2015年12月2日水曜日

函館通信2-40・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

 12月に入り一段と寒さを感じる様になった。世界中が御寒い状況下にあると云うのに地球はどんどん暖かくなって行くと云う皮肉なものだ。今冬の予測では西日本は暖冬に対し東・北日本は低気圧の墓場と化して太平洋側も雪が多いそうだ。首都圏の皆さん御気をつけ下さい。

猫跨ぎさんの句の鑑賞に行きましょう。
・赤子の手伸びて四方の夕紅葉
 気持ちよく昼寝していた赤子が夢でも見たのか欠伸をしながら手を伸ばした。周囲を紅葉に囲まれて・・・。かわいい平和で静かな情景が目に浮かぶ。
・幾度も藩主は替はる鵙高声
 藩主は何回も替わったが毎年やって来る鵙の声は替わらない。
・同じ向きの衛星アンテナ鶴渡る
 静止衛星に向けてアンテナが一定方向に並んでいる。鶴もきっと隊列を組んで飛んでいるのだろう。そこの対比が面白い。
・鳥威片づけられてなほ光り
 鳥威しには古くは鳴子、案山子も入る様だがここでは金銀の光反射テープかな。風でテープが光り効果を出すわけだが中には中古CDを取りつけたのもあった。いわきでは間欠的にドカンと音を出している稲田もあった。カーバイトを使っていたのかは不明。
・煮凝や思ひ出話うやむやに
 煮凝りを食卓で見る機会は殆どなくなってしまった。あのゼリー状の中にあったであろう思い出話もたどたどしくなって当然かもしれない。準特選。
・枯菊を焚きて広げる世界地図
 枯れた菊を火にくべて温まっているのだろうか。そこから悠々と世界地図を広げるその余裕は一体どこから来るのだろうか。面白い取り合わせだ。特選。
・紋別深秋羆の巨躯の吊られあり
 今年は羆が街に降りて来たという記事が非常に多かった。
・みちのくの要はづれし秋扇
 この要は扇の要とみちのくの要との両方に掛っているのだろうか。いや単純にみちのくのどこかで要のはずれた秋扇を見つけたのだろう。
・単線列車泡立草をのけぞらす
 北海道のローカル線はみんなこんな所ばかりだ。それでも保全はしなくては安全が持たない。列車には客は数人、これではどんどん廃線にせざるを得ない。
・紅葉して能楽堂のジャズライブ
 先日伊勢内宮に出掛けた時入口直ぐの参集殿脇に能楽堂を作っている最中であった。ここでニューオリンズジャズでも聞いたらいいいだろうなと思っていた。















 

2015年11月29日日曜日

27.11 投句 ・・・ 猫跨ぎ

明後日はもう12月。時間はどんどんアクセルを踏んで飛び去って行く。
年末商戦で街は騒がしくなるが、売らんかなの動機が見え透いて全然風情を感じない。
寝転がって本でも読むしかない。陶淵明を読んだが、面白いね。これが西暦400年頃の詩人。実に中国って国は・・
家に籠もっているとまた気分が煮つまるので、どこか出掛けよう。

さて今月の投句。
・赤子の手伸びて四方の夕紅葉
・幾度も藩主は替はる鵙高声
・同じ向きの衛星アンテナ鶴渡る
・鳥威片づけられてなほ光り
・煮凝や思ひ出話うやむやに
・枯菊を焚きて広げる世界地図
・紋別深秋羆の巨躯の吊られあり
・みちのくの要はづれし秋扇
・単線列車泡立草をのけぞらす
・紅葉して能楽堂のジャズライブ

2015年11月27日金曜日

27.11仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

荒々しい世の中になってきた。トルコがロシア機を撃墜したことで、単純な二元論で片付く状況では全然ないことが露わになった。サイクス・ピコ協定(1915年)なんて昔話に戻らないと説明出来ないようだ。冷戦が終わって歴史は終わる、どころか戦国時代(帝国主義)に舞い戻ったね、完全に。もう年寄りの出る幕ではないな。
逸徳氏の昼酒の習慣はいかんねえ。飲まざるを得ないか。

27.11仁句鑑賞と行きましょう。
1.丁寧に魚捌いて文化の日
  文化の日は、十一月三日、我々の二回り位上の先輩は天長節と呼び、それなりに目出度かった。戦後は自由と平和を愛し、文化をすすめる国民の祝日。何やらくすぐったく、従って皮肉っぽい句が多い。これは比較的真面目。作者の人柄が出ている。
2.抽斗に明日までだと秋しまふ
立冬は十一月七、八日。つまりその前日までは一応秋だ。掲句は、いまは秋。秋のあれこれを明日までだなと思いながら見ている風景。季節感がとみに薄くなってきたこのごろ、さて、しまう秋って何だろう。
3.消印の読めぬ葉書や片時雨
片時雨。季語っていう世界は実に精妙だね。いっかなすっきりしない心象も表している。その上消印も良く読めぬ。カフカの小説みたいだ。特選。
4.路線バス乗り込んで来た冬支度
バスにおかみさんが乗り込んできた。冬支度に余念がない。言葉も服装も。準特選。
5.アフリカの人の後に菊花展
スーパーなんかでも、いろんな国籍の人が普通に買い物している時代になった。菊花展なんかにも。
6.鯛焼を割ってバリから頬ばりぬ
割ったら剥き出しの餡から食べないと落っこちてしまうと思うが。バリを囓る余裕はないのでは?
7.玉砂利の音は聞へず神の留守
神も参詣人も不在ということかな。森閑とした風景か。
8.立飲みのコップ酒干し三の酉
今年は三の酉(11月29日)まである。この適度に格式があって飾らない庶民の習慣はいいね。
9.小六月宅配スーパー曲替る
宅配に来るとき音楽を流す?めずらしいね。注文も取るのかな。でも宅配なら、人集めすることもないと思うけれど。
10.冬晴れや省線電車に押し屋ゐて
この頃の東京は全く知らない。昔のニュース映画で見るね。押し屋の次に剥がし屋というのが出現したとか。

2015年11月26日木曜日

寒くなりました・・・・逸徳

ながらくのごぶさた
 兄の介護で、てんやわんやだが、この欄を見ていないわけではないのです。人の生死や、老いということ、ターミナルのことなどいろいろと考えつつ、矢のように時間が過ぎる。ああ、気の置けない旧友とあって、掘りごたつなどで熱燗を飲みたいねえ。でも、いろいろと個人的なことから世の中の事まで、つい考えこんでしまい、うつ状態になるのだが、そこでカンチュウハイなどをまっぴるまから1本飲む。抗鬱剤である。で、そうするとどういうわけか「まあいいか・・・ケセラセラ」という気分になり、またとぼとぼと夕日の中を帰宅したりする。そこで生まれた格言。
     この世の中には、カンチュウハイ1本にまさる人生の苦悩などはない・・・・
しかし、誰もほめてくれないので自分でほめるが、二本目のカンチュウハイを飲む気にはならんのだ。もしなったら依存症にまっしぐらという気がする。 あ、今日の分まだ飲んでいなかった。

で仁ちゃんの句  何か枯れてきていい味が出てきたねえ。

1.      丁寧に魚捌いて文化の日・・・魚を自分で捌きますか。おいらにはできん。こういう能力があるということは、それだけで人生の選択肢が広がった感じ。
2.      抽斗に明日までだと秋しまふ・・・意味深い。なにかのメモか書類か、手紙か。期限は明日までなのだ。少なくとも、その瞬間は「明日」という時間がある。何かその手触りを感じるね。でも「しまう」で、その何かは、明日でおしまいになるのかな。明日が最終日の展覧会の案内とか。特選
3.      消印の読めぬ葉書や片時雨・・・・外はしぐれ。ちとぬれながらけなげに届いたハガキ。その瞬間、誰かとつながる感じ。本文を読んでから、もう一度表書きをひっくり返してみているな。そこではじめて、消印のにじみに気が付くのだ。
4.      路線バス乗り込んで来た冬支度・・・そうそう、札幌は62年ぶりの大雪だって。
あんな雪の夜、富良野の小さな宿に泊まっておかみと文学論を語ったのを思い出した。
  ・・・・雪宿の おかみの語る ヘッセかな
で、「乗り込んできた」で思い出した。「真夜中の倶知安駅を降りゆきし 女の髪の傷の古さよ」だったっけ?  啄木。最近記憶自信なし。準特選
5.      アフリカの人の後に菊花展・・・・おもしろいなあ。黒い肌と黄色い菊はあいそうな気がした。
6.      鯛焼を割ってバリから頬ばりぬ・・・
わが町にも小さいが有名なタイヤキ屋がある。あのタイヤキ、ひとつづつ焼いてつくるのを「天然もの」 みっつかよっつ一ぺんに焼いてしまうのを「養殖もの」というんだって。知ってた?
7.      玉砂利の音は聞へず神の留守・・・・神無月。おーい神様。そんなゆっくりでかけてる余裕なんかないよ。世間はみーんな、あなたのお帰りをまっています。
8.立飲みのコップ酒干し三の酉・・・ごめん 三の酉がイメージがわかんので、この句は感想おりる。
9.小六月宅配スーパー曲替る・・・宅配スーパーが分からん。スーパーなのか。
10.冬晴れや省線電車に押し屋ゐて・・・省線電車かよ。浪人時代の中央線のラッシュを思い出した。でもさあ。あのような世界では誰も空なんか見上げていないんだ。おいらが東京を嫌いになった理由。

  で、また。

函館通信2-39・・・欠礼状・・・仁兵衛

 「神無月閑古鳥鳴くブログかな」 「川柳にもならぬブログの便秘かな」皆さん余程御忙しいのですね。とぼやいている間に初雪、寒波がやって来ました。いくらイルミネーションで着飾っても雪に閉ざされれば景色は単調になり身体は運動不足になり精神上全く良い所がありません。

 更に11月は欠礼状が送られてきます。一歳上の極めて元気だった従兄に始まり10枚近くが手元に届いている。その中で5歳下の後輩から御兄さんが亡なった欠礼状に「私もパーキンソンの診断を受けた。先輩よろしく。」と添え書きがあったのにはびっくり仰天させられた。こんな先輩は御免蒙りたいものだが致し方が無い。

 世界中何処で戦争が起きてもおかしくない時代に生きている今の自分の五体で出来るだけ長く歴史を観て行きたいとの願望はまだまだある。一方ではパーキンソン症状が3年前と比較するとやはり進行しているなとも感じている。この願望と病状進行との戦いの当面の目標を100歳迄としそれまで欠礼状を出す立場にならずこのブログに一人で投稿していましょう。

平成二十七年十一月投句
1.      丁寧に魚捌いて文化の日
2.      抽斗に明日までだと秋しまふ
3.      消印の読めぬ葉書や片時雨
4.      路線バス乗り込んで来た冬支度
5.      アフリカの人の後に菊花展
6.      鯛焼を割ってバリから頬ばりぬ
7.      玉砂利の音は聞へず神の留守
8.立飲みのコップ酒干し三の酉
9.小六月宅配スーパー曲替る
10.冬晴れや省線電車に押し屋ゐて

 


2015年11月4日水曜日

伊勢神宮へ行きましたか・・・猫跨ぎ


伊勢神宮に行かれた由。式年遷宮のあと行っていないなあ。今更でないけれど、素朴で明解なのがいい。内宮では、周りに配置されている風の宮とか多賀の宮の別宮もいい。あっけらかんとして何も蔵さない。それでいて清々しくなるから不思議。

  腥い話。腥はもともと肉の意。月へん自体が肉を表し、星は散りばめられた脂肪を意味するので、いうなれば霜降り肉といったことらしい。一句の意味は、台風のあとの、一種なまなました感じを言ったとでも。感覚的なものですね。
次は首塚。首塚は各地にあると思うが、これは明日香の飛鳥寺にある蘇我入鹿の首塚。大化の改新で刎ねられた入鹿の首級がここへ跳んできたとか。五輪の塔の形をしているが、あえて一塊の石とした。

2015年11月3日火曜日

函館通信2-38・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

 金城君のご逝去を悼みご冥福を申し上げます。
 
 パーキンソンのリハビリも兼ねてと思い函館から中部空港まで飛び名古屋で高校時代の仲間と伊勢で先輩と会い内宮を少し歩いて又名古屋経由で戻って来た。すっかり疲れてしまい期待したリハビリ効果もあまり感じずやや鬱的な状態に陥っている。新聞、テレビの報道を観たり聞いたりしていると更にその状態が増加している様に思えてならない。

 非常に遅れましたが十月猫跨ぎ句鑑賞
・野分して口漱ぐ水腥し・・・この水の生臭さは何かの象徴何だろうか面白そうだが難しい句だね。それに腥という漢字、どうしてこれが「なまぐさ」と読むのか語源辞典でも持っていたら是非教えて欲しい。
・豊年やきらきら光る廃車の山・・・地方に出ると良く見掛ける風景だね。
・上野金秋ハンガリーの軽業師・・・金秋からハンガリーへの導入がうまいな。準特選
・秋潮の沖の暗さや湯の滾る・・・遠くに暗い海があって手元に煮えたぎる湯が沸いている。遠近法を使った絵画的の良さが面白い。
・首塚てふ一塊の石冷ゆるなり・・・判らなかった。自解宜しく。
・レモン一滴紅茶澄みゆく夜長かな・・・判り易い上に綺麗な紅茶の色が見えて来る。
・飛行機雲のはだらに消えて夏終はる・・・上五の字余りものともせず夏は終わった。
・風見鶏どちらを向くも台風圏・・・今年は台風の当り年だった風見鶏も忙しかった様だ。
・宇宙塵落ちる無月の砂時計・・・月でも他の星からでも石を採取して砂時計にしてみたいなと思っている。その時計を使って温めの風呂にゆっくりと浸かりたい。特選。
・天井低く茗荷たっぷり新豆腐・・・上五の書き出しからすると何処か老舗の豆腐を喰わせる店を見つけたのか。兎に角上五の表現がいい。


 

2015年11月2日月曜日

金城君の遺作展 ・・・ 猫跨ぎ

先日、日立へ行き、「鶴の会」に参加してきた。金城徳幸君(六期)の木版画遺作展が開催中で、それに合わせたわけ。
彼から毎年もらっていた年賀状が、達者な木版摺だったので、趣味としては大したものとは思っていたが、本格的な木版画作家であったことにびっくり。
今日、奥さんから画集が送られて来たので一枚紹介したい。これは、「オックスフォード追憶」と題されている。赴いた欧米のそこここに題材を得て、労を惜しまずに水準の高い作品を残している。さっきから感心しきり。
高名な版画家に師事し、奥さんとともに励んでいたらしい。定年で、これから更に画業をひろげようとしていただろうに、癌に斃れた。まことに無念と言うしかない。

2015年10月25日日曜日

27. 10投句 ・・・猫跨ぎ

  関東地区は、今日が「木枯らし一号」とか。 木枯らしとは北よりの風速8m/s以上の風を言うらしい。しかしもう年末がそこへきたね。今年も早かった。
  昨日は恒例の神田古書まつりに行ってきた。いつもと同じ景色で、3~4冊何となく買って帰宅。もう余り触手は動かないなあ。気がついたことを一つ。いま東京で春画展をやっていて盛況らしい。週刊誌にも大々的に採り上げられている。古書まつりでふと女性の局所があらわな浮世絵が外のワゴンに陳列されていてちょっとびっくり。古書街ではこれは好事家のもので、一般の眼に曝すことはまずはなかった。時代というべきか。一旦タブーが破られるとあっという間だ。

今月の投句。
・野分して口漱ぐ水腥し  
・豊年やきらきら光る廃車の山  
・上野金秋ハンガリーの軽業師  
・秋潮の沖の暗さや湯の滾る  
・首塚てふ一塊の石冷ゆるなり  
・レモン一滴紅茶澄みゆく夜長かな  
・飛行機雲のはだらに消えて夏終はる  
・風見鶏どちらを向くも台風圏  
・宇宙塵落ちる無月の砂時計  
・天井低く茗荷たつぷり新豆腐  

