうか。

今年は台風が多いい様に思えますがまだ16号ではさほど多くはないそうですね。但し上陸して雨風による直接的な被害は函館の身近な公園などでは本当に痛々しく感じられます。

上空の気圧配置が従来とだいぶ異なっているとか色々な情報が有りますが地震予知の難しさ同様気象状態の変化も気の抜けぬ生活の一要素になりますね。皆様防災準備を怠りなく。

失礼しました・・・九州の熊

渾子さん  あらぬうたがいをかぶせてしまい気分悪くされたのでは? ほんとうにごめんなさい
思うに このような 解ってもらえないことがらを ちゃんとわかりやすく補足説明することの なんと難しいことよ

渾子さん ちなみに  一句目の解説文はわかりますか  クラブの構成と 各番手のクラブの飛距離の関係がわかれば 川柳の心が読み解ける とわたしは考えたのですが・・

今回投稿作は 一句目がわたし的には りょうさくと思っているのですが・・・

ゴーヤづくしだね    褌子

ゴーヤのカーテンいいですね。うちは朝顔を植えたが雑草に埋もれてしまった。白いゴーヤというのはきいたことがない。白い彼岸花や白いシランならわがやの庭にたくさんある。
うちの庭は、つくって20年くらいになるが、いろんなものを植えすぎた。ほとんど、他人の庭からもらってきたものだが大きく育って勢力をひろげて、雑草との競演。さらに蜘蛛の巣まで。近所のおじさんがみるにみかねて木の枝を切ってくれ、軽トラに満載で市のゴミ焼却場に捨てた。
いちど、ぼけ防止に庭のすべての植物の名前を本欄にかきだしてみたいと思っている。
国兼宅には、シュウメイ菊、折り鶴ラン、白雪芥子などがわが家からお嫁入りしているが、元気に育っているかシラン。国兼宅の千両はわがやのクロガネモチの巨木の根っこにつつましく赤いはなを咲かしているよ。

九州は台風で大変ですね ・・褌子

熊さんへ
投稿拒否などしていませんよ。熊さんの川柳の解説もちゃんと読んでいます。ただ、わたしはゴルフはまったくやったことがないので、ゴルフに関する説明がわざわざ必要な川柳はわたしからみると、川柳としてのおもしろみがないということです。やはり誰が読んでも説明抜きでズバリわかる次のようなものがよいのではないかという意味です。これはわたしの私見ですので熊さんは熊さんらしくまったく気にせずにどんどんつくればよろしい。あとはひとをして言うに任せよ。

会心打 一流ぶって不満顔
ミス連発  痛くもないのに腰さする

はゴルフの知識もないひとでもよくわかる秀句だと私は思う。

国兼さんも書いているが私もゴルフ会員権で大損した人の相談にのったことがあります。もうずいぶん昔の話だが、そのひとは千葉県のある銀行から住宅ローンも借りていたので断りきれず、もうかるからと無理やりすすめられて2000万円融資をうけてゴルフ会員権を購入したが、そのゴルフ場がすぐ倒産。わたしも一緒にその銀行と交渉して金利をタダにさせ毎月の返済額を返済可能な額に下げさせたことがある。ほかにもゴルフ会員権の相談をふたり受けたが、さいきんはまったくなくなった。

2016年9月19日月曜日

白いゴーヤの物語・・・国兼

投稿拒否とは?What?  ともあれゴルフ川柳ネ・・・。
  思えば、私も50代に他人との付き合い関係もあってゴルフを始めた。やるからにはと一流の道具を揃え、よせばよいのに箱根のゴルフ場会員権まで買ってしまった。プロのレッスンや早朝練習に励んだこともあったが、道具は一流でも腕は恥ずかしながら三流どまりだった。
  思い出すのは、私の後ろに立ってアドレスが、グリップが、腰の回転がと・・・、こいつのケツをクラブでひっぱたたいたら気持ちが良いだろなと・・・思いつつ、あちらこちらと走り回った。定年後に会員権は大損して売り払い、道具は2足3文で買いたたかれ、カミさんには今も冷やかされ、今となっては我が50代のほろ苦い思い出の一つである。熊さんの川柳の中には、大いに共感するところがある。