2015年10月23日金曜日

27.10 仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

旭化成の業務内容は多角的とは仄聞しているけれど。常総市の水害で一戸のへーベルハウスがびくともしなかったのは印象的だった。でも、基本的には材料製造業だよね。杭打ちのインチキまでは目が届かないよなあ。
とはいえ、だから地震ですぐ倒壊という訳でもない。すぐ白黒と識別したがるが、リスクを数値化できないのかね。なんでも立て替えというのは、余りに乱暴でもったいない。

さて27.10仁句鑑賞
 1.名月や枕の高さ替へてみる
この前のスーパームーンは流石だった。逸徳氏からいつもの案内を戴いたが。月光が丁度差し込む位置に顔があって、枕の高さでちょっと微調整ということかな。
2.また別の予定加わり大花野
新しい予定がこの花野行なのか、花野行のあとなのかちょっと訝しいが、まあいずれにしても大した用ではないのだろう。
3.秋雪やネクタイピンを留め直す
秋雪とは北海道季語だね。ちょっと気分を引き締めてということだろうが、ネクタイをする機会があるんだねえ。法事かな。
4.耳奥からころがり落ちて木の実かな
ちょっとシュールな内容だが、大きめの耳垢だったのかも知れない。
5.店の奥亀の子束子秋の雲
荒物屋の奥に、そうそうは売れないが、切らすと困る亀の子束子がぶら下がっている。でもこの道具は完成度が高いね。或る種の作業には欠かせないのでは。準特選
6.漏斗雲秋の大地を毟りけり
竜巻か。本場では風速100mを越え、牛も巻き上げるという。最近日本各地であるらしい。日本が亜熱帯化している徴だね。
7.指揮棒の水平となり湾の秋
指揮者がタクトを横にして一瞬止めた。湾の秋がいい。特選。
8.秋が居て幻日が居て一日かな
幻日とは太陽の両側に顕れる明るい部分。暈の一種だね。
9.立掛けた俎板の白秋陽かな
台所で、立て掛けてある俎の白さがことさら目についたというところ。秋は白。
10.とんぼうの動体視力谷地の奥
蜻蛉の群をここ千葉で久々にみた。久留里沿線の穭田で。谷地で蜻蛉に近づき、一瞬手を伸ばしたが、軽々と逃げられてしまう。動体視力は全くかなわないね。

2015年10月22日木曜日

ちょっと拘るけど・・    九州の熊

旭化成の屋台骨・・云々のはなし.。
2015年経営計画では。 総売上のうちケミカル・繊維事業部門の比率が45%、住宅・建材部門は32%、営業利益では、ケミカル・繊維が41%、住宅・建材38%。旭化成にとって住宅・建材はケミカル・繊維に次ぐ第2の柱事業なんです。社長をはじめ経営陣は今回の不祥事に対して相当の危機感をもっているとわたしは感じています。 ご指摘のように速やかにしかるべき対応をして健全な経営をとりもどしてほしいと強く願っています。少し時間がかかるだろうなぁ。



やれやれだなあ ・・・猫跨ぎ

  旭化成の社長は立場上謝罪しかないのかもしれないけれど、フォルクスワーゲンの排ガス不正問題とは全く性質が違うよね。本業とは全く関係のない、土木工事の手抜きと来てはねえ。しかもこれで終わりじゃなくて、これからどれだけ同様な事例が発覚するか・・・。気の毒と言うしかない。
    中国でビルが丸ごと倒壊したり、韓国では漢江の橋が崩れたり、これとは次元が大違いだが、土木では手抜きは凄まじいしっぺ返しを食う。とはいえ、程度はいろいろあれ、手抜きは常態化しているのも現実なんだろうなあ。
しかし本体の屋台骨云々はいささか大袈裟じゃないか。禍を転じて、と発展に繋げて欲しいね。これからの土木のスタンダードを作るというような。

2015年10月21日水曜日

函館通信2-37・・・熊さん・・・仁兵衛

九州の熊さん本当に御久し振りです。お互いに生きていましたね。
函館も既に霜が降り雪の到来を待つばかりの寒さになって来ました。
今年は山の木の実が不作なのか街中に羆が頻繁に現れているようです。

そんな羆に負けず九州の熊さんも頻繁に御登場下さいと云いたいところですが、
今回の旭化成の件何を申し上げれば良いのか言葉を探すのに苦労しています。
ラップ及びその原料樹脂の衛生問題で多くの旭化成の方と議論をし酒を酌み交わしてきた過去を思い起こしその真摯な態度を思い出すと今回の一件はただただ残念としか言い様がありません。

気を取り直して今月の十句宜しくご批評お願いいたします。

1.名月や枕の高さ替へてみる
2.また別の予定加わり大花野
3.秋雪やネクタイピンを留め直す
4.耳奥からころがり落ちて木の実かな
5.店の奥亀の子束子秋の雲
6.漏斗雲秋の大地を毟りけり
7.指揮棒の水平となり湾の秋
8.秋が居て幻日が居て一日かな
9.立掛けた俎板の白秋陽かな
10.とんぼうの動体視力谷地の奥

 





2015年10月20日火曜日

しばらくぶりのお出まし    九州の熊

先日からせぶり山でクマ出没か?という記事が新聞にのっていた。九州の熊は絶滅したと宣言されてから何十年かがたちこれは一大事、ということらしい。いやいや本物の動物はいざしらず人間の熊はまだ健在ですぞ!だれも気にかけてくれないけど・・。

旭化成の屋台骨が傾きかけている。いまは完全に社外のひとになっているので詳しい情報が入ってこないのがもどかしい。実際に工事の現場を仕切っている者がどんな理由かはわからないけど信じられないような所業を仕出かしてしまったらしい。いまになって”あらしまった”となきべそをかいても時間を逆転させることは不可能。全部のうみを出し尽くして事業の再生に命を懸けて再出発してほしいと願うばかり。 本日の社長(及び事業会社の社長)の記者会見の様子は痛々しい。社長がなみだを拭く画面がチラッと写ったが本心の悔悟の念と社員の心情を気遣う悔し涙であったことだろう。私自身も多少うるうるした。

それに引き換え・・・。
小渕元経産相の不正経理謝罪会見のなんと軽薄であることか。平然とした表情で”世間をお騒がせしたことをお詫びいたします”と述べておしまい。心底の反省のかけらもみられない。これが政治の世界なのよ、と言わんばかりのすまし顔がにくい。

台風24、25号が南海上で日本列島を窺っている。台風というのは本体に襲撃されるのが怖いのは確かだけど本体に連なる雲と湿気の多い暖気の影響が厄介者だ。おまけに今回のものは進行速度が遅いのが困る。ぐずぐずしないで早く偏西風にのって遠ざかっていけ。ここ数日の当地の日中最高気温は25~27度くらいになっている。本格的な寒さを迎えようとしている北海道の気候がやけに懐かしく感じる昨今です。

2015年10月4日日曜日

人生巡り合わせで ・・・猫跨ぎ

  そうか、皆さんそれぞれ忙しそうだね。他人事みたいな言い方になるが、人生巡り合わせで、火を吹くような多忙な時がある。せいぜい後悔の無いようにして貰いたい。先般の安保法制の話については噛みつかれることを待っていよう。
しかしようやく気候が安定してきたようだね。松山の芝不器男記念館でも行ってこようかな。 

2015年10月2日金曜日

すまん すまん・・・・逸徳

お師匠の投稿にかみつきたいと思っていたら、79になって、老人療養病院に入れていたたった一人の兄が、病気でさらに総合病院に移した。兄は家族がいない。つまり肉親はおいら一人で、しかも認知症が出始めている。したがっていろんなことが全部おいらにくる。もうてんやわんやで、酒の量が増えた。とにかくだ、死ぬということは大仕事なんだな、これが。この年になると、死ぬというのは何も感じなくなってきた。

というわけで、お二人の作品にもいろんな感想があるが、ちゃんと見ているけれども、リアクションする余裕がない。で、ちっとまってくれ。

この政治情勢だと、おいらの想像だが、褌子氏はいそがしいのではないかな。 あの人ふんずけても死なないから、心配はないと思っている。で、16日いけるかどうかわからなくなった。秋の旅行はぜひ再開してください。 地球の裏側でもいくぜ。 ちと落ち着いたら、山梨のワインを飲んで、ミレーの晩鐘を見にいってこようかと思っている。

函館通信2-36・・・トワエモア・・・仁兵衛

 10月に入った。今日も北海道北部に強い低気圧が居座って函館でも雨はないものの冷たく強い風が吹き通しである。既に暖房を点け始めた家庭も多いいのではないだろうか。
 海岸を車で通った、「今はもう秋、誰もいない海・・」トワエモアの曲が頭をよぎるその秋は一挙に通りこされてしまいそうだ。しかし、港の観光地は国慶節の爆買いの人達の元気な?大きな?声で一段の賑わいを呈している。
 
 褌子さん、どうして居られるのかな。このブログの総元締めが2月に筆を置いてから8カ月が経った。誰も居ない海にはしたくない。細々となけなしの頭で書き続けている者をじっと横で観察されているのも気味の悪いことだと感じている。中国語でなくていい何か日本語で吠えてくれ。そうではなく全く何か書けぬ事情があるなら仕方ないと諦めるが・・・。(その時は御免)

 猫跨ぎ句鑑賞

・葛切やならまち坂道昼下り・・・暑い奈良で上品な冷えた甘味を食べている。中七にリズム感があって気持ち良し。
・夏の夜の鹿の眠れる地の湿り・・・鹿も犬と同様暑い夜は地面を少しでも掘って温度の低い所を探すのだろうね。下五の締りがいいね。
・飴売も灯籠の夜のひとりなる・・・飴売りの出てる御祭なんだろうか、いや灯籠が寺か神社の門前にありその前に老舗の飴屋があるのかな。そして下五のひとりなるでますます謎が深まってゆく。
・ほそみちの築地(ついぢ)の崩れ菊畑・・・ほそみち、築地の崩れ等は北国にはなかなか見付けられない素材だ。平安時代であれば崩れから芳しき菊姫が垣間見えたかもしれない。特選。
・みんみんに大和訛の徴あり・・・「徴」、しるしと読んでいいかな。蝉の鳴き声に訛りがありそうだという発想には賛成だね。
・秋晴の鴉は高く帰りけり・・・当方も鴉が多くその秋の挙動は類似してます。
・いつの間にひぐらしは止み伎藝天・・・この天女ひぐらしが止むまで何処で遊んで来たのかな。
・町へ出ぬ道かも知れず夏薊・・・この薊は道しるべとはならないのか。町に出なければ何処へ出ようとしてるんだろう。不安の掻き立たせ方が面白かった。準特選。
・青柿やひとつの思想地面に落ち・・・青柿が落ちるのは自然だが思想は時間軸に沿ってただ少しの変化しかしない様に私には思えるのだが。
・しらじらと貝殻の過去いなびかり・・・上五のしらじらとはどう捉えれば良いのか判らなかった。
     

2015年9月27日日曜日

もうすぐ10月!

ときの流れがますます早くなっていく。世の中の出来事への反応が鈍くなってきた?感動しない。自信があった体力も衰えを感じ始めた・・・。人生のXデイが次第に忍び寄ってきたのかなぁ?それにひきかえかみさんはますます元気。おばさん仲間との交流がひっきりなし。

27.9 投句 ・・・猫跨ぎ

降ったり止んだりで、すっきり秋晴れといかない。
とりあえず9月十句。先月の奈良行の句が溜まってきて、大半が関連句となった。
ところで逸徳氏はご機嫌如何かな。まあ御高評かたがた近況でも聞きたいもの。

・葛切やならまち坂道昼下り
・夏の夜の鹿の眠れる地の湿り
・飴売も灯籠の夜のひとりなる
・ほそみちの築地(ついぢ)の崩れ菊畑
・みんみんに大和訛の徴あり
・秋晴の鴉は高く帰りけり
・いつの間にひぐらしは止み伎藝天
・町へ出ぬ道かも知れず夏薊
・青柿やひとつの思想地面に落ち
・しらじらと貝殻の過去いなびかり

2015年9月25日金曜日

27.9 仁句鑑賞 ・・・猫跨ぎ

 すっかり秋らしくなったですね。昨日、村上春樹原作の「海辺のカフカ」という芝居を見てきた。蜷川幸雄演出。なるほど、これが現代の演劇か。感心しきり、面白かった。
  最近の異様な三大事件。①在日ペルー人の無差別殺人②フォルクスワーゲンの世を欺く巨大インチキ事件③メッカの700人を越える圧死。世の中、全く何が起きるか判らないね。

まずは今月の仁句鑑賞

1.物置の隅からサーベル曼珠沙華
昨今の世相への懸念か。あるいは蛮勇をふるって打って出るか。(それはないか)
2.文明の利器に頼らず初紅葉
車で深山を巡らず、足を使えということかな。しかしもう車無しではやっていけない文明を作ってしまった。もっとも個人的には私は車を持たないが。
3.深爪をしない程度に居待月
つまり、中庸がいいという心だろう。
4.落蝉や二十歳のままに時停まる
落蟬なら、二十歳で命絶えたのだろうか。それは余りに儚い。心理的にはあの時のままということかな。
5.小吉でも良しとしようよ零余子飯
寅さんが言うような言葉だね。これも中庸がよしという感じ。
6.海風を器に満たし月の客
そういう文人的な来客なら歓迎だが。噛んでもスカスカの味のない人間が増えた。特選。
7.新蕎麦や楷書の墨の滑らかさ
行きつけの蕎麦屋の壁のメニューが書きかえられたらしい。気分一新というところ。準特選。
8.秋霖や綻び残し会議場
議事録、提案書なんかが綻びるのはわかるが、会議場がそうとは。形あるものは仕方がない。さっさと修繕すればと思うが。←ちょっと誤読かな。「~残す会議場」ならこうなるが、「残し」は連用形だね。ここで軽く切れるわけだ。三段切れとなってしまうなあ。
9.煎り止めたコロンビア豆鳥渡る
アメリカンコーヒーは煎りの浅いコーヒー豆を淹れたもの。だからレギュラーコーヒーをただ薄めたわけではないと喫茶店主は言う。しかしこの句の寓意するところは難しいね。
10.コスモスの風を諫めて居りにけり
何故諫めるのかな。風はおもむくがままに行かせるのがいいのに。
でも、これも出過ぎを誡めている。

今回は出過ぎを誡め、中庸が良しという東洋的な諦観に満ちた作品が多かった。最近の心境かな。

2015年9月23日水曜日

函館通信2-35・・・秋分・・・仁兵衛

 酷暑があり川の堤防が決壊し小噴火が続いている中で安保法案が新たに出来上がってしまった。個人的には体調がすぐれない事も手伝って俳句を作るのも億劫になってしまった。そして何時の間にか秋分の日を迎えている。
 大雪山の初雪も平年と同じだと一週間前に報道されたが今日はまた夏日になり身体を持て余した孫(男)3人が来て狭いマンション内は“わや”である。
 気を取り直してやっとの思いで間に合わせた九月の十句宜しくお読みください。

1.物置の隅からサーベル曼珠沙華
2.文明の利器に頼らず初紅葉
3.深爪をしない程度に居待月
4.落蝉や二十歳のままに時停まる
5.小吉でも良しとしようよ零余子飯
6.海風を器に満たし月の客
7.新蕎麦や楷書の墨の滑らかさ
8.秋霖や綻び残し会議場
9.煎り止めたコロンビア豆鳥渡る
10.コスモスの風を諫めて居りにけり

 