話代わって表題の件、
  以前にも書いたかもしれないが、10年以上前から自宅の庭畑にグリーン・カーテンとしてゴーヤを植えはじめた。一本の苗が成長し、カーテンを伝って二階のベランダまで届くようになる八月から九月にかけてゴーヤが採れ始める。毎日のようにゴーヤチャンプルや味噌煮、酢の物、天ぷらにして食べてもも追いつかない。最後にはまとめてちりめんと削り節を入れて佃煮にし、保存食としている。
  今年も例年通り店で苗を買って植えたが、いつもの見慣れた緑のゴーヤではなく白いゴーヤが採れ始めた。初めてみるものでスパーや八百屋でも見たことがない。調べてみるとゴーヤの苦みは表面の緑の部分で、その緑の部分を品種改良して白くすることで苦みを抑えたものであるとのこと。確かに苦みが少ない。近所の人にもこのゴーヤをプレゼントしたが皆「ほんとにゴーヤなの?」と。台湾では以前から知られており、漬物にしても食べるらしい。ウリ科だから苦みが薄くなれば漬物にして食べるのもありかと。
 ゴーヤは栄養価の点でも優れものと云われている。特にビタミン類が豊富らしい。カミさんが云うには、ゴーヤを食べ始めてから冬場に風邪をひかなくなったと。今年もこの白いゴーヤを大いに食べている。先日もゴーヤの料理法をテレビで見ていたが、塩辛との炒め物とか味噌仕立ては私の好みではない。やはり、ゴーヤは豆腐と豚肉とやや胡椒を効かしたゴーヤチャンプルがベストである。

投稿拒否?・・・九州の熊

褌子氏のタイムラインにはわたしの投稿記事は掲載されないように設定されているのですか  どうも話がちぐはぐに感じるときがあります  直前に 川柳の解説 という投稿をしたんですが  それなのに なぜ  解説がないので評価不能 とは?

ぶしつけな質問 すみません  でもわたしの見立てがその通りだとしたら この投稿も無視されることになる・・?

もともと このブログは 仲間内で ある発言をきっかけにして ああだこうだと 楽しいコミュニケーションを図ろうと始めたものだったと記憶している  そこから より親密な仲間意識が醸成されると・・?  ときには論争になっても それはそれで楽しいではないか
投稿拒否となると 投稿記事のさきにはなんの波風もおきない 不毛の荒野だ

以前 猫じいの発言で  投稿へのレスポンスがおそい  みんな黙りこくったまま これをなんとかしなければならない  と

猫またぎさん  是非 再登場してください



熊さん川柳が快腸でなく快調である   褌子

快心打  一流ぶって  不満顔   が前回は断然ぶっちぎりの秀逸賞であった。

こんかいも、またまた九州から大ヒットをとばし、はるか千葉県にまで飛んできたのは

 ミス連発  痛くもないのに  腰さする

である。 川柳に不可欠の諧謔、ユーモアがある。なんとなく読者にも身に覚えがある自虐感がまことによい。わたしも人の前でしゃべっていてとちったり度忘れしたりするとわざと風邪引いてるふりして、コホンと空咳などするがあの感じが非常によくでていて誠に素晴らしい。掲句は2016年日本川柳大賞にノミネートされるかもしれないというウワサがありそうで今のところないらしいという最近のはっきりしない不順な天気である。
次席は
    助け舟 おれの腕には 効き目なし
つぎは
        食事付き  ダイエット無視して 爆食いに

あとの四句は、ゴルフやらない読者には説明が必要なので、歴史に残る名句とはいかない。
説明抜きで誰でもわかる、だれでも思い当たる節があってクスリと内心わらうのが名川柳なのである。
一ヶ月に50句ぜひ挑戦してもらいたい。
わたしは石原元知事を批判して次の投稿をフェイスブックにしたが不発であった。

《今朝の一句》
よくもまあ四期もやらせたこのひとに
豊洲で醜い責任逃れ。新銀行東京で税金1600億ドブに捨て、東京に冷酷な管理教育持ちこみ、尖閣で野田政権そそのかし国を誤らせた。東日本大震災の被災者に「天罰」、重度心身障害者を「人格あるのかね」と言ったことは忘れない。
「三国人」「ババア」発言などこれほど日本語を尊大に汚くつかう「文学者」はいないのではと思っていましたが、おっと曽野綾子さんもいましたね。

2016年9月16日金曜日

川柳の解説・・・九州の熊

今回の作品は 少しゴルフの経験がいる そんな内容なので・・

やつ5番   おれは7番   勝ったぞう

    ゴルフクラブは ふつう木製(ウッド)クラブ 1,3,5番  と 金属製クラブ 3,4,5,6,7,8,9番 それ  
に ピッチング  アプローチ  サンドなどがあります  番号付きは 数字が少ないほど遠くへ飛ばすことができます
そこで今回の作品ですが 最初の打ち出しホールで手にしたクラブ あいつは5番 自分は7番 ふつうに打てば 7番のクラブで5番に対抗できる 飛距離的には 相手より飛ばせると認識できる そこで勝ったぞう!  となる

グリーン際    あらまあらまで    3往復

    あまり 難しい解説は不要と思います  グリーンのすぐ近く(カップ近く)まで来てるのに あらまあ の嘆きで 気付いたら 3往復していた  という自虐的情景です

カウンター   目盛り足りない    大叩き

     最近のアマチュアゴルファーは 打数を数えるための小道具として カウンターを 持っている 目盛りは 通常通り打った時の3倍数くらいまで 目盛りが付いている  最大 15くらいかな?  このプレーヤーは18とか20打くらい  打ってしまって途方に暮れている という情景です さすがにわたしはここまでの大叩きは経験がない

ミス連発     痛くもないのに    腰さする

    自分のミスを腰のせいにする  よく見かける状況です

助け舟     オレの腕には     効き目なし

    助け舟を出す人は大抵 教え魔かお節介屋  おれはビギナーで下手くそ  おれになにか助言をしても受け容れる 能力は備わっていません  少しお黙りください とさりげなく反発して抵抗している情景です

食事付き    ダイエット無視して     爆食いに

   ゴルフ場で 昼食付きというのは 要注意  食べ放題というケースが多い それでここぞとばかり爆食いになることが多い  貧乏人根性丸出しですね

ティーショット     まず探します      アドバンス

    アドバンスというのは アドバンスティーといって  OBを打ったプレーヤーのために用意された 正常位置より前方に設置された 特設ティーのこと  この人は いかにも自信が無く 打つ前から どうせOBだよと 思いながらプレーしているんです  ゴルフは ミスのスポーツ  強い気持ちが必要と改めて考えさせられます



久しぶりに川柳でも・・・九州の熊

その後 体調は一進一退 まだ万全ではありません  今使っている強い抗がん剤の副作用が その効能に比例して さらに強い副作用をもたらす・・ここは忍の一字です

久しぶりに(調子に乗って)ゴルフ川柳を

       やつ5番        おれは7番         勝ったぞう

      グリーン際        あらまあらまで         3往復

       カウンター        目盛り足りない         大叩き

       ミス連発         痛くもないのに         腰さする

        助け舟          おれの腕には           効き目なし

        食事付き         ダイエット無視して        爆食いに

        ティーショット       まず探します           アドバンス

最近思考回路のめぐりが衰えて 少ないボキャブラリーが ますます貧弱になってきた
句作もスムーズに進まない  8月中に40作と目論んだけど いま38作品で足踏み中  まあ焦らずボチボチ行きます


2016年9月14日水曜日

いったいどういうことだ・・・・逸徳

最近の富山市議会の腐敗がひどすぎる。 政務活動費を不正使用した、自民党市議は取材カメラの前で「飲んじまった。酒が好きだもんで」と平然とのたまわった。こういうのと、どうしたら平和的コミュニケーションが取れるのか。知性や良心のかけらもない。

こういう、わけのわからん政治家の腐敗が進んでいる。しかもこれ、9割は自民党である。なんでだ。いや自民党が悪いのではなく、権力をにぎる与党になるとみんなこうなるのかなあ。で、つくづく思うのだが、最近の保守政治家の劣化がひどい。その例を上げたら、枚挙にいとまがない。ほんとにひどい。政治家が下品になった。どうしてこんなに保守がひどくなったのかなあ。だれか解説してくれえ。

問うことのむつかしさ・・・・逸徳

れんぽうさんの件にかかわって。

最近、地域づくりの運動にかかわって、住民の考えを聞く大規模なアンケート調査の企画を進めている。 人口10000人くらいの地域なのだが、統計的に意味のある調査を行おうとすると簡単ではない。結局調査の郵送費だけで15万くらいかかってしまう。もともと、住民の団体なのでそんなに金はない。その中でこういう問題にぶつかった。
どういう形の設問をするかによって、結果が左右されてしまうという問題である。何が問題なのかというこちらの仮説があって、それが正しいかどうかの設問がつくられる。したがって、こちら側の問題意識にのってこない問題はそもそも設問にあらわれてくることがない。またはすくない。そして設問にふくまれていない問題は、そもそも結果に出てこないから、そういう問題は存在しないということになりがちになる。
つまり、どんな眼鏡をかけるかによって対象のありようは違って見えてしまうのである。これを社会調査の専門家は「ひとは、自らの発する問いにみちびかれて、事物のありようをさぐる」という表現をする(そうである) つまり自分を離れて本当に中立公正な、純水のような純朴な設問というのはなかなかあり得ないのであろう。

れんぽうさんの国籍を問題にする人は、そのようなことが大きい問題であろうし、そういう問題を通して世の中を見てしまおうとする。ここから国粋主義とか、差別意識やヘイトスピーチの問題に結び付けて考えてしまうのは、ちと行きすぎかもしれない。だがしかしである。やはりそこで、我々はそういう見方をする人に問わなくてはならないだろう。「いったいなんでそんなことが問題なの?」と。