2015年9月8日火曜日

いろいろ・・・猫跨ぎ

いや、どうもどうも。何を謝っているのかな。全くNo problem だよ。こういう話のやり取りが面白い。
前段の部分ね。端的に言って、私の印象では、多弁な若者の社会的問題に関する言説は、昨日読んだ朝日新聞の社説の受け売りか、「世界」(いやあ、もうこの雑誌死に体だね)の記事のおうむ返し、それに類することがが多かったんじゃないか。今も同じだろうと思う。
そして成長するとは、認識の土壌がそれなりにしっかりしてくるということ。(そうでないのも多いけどね。) そのために社会経験は必要だ。勿論勉強も。当たり前のことを言っているつもりだけれど。
それを大人になるとは物事を丸く収め、ずるく立ち回ることを覚えるという、これはあなた、下世話というか、随分紋切り型だなあ。そういう若者は当時もいたし、いまでもいるよ。それは老若とわず人間の本質的なことだろう。若さへの無条件の讃美ははっきり言って辟易する。勘弁して欲しいよ。若者は失敗し、傷つきながら成長していくのではないのか。

   後段については、根本的に考え方が違うと言うしかない。何度も同じ事をいうけれど、自衛隊と日米安保は、最大の憲法違反だろう。私も憲法前文は暗記させられた。九条を虚心坦懐に読めば、逆さにしても合憲だなんて言えない。しかしならば自衛隊と日米安保の廃絶の運動は何故起きないのだろう。それは国の成り立ちの根幹を構成しているからだ。自衛隊、日米安保を容認した村山首相(当時)の国会演説とその時の議場の何とも言えぬどよめきを今でも覚えている。
この事態を素直に眺めれば、結局今の憲法(九条)はとっくに存在の意味を失っているということじゃないのか。私は保守論者では全然ないつもりだが、おおもとの憲法違反に目をつぶっているのはモラルの不在ではないかという主張には全く同意する。
戦後の保守政党の政策はこの憲法との辻褄合わせに汲々としてきた連続だったと思う。ここへ来て、もうどもならん状態になったというのが只今の姿ではないか。

  長くなったので結論を言ってしまうが、 集団的自衛権に関わる安保法制は、この括りの中でやむを得ない流れだと思う。アメリカの中に、日本ただ乗り論がくすぶっている。アジアを捨てる動きもある。ここ当分は米軍に居てもらわねばならんのだ。悔しいが。アメリカの51番目の州だという罵詈を受けようとも。
後期資本主義の繁栄の徒花をここしばらく味わうのならこの道しかないと思うよ。あのさ、誰かそうでない道を示してくれないか。貧しくなったっていいんだよ。真の独立国で行けるのなら。その理想を具体的に語れるのなら、日本の姿は全く違ったものになる。なぜそこからの議論にならないのか。出来ないからだ。

まあね、叩き切れとリーダーを名指しして別にお縄を頂戴するわけでもない、良い国じゃないか。ナチス張りの軍隊の行進を見せつけるどっかの国に比べて。この時代錯誤には眩暈を覚えたね。
もうちょっと続けよう。朝日の小熊氏の論説。「革命なんか言っていない。ただ日常の平和を欲しいだけなんだよ。」  なんかぬくぬくと寝ていたいに聞こえるね。僕ちゃんは喧嘩や血を見るのは、お母さんから止められているから出来ないの。家にいるね。終わったら呼びに来てね。そこんとこお願いね。
寝ていられるのかい。本当にそう思っている?そこを心底訝しむものだ。  



いろいろと考えて迷ったんだが・・・・逸徳

大人になるっていうことはどういうことなのだろうか。まず、まるくまるく収めて、余計な対立は避ける。めんどくさいし、敵を増やして自分にメリットもないし、第一ケンカするエネルギーがなくなってきた。もう20年も若ければ、相手にかみつき相手を倒すまで、死力を尽くして戦った。だがもうだめだ。・・・・ そこで、相手は相手、おれはおれ、乗っている汽車が違うだけだと合理化し、議論をたなあげする。でもそれはいかにも薄汚れた世渡りの知恵だ。こういうような変にものわかりがよくなるのもいやだし、堕落だなあという気もする。・・・・・

で何を言いたいかというと、お師匠の前2回の投稿についてである。意見が合わない。それをほっぽらかすのもいいが、しかし長い付き合いである。お師匠に対して、やっぱり言いたいことをいったほうが真の友人としての態度ではないか。言わないほうが失礼ではないか。・・・・迷いに迷ってやっぱりいうことにする。 ここでの付き合いを俗世間の薄汚れたレベルにとどめたくはないなあと思うので。

最初の投稿。情緒感性と、社会認識を分けた意見。失礼だが、最初に頭に浮かんだのは、桑原の「第二芸術論」だ。 そういう分け方があるからこそ、第二芸術論のような批判が出てきたのではないか。正直いって、あの後の俳句界からの反論は周章狼狽の混乱に見えた。
 社会的認識と情緒感性は一体不離だと思うよ。 もしその後の経験によって社会的認識が変化したとすれば、これはいわゆる「転向」という概念に当たる。 
 経験の積み重ねによって社会的認識は深化することはあっても基本的な立場は変わらないと思う。というよりは、ここには「社会的認識」という言葉の意味するものの理解の問題がある。おいらにとってはそれは、もっとも根本的なものであって、時の政治用語や、社会状況にあまり影響しない、この人間社会と自分という存在との対位の仕方、生き方のようなものである。だから自分にとっては、それは非常に個人的な哲学的世界の問題だったし、若いときの表面的社会、政治的環境にあんまり影響されていない。(たとえば大学のころ、周りはみんな共産党シンパ、民青だったがおいらはまったく党派に関心がなかった。むしろ「とかくめだかは群れたがる」といって嫌われていたな。いやなやろうだった。)  そして、年を取るとどうなるか。自分の中心にある世界認識の外界への表現のチャンネル、情報のチャンネルが違って来たのである。露骨なぎらぎらはさやにはいった。いやさびたのかな。そしてここに情緒や感性の変化の問題がからんでくるのである。しかし、心の奥底をのぞきこんでみるとやっぱり自分の世界と人間に対する認識は変わっていない。よたよたと一本の線のつながりを見る。だから一顧だににしないのは、実はそれほど大したことを感じたり考えていなかったことになり、そんなことは言えない。それは自分で自分を馬鹿にしている。

二番目の投稿。 もう非武装中立なんていってるのはあんまりいないよ。というよりはこういうことでないか。9/8の小熊英二の朝日の記事の一部を紹介しておく。まったく同感だから。 

・・・・現政権は、生活や未来への不安という、国民の最大の関心事に関わる施策を後回しにして、精力の大半を安全保障法案に費やしている。そこまで優先すべき法案なのかということについて、国民は納得のいく説明を受けていない。一部の政治家や官庁が、個人の信条や局部的利害のために、国民の声のみならず、法秩序さえ虫して房総しているという懸念と反発が広がるのは当然だ。国会前の若者たちは「革命」や「非日常」を夢見ているのではない。「平和」な「日常」が崩れていく不安を抱き、それに対して何もしないばかりか、耳も貸そうとしない政権に、「勝手に決めるな」「民主主義ってなんだ」と怒りと悲嘆の声を上げているのだ・・・・

問題は政党としての機能が劣化している巨大与党と国民の対立ではないだろうか。野党はここには存在感がない。 

まあいいたいことを書いた。反対するのも友情の表現とご容赦いただきたい。ゴメンネ。

2015年9月2日水曜日

雑感・・・猫跨ぎ

  戦後一貫してある対立の構図―「抑止力の整備」と「非武装中立」の対立がますます先鋭にになった。双方、自説を主張するのみで、金輪際譲らない。妥協の余地は全く無いようだ。国会審議をみても、それが招来する国家像が全く語られぬまま、重箱の隅をつつく議論ばかりだ。
  戦争法案、徴兵制法案、か。うまいこと単純化するものだ。デモの集団の先頭に野党党首がスクラムを組んでいる光景が映るが、失礼だが迫力無いなあ。フランスデモが聞いて恥ずかしい。怒る振りをするだけ、政権奪取できると当の本人達が思っていない、そんな顔をしている。仮に政権取って、安全保障政策で四分五裂するのは目に見えている。まことに空虚なものだ。どうしても60年安保が思い出される。戦争だ、戦争に巻き込まれる―今と瓜二つだった。そして岸と安倍だ。この符合には眩暈を覚えるね。
  前、北大にいて、去年か法政大に移った山口二郎と言う学者だが、東京新聞にコラムを持っていて、前から読んでいる。とにかく安倍を罵る。政権側の対案を示せ、は敵の罠だ。答える必要はない、今は攻め時だ、だそうだ。8.30の挨拶では、安倍を叩き斬れと言ったらしい。ヤクザだね、まるで。しかし政治家達よりよほど迫力がある。でもさ、学者なんだろう、頭冷やして、あるべき貴方の国家像を開陳してくれないか。貴方の70年談話を。

                                                                          

2015年8月26日水曜日

芝不器男がいた・・・猫跨ぎ

前段の思い出については哀悼の意を表したい。後半の部分は、これを言いたかったのか。
たまたま考えていたので採り上げるが、芝不器男という俳人がいた。 芝不器男は明治36年生、昭和5年没。二十七歳に満たぬ一生だった。句歴は四年ほどであるが、現代俳句に与えた影響は大きい。「夭折」がこれほど相応しい俳人はいない。彼を思う度に、長い経験、一途な精進などの尊重されるべき言葉が、詩にとって如何ほどのものなのかと茫然とするのである。
  何を言いたいかというと、十代、二十代に、情緒、感性はできあがる。それは詩であり音楽であり絵画だろう。自分ごときを同列に論ずるつもりもないが、その頃の感覚は完全に引き継いでいるといってもいい。
しかしね、世の中の事柄、つまり社会的問題意識は違う。もろもろの経験を積んで形成されて行くものだ。単純な情緒的な正義感がいかに判断を過つか。極端な例だが、紅衛兵を見てもいい。私はそのころの自分の社会的問題意識について情緒的に懐かしむが、実質的には一顧だにしない。

2015年8月25日火曜日

思い出・・・・逸徳

大学のころ、友人に一人の男がいた。札幌西高出身で、おいらと同じサークルに入り友人になった。やさしい男で、確か東京オリンピックの入場式は、彼のお宅のカラーテレビで見たのを覚えている。サークルにはもう一人女性の友人がいた。彼女は最初藤女子大に入ったが、1年でやめて
北大文学部国文学科に入り直したという才媛である。専攻は万葉集だったと思う。確か出身は、札沼線の途中の小さな町で、冬にみんなで遊びに行ったことがあった。温厚な人だった。彼女は院に進み、国文学の研究者になり最後は、札幌学園大の教授になって退職したと思う。

彼と、彼女はやがて交際するようになる。彼は、理学部の第二化学科に進み、院を出てやはり研究者になる。最後は結核研究所の助教授になった。専攻はアフリカの熱帯病のウイルスの研究ではなかったか。そしてやがて二人は結婚した。化学と国文学の研究者どうしの家庭である。静かな夫婦であった。おいらと、彼ら夫婦の接点はサークルでの児童文学の研究会だった。よく議論した。児童文学における政治と文学の関係。当時は政治の季節だった、児童文学の世界観において基本的に現実を肯定する姿勢を「向日性」というが、この言葉を覚えたのも彼女との議論だった。 まじめで楽しい世界だった。

ところが30代後半になって、彼が突然自殺する。研究のいきづまりという説があったが、遺書はなく
真相はわからない。結核研の屋上から飛び降りてしまった。 真面目な性格であり、困ったときはまあいいや、明日にしようという所がない。それがあだだったのかもしれない。道新が「新進気鋭の北大助教授の謎の自殺」という特別記事を書いたのを覚えている。

 そして、残されたものは傷つく。さまざまに傷つき、重い荷物を背負うのだ。そしてなぜ死んだんだという答えのない質問を反芻する。それはつらいことだ。残された彼女と何回か交わした手紙の中で、ずっと後になってから彼女がポロリとこぼした言葉で、非常に印象的な言葉がある。
「結局、人間は10代から20代の初めに考えていたことは、いつになってもずっと考えているんだね」

 ああ、おいらは、その言葉に深く同意する。それは同時に、その時を生きてきた彼女と彼の関係のかけがえのない時間への深い愛情の表現でもあるのだろう。そしていつもこの言葉を思い出すと、じゃあおいらは何を考えていたのか、それは今でも考え続けているのかということを自問するのだ。ちゃんと燃えていたか。

時が流れた。おいらは教師になり、多くの愛すべき若者たちど出会うことができた。彼らがいとおしい。本当にいとおしいとしかいいようがない。そして、その延長線上に、東京で展開されている高校生のデモに参加する若者たちがいる。youtubeでその動画を見ると、まぎれもなくあのころの彼や彼女の顔がある。そこで流れる時間を抱きしめたいと思う。それはおいらたちの出発点だった。がんばれよ。

そして、その時間の流れの先に今の自分をおきたい。そこから自分はそんなに変わってはいない。あの頃考えていたことはちゃんと今も考えているつもりだ。だから「あのころおいらは若かった」などと完了形て゛あの頃考えていたことをそんな言葉でくくって終わりにはしない。口が裂けてもそれは絶対にいわない。あれはあれでまぎれもなく、今に続いている真実である。でないと死んだ彼にもうしわけないと思ってしまう。

彼の墓は茨戸にある。冬になるとなかなかたどり着くのが大変な場所だ。墓参りにいきたいがまあ急ぐこともないだろう。もうすぐあえる。


2015年8月24日月曜日

ほのほ無く・・・猫跨ぎ

仁兵衛氏の拙句鑑賞記でひとこと。
・ほのほ無く写真の燃ゆる敗戦忌 ・・・ この敗戦忌は戦争に負け死んでいった人を弔うだけの狭い意味で取っていいんだね。
それも含むが、もっと広く解釈して戴ければ。陽の下で紙類が燃えるとき炎が見えずじりじりと 延焼が続く。終戦後のこの国の何かが失われていったことを象徴したかったのだが。
その下のドリアンの棘は、白日傘の骨と突起に響き合っている。なんか不安感が表現されていれば。つまりね(笑)、意図としては、ちょっと象徴性を考えているつもりなんだけれど。

夢違・・・猫跨ぎ

そうかい。おかしいのかもしれないね。
さて30日に何かあるのかい。そうだな、昭和35年、北海道の田舎でも高校生デモが あった。あの頃の空気感を思い出す。終わって何もなかったように憑き物が落ちたようなことだった。まあ、万犬、虚に吠えるという事じゃなかったか。おっと失礼。
年のせいかこんな夜更けに目が覚める。奈良で夢違観音像を見てきた。こていな可愛らしい顔をしている。悪夢を良き夢にかえてくれるらしい。また一眠り。

ニッセさんとは・・・・逸徳

ニッセさんって、頭文字がおいらたちの仲間の名前と一致する、確かロシア語に堪能?な、人でしょう。お師匠、これでわからなかったらあんたあぶないのでないか。

さてニッセさん、国会議事堂いいねえ。静岡からは遠いので、こちらは掛川でちいさな会に参加する。終わったら東京の方にむけてビールで乾杯しよう。 熱中症にお気をつけを。 

2015年8月22日土曜日

函館通信2-34・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

ここの所すっかり秋めいて来た。
ニッセさんとやら襖紙の交換のお仕事ご苦労様です。余程器用な方とお見受けいたします。紙交換の注文を出してついでに襖絵を描いて貰いサインを入れて貰おうかと思いましたがマンションには襖がありません。特別注文を出す事は出来ませんので悪しからず。更に30日には国会周辺をデモされるとか大変ご苦労様です。くれぐれも御怪我をされない様に御気を付け下さい。