『医師中村哲とアフガニスタン』に感動   褌子  

《再放送されるそうです! 16日(金)の深夜12時からEテレで》
『武器でなく命の水を医師中村哲とアフガニスタン』を10日夜Eテレでみて感動。
信念と行動に頭が下がりました。
日本の生きる道はこれだと確信しました。中村先生のような日本人と同じ空気をまいにち吸って同じ時代を生きていることがうれしくなりました。

2016年9月13日火曜日

穏やかに共存しよう・・・九州の熊

れんぽうさんを攻撃している という発想はどこから来てるんですかねえ 素朴な疑問を提示してるのであって 個人攻撃をしようという意図はわたしは感じません  日常的にやぶにらみで攻撃的だと構える姿勢はやめにしませんか  穏やかに建設的なコミュニケーションを積み上げ 平和共存をめざしたいです

純粋の日本人とは   ・・・ 褌子

純粋の日本人ではない、と民進党の代表選挙に出ている蓮舫さんを攻撃しているひとがいる。
「純粋の日本人」って何だろう?
大陸から半島から北から南から様々なモンゴロイドが日本列島にやってきて混血を何万年もくり返して「いわゆる日本人」が次第に形成されてきたのではなかったか。国境とか国籍とか変なものがまったくない長い長い時代を人びとは風や海流を利用して行ったり来たりしていたのだ。
最近?だって、百済滅亡でどっと渡来してきたし、平成天皇も「桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と2001年に語っている。
今だって世界中から人びとがやってきて、「いわゆる日本人」と結婚し、「いわゆる日本人」が世界中に出かけて行って恋をして国際結婚している。
蒸留水みたいな純粋の日本人なんてひとりもいない。

むかし高橋トンボという球団があった   褌子

覚えているヒトがいるかもしれんが

函館通信2‐62・・・パリーグも忘れるな・・・仁兵衛

 セリーグは元々国鉄スワローズのファンなので巨人以外が優勝すればそれでよし。北海道に住んでから自ずと日本ハム・ファイターズファンになった。今年はソフトバンクに大きく離されていたのをやっと追いつき・抜き去りデッドヒートを繰り広げている。
 更に大谷翔平という表現出来ぬ怪物が見れるのは実に楽しい。投球の速さと同時にインコースの球を身体を折りたたむようにしてバットの芯に当てレフトスタンドに運べる選手は今迄見た事が無い。
 是非パリーグ優勝して広島と日本選手権を競う所を見たいと思っている。

鯉優勝おめでとう   ・・褌子

カープ優勝おめでとうございます。わたしの佐渡高校時代のともだちがスポーツカーで日本中、夫婦でカープのおっかけをやっている。幕張メッセの千葉球場までやってきたが、とにかく巨人がきらい、カープが大好きだといっていた。高校の校長先生だったときには頭に丸いハゲがで
きるくらい苦労し
たが退職した今はカープを応援するのが楽しくてしょうがないといっていた。
戦前、原爆投下の前、広島城はお堀を大きな鯉が悠々と泳いで。鯉城といわれていた。それが広島カープとなったいわれだそうだ。

2016年9月12日月曜日

カープ優勝!・・・九州の熊

いやいやご同慶のいたりです  アンチ巨人のわたしとしては 敵地に乗り込んで 巨人を打ち破っての栄冠  痛快極まりなしなり  ひたむきな泥臭い野球の積み上げと 国兼さんの いう 自腹で育て上げた 一流半の選手の成長 結束 そして 黒田 新井 両ベテランのリーダーシップ どれを取っても 今年の優勝の大切な要素であった  まあ勝つ時はそんなもんだけど・・
この財産を来年以降につなげ 1年限りのフロック優勝と言われないようにしてほしい
金満球団に勝たせたらいかん!

2016年9月11日日曜日

祝カープ優勝・・・国兼

  本当に久しぶりというか何というか昨日、NHKでカープとジャイアンツの試合を1回から9回まで観てしまった。黒田が投げ鈴木が打って4半世紀ぶりの優勝にお酒も実に美味しく飲んでしまった。何故にカープ・ファンかと、昔会社の同僚から良く聞かれたが、これを説明するには昭和29年の小学校6年より前のことを話す必要があるのでここでは割愛。
  ともかく、イチローが、ゴジラがメジャーに行き、カープも超低空飛行で日本のプロ野球に興味を失い、メジャーの試合を時々見たりしていた。でも、高校野球には実に熱心で、神奈川予選は近くの平塚球場や横浜スタジアムにまで暑いさなか観戦に行く。野球への関心は決して失っていない。

  カープは昔も今も貧しい球団で、今日の格差社会の中では最も悲しい球団であろう。せっかく無名の選手を育てて球界でもトップクラスの選手に育てたと思ったら、金持ちの球団に引っ張られてカープは弱体する。そしてまた、一から育てていく。又、引っ張られていくという繰り返しである。カープファンの凄いところは、昨年阪神からもうお役御免と首になって出戻りしてきた新井選手を「どの面下げて戻ってきたの会」と言うしゃれた名前の会で歓迎するところである。その新井が今年は4番バッターで大活躍である。カープは若手を育て、古き人をも活性化する。その意味でもカープはユニークな球団といえよう。
  今でも思い出すのは、カープが初めて日本一になった30年以上昔の、今も語り続けられているバファローズとの最終戦の第7戦である。衣笠や山本浩二が元気で、そしてあの江夏の21球である。正にハラハラ・ドキドキの試合で、江夏が出てきた9回表の満塁の時には外に出て行った記憶がある。
  今年はこのまま順調に、32年ぶりの日本一をと、美味しいお酒が飲めるようにと期待している。

2016年9月7日水曜日

昭和29年だった小学6年生だった思春期だった  褌子

昭和29年の洞爺丸事件は北海道のひとにとっては大変な衝撃だったんだね。トラウマになるほど。
私はちょうど思春期になるころで、なぜか大変よく覚えています。

2016年9月6日火曜日

トラウマ・・・国兼

  今回の北海道に被害を与えた台風10号の件から、千人を越える犠牲者が出た洞爺丸台風の話題が出てきた。知っているかと?私にとっては忘れもしない昭和29年の小学校6年時の9月の深夜の出来事である。
  その日は何か、風の音が通常とは異なる響きであった記憶があるが(瞬間風速が40mを越えてたらしい)、やがて寝てしまい夜中に親父に起こされた。異常な風の強さであると、この場所は万が一の場合に土壁が落ちてきそうだと、危ないからと風呂場近くに避難した。
 事実、それからしばらくして屋根が飛ばされ、私が寝ていた布団の上には大量の土壁が落下していた。そのまま寝ていたら間違いなく死者の数に入っていたことだろう。近所の家では屋根が飛びそうだということで屋根に上ってロープで押さえつけようとして、そのまま100mほど屋根と共に飛ばされて2人亡くなってしまった。台風の道に入ってしまったらしい。
それ以来しばらくは風の強い夜は気になって悶々として眠れない日が長く続いた。今でも風の強い日は、昔ほどではないが寝つきが悪い。

  森井家の本家は南富良野町ですか!!!うちのカミさんの実家が本別で私の長男坊も音更町にすんでいるが、芋や豆類が大被害で送れないかもと、トウモロコシは運よくその前だったので美味しく食べた次第(こちらで作られたトウモロコシと一味違う)。

なにか、じーんと涙が・・・・ 褌子

= 私は、運よく生きてきただけだった。
  それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ =
相模原の「やまゆり園」の事件のあとで、自閉症の子を持つ神戸金史さんはいっきに詩を書きました。詩は英語、中国語にも訳されて反響をよんでいるそうです。メディアゴンBLOGOSのHPから転載させていただきました。
***
私は、思うのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。
私は、考えてしまうのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。
何度も夢を見ました。
「お父さん、朝だよ、起きてよ」
長男が私を揺り起こしに来るのです。
「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」
夢の中で、私は妻に話しかけます。
そして目が覚めると、
いつもの通りの朝なのです。
言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。
何と言っているのか、私には分かりません。
ああ。
またこんな夢を見てしまった。
ああ。
ごめんね。
幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。
いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。
想像すると、
私は朝食が喉を通らなくなります。
そんな朝を何度も過ごして、
突然気が付いたのです。
弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、
人をいじめる人にはならないだろう。
生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。
お前の人格は、
この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。
お前は優しい、いい男に育つだろう。
それから、私ははたと気付いたのです。
あなたが生まれたことで、
私たち夫婦は悩み考え、
それまでとは違う人生を生きてきた。
親である私たちでさえ、
あなたが生まれなかったら、
今の私たちではないのだね。
ああ、息子よ。
誰もが、健常で生きることはできない。
誰かが、障害を持って生きていかなければならない。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
私の周りにだって、
生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。
生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。
交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、
雷に遭って、寝たきりになった中学生が、
おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、
嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、
実は私の周りには、いたはずだ。
私は、運よく生きてきただけだった。
それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。
息子よ。
君は、弟の代わりに、
同級生の代わりに、
私の代わりに、
障害を持って生まれてきた。
老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
人生の最後は誰も動けなくなる。
誰もが、次第に障害を負いながら
生きていくのだね。
息子よ。
あなたが指し示していたのは、
私自身のことだった。
息子よ。
そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。
あなたが生まれてきてくれてよかった。
私はそう思っている。
父より
[英訳・中国語訳]はメディアゴンBLOGOSに掲載されています。