さて猫跨ぎ氏の俳句鑑賞と行きましょう。
何か全体に軽妙さが感じられウキウキしながら楽しませて貰いました。何かな此の何時もと一寸違う感じは。

・忘れられた麦藁帽に海の音 ・・・麦藁帽子と来たら海水浴だよね。鮫にご注意! 
・苦瓜や昨日の夢の憑依なほ・・・余程昨日の夢は怖そうな夢だった様ですね。苦
瓜と夢の憑依との取り合わせに惚れました。特選。
・合切袋の男かくまふ夏暖簾  ・・・何か男女の微妙な関係が想像されるのだが。和服を着て合切袋を持った粋な男も考えられたが・・・果たして?
・罌粟咲いて漢方薬に副作用 ・・・罌粟からは阿片・モルヒネを製するとある。 
・浴衣着のペコちやんとゐる雨宿り ・・・浴衣の不二屋のペコちゃんはかわいいし懐かしいね。 
・ほのほ無く写真の燃ゆる敗戦忌 ・・・ この敗戦忌は戦争に負け死んでいった人を弔うだけの狭い意味で取っていいんだね。
・千疋屋のドリアンの棘白日傘 ・・・千疋屋で高級なドリアンを買う和装の麗人か。
俺の所に土産で持って来て呉れるのかな。 
・青柿の落ちて隣家の長き留守・・・柿若葉は若葉の中でも一番の柔らかさを感じる。それに比べ青柿は食べれないし無用さしかない。ましてや隣の家の物では迷惑にさえ思えて来てしまう。こんな気持ちを思い出させて呉れた。準特選。  
・帰省子の両の手に抱く紙袋 ・・・駅や飛行場で良く見たよ。 
・くろがねの重き自転車氷旗・・・兄貴が水の事故で死んだ多摩川の河川敷に来ていたアイスキャンデー売りだね。60年の年月が経った。

誰かな ・・・猫跨ぎ

ニッセさんは確かに記憶があるが、その時もどなた?と訊いたはずだが答がなかったね。褌子氏と昵懇らしいが他はだれも知らないのでは。偽のパロディかな。まさかね。誰かな。話はそれからだね。

2015年8月21日金曜日

8月30日・・・ニッセ

暑い日が続きましたが、朝晩は窓を開けて外気を取り込めばエアコン無しで
過ごせるようになりました。
皆さんはどうされているかなと、久々に”horohorokai"をクリックしました。

私の投稿は、五本さんの写真以来です。
あ、もうひとつ有りました。”21世紀の資本論”でした。

常連の管理人さんの投稿がこの数ヶ月まったく無いですね。
忙しいでしょうね。

私の最近の状況は、二つ目の会社も辞めて毎日趣味の大工仕事です。
今は、襖紙の交換をしていますが、水を掛けて、紙を剥がし、翌日
見ると合板が部分的に剥離しそれが伸びて凹凸になっていました。
(おそまつ、水は必要最低限で処理するとのことでした。)
30年前の襖は今と違って2枚の合板の釘無しの嵌め込みタイプでした。
2.5mmの合板を買ってきて、襖の再組み立てからの作業になりました。

さて、件名の830日ですが、“日刊ゲンダイ 830日”で検索すると
すぐ出てくると思いますが、 83日の記事で“安保反対10万人デモ”の
意義について記載されています。
ということで、私も午後2時過ぎには、国会周辺に出かけることにしました。
で、他に参加者がおられましたら、終了後ビールでもと思って投稿しました。
私の携帯番号は管理人が知っていると思います。

では。


2015年8月19日水曜日

27.8投句、並びに恐山・・・猫跨ぎ

  下北半島から函館へとのことだが、下北へ行くなら、恐山へ寄るのがいい。出来れば宿坊に一泊。奇怪な風景のなか東北の霊場の雰囲気にひたるのも悪くない。夜、漆黒の部屋に一人いると時に足音とか幽かな人声などが聞こえる、ような気がする。ヒヒヒヒ。
さて、一ヶ月は速いね。八月度投句といこう。奈良行の前の句ばかり。念のため。

・忘れられた麦藁帽に海の音   
・苦瓜や昨日の夢の憑依なほ   
・合切袋の男かくまふ夏暖簾   
・罌粟咲いて漢方薬に副作用   
・浴衣着のペコちやんとゐる雨宿り   
・ほのほ無く写真の燃ゆる敗戦忌   
・千疋屋のドリアンの棘白日傘   
・青柿の落ちて隣家の長き留守   
・帰省子の両の手に抱く紙袋   
・くろがねの重き自転車氷旗   

2015年8月18日火曜日

27.8 仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

  きのう奈良から帰ってきたとこ。東大寺の万燈供養会を見たくてね。暑いさなかではあったが善男善女の一員となり千年の悠久に思いを馳せたわけだ。黄泉の彼方へ行ったのではないかと御心配の向きもあったらしいが、残念ながらちょっと手前。という気分ではなく、全くの興味から。しかしもう疲れた、年には勝てない。奈良の話はまた後ほど。

8月度仁句鑑賞といこう。
1.朝顔や咲けば数える癖のまま
朝のささやかにして愉しい習慣。おうおう咲いたか、というわけだ。〈朝顔や咲けば数えるだけのこと〉とちょっと突き放した見方も面白い。
2.行合の空に涙す鴨居玲  準特選
鴨居玲という画家は詳しく知らない。下着デザイナーの鴨居羊子の弟とか。こういう異形の表現者というのは血筋なのかな。行き合いという言葉に格段の知識はないけれど、この画家にはむしろ他者との遭遇というイメージを峻拒する姿勢を感じるけどね。
3.冷奴夕刊配り終りけり
これね、このままだと作者が夕刊配達してしまうことになる。そうだとして、仕事をおえての冷奴ということ。取り合わせがあまり効いていないなあ。
4.語部の雲間に消へて原爆忌 特選
語部の二代目の養成が話題になってるね。原爆投下からもう70年だからね。年月は容赦なく押し流してゆく。「お詫び」が取り沙汰されているが、アメリカは一度でもお詫びを言ったかね。この前のテレビで、広島を訪れた原爆製造関係者が、さんざん原爆資料館の惨状を見聞きしたあと、死者へお詫びの言葉を一言という被爆者に対し、「No, Remember Pearl Harbor.」とやり返して、場を凍らせていた。今でもこんな認識なんだ、この連中は。謝れに対して、反射的に反発する性とは思うが、何せスカスカの頭の構造だ。語部どころかろくな記憶もないのでは。
5.脂ぎる一膳飯屋秋に入る
焼肉定食か焼鯖定食で、その前に取りあえず生ビール。秋に入っての一風景。
6.盆の月くぼみの浅き水溜り
水溜まりは普通、浅いから当然だけど。盆の窪との連想かなあ。
7.探査機の行く星の先沙羅の花
日本の探査機は小惑星群、アメリカのは冥王星以遠とか。沙羅双樹は釈迦の涅槃に入ったときに四囲に咲いていた。悠久の世界。
8.六分の停車時間や流れ星
逸徳評への自句自解で判りました。
9.空蝉や国破れては山河なし
これ国家観?
10.紙花咲きぬ蜩の声とほくから
 これも自句自解があったので。

そりゃそうだ・・・・・逸徳

このへんでいつもなら、必ずお師匠が出てきて、一席何かいうのだが、音沙汰がない。おーいだいじょうぶかあ。こんな暑い時に先にいくなよぅ。 だいたい暑くって黒い服着るのがいやだ・・・何いってるんだろう。静岡は熱帯、暑さぼけの妄言深謝。

そりゃそうだ、冬の寒さを忘れていた。仁ちゃんの言うとおりだが、さむさは何とかにげれる。だが暑さは逃げようがないのである。クーラーは使わないように頑張ってみているのだが。

 で、どっか逃げ出したい。ただし人間のいないところだ。人間はもういい。というわけで前に下北のことを書いた。やっぱり下北から函館の航路がいい。というわけで、突然仁ちゃんの顔を見に函館に出現するかもしれん。おいらは、予定を組まない旅行が好きなのだ。

褌子さんも元気かな。まああれはふんずけても死なんだろう。   ではでは。

2015年8月17日月曜日

函館通信2-33・・・秋めきて・・・仁兵衛

逸徳さん早速のご評価有難う御座います。
暑いのがずるいと云われても冬の寒さをここで想像して欲しい。
あの-20度に凍ったツルツルの歩道を歩く事を思うと収支バランスが合うんじゃないだろうか。自然には公平さが少しはあると思うけどね。

さて鴨居玲だがたまたま今函館美術館で作品展をやっている。じっくりとその暗い自画像と向き会っていた。なかなか好きにはなれなかったよ。
所で「行き合い(行合)」の言葉はどこで見付けたのか思い出せないのだが実は歳時記には無く季語でなさそうだ。ただ言葉の意味が既に季節を現しているのでそのまま使用した。猫跨ぎさんご意見を聞かせて下さい。

次は「六分の停車時間」、小学校時代の友人夫婦が札幌発寝台特急カシオペアで東京に帰る途中、函館駅で機関車をジーゼルから電気に交換する為六分停まった。この僅かな時間に互いの無事を確かめ旧交を温めた。周りでは鉄道マニアが十人以上カメラを持って交換風景を忙しく撮っていた。午後九時過ぎの事。

紙花=死花、伯父が先日亡くなった。浄土真宗の坊さんが読経の後の説話の中で何か由来を説明していたが忘れた。兎に角棺の上に紙で作った花が置いてあった。函館の火葬場は函館山の外人墓地の更に奥にある。

2015年8月15日土曜日

いや暑い・・・・逸徳

仁ちゃんの前回の投稿を見てから、ちと投稿をと思ったが、暑くて何も気力が起きなかった。昼間は昼寝でもしてと、二階の風通しのいいところで横になり扇風機を回すととにかく熱風で、がっかりする。
お師匠はだいじょうぶかな。熱中症にお気をつけを。 
 最近の国会を見ていて、8月のはじめに、それに対する高校生のデモがおこり、これが思ったより反響があって、SNSの効果か5000人も集めたというのが、面白くて、これを見ていてなかなかまとまったことがかけなかった。今の高校生、演説がうまい。それにくらべて既成の運動家、バターンにはいりすぎ。シュプレヒコールなんて完全な死語になっていたのを知った。

 悪いのは暑さ。毎日昼にカンチュウハイをあけて、暑さをしのいでいる。やや依存症かも。 
で、自分でやれる抗議行動ということで、最近おいらもメンバーである「菊川市憲法9条の会」がやっているブログを書き始めた。http://ameblo.jp/9jou-kikugawa/entry-11646068677.html
 暇なときにのぞいて。

で仁ちゃん句である。函館は暑さがそれほどでもないと聞いて、思わず殺意を覚えた。あんましだ。神様、不公正だ・・・・ あんまし暑いと不条理な攻撃意識が刺激される。 誰かに石でもぶつけたくなる暑さなのだ。チクショウ・・・・

こころにのこったものを。


1.朝顔や咲けば数える癖のまま ・・・・・ よくわかる光景だが、何か半端に放り出された感じ。癖のまま・・・どんな世界につながるか、そのヒントがない 
2.行合の空に涙す鴨居玲・・・・・行合の空という言葉がわからず、検索して感心した。そこではじめて鴨居玲が出てくるのがわかる。彼の作品と生き方(確か自殺していないか)を見た経験者には行き合いの空に涙す、がすごくよく伝わる。文学的虚構というべきかもしれないが、見事。 特選
3.冷奴夕刊配り終りけり・・・・・ 労働というものが管理されていない、というよりも労働すら一つの日常風景として存在している、映画「3丁目の夕日」の世界を連想した。
4.語部の雲間に消へて原爆忌・・・・・・ これも困る。読者はほうりだされる。語り部はまだ消えてもらいたくないのに。勝手に消えるな。
5.脂ぎる一膳飯屋秋に入る・・・・・・いいねえ、一善飯屋だ。庶民の生命力の交差点。当然脂ぎるのである。ここには上品な料理なんかいらない。さんまの煙や、ブリ大根だな。当然酒はコップ酒。好きな世界。準特選。
6.盆の月くぼみの浅き水溜り・・・・・ 俳句をつくるということは、この世界と向き合って、何も考えずに、ただ周囲を受け入れるのだろう。なんかそういう安定感をかんじたが、まてよ、これ盆に水を張って月を映しているのかなあ。だとすれば、あまりにも風流な。
7.探査機の行く星の先沙羅の花・・・・・はやぶさ2はどこまで行ったかなあ。還ってくるのを見届けて死にたいなあ。 その先に「盛者必衰の理をあらわす」沙羅の花をおいたのは、作者の意図したことなのか。
8.六分の停車時間や流れ星
仁ちゃんは、汽車を使ったこういう句がうまい。確かだいぶ前にもにたような句があったなあ。汽車とは人生そのもの。6分の停車時間は何を意味するのか。ふと夜空に目を上げると流れ星が。いいなあ。この汽車、釧路本線、狩勝峠あたりがいい。もちろんSLだ。「真夜中の倶知安駅を降りゆきし女の髪の傷の古さ」を思い出した。あれは啄木かな。 特選
9.空蝉や国破れては山河なし
ようするに国も山河も、わが想いも行先なし。どこにいけっていうんだ。
10.紙花咲きぬ蜩の声とほくから 
・・・・・ごめん紙花がよくわからなかった。

暑さが続く。。。各々方。くたばりませぬよう、。

2015年8月13日木曜日

函館通信2-32・・・寂しさや・・・仁兵衛

残暑お見舞い申し上げます。
寂しいね。31報を出して32報が続くとは。余程今年の夏の暑さは異常と言えるのかも知れない。しかしまだ続きそうだから皆さん覚悟の上身体にはくれぐれもご自愛ください。
皆さんには悪いけど函館は今日は勿論クーラー無しで部屋を吹き抜ける風も肌に秋を感じさせてくれています。
今月の十句送ります。ご批評宜しくお願いします。

1.朝顔や咲けば数える癖のまま
 
2.行合の空に涙す鴨居玲

3.冷奴夕刊配り終りけり

4.語部の雲間に消へて原爆忌

5.脂ぎる一膳飯屋秋に入る

6.盆の月くぼみの浅き水溜り

7.探査機の行く星の先沙羅の花

8.六分の停車時間や流れ星

9.空蝉や国破れては山河なし

10.紙花咲きぬ蜩の声とほくから

 

2015年7月25日土曜日

函館通信2-31・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

猫跨ぎさんと逸徳さんとのやりとり確かに長い時間が経過したね。逸徳さんのみならず色々な人が俳句に限らず色々な作品(今迄には短歌、作曲、自然・技術解説、主張と反論など)をもっと多くこのブログに載せて呉れればいいのになと常々思っています。現状は寂し過ぎるんだよ。私は月報として毎月寂しさを紛らわす為も一部に持ちながら俳句を出汁に使って書いています。是非皆さんこのブログを賑やかな東京音頭のリズムが聞えて来そうなものにしましょうや。

さて、猫跨ぎさんの句評に入りましょう。
俳句の中でも私は二物仕立ての句がどちらかと云うと他より好きです。その二物の間から生まれる想像、連想が大きければ大きいほど面白いと思うからです。その想像、連想は必ずしも作者の作成意図とは外れてしまっているかも知れません。それは一向に構わぬ事です。今回四句の二物仕立てがありました。
*花氷潤んでアフリカ仮面展・・・花氷とアフリカの仮面をどこで接点を見付けだそうと思ったが難しかった。氷の中の花の色と仮面に塗られた原色に何か共通点がありそう。いや、冷たい氷と暑いアフリカの対比も面白そう。
*虹消えて手提袋に常備薬・・・虹と常備薬との取り合わせ面白い。虹は消えてもまた出るまで待てばよし、常備薬は無くなったら慌てるか気を揉み酷けりゃ焦っておかしくなるかも知れない。身近な材料だけで面白さを醸し出している点から特選。
*ラムネ玉コロンうすうす昼の月・・・うすうすの部分が良く判らなかった。
*手遅れはいつも突然立葵・・・立葵は暑い時によく道路端で見掛ける。何の手遅れかは知らんが熱射病で心臓がやられた事を想像してぞっとしてしまう。