函館通信2-61・・・川柳・俳句鑑賞・・・仁兵衛

 今日も又函館は雨降りです。北の方に低気圧があり午前中二回ゲリラ豪雨に近い降り方がありました。自動車運転には前照灯をつけています。外での歩行訓練もお休みです。気力も削がれ昼寝に走りがちになってしまいます。

 九州の熊さんの川柳鑑賞。問題なく「快心打 一流ぶって 不満顔」を特選とします。微妙な人の心理変化を上手く捉えている点に良さがあり、快心打を余り打てなかった私としてはこんな心理になってみたかったなと羨望の念も同時に持たされました。

 猫跨ぎ句鑑賞;相変わらず良句ばかりですが・・・。
・はんざきや活断層に耳澄ます(特選)・・・高校の生物部で高尾山の沢奥に生物採取に行った。はんざきには会えなかったがプラナリヤを採取して再生実験に供した。
その時の沢の記憶が強烈に思い出され、それが活断層という当時は興味無かった言葉と結びついて句を構成している事で何はともあれ特選しかない。
・問題は睡眠の質茗荷の子(準特選)・・・グサリと眠りの悩みを抉られたね。しかしそれが茗荷の子に飛んで行くのが作者の遊び心と云うのかな。
・半地下の古書肆を降りる暑さかな・・・神保町の古本屋に4,5段降りて行く構造のものが確かにあったね。
・鴎外の不機嫌な髭青山椒・・・この髭は「くちひげ」なんだろうが鴎外を知らなさ過ぎるので良く判らん。
・映す山なき下総の田水湧く・・・下総は千葉県北部とあるが坂東太郎の流れが有るばかりか。「田水湧く」の季語選択がさすが秀逸。
・括られしサルトル選集罌粟坊主・・・そろそろ本の整理ですか。季語「けしぼうず」の注釈に花が終わり球形の実が揺れているのがユーモラスからこの愛称になったと
ある。推測するに作者はサルトル選集をまず一番に自分から遠ざける心境ではなかろうか。
・かなかなのかで終はりたるひと日かな・・・とうとうそこまで蝉は力が弱ったか。しかし、まだまだ貴方の句作力はこんなものでは決して終わりませんよ。
・不揃ひの乱歩全集黒葡萄・・・「不揃い」「乱」「黒」の配置が面白いと思った。
・ちょっとだけ手を振り合ひて遊山船・・・大沼公園にお出で下さい。
・ドイツ製の鉛筆削り夜の秋・・・そんなにドイツ製の刃物は切れ味が良かったと見える。

以上大変遅れましたが今後川柳も俳句も鑑賞しあえる様にしてゆきましょう。
猫跨ぎさんも九州の熊さんもよろしく!

2016年9月5日月曜日

100,000÷1,350=74     ・・・褌子

ごく、おおざっぱにいうと。
いまから約350年前、芭蕉が衣川で「夏草や兵どもの夢の跡」と詠んだとき、芭蕉が生きた時代より約500年前の義経主従の最期をしのんでいたのである。その義経の時代より約450年前に柿本人麻呂が「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」と詠んだとき、人麻呂は50年前に壬申の乱で滅んだ天智天皇の都近江宮をしのんでいたのだ。古代日本最大の争乱であった壬申の乱から約1350年たった現代日本で我々は生きている。
・・・ 
 こういう日本列島に営々と生きてきた人々の時間尺度からいうと、原発のゴミは地下300メートル以深に埋めれば安心という原発推進勢力の言い分が恐ろしく後世の人類を冒涜しているように思える。
10万年も人類はこのゴミには近づけないのだ。
100,000÷1,350=74

仁ちゃん お見舞い申し上げます・・・・逸徳

大変だったなあ。びっくりしたのは、南富良野の幾寅地区が仁ちゃんとつながったことだ。まあ、生きていればいろんなことがある。
 前回の続きをと考えていたが、やっぱり面白くないなあ。老化するとほとけみたいになるひとと、怒りっぽくなるひとがいることを、死の問題と結びつけて考えようかと思っていたんだが。

ただ、過去ということについて、最近感じていることがある。おいらはだんだん、過去の話が面白くなくなってきた。 というよりも、現在の自分、あるいは現在から始まる自分の未来にとって意味のある過去しか、精神的エネルギーをふりむける余裕がなくなってきたのである。だから、たとえば小学校や中学校の同窓会というやつへの関心が低下してきている。あの時代からずいぶん遠くまで来てしまった。ところがこうして、このホロホロ会に出てきたり、有志の旅行に参加するのは、大学時代という過去が、やっぱり抜きがたく現在の自分に関わっていて、いまだにあとを引いているからだ。つまり意味ある過去なのである。中川さんの言葉だったか、ちとわすれたが、「大学とは後天的個体発生の場だ」ということばが頭から離れないのである。