*栗の花匂ふ夜更けに何か割れ・・・栗の花の匂いは精液のそれというのは本当です。丹波でも茨城でも経験しました。自動車の窓を開けたまま運転はしない方がいいですよ。
*キャンプ場の思はぬ広さいなびかり・・・今はオートキャンプ場だから広く取ってあるんだろうね。昔のバンガローを借りたキャンプが懐かしい。
*父の日や父の結はえし紐解けず・・・目の付け所がいいね。私自身父親の存在感がどうも薄くこの句の様に父親と素直に向き合っているのに少し嫉妬感が湧く。
*木の股に宿木生ふる薪能・・・宿木を他人の栄養分を吸っているずるい生き物とみるか生存競争に打ち勝つ能力に長けた奴と観るかによって見方が変わってきそう。
逸徳さん云われる様に確か能の作品にあって謡の稽古でやった覚えあり。
*朴咲くや真昼の海の荒れてをり・・・朴の花は街中か山中でよく見た記憶が強く木の高い所に超然と咲いているイメージが強い。
*笑ひながら夕立の中皆帰る・・・日常の何処かに帰るありふれたシーンを切り取っただけなのだが「人が笑う」「夕立が降る」の二つの事象が上手く同時に収まっている。その単純性が読んだ人に安心感と云うか共通感を導き出している。準特選。

2015年7月24日金曜日

すぐ句作に・・・猫跨ぎ

  ちと言葉が過ぎたかな。別に他意はないので聞き流して欲しい。ただね、この種の話は、同じトーンで5~6年繰り返されているという事実に留意してほしい。あれこれ言っている内に、寿命が尽きてしまう。冗談ではなく、他のこともみなそうじゃないか。
庶民文芸というが、ここで俳句の歴史を弁じても仕方がないが、芭蕉(もっと前からだが、取りあえず)から連綿と続いているもの。今という一時期を我々は遊ばせてもらっているに過ぎない。この伝統に幾許かの敬意をもっても良いのでは―またこんな話になってしまった。
句評をして戴いて感心している。もう初級は終わっているよ。すぐ句作に入りなさい。

2015年7月23日木曜日

そう単純でもない・・・・お師匠句鑑賞 逸徳

興味のあるなしは2択選択問題でもあるまいに。興味は少しはあっても、歳時記を開くエネルギーはない(というのは一種の老化なのかもしれんが) という中間領域もある。そしてその中間領域の幅は案外広いのではないか。 わからんといって、そりゃあお前が悪いというのは教授法としては下策だ。つまり歳時記片手に作品を解読するというのが俳句読者としての有資格者というのはわからんでもないのだが、ちとたかびしゃではあるまいかね。・・・というあいも変わらぬ不平不満とまた怒られそうである。 それにさ、一般論でいえばすべての芸術分野において「不平不満」がなくなったら、もう変化はおこらんのではないか。 そりゃ保守化、固定化、動脈硬化に一歩ではないかな。

とはいえ、今回のお師匠の句そういうむつかしいところがなくて、イメージを楽しめた。心に残ったものを・・・
  ・花氷潤んでアフリカ仮面展
      仮面である。その一つ一つが仮面の向こうからことばにならないメッセージを伝えてくる。それは多様なアフリカの命の鼓動ともいうべきものだ。そしてその生命力は、すぐ近くまで来ているようで、ああと思ったとたんに遠くに離れていく。そのイメージが「潤んだ花氷」とよく合った。待っていれば氷の中から花は立ち現われてくるのだろうが、仮面は待っていてもその前に立ち尽くすのみ。面白い。
・虹消えて手提袋に常備薬
  手提げ袋と常備薬というと高齢者の必需品。それに対するにやっぱり虹は消えていかなくてはならない。わかりやすいが、ちとさみしくなった。
・栗の花匂ふ夜更けに何か割れ
  変なことを思い出す。栗の花の匂いは精液の匂いだという。ホントかよ。いまだに信じられんが。そして夜更けだ・・・・・ うーむ文学的妄想の世界にひきずりこまれそう。
・ラムネ玉コロンうすうす昼の月
   すぐイメージが楽しめた。ラムネ玉でしょ、そしてコロンだ、この音がコロコロにつながった。最後が昼の月。みんな丸い。 まるくてコロコロ。 ここでのコロンは香水で、うすうすつけるが、昼の月につながるのだろうが。 おいらは、マルクコロコロのイメージをしばらく楽しんだ。コロンが香水というのはあとで気が付いたのだが。
・キャンプ場の思はぬ広さいなびかり
   見事。準特選。よるのキャンプ場。突然の雷雨。いなびかりが照らし出した光景から「あれっ、こんなに広かったかな」という発見。 うんあるあるという感じ
・父の日や父の結はひし紐解けず
   しみじみとした句である。さまざまな思いが錯綜するね。紐のしばられているその下には何があるのだろうか。それをもしかして、今解いてももいいのだろうか。おいらは子供たちに何を包んで残そうか。紐がもし解けなかったら、はさみをもってきて紐を断ち切る子であつてほしいとも思うが、しかしなかなか解けない縛り方をおいらはできるのだろうか。 準特選
・手遅れはいつも突然立葵
   突然来るから手遅れなのだろう。そんな人の雑事は関係なく、タチアオイが咲いている。花言葉は確か「威厳」ではなかったか
・木の股に宿木生ふる薪能
   薪能か、しばらく見ていないなあ。お能と宿り木というイメージはあうような気もするが、そんなお能の作品なかったかなあ。
・朴咲くや真昼の海の荒れてをり
   ふと気が付いた。この下の部分「真昼の海の荒れており」 このイメージなんとなく何にでもあいそうな気がしたのだが
・笑ひながら夕立の中皆帰る
    夕立である。人間の都合なんか関係なく、突然おこる自然の暴力。 しかしそんなのは関係ない。というより、そういうこともあるさという生きる強さを感じた。笑っているのである。そして予定を変えずそれぞれの生活の中に帰っていくのだ。雨が降ろうが、雷が鳴ろうがそんなのどうってことないよ。明日はきっと晴れる。 いいなあ。強さと若さを感じた。特選。

2015年7月21日火曜日

7月度投句 ・・・ 猫跨ぎ

それでは、7月度投句

・花氷潤んでアフリカ仮面展
・虹消えて手提袋に常備薬
・栗の花匂ふ夜更けに何か割れ
・ラムネ玉コロンうすうす昼の月
・キャンプ場の思はぬ広さいなびかり
・父の日や父の結はひし紐解けず
・手遅れはいつも突然立葵
・木の股に宿木生ふる薪能
・朴咲くや真昼の海の荒れてをり
・笑ひながら夕立の中皆帰る

今日も暑い・・・猫跨ぎ


いやあ今日も暑いねえ。

俳句の業界用語が判らぬという、相も変わらぬ不平不満だなあ。
何事もそうだが、興味が湧く対象は、黙っていても積極的に調べる。湧かねば、そばに歳時記があっても気分が乗らぬ。そういう事だね。庶民の文芸なのに、と責任を転嫁しないで、自分は興味がないといえばいいの。

この前、危篤と伝えられた寂聴尼が、集会で安倍を倒せと声を張り上げていた。いやあ底知れぬ体力だね。昨日は「学者」が何十人かあつまってシュプレヒコール。違憲だ、平和の危機だ。私は全然そう思わぬが。学者もこれだけ集まると胡散臭いね。自分たちは何か偉いと勘違いしているんじゃないか。たかが学者風情が。庶民のつぶやき。

まてよ・・・・??? 逸徳

昭和までの句・・・これ、鉄棒をやっている光景ではないか?
7月のオウンゴールの句・・・・これ女子サッカー対イングランド戦の句??
  なんとなくそう感じたがいかが。

しかしだ、三伏、炎帝、はたた神・・・これみんなわからなかった。それなりに本は読んできたつもりでもわが記憶にない。 前にお師匠に「歳時記」を持てと怒られて、買ってはみたものの本を開くエネルギーもなかなかわかない。 それでさあ、こういうなじみの低いことば、つまりは業界用語にたよるというのは俳句の庶民性からみてどんなものかねえ。。。と心でつぶやく。 そのことばが描く光景はよくわかるのだが。

2015年7月20日月曜日

27.7 仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

台風一過、急に暑くなった。昨日からエアコンを入れている。しかしこの深閑とした夏のたたずまいは嫌いではない。

さて七月度仁句鑑賞。
1.合歓の花予約の取れぬ指定席
長距離列車の切符なのか、ホテルの予約なのか、はたまた芝居のチケットか。合歓の花は夕暮れに咲いて、儚げな印象がある。ちょっとやるせない気分だね。
2.御喋りがふわりと消へて夏座敷
会話が何となく途切れる瞬間ってあるね。これを機に奥方はお茶の入れ替えに立ったりする。ここに逸徳氏あたりがいれば、決してそう言うことはないのだろうが。準特選。
3.三伏の間の取り方や父に似て
三伏―まあ、簡単に言えば極暑の候か。間の取り方とはいろいろ考えさせるが、暑気へのむかい方のようなことかな。慣習、癖のようなこと。ふと父親の癖を思い出したりする。私はあまりそういう感覚はないのでよく分からない。
4.はたた神変身をする三歳児
雷。いなびかり、落雷。三歳児にとっては驚天動地。すっかり取り乱してしまった。
5.老鶯や伝言板の消した跡
春過ぎて、すっかり鳴き方に慣れた鶯。ちょっと夏の気だるさを描いている。特選。
6.星月夜人はいびつに減りはじむ
年齢人口分布の変則的な形を言っているのだろう。正規分布形は大きく変形して、釣鐘形から根もとが先細りみたいになったいく。この先成人一人が三人の老人を支えねばならないとか。そのうちに働かない老人はさっさと退場してもらわねばならなくなるか。冗談ではなく。
7.昭和まで逆上がりして雲の峰
いささか跳んでいるね。昭和の時代を懐かしんでいるのかな。昭和は激動であったが、それなりに理解できる。平成の御代はどうなるのか。溶解していくような不気味さがある。
8.炎帝に面従腹背ダンゴ虫
だんご虫。枯葉の下で、天下泰平であるが一旦剥ぎ取られると、真ん丸に身を丸めて、さあ何とでもしてくれという風情。この虫の天敵はなにかな。
9.青鷺のト音記号の揺らぎかな
アオサギは雰囲気のある鳥。水辺でじっと水面を睨んでいるかと思うと、ビルの屋上などにとまって、世情はいかがかと辺りを睥睨している。ト音記号の形に似ているかな。
10.七月のオウンゴールの涙かな
七月の自殺点とは何か。判らない。安保法制の衆院通過。まさかね。

2015年7月18日土曜日

函館通信2-30・・・台風一過・・・仁兵衛

台風11号がやっと治まりつつありますが皆様被害は特にありませんでしたか。

前回青函連絡船の事を若干書きましたが、先日小学校時代の友人が旅行で札幌から東京に戻る時ブルトレ(寝台特急カシオペア)に乗って来た。夜九時過ぎ函館には機関車の入れ替えの為6分しか停まらないがホームで無事会えて旧交を温める事が出来た。今時と思うかもしれないがそこで懐かしい青函連絡への乗り換えの状景を思い出さざるを得なかった。一方現実のホームでは「撮り鉄」が10人位機関車の入れ替え作業を写すために車輌の端から端まで6分間の間行ったり来たり走り回っていたのには驚かされてしまった。

七月度投句

1.合歓の花予約の取れぬ指定席
2.御喋りがふわりと消へて夏座敷
3.三伏の間の取り方や父に似て
4.はたた神変身をする三歳児
5.老鶯や伝言板の消した跡
6.星月夜人はいびつに減りはじむ
7.昭和まで逆上がりして雲の峰
8.炎帝に面従腹背ダンゴ虫
9.青鷺のト音記号の揺らぎかな
10.七月のオウンゴールの涙かな

 


2015年7月12日日曜日

函館通信2-29・・・下北半島・・・仁兵衛

下北半島か函館に住んでて近くて遠いと云った存在だね。
半島の中の方は恐山を中心とした温泉地巡りなんだと思うけどね。
兎に角函館から大間に渡ってからバスがどうなっているのか判らない。
大間迄のフェリーはグーグルで「フェリー函館」程度のラフで入力しても詳しく出てくるよ。大間迄一時間半掛る。
大間から半島の中の方に向かうのと海岸線を船を乗り継いで行くのもあるらしい。
「仏が浦」とかいう風光明媚な海岸線が売り物らしい。
いずれにしろこの程度しか知識はない。乗り継ぎのバスや船がどの程度の頻度であるのか等は旅行業者に行った方が良いと思うよ。
以上参考までに。

 

2015年7月11日土曜日

ではひとつ・・・・・逸徳

前々回の仁ちゃんの投稿みて。津軽海峡を船で超えるのもいいなあとむしょうに懐旧の思いにかられたが、ただ青森函館ではつまらないと、下北半島の先端から1時間半でいける航路があると聞いて調べてみた。 魅力的であるが、問題は下北半島をよく知らないということなのである。下北でどっか1泊して、船で函館にわたり夕方の飛行機で東京にもどるか。みどころはどこかなあ。
 大間のマグロが有名で、東京じゃあきちがいみたいに高いらしいが、あれ変な話で、もともと大間にマグロが定着しているわけではないし、たまたまとおりかかった運のわるいマグロがひっかかっただけではないか。
 
ぜひこういうコースがいいというアドバイスがあったら聞かせてくれえ。

2015年7月9日木曜日

函館通信2-28・・・青函懐旧談・・・仁兵衛

逸徳さん私の句に対して色々と面白く感じて戴き有難う御座います。
猫跨ぎさんの様にきちっと自分の句に対して読者とのやり取りが出来ずいい加減でしかないが逸徳さんの気持ちの広さにおんぶさせて貰いますよ。

カタツムリの句、内の句会ではこれは川柳ではないかと評価された。私が思うにはどうも北海道ではカタツムリを見る機会が少ないんじゃなかろうかとの判断だ。函館に移ってから公園などでも注意しているが少なくとも大型の蝸牛にはお眼に掛った事がない。小さな蝸牛では匍匐前進のイメージも湧かないかもしれないな。

昆布刈りの句、根室港から一斉に歯舞群島貝殻島向けて出航して行く小さなこんぶ漁船。一刻も早く良い漁場を確保するのに必死さが波飛沫に現れていた映像であった。ロシアから僅かに許された時間と場所だ。我々には解らない生活が掛っている。
コンブを刈るとは船の上から海底を覗き長いかぎ棒で引っ掛けて引き上げる潮の流れによって船の舳先は北方領土の方を向いている時もあろう。

こんな風に映像から勝手に想像を加えながら無責任に句を作っている時が多い。
そうだ猫跨ぎさんからご指摘をされていた青函連絡船懐旧談でもやりましょう。其の切っ掛けになればと「懐かしの青函八句」を作ってみました。

・ 海峡を四時間すべり遅き春
・ 船底の二等船室春近し

・ しばらくはイルカと船と競ふ夏
・ 夏甲板サブちゃんの曲途切れがち

・ 人よりも大きな荷物秋航路
・ 秋離岸銅鑼の音足に響きをり

・ 桟橋をだまって走る小雪かな
・ 紙テープ最後に残る冬の色

こうやって楽しむのも俳句の楽しみ方の一つと思います。




2015年7月8日水曜日

どうもどうも・・・猫跨ぎ

  拙句についての逸徳評は作者としてはどれも肯けるものばかり。これからもどんどんお願いしたい。
  前三句が判ったようでよく判らん、しかし消えてゆくものと確固としたものの対比というのも面白い。作句するとき、詠う景の背後に何ものかを表現したいと常に思っている。むしろそれが言いたくてというのが本意。
  しかしながら、目の前の景は、あくまで写実であり空想を紡いでいるわけではないことがポイント。虹の環の句は、実景。場所は忘れたが山の中腹から谷間を見下ろしていた。虹は環を描き、鳶は孤を描いていた。鋭く、黒く、潔く、鉄片の飛翔に見えた。
蒼空の極みは、真夏、晴れ上がった空、紺色の極みは黒に限りなく近くなるという実感を詠んでいる。
百度石は或る大寺の百度石。百度石の三文字が鑿跡深く彫られている事が印象的だった。夏潮の音と百度石の関係は特にない。独立した事象を並立させることはよく行われる。何等かの関係は深いところであるのかも知れないが、それは鑑賞に任せる、という感じ。作者の立場を敷衍すれば、写実を心象に落とすんだね。そこで別な物に変容していくというか・・・・。別に難しいことを言おうとしているのではないのだが。
  俳句よみは吟行によく出かける。作品は机の上で完成させるが、発端はあくまで外へ出て、対象と向き合ったときのこと。そのとき自分は無になっているのが好ましい。実際には出来上がりを予想して網を張っているのが実体だが、心掛けは違う―ということで、結構複雑な心境なんだ。要は事前に何等かの作意をもって作句しようという姿勢は、あまりよろしくないということ。まあ、これからもひとつよろしくお願いします。

2015年7月6日月曜日

ではおくればせながら・・・・逸徳


おふた方への批評など畏れ多く・・・・で、印象に残った野良犬の遠吠えみたいなコメントを。
 お師匠句 6月作品の中から

・虹の環へ鳶鉄片のごとく舞ふ
・蒼空(あをぞら)の極みは黒しかき氷
・夏潮や彫り跡深き百度石
・眠られぬ夜明を飛んで時鳥
・散水の虹を潜りて帰りけり
  最初の3句がなんで心に残ったか、しばらく考えていたが、よくわからん。ただ、はかないものや
一瞬のきらめきをみせて消えていくものと、確固とした手ごたえのある存在、永遠、動かないものとの対照が面白いという印象がつよい。虹に対して鳶は鉄片なんだな。消えていく虹に対して、そこに存在し続ける手ごたえ。しかもこの鉄片決して落ちてこないんだ。命を感じる。碧空の極みの黒はどう考えても宇宙だろう。光太郎が空を宇宙の底と表現したのを思い出す。夏潮は繰り返し繰り返し、この世の始まりからどどろき打ち寄せてきた。それにくらべりゃ百度石のへこみも相対化される。一瞬なのである。
 眠れぬ夜もあるんだなあ、おいらも時々そうなる。単なる加齢だろうが、まあ疲れがとれないので、医者に導眠剤を処方してもらう。レンドルミンというやつ。でも目がさめる。そこに時鳥か。なんとなく、残り時間を感じて、寝てなんかいれんと思ったりする。うーん、ジタバタしているなあ。
最後の句、いいなあ。夏空の広がりの中の一瞬の美しさ、なんていっている間もない一瞬だ。で作者はそれをくぐって帰っていくのだなあ。 帰るという言葉の、懐かしさやあまずっぱさと虹の対比がいい。ほっとする。特選

 仁ちゃん句で心に残ったのから
 

2015年7月3日金曜日

津軽海峡とは・・・猫跨ぎ

  そうか、本州から渡っていく人にとって、津軽海峡は特別な意味があるんだね。なるほど「津軽海峡冬景色」とか「津軽の海の渦潮わけて・・・」というように、もうシンボル化しているね。
北海道育ちにはそういう感傷はほとんどない。極端に言えば、渡るべき一つの行程にすぎない。子供の頃、機雷がこの海峡でしばしば発見され、巡視艇により処理されるというニュースを結構聞いた。大戦時の旧日本軍もしくは米軍の名残だったのか。その程度。
まあこれをよすがに、懐旧談をみなさんどう?
  それから、俳句談議だけれど、仁、猫の掛け合い漫談では片手落ち。順序はどうでも、例えば、先月の俳句でもいいから、こりゃ何だと参加してほしいね。

2015年7月2日木曜日

函館通信2-27・・・津軽海峡と連絡船・・・仁兵衛

 逸徳さん、よくぞ津軽海峡を渡ったあの気持ちを思い出させて呉れて有難う。昭和37年3月上野発夜行列車たしか急行八甲田?で青森に朝早く到着。何かみんな急いでかけっている。乗船名簿に名前を書くのも知らなかったので連絡船内に入ったら立錐の余地もなく船底に近い二等船室は人で埋まっていた。何で俺はこんな所に居るのだろうなんて考える暇もなく荷物がなくならない様にウトウトしながらも周りをキョロキョロ眺めていた自分を思い出す。

 「津軽海峡冬景色」がこの頃あれば上野駅まで見送りに来てくれた女友達の事でも頭に思い浮かべてたかも知れないな。替わりに寮生活が始まって「津軽の滄海の」を覚えてしまい今度は連絡船に乗る毎に甲板に出て一人がなっていた。しかし、この寮歌は4番までは北海道の自然を謳歌しているのだがそれ以降8番までは戦争賛歌になっているのを後から知った。何しろ昭和13年の作品なのだ。

 その連絡船が無くなって20年が過ぎた。函館にも青森にもあの荷物を担いで桟橋を走る人達はいない。銅鑼の音も聞えてこないし紙テープも遠い昔話になってしまった。来春津軽海峡海底を新幹線が通るが今度の東海道新幹線での事件から嫌な事を連想する奴がいるかもしれない。そう感じたらフェリーに乗ってみる事をお勧めする。時間は昔と同じ位(約4時間)掛るが畳敷きでゆっくりと手足が伸ばせるのが何ともいえない。夏にはイルカが船と競争するのが見れるし豪華客船に乗ったつもりもおつなものだ。

 函館は観光地化して中国語が飛び交っているけど青森は市内にいい美術館、棟方志功記念館、縄文遺跡などあり結構穴場だと思うよ。
 逸徳さんの文に触発されぐだぐだ書いてしまった。

 
 

2015年7月1日水曜日

津軽海峡ということばから・・・・・逸徳

ごぶさた。 お師匠や仁ちゃんの俳句をみて、感想をとあれこれ考えているうちに、すぐその感想が投稿されてしまい、なにかタイミングをいつも逸してしまう。ごめんなさい。

さて、津軽海峡ということばを見て、過去の記憶が刺激された。おいらは院にもいかず、といって北海道の学生生活気分ともわかれがたく、要するに優柔不断で、北海道に残ろうとしたのだが、静岡に帰って家族にそのことを話し、再び就職のために北海道に戻った時の、青函連絡船を思い出す。どんよりとした北の雲の中を、カモメがとんでいた。甲板からの光景ははっきりと思い出せる。 したがって「津軽海峡冬景色」はおいらの中では、空前絶後の名歌なのである。
 内地に就職しないということは、過去の自分の世界と縁を切って、ひとりであらたな生活をはじめることだったのだが、やっぱり何だかものすごくさみしかった記憶がある。北海道から東京にむかい、新たな暮らしをはじめるというのとは真逆の感覚だったのだろう。 孤立は怖いが、孤独はさみしくはない。。。などときざなことを考えていたが、やっぱりどっか、生まれ故郷の卵の殻を尻につけていたのだろう。 一生懸命ホームシックというものを振り切って新しい暮らしをつくるのだと、肩を怒らせていたのかもしれない。

 ああ、わかかった。わかくてきざだった。本当に若くて恥多い人生だった。すこしおかしくて、ながほろい記憶である。 この年になるとそれを感じてしまう。    おそまつ。

2015年6月24日水曜日

津軽海峡・・・猫跨ぎ

  津軽海峡で12海里(だったっけ)の 通常の領海を主張すると、アメリカ原潜だけじゃなく多くの国が日本に諒解を求めねばならなくなる。煩雑でいやが上にも緊張は高まる。それでここを領海3海里扱いにしたと聞いたことがある。世界にこういうところは何箇所かあるらしい。ヨーロッパとアフリカの間の狭いジブラルタル海峡もそうじゃなかったかな。マラッカ海峡やホルムズ海峡とかも。 まあ当然の措置じゃないか。
地政学的にみて、ここを閉じると、日本列島は大陸に対して強固な封鎖線になるね。もっとも米軍の三沢基地や海上自衛隊は一朝あらばと睨んでいるのだろう。

貝殻島の昆布漁ね。こんなに昆布を食べるのは日本だけだろう。世界中に好漁場は山ほどあると思うけど、海外へ出て行く話は聞いたことがないね。どうしてかな。

2015年6月23日火曜日

函館通信2-27・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

 猫跨ぎ句鑑賞に行く前に「舳先みな外つ国に向きコンブ刈る」の「外つ国」はロシアです。先日根室から貝殻島付近でのコンブ漁が解禁になり多数の漁船が一斉に出港して行きました。
 ついでですが津軽海峡はこんなに狭いのに全てが日本の領海ではない事を最近知りました。本来は領海としての距離しかない所に特別に公海域を設けています。何故かと言うと米国の原子力潜水艦を航行させる為に取られた苦肉の策だとか。知らなかったとは言えロシア、中国、北朝鮮の潜水艦もスイスイ通っている事でしょう。
 その海底の更に下を来春以降新幹線が通りますので宜しく。

猫跨ぎ句鑑賞
・法隆寺の何処も黒し青葡萄 ・・・赤と黒ではなく黒と青の対比に新鮮さを感じた。
・虹の環へ鳶鉄片のごとく舞ふ ・・・虹が円弧状から環になって天井にある所へ鳶が舞い上がって行く実にすがすがしい情景だ。鳶を鉄片のごとくと簡潔に表現した所が素晴らしい。特選。
・蒼空(あをぞら)の極みは黒しかき氷・・・蒼空の極みは黒しが良く判らなかった。 
・夏潮や彫り跡深き百度石・・・お百度参りで触られる石がだんだんすり減って行くのに対し夏潮は変わらず満ち欠けを繰り返していると解釈した。 
・眠られぬ夜明を飛んで時鳥・・・時鳥のイッペンカケタカを朝方一度も聞いた事がない。一度は聞いてみたいと思っている。夢でもいい。 
・田水張り黄身盛り上がるハムエッグ・・・余程新鮮な卵とお見受けしました。 
・二階より畳掃く音枇杷熟るる・・・最近は畳を掃く音とはとんと無縁になってしまった。二階の畳の部屋から枇杷のなっているのが窓越しに見える。枇杷の木は大きくなりすぎて日陰を作るから病人を出すと忌み嫌う人もいるが懐かしさが先に立った。準特選。  
・行々子まだ鳴いてゐる行々子・・・オオヨシキリの警戒心の強さを上手く表現しているね。近くの川は清掃週間とか言って葦を刈り取る事があるので残念。 
・浮き球の中の昏さや夏怒濤・・・浮き球の中の「昏さ」とは一体何を言わんとしているのかな。きっと怒濤の中を潜り抜けて来たどろどろした物なんだろうと勝手に想像を巡らさせて貰った。準特選。 
・散水の虹を潜りて帰りけり・・・最近マラソン大会で散水している区間を作っているのを見た。熱中症には気をつけよう。
 

2015年6月21日日曜日

27.6 投句 ・・・ 猫跨ぎ

     降ったり止んだりの梅雨空。ところでアメリカの教会でまたまた銃乱射事件が起こった。 hate crime と言うらしい。オバマが黒人初の大統領で大騒ぎだったが、結局何も変わらなかったね。聞くところよると、父親が誕生祝いに、この犯人にピストルを贈ったとか。このピストルで犯行に及んでいる。何という国なんだ。

6月度投句

・法隆寺の何処も黒し青葡萄  
・虹の環へ鳶鉄片のごとく舞ふ  
・蒼空(あをぞら)の極みは黒しかき氷  
・夏潮や彫り跡深き百度石  
・眠られぬ夜明を飛んで時鳥  
・田水張り黄身盛り上がるハムエッグ  
・二階より畳掃く音枇杷熟るる  
・行々子まだ鳴いてゐる行々子  
・浮き球の中の昏さや夏怒濤  
・散水の虹を潜りて帰りけり  

2015年6月18日木曜日

27.6仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

1.山背風昭和の似合う立飲み屋
山背風は冷湿な風。北国の暑さにむしろこがれる気分を含む。縄のれんの立ち飲み屋に話題も冴えない。昭和といっても、あまり懐かしくない風景だね。
2.角欠いた狛犬のあり新樹光
神社の狛犬はルーツを辿ると複雑らしい。まず口を開いた阿像はライオンがモデルでこちらは角はない。口を閉じた吽像は正統の狛犬で、頭頂に一角がある。勿論架空の動物だろう。両者は別々のルーツなんだね。角ははっきりしたものから、コブと見紛うもの、無いものいろいろだ。面白いところに目を付けたもの。特選。
3.短夜や目を付けてゐし本を買ふ
古本屋かな。売れずにあった。しかし新本も古本も書店は経営が難しい時代だね。かく言う自分も気がつけばアマゾンで買っている。何せ文庫本一冊を無料で宅配してくれるから、零細書店は勝負にならない。
4.採決を待つ二の腕や鰻食ふ
何の採決なんだろう。二の腕が解らない。ちょっと三段切れ的だね。再考をお願いしたい。
5.青嵐半ばめくれたトタン屋根
青嵐というか、最近おかしいね。北関東では突風、豪雨が大暴れ。竜巻でなくダウンバーストとか言っている。屋根が半分吹き飛んでいる。なんだか亜熱帯の気候だね、完全に。風情がない。
6.夏燕リハビリに行く曲り角
いつもの曲がり角のお宅の軒に燕が営巣している。週に何度か通っているのかな。うちの近所の洗濯屋の軒先に毎年巣を作る。4月と7月の二度抱卵するね。天敵はカラス、去年は蛇が来て卵を呑んでしまったとか。
7.タテ横にスマホ動きて心太
いうも野暮だが、とにかくスマホだらけ。昨日ビアホールでビールを飲んでいた時のこと、前の席の若い女性二人組。仲良く喋っていたと思ったら、二人ともスマホをやっている。暫くしてまた何事もなく喋っている。もう空気のようなものなんだ。準特選
8.武器持たぬ匍匐前進かたつむり
ツノは武器じゃないかな。違うかな。
9.舳先みな外つ国に向きコンブ刈る
コンブ刈りは夏の季語なんだね。昔は北海道から送ってもらったが、それも遠い昔の話になった。外つ国の意味するところがちょっと判らない。
10.何時の間に靴替へてをり半夏生
そうか。地域性があるね。こちらは一年中同じ靴を履いている。と思ったが、寿命で更新したということか。半夏生と気分が通じるね。準特選。

2015年6月15日月曜日

函館通信2-25・・・今日は何の日・・・仁兵衛

 NHKラジオをイヤホーンを着けたまま寝る癖が付いてしまった。朝の5時台と6時台に今日は何の日というその日に起きた歴史的事柄を短く紹介する番組がある。今朝夢うつつに聞いていたらやたらと項目が多かった。

6月15日今日は何の日、①昭和?年岩手沖?M8.2の地震、死者多数 ②昭和35年安保闘争で国会突入、樺みち子さん死亡 ③昭和?年坂本九「上を向いて歩こう」米国ヒットチャート第一位に ④平成?年自衛隊PKO法成立 あと二つぐらいあったが夢の中に忘れてしまった。

 聞いていると自分が70歳を過ぎたんだと実感が湧いて来る。同時に俺は未だこれからどれだけ生きて新たな歴史を見られるのだろうかとキザに構えてしまう。今週末当地で道南恵迪寮歌祭がある。パーキンソンのリハビリを兼ねて久し振りに大声を出してこようと思っている。