で、閑話休題。先日ある研究会で精神科のドクターと話をして、死亡判断の話になった。人間の死は、ある瞬間にばたんと死ぬ、つまり不連続点ではなくて、だんだん死ぬ、つまりフェードアウトなんだということらしい。で、どの瞬間を死亡と宣告するかは、これは科学というより、一種の文化の問題であると。で、どんな社会でも、その瞬間を決定するのは、世界共通に医者がやるということになっている。そこで脳死の話になった。脳死だって、一種のフェードアウトだから、PCを切ったみたいにパタンと能が停止するわけではない。つまり脳死といっても、その瞬間にまだ脳の一部は動いている可能性がある。というよりは、まだそれほど人間は能の働きを理解しきってはいない。
 で、ここからが恐ろしい話になる。脳死が宣告されて、ほとんど完全に能が停止したように見えていても、まだよくわからない部分において人間の意識が、それこそ0.00001%でも残っている可能性は否定しきれない。で、そういう患者から臓器移植をするということになった時、もしかしたらもしかしたらであるが、体を切り裂かれる痛みを感じる可能性もあるというのである。おいらも前から同じようなことを感じていたので、その脳科学の最新情報にくわしいドクターとの話で、おいらは自分が死んでも臓器提供をするのはやめることにした。もちろん家族もやめさせた。だって生きながら切られるってこわいじゃん。
 てなことを議論しているこのごろなのだ。

洞爺丸の沈没をおぼえていますか?   ・・・ 褌子

 仁ちゃんが国兼さんにつづいて北海道への台風の直撃を書いている。北海道の農家はたいへんなことになっているのだね。私も若かったらボランテアに行きたいのだが。大震災のあと、津波に襲われた宮城の牡鹿半島のワカメの収穫には何日も行ったが今は行く元気がない。だんだん体力がおちてきたなあ。復興支援のワカメの販売はいまもやっている。
 昭和29年だったとおもうが青函連絡船洞爺丸が台風で沈没した大惨事を思い出した。たしか小学6年くらいのときで札幌の親戚が、七里ヶ浜だったか函館の沖合で腹をみせて転覆している洞爺丸の写真がのっている北海道新聞を送ってくれたことを覚えている。
函館名物のイカそーめんが食べられないほど海水温があがっているのか。これではサンマも捕れないかもしれない。
 わたしは大学卒業したときに仁ちゃんの下高井戸の実家にとめてもらい、酒を飲みながらお兄さんの話をきいたことがある。中横浜のお兄さんというのはあのときの兄さんかな。入社式のときにも仁ちゃんのいえに泊めてもらったが風邪をひいてしまい仁ちゃんのお母さんにお世話になったことが昨日のことのように記憶にある。
 わたしもブログに二年ぶりに復帰したので、仁ちゃんが投句してくれたら、また下手くそな句評をかいてみますのでよろしくお願いします。熊さんも川柳をわすれずにつくってください。

函館通信2‐60・・・この10日間・・・仁兵衛

 8月28日に九州の熊さんの川柳、猫跨ぎさんの俳句が投稿され鑑賞を書こうと思っていたのが今になってしまった。先ず台風の状況は函館は強い風の音に夜中悩まされた位で水害、停電等は市内でも僅かでした。ご安心ください。

 所が森井の本家は南富良野町幾寅なので国兼さんが書いてくれた様に空知川の堤防が決壊して幾寅がTV映像の主役になってしまった。幸い本家は少し高い所にあり被害を免れたが9月は種イモはじめ多くの農産物収穫期でもあり実害は大きい。更にJRがずたずたになり物流が滞ってしまい馬鈴薯、玉葱、人参等の価格高騰は免れないと思う。北海道は広い、人が少ない良い面もあるがボランティアも殆ど期待出来そうにないのが実態ではなかろうか。堤防、橋梁の改修には時間と金が掛かり過ぎるし札幌から網走や釧路、根室まで列車が開通するのは何時になるのだろう。

 それにしても続けてよく台風がやって来たものだ。上空の気流の状態が変わると飛んでもない方向にも行くことが良く判った。この状態を変えているのは温暖化によるという説が有力だが信じたくないがここ2,3年ではっきりするのではなかろうか。原発の放射能も目に見えず怖いがその半減期を待たずに海水の温度上昇により気候変動に巻き込まれて行く地球の姿が想像される。
(函館の身近な現象;6,7,8月平均気温約2度高し、イカがさっぱり獲れない、梅雨の様な湿度の高い日が続く等)