平成二十七年六月

1.山背風昭和の似合う立飲み屋
2.角欠いた狛犬のあり新樹光
3.短夜や目を付けてゐし本を買ふ
4.採決を待つ二の腕や鰻食ふ
5.青嵐半ばめくれたトタン屋根
6.夏燕リハビリに行く曲り角
7.タテ横にスマホ動きて心太
8.武器持たぬ匍匐前進かたつむり
9.舳先みな外つ国に向きコンブ刈る
10.何時の間に靴替へてをり半夏生

2015年6月11日木曜日

ぶつぶつ・・・猫跨ぎ

  日本年金機構の機密漏洩が大騒ぎだ。あと東商とか、ぞろぞろ出てくる。 不正アクセスがここへ来て急に増えたのかどうかよく知らないが、官庁、大学、大会社なんかにはいちいち公開しないが、日常茶飯事なんだろうな。組織の長がお定まりのペコペコ頭を下げるシーンが繰り返されるが、彼等とて実際何がどうなっているのかさっぱり訳が分からないのだろう。社会面を開けば、男が女を拐かすとか、知らぬ同士が集まって良からぬ事に及ぶとかなどの犯罪が次々に報道されるが、まずは出会い系サイトで知り合ったというのが目立つ。何と言うか、ネット社会は、一枚めくれば魑魅魍魎の暗闇だ。第三者の監視が入らない全くの無法地帯になっている。そう言えば数年前、小倉さんが苦労して立ち上げた初めてのホームページの投書欄も、後半はけしからんイタズラの場となった。
専門家に言わせると、どんなサイトでも、100%安全はないとか。これが、軍事に関係しない訳はなく、各国の諜報機関は、浸入、防御の攻防戦を日頃展開しているのだろう。
  国会は安保法制の合憲、違憲で喧しい。別に偉い憲法学者に聞かずとも、憲法違反に決まっているじゃないか。中学生でも判る。自衛隊員のリスクが増えるの増えないのどうのこうの、重箱の隅を突いた議論で一億円/日 の無駄金が飛んでいく。わが東京新聞紙上は、違憲だ、戦争だ、安倍を倒せのキャンペーンが踊るが、どうかね、殆ど白けているのじゃないか。早々と本論に入ったらどうかと思うね。
つまりさ、自衛隊の存在、日米安保は誰が見ても違憲なんだろう。そこから掘り起こして議論してはどうか。自衛隊抜き、安保抜きで日本の今後の有り様を提案し、現政権とどちらが正しいのか丁々発止の議論を建前抜きで国民の前で展開して欲しい。

2015年6月7日日曜日

兼六園・・・国兼

  北陸新幹線が開通して、金沢をはじめとして富山や高岡等がテレビによく出てくるようになった。二年前のホロホロ会の能登の帰りに逸徳さん、褌子さんと金沢の方へ行ったが、その時は金沢から北陸鉄道で獅子吼高原近くの民宿で3人で楽しく濁酒を飲んだ。帰りは米原経由で帰ったが、金沢はやはりかなり遠い存在であった。それが、2時間30分少々で金沢へと、何か非常に近づいた感じである。オデンも食べたいと、行ってみたいと。先週の5月の26,27日に金沢を訪れた。
 兼六園を初めて訪れたのはかれこれ25年ほど前で、その時は雪で松が倒れるのを防ぐために職人さんたちが雪囲いをしていた最中であった。日本三大庭園という、総て徳川時代の大名の作ったものの中で、私のつたない鑑識眼では兼六園が最も優れていると思う。今回訪れた時には池にはアオサギが魚を啄み、燕子花が群生していた。驚いたのは中国からの観光客の多さもしかり、聞きなれない言葉を話す東南アジアからのツアー団体客の多さである。それだけ東南アジアの人々も豊かになってきた証拠であろう。
 ちょうど、加賀百万石という徳川に次ぐ大大名だった前田家代々の至宝展示会が兼六園近くの県立美術館で開催されていた。そこでは、前田利家亡き後、幕府は隙あらばお家つぶしをと狙っていただけに、前田家の2代目、3代目等々は面従腹背をもとに、武力よりも藩内の芸術、文化に力を注ぎ、結果として明治維新に至るまで存続し、後世に残る職人の技術を残すことになった。今の金沢は太平洋戦争の時に米国からの爆撃を免れたという恩恵もあるが、やはり忍従し耐え忍んだ前田家の継続のたまものであろう。
 夜は2日間とも、久しぶりの牛筋を中心におでんを食べ満足した次第。おでん屋のママさんがいうことには「この新幹線が開通してから潤っているのは、海鮮丼屋とおでん屋」だという。特に海鮮丼関係のお店は行列を作って並んでいた。

2015年5月29日金曜日

ついでにすこし・・・猫跨ぎ

どうも御批評ありがとう。ついでにすこし無駄話など。
  最初の句は、せっせと鏡を拭いていて、花冷えの空に目をやる暇も無かったということで、登場人物は一人です。
  ヒマラヤサクラは、小石川植物園での一句。ソメイヨシノ満開で公園中央は大変な人出だったが、公園の隅にひとり高々と花をつけていたのがこれ。私と同年配の男が声を掛けてきて教えてくれた。彼が言うにはこれが雲南から沖縄をへて日本にもたらされた。日本の桜のルーツという。ま、それはともかく、じつに清清しい咲きようだった。
  ロシア領事館はまさに函館のそれです。札幌にもあるらしいが、我々の感覚からいうとソ連領事館というほうが馴染みが良い。ロシア領事館は函館だけ。
  祇王寺は京都嵯峨野にある尼寺。夕方になると人が絶えて急にさみしくなる。祇王は清盛の寵愛を受けた白拍子。愛のさめたのをはかなんで尼になった。京にはこんな話が山ほどあるね。
  訛りなき奈良のことばは、ふと気付いたこと。京都での「おおきに」「おいでやす」は今や観光言葉だろうがちょっとべたつくね。奈良はそれがなく、さっぱりして気持ちが良い。
  二の腕への種痘はいつから無くなったかな。昔は何とも思わなかったが、思うに無神経なことをしたものだ。伝染病への恐怖はそれほど強かったのだろう。常識はいつの間にか変わる例だね。

2015年5月28日木曜日

函館通信2-26・・・鑑賞猫跨ぎ句・・・仁兵衛

 ひでをさんの十和田紀行に観光地として様変わりがしてるのを残念がっていたが地方は必死なんですよ。生き残りにね。函館も今や中国人が来てくれなかったら静かな観光都市でのんびりとやって行けていたかも知れません。新幹線が来て中国人が金を落として行っても人口減少、見えない所での街の衰退は否めない様です。

 津軽海峡を渡っていい季節がやって来ました。体調の方は相変わらず今一つですが句会をメインに気持ちがめげない様に注意しながら過ごしています。おっと!好きな競馬を忘れてた全く推理が当たりません。こんちきしょう。

 さて今月も優れた猫跨ぎさんの句を鑑賞させて貰いました。
・鏡拭きゐて花冷えの空を見ず・・・先ず鏡を拭いている人と空を見なかった人はどうも違う人物ではなかろうかと思ったらその先が解らなくなった。
・ヒマラヤサクラ高きを揺らす涅槃かな・・・ネパールの地震かな。ヒマラヤサクラは見た事はないが雄大な感じに加え下五の締りが素晴らしい。準特選。
・永き日の猫居るロシア領事館・・・函館に残っていた古いロシア領事館もやっと観光資源化の波に乗りそうです。
・無蓋車はトンネルに入り鳥雲に・・・青函トンネルの上はまさに渡り鳥の通り道。新幹線も無蓋車もトンネルを共通に使います。
・祇王寺の方より来たる春の闇・・・浄土宗の尼寺「往生院」が真言宗の祇王寺に至る歴史を知らないので春の闇が浮いてしまった。
・瞑る目に初蝶の影一瞬・・・中学、高校の時高尾山に蝶を追いかけていた坊主刈りの自分が見えた。
・金平糖にほどほどの自我おぼろの夜・・・子供の頃金平糖は殆ど見た事が無かった。中七の表現が上手過ぎるんじゃない。
・訛りなき奈良のことばや軒暖簾・・・息子の嫁さんの実家が奈良だが言われてみるとそうかも知れん。
・金星や蛇寝静まる森の上・・・こういうメルヘンチィックな句に私は弱いんです。金平糖の句と較べひんやりとした感触が伝わり宇宙に迄拡がりを見せて呉れていることで特選。
・二の腕に種痘の跡の夏はじめ・・・今年は夏日になるのが異常に早い。しかし急に寒くなる事もあるので気を付けましょう。










2015年5月25日月曜日

27.5投句・・・猫跨ぎ

  今週末、伊良湖岬からその先の神島へ行く予定。神島とは、三島由紀夫の「潮騒」の舞台となったところ。というわけで「潮騒」を急遽読んだ。三島作品としてはまことに異例な内容。健康的でハッピーエンド。ギリシャの小説「ダフニスとクロエ」をモデルにしたとか。映画が有名だ。今の人は三浦友和/山口百恵だが、我々の世代は、久保明/青山京子だね。浜田光夫/吉永小百合もあったな。

さて、今月の十句。
・鏡拭きゐて花冷えの空を見ず  
・ヒマラヤサクラ高きを揺らす涅槃かな
・永き日の猫居るロシア領事館  
・無蓋車はトンネルに入り鳥雲に  
・祇王寺の方より来たる春の闇  
・瞑る目に初蝶の影一瞬  
・金平糖にほどほどの自我おぼろの夜  
・訛りなき奈良のことばや軒簾  
・金星や蛇寝静まる森の上  
・二の腕に種痘の跡の夏はじめ 

2015年5月20日水曜日

27.5 仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

そうそうアヤメとカキツバタの違いは毎年聞いているが、忘れ、明年また聞くはめになる。アヤメの漢字は菖蒲だから始末が悪い。

さて、仁句鑑賞といこう。

・ カリヨンの音程狂ひ花去りぬ
 カリヨンは組鐘のことね。教会なんかにある。女子校の部活にもありそう。函館には似合いそうだね。急に故障したのかな。
・ 髪刈りて店主皐月を語りだす
理髪店の理容師は商売柄話し好きが多い。私も今日行きつけのところへ行ってきた。LCCが好きで、よく遠方へ旅行して旅先の話をしてくれる。準特選
・ 消しゴムで消すこと出来ず五月来る
  五月はなにか特別の記憶があるみたいだね。
・ 友の影リラの花咲く向こう岸
   リラ忌だね。あの笑顔で元気にやっているのだろう、きっと。
・ 蝶々や掌にきて止まりそう
初蝶は不意にあらわれびっくりすることがある。生き物の不思議さを思わせるね。人間以外の生物は、現在只今しかないから、何処から来て何処へ行くのかなんか考えない。 考えるのは人間しかいない。餌をやっている野良猫がいる。もう老猫であと幾許もないが、しみじみ顔を見ながらお前の一生は何だったんだと言ったりする。向こうもそう思っているような顔でこっちを見ている。特選
・ 吹流し津軽を向くか松前か
鯉幟の吹き流し。津軽へは北風で、松前へは南風かな。
・ モノレール左座席に夏の富士
羽田から浜松町の東京モノレールかな。そういえば最近乗らないね。羽田へは専ら京急だね。羽田からは乗り換え無しのリムジンバスが多い。
・ 明易し人を惑わす血圧計
早朝の血圧測定かな。かなり細かく計っているのね。私は幸い血圧だけは正常。
・ スマホなき昭和に戻し新茶汲む
一向にスマホに触手は伸びないね。なくて一向に構わない。ガラ系というらしい。
・ 柿若葉米寿どうしの会話かな
俳句仲間に高齢の人が多いので自然に観察するが、一般に八十代は元気だね。ただ八十五を越すと、不意に転んだり、腰痛になったりする頻度が急に高くなる。

2015年5月18日月曜日


燕子花・・・国兼

いずれがアヤメかカキツバタとよく言われる言葉である。燕の子の花をカキツバタと読む何かいわれがあるそうだが忘れた。

 友達から、根津美術館で「尾形光琳生誕300年記念特別展」が開催されており、その絵と同時に日本庭園も一見に値するということで、一昨日見学に行った。渋谷の表参道の、かつてはみゆき族という若者が闊歩していた道路沿いにある。光琳の作品を、根津美術館所蔵の作品以外にあちこちの美術館や個人所蔵品を一堂に集めて展覧したためか、土曜日にもかかわらず満員状態でムンムンとし、入りきらない人が並んで待っていた。国宝の光琳作「燕子花屏風図」と「紅梅花」の周りには人が群れていた。   説明文章にこの光琳の群青と緑で描かれた燕子花の作品は業平の「伊勢物語:9段東下り」に触発されて描いた絵であるという。黒鉄ひろしのマンガ古典文学「伊勢物語」では、カキツバタを頭にして和歌を詠めという問いに、業平が「唐衣きつつなれにしうんぬん・・・」という和歌を詠んでいたのが描かれている。この有名な、記念切符をはじめとしてよく見るこの光琳の絵が、伊勢物語に由来していたとは・・。

 広大な庭園の池にもこのカキツバタの青色の花がやや時期遅れであったが群生していた。庭のあちこちにどこから持ってきたのか古い仏像や灯篭等が置かれ、紅葉や檜、赤松、五葉松等が植えられ、この青山でよくぞこのような庭がと感心するぐらいの大きな広さと、その景観である。 根津嘉一郎という甲府出身のこの男は、東武鉄道をはじめとして各種鉄道事業で財を成したようであるが、この青山のかつては大名の屋敷を買い取って自宅とし、自分の集めた日本や中国の収集物を、また趣味の茶道具をも揃えて美術館として後世に遺した点は立派と言える。

 話代わって、昨年の今頃、救急病棟から自宅に戻り不思議な感じであった。アノママソットと、仁兵えさんの句の中の消しゴムで消されたままでと思うこともあるが、せっかくの拾った命、拾命1年と考えている。

 変わったことといえば、夜中に小便に起きるためか日中が眠たいこと(多分薬のせいだ)、そして煙草を止めたせいかご飯がおいしく、体重が増え続け、胴回りの自己新記録を更新中であり(まだ英蔵さんには及ばないが・・)、またその波及効果で背骨を支える筋肉のアンバランスのためか腰痛気味である。また、以前よく使っていた「やがてまた」とか、「そのうちにまた」とか「いずれまた」いう言葉を使わなくなったことである。身を持って明日という日はもう永久に来ないことを経験したためであろう。一昨年の流行語の「今です」、「今日です」と思う心が強くなった。褌子さんが昨年書いていた吉野の桜も4月に訪れた。上野の平成館で開催中の「鳥獣戯画展」も先週に見に行ったが、炎天下で2時間待ちということで、また脳梗塞になってもと思い諦めて帰った。いずれそのうちに?と。

          

函館通信2-24・・・生活雑感・・・仁兵衛

 北海道もあっとの間に桜が散っていった。「大阪都構想」も僅差で否決されて静かになって行くのだろうか。何か残念な気持ちがいささか残ったままだ。桜が散って早くも七竈とライラックが満開になって来た。この時期は気温の変化が目まぐるしく一戸建てではストーブを点けたり消したりするが古いオール電化のマンションでは石油ストーブが使用出来ないので電気ストーブに膝掛け毛布ぐらいで我慢するという苦肉の策を講じている。函館は来春新幹線が来るのでそれに合わせ高品質なマンションの売り出しが活発だ。中国人に買い占められる前に如何ですかお知り合いにでも函館に興味を持たれた方がいたらお薦め下さい。売り文句は「花粉症がなくなります」「夏の暑さから解放されます」「お値段は都心の物件より半値以下?」と書いては見たが意外と無いものだな。