 そんな中横浜の兄が9月1日に心臓の手術をした。主に僧帽弁の補修手術だった。75歳なので体力を心配したが6時間に渡るそれに耐えられた様だ。九州の熊さんをはじめ手術経験の諸先輩は沢山居られると思うが経過を遠くで待っているのも結構しんどいものだね。一方、私自身のパーキンソンの進み具合は投薬、リハビリなど続けているものの現状維持がやっとといった所です。兎に角歩行がだんだんきつく感じて来ているのは確かだ。

 さて、褌子さん久々にブログにお帰りになりましたな。相変わらず何やら難しい本や映画のご紹介ご苦労様です。旅行記はその元気さに羨ましく読ませて戴きました。元気で生きている事さえわかれば私はまずは充分です。今年になって同級生が二人急に亡くなりました。お互いに息をしている事が判る距離を保つのにこのブログを使うのがいいのではと思っています。これは私の議論ベタの逃げ口上だとも思います。

 段々書いて来たら疲れてしまいました。熊さんの川柳と猫さんの俳句の鑑賞評は別に書きます。悪しからず。


秋である   褌子

散歩道に萩が咲いていた。
古代人がいちばん好きだった花が萩。
13~1400年前の「万葉集」約4500首のなかで萩が詠まれているのは141首もあるそうだ。次が梅118、橘68、ススキ46、桜はまだ40首、くれない、フジ、なでしこ、とつづく。花ではないが紅葉は黄葉(もみち)といわれ100首をこえている。
いっぽう1100年前の「古今和歌集」1095首では桜がトップの61首、モミジ40、梅28、オミナエシ18、萩はたった15首、松14、菊13・・・
日本人のサクラ好きはこの頃いらいのものか。(白幡洋三郎先生のHPを参考にしました)

2016年9月3日土曜日

ほんとかいな?    褌子

さいきん、ヘーホントかいな!と思ったのは中央構造線とフォッサマグナの西のはし静岡糸魚川構造線が交差するところに、諏訪大社がたっているというはなし。交差する点から日本列島の四方をしっかり固め、むすびつけるために諏訪大社の四本の柱を古代人が建ててきたという説があるのだそうだ。ヘー!ホントかいな。でも、こういうはなしは好きなんだ。

逸徳さんはノルウエー式競歩やってるのかね・・・褌子

国兼さんのいうとおり、いつも眠たい。夜は9時にはもう眠たくなる。朝は5時に目がさめるが布団から起き上がることなく、だらだらと文庫本を片目で読んだり(寝ていると両目だと焦点があわない)また寝たり。昼間テレビをみるとすぐ寝てしまう。情けない。
一日50回のスクワットも10回の腕立て伏せもやめてひさしい。逸徳さんはまだ二本のストックをふりながらノルウエー式競歩を続けているのであろうか。九州の熊さんや小林さんがゴルフで足腰をきたえているときいて焦る。最近、よろけたり、つまづくことが多くなった。
一昨年、女房に連れられて立山に登ったときも大変だった。去年シアトルのマウントレーニエの中腹をめざしたときも大変だった。ことし8月に八方尾根にいったときにもふうふう休み休みで大変だった。
来月10月はじめに女房といっしょに栗駒山(宮城岩手秋田の県境)に登ることになったので、一念発起けさから朝の散歩を5年ぶりに開始。ゴミステーションにゴミをもっていって、そのままたった30分の散歩。釈蔵院という古刹の境内をぬけて畑のまわりをぐるっと歩くだけ。これは天気がよければ毎朝つづけたい。こういうところに書かないとすぐ決心がにぶるのだ。

2016年9月2日金曜日

鑑賞記 ありがとう・・・九州の熊

自分の投稿に反応があると素直に嬉しい
今回は 柄にもなく 川柳に挑戦  暗闇の中での一人旅でした  多少甘めの評価だったんでしょうが 結構優しいことばをいただき 調子に乗って100作品目指して 創作(といったらおこがましいけど)を積み上げたいとおもいます

快心打  一流ぶって  不満顔   が秀逸賞ですか   こういう輩って結構いるんですよね あの当たりでそのセリフは  ぜいたくぜいたく と反応するんですが  その応答が また自尊心をくすぐるみたいで・・  素直に ナイスショット と自画自賛すればいいのに    そんなに自慢したいかと内心  冷ややかに見下しています

わたし的には   あすコンペ・・  が気に入ってます  自分の体験をベースにした作品  実はこの句の姉妹編があります    あすコンペ    天気予報を     なんども見              もちろんこれも自体験です  ゴルフって プレー以外にも楽しむ要素がけっこうあるもんです