 さて朝食の後片付けもしたし忘れない内に5月の十句出しておこう。
・ カリヨンの音程狂ひ花去りぬ
・ 髪刈りて店主皐月を語りだす
・ 消しゴムで消すこと出来ず五月来る
・ 友の影リラの花咲く向こう岸
・ 蝶々や掌にきて止まりそう
・ 吹流し津軽を向くか松前か
・ モノレール左座席に夏の富士
・ 明易し人を惑わす血圧計
・ スマホなき昭和に戻し新茶汲む
・ 柿若葉米寿どうしの会話かな

2015年5月13日水曜日

久々の小説 ・・・猫跨ぎ

  皆さんお元気そうでなにより。当方も相変わらずだが、直近では読書の日々だった。思うところあって、村上春樹の「海辺のカフカ」と「ねじまき鳥クロニクル」を都合四日間ぶっ通しで読んだ。一応彼の文学の感じが判った。身体と心、生と死、現実と無意識、これらの境界線の踏み越え、回帰、なんかが、まあ内容だが、それはともかく何故世界中でかくも若者の間で読まれているのか。或る切実な問題意識は若者共通にあるのだろう、何となく感じは判る。末尾で現実世界にもどり、一定のカタルシスは味わえるが、根本的な疑問は残る。かくして次の展望はどうなるのか。もっとも、それを提供できるのはオカルトだろうが。色々考えさせる材料は提供してくれた。
     考えてみれば本格的に小説を読んだのはいつかな。札幌での「カラマーゾフの兄弟」以来じゃないか。でもまだ読む気力は残っているらしい。それが確認できただけでも収穫だ。

2015年5月12日火曜日

おひさしぶり・・・・・・逸徳

しばらくこの欄にご無沙汰していたら、うれしいことに仁ちゃんから「生きているか」と電話をもらった。うん、生きているよ。 しかし電話いただいたこと、そのこと自体がうれしい。単純にうれしい。

今日、地元の小学校の学校評議委員というやつをやらされていて、学校に授業参観にいった。IT化の浸透がすごい。 スマホすら受け止めかねている爺さんには、先生がタブレットというやつのカメラで発表児童のノートを写すと、それがそのまま前の大型テレビに出てきたり、子供たちがインターネットを使いこなすのを見せられて、びっくりしてかえって来た。教科書もディジタル化しており、必要に応じてそのページがタブレットに出てくる。 そんなの見ると「教科書を大事にしなさいっ」と子供に怒っていたおいらたちは何なんだ。 思えば遠くまで来たものだという感じ。

で、帰ってきたら仁ちゃんからの電話である。あっというまに1000キロかなたの知り合いと簡単に話ができる。このような我々をとりまく生活空間、情報空間の急速なIT化は、いったい我々の感性にどんな影響をあたえるのだろうか。

生きているということのイメージについて書いてみたい。 
・・・・深い霧のようなものが流れている。今が夜なのか昼なのか、時間はよくわからない。 ときどきその霧のかなたのいろん方向から、いろんな音が遠く、近く聞こえてくる。 密々とした霧は流れ続ける。そんな中をたった一人であるきつづけているのである。歩いていく方向の、この霧のかなたに何があるかは、さっぱりわからない。 そのうちにふと気が付く。 自分のすぐ近くを誰かが通りすぎていったり、前や後ろを横切ったりしているのである。 だが霧は深く、それはどんなやつなのかはさっぱりわからない。・・・で、霧の中を歩きつづける。そのうちにまた気が付くのである。あれ?
おいらのすぐよこに、おいらと同じ方向に歩いているやつがいる。そいつはおいらに近寄ったり離れたりしているが、やっぱりどんなやつかよくわからない。 あっ、いやそいつは一人ではないぞ。とにかく右にも左にも、霧の中を同じ方向にぞろぞろ歩いているやつがいる。その連中が持っている小さなカンテラの光が、霧を通して、ぼーっと見えたりする。そのうちにその一人がすっとよってくる。「やあ・・・」「おう・・・・」顔もよく見えないが、確かに挨拶が交わされる。そうすると、また離れていくのだが、彼と交わした挨拶のぬくもりがこだまのように、心のなかに小さな振動を起こし続けている。その余韻を静かにあじわって、また一歩歩き出す。どういうわけだか、哀しいとか嬉しいといった感情の動きはほとんどおこらないのである。霧はすべてを飲み込んで密々と流れつづける。

で、この時おいらと同じ方向に歩いているやつが、おいらと「いっしょに生きている」やつなのである。
よく見えない。だが、確かに誰かがいっしょにあるいているということに、深い安定感がある。ああいつか霧は晴れるのかなあ・・・・で、何かに出会ってふと心が動くと、ちらりと「ああ。あいつだったら何というかなあ」などとつぶやく。こういうやつがよこに歩いていることは、いいことだ。


といったようなのだが、この「すぐ横でいっしょの空間に生きている」やつというのは、イメージとしては心理的空間なのだが、やっぱり物理的な距離も関連している。今までは・・・・。これがITの進展で物理的距離の意味がなくなると、おいらたちにとって,感覚の深いところで、何か「生きている」ということの感じが変わってくるような気もする。それがいいことか悪いことかは、よくわからん。

2015年5月11日月曜日

東北3県の旅(1)・・・ひでを


久し振りの投稿です。

4月の例会はしみじみと、心に残るものでした。桜は散ってしまっていましたが。

さて、5月連休には、ツアーを利用して東北の桜巡りの旅に出かけてきました。23日のつましい旅です。初日は新幹線で北上駅に降り立ち、観光バスで移動、最初の絶景地()、北上市営公園に行きましたが、ソメイヨシノは全滅、かろうじて枝垂れと八重がまだ何とか見られる程度でした。残念ながら、桜に関しては報告すべきことは無かったということです。しかし、桜を除けばいい旅だったと思います。最初の宿泊は十和田湖畔のホテル。実は北大一年生の時に、帰省の途中に立ち寄ったことがありました。目的は湖畔の乙女像です。まだ出来て10年経たない頃、制作当時18歳の女性がモデルということでした。なんとなくまぶしくてまともに見られなかったという思いがあります。調べてみると昭和28年末、高村光太郎の最後の作品です。十和田湖へは奥入瀬の渓流に沿った道をゆっくりバスは進み、大町桂月が滝や岩に名前を付けてくれた話をガイドさんが説明してくれました。湖畔に着くと、双胴の観光船で湖を回遊し、十和田の自然を楽しみました。宿に着き、一風呂そして食事後二風呂浴びてやすみました。翌朝早起きをして、散歩がてら52年振りに湖畔の乙女に会いに行きました。道々、国民宿舎、ペンション、宿屋、飲食店、みやげ物屋等、それと分かる「晒しもの」となっていて、世界の景勝地を自称していたのが嘘の様な有様にぞっとしました。乙女の姿は少し色褪せてはいたが、昔ながらに凛として希望に燃えていましたが、多少愁いを帯びているように見えました。ガイドさんに聞くと、こんなにお客さんの多い十和田湖は久し振りとのことでした。

 

(3首詠みました。俳句は私には難しいので。)

桂月が名付けし滝や岩の名を 聞けば合点奥入瀬の道

五十年振りに会いたり 春の日の乙女の像は愁いを包む

紅葉と見惑う若葉映す岸 嘗ての栄華露と消え去る。

     続きは気ままに後ほど

2015年4月24日金曜日

つむり ・・・ 猫跨ぎ

ひとこと。

・ 火を担ぎ走る頭(つむり)やお水取り
    あの松明を持って走るのが「つむり」というのかという御質問だが、ちょっと実際に見ないと判り難いのかもしれない。二月堂の内陣で行をする練行僧を松明をもって下の部屋から先導して階段をのぼる若い僧がいる。上って練行僧が入ったあと、彼は大きな松明を肩に廻廊を駆け抜ける。下から見上げていて、その懸命な姿が松明の明かりでシルエットになって丸い頭が印象的だった。丸い頭を「つむり」と表現したわけ。

2015年4月23日木曜日

函館通信2-23・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

未だだろうと多寡をくくっていたら早々に桜が攻めて来た。水芭蕉も見頃だとか言っている。街路樹の七竈は実に葉の成長が早く色気の無かった道路があっという間に緑になった。何もかも何時もより早く感じる。本当は大した変化ではないのだろう。

猫跨ぎ句鑑賞にゆこう
・ 三鬼忌やキリンは黒い舌伸ばし・・・西東三鬼の句は不勉強であまり読んでない。しかしキリンの舌が黒いとはよく観察されていますね。
・ 伸ばす手に猫の温さや春の闇・・・たしか物凄く可愛がっていた猫ちゃんがいましたね。春の闇に消えて少し寂しいのかな。
・ 春陰や聞きそびれたること一つ・・・「春陰」とは「春の曇りがちな天気」とある、季語とその後とが実につかず離れず味を出していると思う。特選。
・ 一枚の皿見当たらず鳥雲に・・・その皿は雲間に飛んでいったと思いますよ。日常の些細な事と自然界の成り行きが重なってメルヘンになって行くのでしょう。
・ 行く春や象牙は深き飴色に・・・春も終わりか。それは毎年繰り返されるけど象牙の色はだんだんと変化して行くという所かな。
・ 藤壺は巌に乾き鳥帰る・・・磯の岩にへばり付いた藤壷(富士壺)よくもまあああやって生きているもんだ。おら達も繁殖地に帰って子孫残すべ。準特選。
・ 火を担ぎ走る頭やお水取り・・・あの火柱を持って走っているのは「つむり」というのか。
・ お水取り奈良町の路地人絶えて・・・東大寺辺りはどの位の人口が居るんだろうか。歴史があるから人口減少問題はあまり問題にならないのだろうか。
・ 気配して鹿がゐるなり春の闇・・・暗闇でも鹿の目はライトに当たると光るね。ライトが無ければ人も負けじと五感を働かせましょう。
・ 南大門の思はぬ高さ月朧・・・綺麗な情景だね。高く昇った朧月を愛でてたらそばに南大門があり月と同じ位の高さがあり改めて驚かされている。第三席。

2015年4月20日月曜日

今月の投句・・・猫跨ぎ

豪雨の予想が外れたのか、しとしとの菜種梅雨の風情。あすからは雨も上がって、暑からず寒からずのいい気候らしい。では、今月の投句。

・三鬼忌やキリンは黒い舌伸ばし   
・伸ばす手に猫の温さや春の闇   
・春陰や聞きそびれたること一つ   
・一枚の皿見当たらず鳥雲に   
・行く春や象牙は深き飴色に   
・藤壷は巌(いはほ)に乾き鳥帰る   
・火を担ぎ走る頭(つむり)やお水取り   
・お水取り奈良町の路地ひと絶えて   
・気配して鹿がゐるなり春の闇   
・南大門の思はぬ高さ月朧   

2015年4月19日日曜日

27.4 仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

はるか昔、こちらへ出て来て面食らったのは老いも若きも桜に大騒ぎしていることだった。開花予報、開花宣言、一喜一憂している様が異様に見えたね。終わってしまえば、ケロリとしている。我が国民性そのものかもね。

さて仁句鑑賞。
1.意地悪は長生きすると万愚節
意地悪爺さんになると誰か言っていたなあ。俳人の正木ゆう子の句に「へんくつなばあさんになろゐのこづち」というのがあった。健康な証拠じゃないか。
2.海峡を五日でわたり花の宿
弘前の満開から五日経って函館で開花、かな。
3.酒類乙万朶一朶の花霞
甲類が連続蒸留のクセのない焼酎。それに対し乙類は昔ながらの焼酎。花の下、酔いが一層まわろうというもの。
4.陣屋跡ひと木の桜ふぶきけり
陣屋は代官などの居所か。室蘭の近くに陣屋浜という海水浴場があって子供の頃行った記憶がある。北海道で数少ない江戸時代の雰囲気を思わせる地名だった。陣屋の跡地に桜の古木があるという。準特選。
5.散る桜逝きたる友の方へ散る
直截的な表現でなおのこと思いが伝わるね。
6.亀鳴くや着る服のない放射能
最近、台湾が日本から輸入する食品に産地表示を求め、福島近隣からの物は、検査を厳しくするという。汚染水の漏洩が不気味に思われているのだろう。
7.春障子尖った声を包みけり
春障子に日溜まりのほのかな明るさ。
8.海底のトンネルを出る春の闇
 このまえ、青函トンネルで火事があったね。「トンネルに入り」としたらどうだろうか。
9.泥濘に花の予測の沈み行く
これは雪解けの泥濘のこと。そこはかとないパセティックな感じがいい。特選。
10.つちふるや新駅東西南北に
東西南北に新幹線がらみの新駅が出来たということかな。上五がちょっとアイロニカルだね。

2015年4月17日金曜日

函館通信2-22・・・花狂い・・・仁兵衛

 ホロホロ会例会ご苦労様でした。桜は既に散ってしまったけど好天に恵まれ何よりでしたね。写真を見る限り皆さん年相応の顔になられていますな。桜の花にはもう狂う様なことはないのかもしれないね。
 中学時代の友人でなが年ドイツで働いていた奴がたまたま桜の時期に日本に戻り花見の光景を見ると日本人の花狂いに感嘆し直ぐに自分もそれに溶け込んでしまうと言っていた。桜の魔性を強く感じての事だ。日本国中二カ月以上にわたり楽しませ、狂わせて呉れる自然の神とでも言えよう。

 しかし、やっと函館にも桜が近づいて来た一週間前家から300mの所で車で親子3人にぶつけた上親父に暴行を働くという事件が起きた。動機が幸せそうな3人を見ていたら殺したくなったという訳の解らない事を言っている。桜は未だ咲いていないのに早くもくるってしまったのか。被害者はいい迷惑である。

今月の10句
1.意地悪は長生きすると万愚節
2.海峡を五日でわたり花の宿
3.酒類乙万朶一朶の花霞
4.陣屋跡ひと木の桜ふぶきけり
5.散る桜逝きたる友の方へ散る
6.亀鳴くや着る服のない放射能
7.春障子尖った声を包みけり
8.海底のトンネルを出る春の闇
9.泥濘に花の予測の沈み行く
10.つちふるや新駅東西南北に

2015年4月13日月曜日

27.4 ほろほろ会東京散歩・・・猫跨ぎ

先日のほろほろ例会で恒例の東京散歩のことを備忘としてちょっと書いておこう。前後の雨続きの天気が、この日ばかりは計ったような好天でまことに散歩日和。
     まずブリヂストン美術館。ブリヂストンといえば石橋正二郎の創設したブリジストンタイヤ。典型的な立志伝の人物。こうして一から事業を起こし、日本の資本主義の成長とぴったり歩調があって成功すると、凄まじい財力をもつことの証左なんだろう。
  それを投じて集めた内外の名画、彫刻がなるほど目白押し。教科書に載っていた絵画がぞろぞろ出てくる。
青木繁の「海の幸」なんかは勇壮でいい。あと、同じく青木の「わだつみのいろこの宮」。藤島武二、黒田清輝。
なんだか、登り坂だった明治の香りがプンプン匂う。精神分裂気味の現代美術は、それから随分遠くへ来てしまったものだ。
あと、ヨーロッパの印象派の有名どころ、ピカソ、マチスの現代絵画。彫刻。ずいぶん幅広く収集したものだと改めて感心した。ある種の使命感があったのではないかな。
     そして、伝馬町牢屋敷跡である十思公園。「時の鐘」があって、鳴らされるとともに処刑が執行されたとか。
「身はたとへ 武蔵の野辺に朽ちるとも 留め置かまし大和魂」の吉田松陰の辞世の走り書きが、碑になっている。これは弟子達宛で、家族には「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」を遺した。
牢屋の何分の一かの模型が陳列されていた。ふと思ったが、この前新聞に載っていた、イスラム国の人質を収容していた場所の見取り図によく似ている。例の後藤さん達が閉じこめられていたところ。江戸の牢では辞世を書かせて遺す配慮があったが、イスラム国では、身代金取れずば、委細構わず首を刎ねるのみだ。